直6BEAT主義MarkⅡ

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吉井酒造株式会社

2013-09-08 04:05:12 | 風景・芸術

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吉井酒造株式会社に来てみた。

いくらか改修されているようだが、もとは古い建物のようである。

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この「吉井酒造株式会社」については詳細が解りません。

解っているのは、「福島酒造」と、それからあの吉野町にある、「旧・福島酒造」の今では赤煉瓦倉庫と言われている場所で、リンゴ果汁にアルコール加えたリンゴ酒とは異なる、日本で始めてスパークリングワインを開発し販売していたことに関係していたことくらいだ。

少し掘り下げて調べてみると、

昭和29年(1954)、「日本酒造会社」の吉井勇氏が「アサヒビール」と提携して、
「朝日シードル株式会社」を設立した。

フランスに直接出向き醸造方法を研究、またフランスから技術者を招きいれ、その技術を導入して製造・販売していたようだ。

昭和35年(1960)には、「日本酒造会社」はニッカウヰスキーに吸収される。

その後昭和40(1965)年には、ニッカウヰスキーは栄町に工場を新築。

製造場所もそこに変わり、吉野町の「旧・福島酒造」の工場では製造を止めている。

現在もニッカシードルとして、栄恵町にあるニッカウヰスキー弘前工場が伝統を守りながら時代にマッチするように少しずつ改良し、製造・販売されている。

「吉井勇氏」といえば、「吉井酒造」の社長である。

このことから、「日本酒造会社」とは、「吉井酒造株式会社」の社長が、
「シードル」を世界的に製造・販売していくために設立したなのではないだろうか!?

社名から、そういう風に読み取れるのだが・・・

しかも、「日本酒造工業株式会社」のことではないのだろうか!?

そうなると、「吉井酒造株式会社」の「岩木川発電所」にある銘板に記載されていた、
「日本酒造工業株式会社」と、「吉井酒造株式会社」との関係がつながってくる。

同じ社長の名前が出てくることから、前進の会社か、子会社ということでは!?

「ニッカウヰスキー」といえば、もとは「大日本果汁株式会社」として果汁100%のジュースを扱っていた。

そのような経緯を持っている酒造メーカーなので、原材料がリンゴの「シードル」をさらに大量に製造・販売していくには「ニッカウヰスキー」に一任して、大々的に製造・販売して日本のシードルが世界的に売れることを願ったのではないだろうか!?

それで、「ニッカウヰスキー」に吸収という形になったのでは!?

昭和29年(1954)といえば、「アサヒビール」が「ニッカウヰスキー」に資本参加している。

「ニッカウヰスキー」の内部の事情から、アサヒビールに株の過半数を売却し、グループに入るという事態があったようだ。

そういった事情から、「朝日シードル」という名前が5年間存在したようだが、それがなければ最初から「ニッカシードル」になっていたかもですね。

その「ニッカウヰスキー」も昭和13年(2001)には「アサヒビール」の完全子会社化された。

現在は、「ニッカシードル」の商品について、「アサヒビール」のHPから見れるように変わっています。

当時の味を再現し、「朝日シードル」が復活したら面白いかもです。

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吉井酒造は、福島酒造から引き継いだ、「吉野桜」という日本酒を造っていたが、

今は、お酒造りそのものを止めてしまっているようだ。

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奥の方に赤煉瓦で出来た立派な煙突が見える。

お酒を造っていた工場だと思われます。

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中庭が立派です。

四季醸造を始めてみたり、日本で始めてシードルを製造してみたり、

この弘前には、パイオニア精神が高い人たちが多いようだ。

=へばまんだのぉ~=


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