須田慎一郎『政治の裏』大阪クロス選挙 虎ノ門編3月18日 前半
https://youtu.be/KqHVdTOaXAQ
W選挙というよりクロス選挙と言う様に言われているんですけれども。何故こんな事になったのかと言うと、そもそも大阪維新の会、これは地域政党なんですね、日本維新の会は中央政党ですけどね。国政政党ですけれども。
大阪維新の会と公明党の大阪府連は協力して大阪都構想の話を進めていきましょうという事になったんですよ。その背景については後で説明しますけどね。そして密約文書を交わしていたんですね。
その密約文書に何があったのかと言うと、任期までに法定協議会、大阪都構想というのは、大阪府議会議員・市議会議員で構成される法定協議会というのがあって、そこで原案をまとめて、それぞれの議会で了解をとった上で、住民投票にかけましょうという、そういう手続きになっているんですよ。
その法定議会の結論を任期迄に出しましょうねという事で密約文書があったんですね。
任期はいつ迄ですか?
そこが問題なんですよ。何の任期かって書かれてなかったんですよ。ただね、普通に考えたら、府議会議員・市議会議員の任期ですよね。
新しい議員になってしまったら、その法定協議会の意味が無くなってしまいますから。もし落選したら、新しい人が入ったらどうなるの?それ考えたら、府議会議員・市議会議員の任期、それ誰が考えても常識なんですよ。
で、「この4月の統一選挙があるから、それ迄に法定協議会の結論は出すんですよね」って大阪維新の会が公明党に言ったところ、「エッ、違うよ。違う、違う、違う、違う。これ府知事と市長の任期、つまり年末だよ。」
なるほど。この食い違いですか。
「話違うじゃないか。裏切り者。そんな市長・府知事の任期な筈ないだろう。」ね。これ方便なんですよ。
松井さんぶち切れていらっしゃいましたよねぇ。
それが密約文書なんですよ。で、「どっちの任期なのか、これ見りゃ分かるでしょう、記者の皆さん。」って。
それに対して、公明党が反論したんですよ。
「そんなねぇ、非公式なモノを公表するなんてケシカラン」ってね。
そっちの方が裏切りだと。
ただ、この時には完全に決裂してなかったんですね。完全に決裂するのはいつだったかと言うと、これが私のスクープ情報。1月18日。今年のね。
大阪市内で創価学会本部―出てきましたよ。創価学会本部。創価学会本部と公明党大阪府本部の合同会合が開かれたんです。
その会合の席上、その創価学会の本部の中で佐藤ひろしという副会長が、『まぁ、ここで大阪維新の会と喧嘩しても仕方がないから、住民投票をやったらどうか?そこ迄は法定協議会通しても良いんじゃないか』と言い始めた。
実はこの人のバックには、複雑になっちゃうんですけれども、菅官房長官がついているんですよ。恐らく松井さんは、かねてから親しい菅官房長官に『チョッと創価学会に働き掛けてよ』という言い方をした。
ところがですね、その会合には、その佐藤さんのライバルと言われている谷川副会長も同席していたんですよ。そしたら、その人は何て言ったかというと、『売られた喧嘩は買わなきゃならねぇ』…まぁ、こんな言い方はしないと思うけども。
これ又、複雑になっちゃうんだけど、この谷川さんの裏についているのは二階幹事長で…おそらく二階さんから言い含められているんじゃないかなぁって…これはあくまでも、私の想像ですからね。佐藤vs 谷川がぶつかったんです此処で。
何故か不思議な事に創価学会会長の原田さんは、谷川の勝ちって、軍配を谷川さんにあげた。つまり「売られた喧嘩は買う」と谷川さんに挙げてしまったから、一気に大阪維新の会と創価学会・公明党が対立構造になっていくという、そういう構図なんですよ。
何故、そこまで大阪都構想に批判的なのか。学会、公明党が。実はですねぇ、創価学会の組織内ワード、キーワードに、こういうのがあるんですね。さぁ、テレビの前の皆さん、ご一緒にどうぞ。
常勝関西、常に勝つ関西というのがあって、創価学会にとって、大阪の地というのは非常に特別の地なんですね。
チョッと聖域なんですね。
どうしてかというと、遡る事1956年の参議院選挙で、公明党が国政に初進出を果たすんですよ。昭和31年。その時はですね、創価学会文化部という形でね。未だ公明党は無いですから。これ、前身なんですよ。
創価学会文化部。6人の党候補を立てて、3人が当選するという事になりましてね、内2人が当時の全国区、今の比例区ですね。ですから全国の創価学会の会員を結集して、この二人が当選しました。
で、もう1人が大阪から出馬した白木さん。白木さんと言っても、白木みのるさんではありませんよ。白木喜一郎さんが出馬しましてねぇ、この方は元々、泡沫候補を言われてたんです。
「勝てない、勝てない。創価学会は元々東京じゃないか。無理だよ」って言ってる時にですね、大阪に来て、一人で選挙活動をしてた方がいらっしゃったんですよ。その方は誰か。知ってるかなぁ、皆。池田大作さん。当時は未だ、学会会長じゃないですよ。参謀室長って、よく分かんない。
トップに立たれていた訳ではなく。
この方がシャカリキになって大活動した為に、当選を果たした。つまりこれが池田大作さん神話の始まりなんです。
栄光の地な訳ですね。
栄光の地。しかも当時、池田大作さん、言っちゃ駄目ですよ、コレ。チッチャイ声で言いますけどね、選挙違反で捕まっちゃったんですよ。当時。
明々白々な事実という事で。
まぁ、ね、有罪にはならなかったんですけれども。釈放されましたけれども。捕まったという事もあって、二つのポイントが有りますよね。その池田大作さんの教えは。それは常勝関西。
そこに由来する訳ですね。
https://youtu.be/KqHVdTOaXAQ
W選挙というよりクロス選挙と言う様に言われているんですけれども。何故こんな事になったのかと言うと、そもそも大阪維新の会、これは地域政党なんですね、日本維新の会は中央政党ですけどね。国政政党ですけれども。
大阪維新の会と公明党の大阪府連は協力して大阪都構想の話を進めていきましょうという事になったんですよ。その背景については後で説明しますけどね。そして密約文書を交わしていたんですね。
その密約文書に何があったのかと言うと、任期までに法定協議会、大阪都構想というのは、大阪府議会議員・市議会議員で構成される法定協議会というのがあって、そこで原案をまとめて、それぞれの議会で了解をとった上で、住民投票にかけましょうという、そういう手続きになっているんですよ。
その法定議会の結論を任期迄に出しましょうねという事で密約文書があったんですね。
任期はいつ迄ですか?
そこが問題なんですよ。何の任期かって書かれてなかったんですよ。ただね、普通に考えたら、府議会議員・市議会議員の任期ですよね。
新しい議員になってしまったら、その法定協議会の意味が無くなってしまいますから。もし落選したら、新しい人が入ったらどうなるの?それ考えたら、府議会議員・市議会議員の任期、それ誰が考えても常識なんですよ。
で、「この4月の統一選挙があるから、それ迄に法定協議会の結論は出すんですよね」って大阪維新の会が公明党に言ったところ、「エッ、違うよ。違う、違う、違う、違う。これ府知事と市長の任期、つまり年末だよ。」
なるほど。この食い違いですか。
「話違うじゃないか。裏切り者。そんな市長・府知事の任期な筈ないだろう。」ね。これ方便なんですよ。
松井さんぶち切れていらっしゃいましたよねぇ。
それが密約文書なんですよ。で、「どっちの任期なのか、これ見りゃ分かるでしょう、記者の皆さん。」って。
それに対して、公明党が反論したんですよ。
「そんなねぇ、非公式なモノを公表するなんてケシカラン」ってね。
そっちの方が裏切りだと。
ただ、この時には完全に決裂してなかったんですね。完全に決裂するのはいつだったかと言うと、これが私のスクープ情報。1月18日。今年のね。
大阪市内で創価学会本部―出てきましたよ。創価学会本部。創価学会本部と公明党大阪府本部の合同会合が開かれたんです。
その会合の席上、その創価学会の本部の中で佐藤ひろしという副会長が、『まぁ、ここで大阪維新の会と喧嘩しても仕方がないから、住民投票をやったらどうか?そこ迄は法定協議会通しても良いんじゃないか』と言い始めた。
実はこの人のバックには、複雑になっちゃうんですけれども、菅官房長官がついているんですよ。恐らく松井さんは、かねてから親しい菅官房長官に『チョッと創価学会に働き掛けてよ』という言い方をした。
ところがですね、その会合には、その佐藤さんのライバルと言われている谷川副会長も同席していたんですよ。そしたら、その人は何て言ったかというと、『売られた喧嘩は買わなきゃならねぇ』…まぁ、こんな言い方はしないと思うけども。
これ又、複雑になっちゃうんだけど、この谷川さんの裏についているのは二階幹事長で…おそらく二階さんから言い含められているんじゃないかなぁって…これはあくまでも、私の想像ですからね。佐藤vs 谷川がぶつかったんです此処で。
何故か不思議な事に創価学会会長の原田さんは、谷川の勝ちって、軍配を谷川さんにあげた。つまり「売られた喧嘩は買う」と谷川さんに挙げてしまったから、一気に大阪維新の会と創価学会・公明党が対立構造になっていくという、そういう構図なんですよ。
何故、そこまで大阪都構想に批判的なのか。学会、公明党が。実はですねぇ、創価学会の組織内ワード、キーワードに、こういうのがあるんですね。さぁ、テレビの前の皆さん、ご一緒にどうぞ。
常勝関西、常に勝つ関西というのがあって、創価学会にとって、大阪の地というのは非常に特別の地なんですね。
チョッと聖域なんですね。
どうしてかというと、遡る事1956年の参議院選挙で、公明党が国政に初進出を果たすんですよ。昭和31年。その時はですね、創価学会文化部という形でね。未だ公明党は無いですから。これ、前身なんですよ。
創価学会文化部。6人の党候補を立てて、3人が当選するという事になりましてね、内2人が当時の全国区、今の比例区ですね。ですから全国の創価学会の会員を結集して、この二人が当選しました。
で、もう1人が大阪から出馬した白木さん。白木さんと言っても、白木みのるさんではありませんよ。白木喜一郎さんが出馬しましてねぇ、この方は元々、泡沫候補を言われてたんです。
「勝てない、勝てない。創価学会は元々東京じゃないか。無理だよ」って言ってる時にですね、大阪に来て、一人で選挙活動をしてた方がいらっしゃったんですよ。その方は誰か。知ってるかなぁ、皆。池田大作さん。当時は未だ、学会会長じゃないですよ。参謀室長って、よく分かんない。
トップに立たれていた訳ではなく。
この方がシャカリキになって大活動した為に、当選を果たした。つまりこれが池田大作さん神話の始まりなんです。
栄光の地な訳ですね。
栄光の地。しかも当時、池田大作さん、言っちゃ駄目ですよ、コレ。チッチャイ声で言いますけどね、選挙違反で捕まっちゃったんですよ。当時。
明々白々な事実という事で。
まぁ、ね、有罪にはならなかったんですけれども。釈放されましたけれども。捕まったという事もあって、二つのポイントが有りますよね。その池田大作さんの教えは。それは常勝関西。
そこに由来する訳ですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます