遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

江戸のこじつけ!『どん字づくし』(5)

2020年01月18日 | 面白古文書

『大志んぱん どん字づくし』の謎解きも、いよいよ後半に入りました。

 

【口】の字です。

読みは、「おさむらひ」。

そのココロは、「田中十ない」。

田の中に十がない、田中十内。

「エヘン エヘン」と威張っています。

田中十内という名前が有名な武士かどうかはわかりませんが、江戸時代、武士の代名詞の一つであったようです。

ならば、私も新作発表。「田之内十内」でいかがでしょうか。

 

【何】のなかの口がない文字。

読みは、「口がなくてハ なに(何)とせん」。

「働き口がなくては、どうにもならない」ので、女は、「エ々ままよ」とすてぜりふを吐いているのでしょう。

 

【見】の上側、目を欠いた字。

読みは、「めくら」。

そのココロは、「目見へず」。

杖をついた人の裾を犬が咬んでいます。

「なんた(何か?)ひっぱるやうな」

 

【手】の右側が無い字。

読みは、「いそがしい」。

そのココロは、「手がたらん」。

 

今回は、わりとすんなりいきました。その分、面白みも少ないように思いました。

ps.先回は、どん字のおかげで、牛車専用の車道(くるまみち)について知ることができました。その後気が付いたのですが、名古屋市内には車道(くるまみち)という所(地下鉄の駅も)があります。調べてみたところ、江戸時代に牛車用の道があった場所でした。石切り場から石材を運ぶためのもので、それほど規模の大きいものではなかったようです。今は、その片鱗もありません。

 

次回は、次の4字です。

 

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江戸の洒落!『どん字づくし』(4)

2020年01月16日 | 面白古文書

『大志んぱん どん字づくし』の4回目です。

どん字の謎解きも、少しずつ慣れてきて・・・・と言いたい所ですが、そうは問屋がおろさせてくれないので、今回も、完全版ではありません・・・いつもの言訳(^^;)

 

【寺】の上部、十を欠いた文字です。

読みは、「あき寺」。

そのココロは、「十字(住持)がない」。

これはキレイ、座布団一枚ですね(^.^)

 

【悪】の字の、心が逆向きになっています。

読みは、「大わるもの」。

そのココロは、「心入かへた所がなをいかん」。

「心を入れかえたはずだが、やっぱりダメだ」ということでしょうか。

 

【用】の字の真ん中がありません。

読みは、「用ニたたぬ」。

そのココロは、「キ(気)ぬけ」。

描かれているのは、放心状態の女。

 

 

さて、今回の一押しどん字はこれ。

【午牛】という一文字です。

読みは、「くるまミち」。

そのココロは、「牛はとほる 午(むま)ハとほらぬ」。

牛、午は、縦棒が上に通る、通らないという文字の形の違いも掛けています。

絵には、米俵を満載した車を引いている牛が描かれています。

 

江戸時代に車道?

そこを、牛は通るけれども、馬は通らない!???

どうして???

 

調べてみると驚きの事実がわかりました(単に、私が知らなかっただけかも(^^;)

 

江戸時代、様々な理由で、幕府は、荷車の使用を厳しく制限していました。荷物の運搬は、人力や馬牛の背を利用した荷駄によっていました。しかし、一部の大都市や宿場では大八車の使用が許可されていました。また、例外的に、牛が車を引くことが許されている所も、全国には何カ所かあったようです。最も有名なのが京都です。

 

【車道(くるまみち)と車石(くるまいし)】

江戸時代の京都周辺の三街道(東海道、竹田街道、鳥羽街道)には、牛車専用の車道が作られました。人や馬の通る道の横、一段低い所に、石が二列に敷かれた一種の軌道が作られたのです。それが車道(くるまみち)で、敷かれた石が車石(くるまいし)です。

京都ー大津間の東海道では、大津から米や木材などが、牛車で京都に向けて運ばれました。重さ300kgの牛車に米俵9俵=540kgを載せた牛車が年間二万輌以上往来していたそうです。当然、道は傷み、雨季には、土でできた道路がぬかるんで身動きできなくなります。そこで、歩道と車道が分けられ、牛車専用の車道が、人、馬用の一般道に沿って設置されました。

車道は、幅が九尺(2.7m)で、長さ三尺(90cm)の牛道をはさんで2列に花崗岩の石が敷かれていました。この石が車石で、その上を牛車の車輪が通ることから輪通り石、輪石、輪形石などと呼ばれています。車石は、たて30cm、横60cm、厚さ25cm~30cmぐらいが標準的な大きさです。車石には、車輪がはまる溝が彫られていました。明治以降、車道はなくなり、車石も撤去されましたが、一部は、街道筋の石垣、側溝、礎石などに利用され、それを現在もみることができます。       参照《車石・車道研究会

 
常夜灯の基壇に利用された車石(逢坂峠)

大津市歴史博物館ホームページ≫より

真ん中の溝は、もともと石に直線状に開けられていたと思われますが、牛車の車輪により摩耗しています。

 

このような車石を2列に敷いて軌道を造るには、莫大な経費がかかったと思われます。また、大量の物資と牛が移動する車道は、当時の人々にとって、特別な光景であったに違いありません。

 

こんな事実があったとは、本当に驚きです。車道や車石など、どん字づくしの謎解きがなければ、知る由もありませんでした。『大志んぱん どん字づくし』に感謝(^.^)

 

これで何とか、半分を終えました(^..^)

次回は、5列目の4文字です。

 

 

 

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江戸の洒落!『どん字づくし』(3)

2020年01月14日 | 面白古文書

『大志んぱん どん字づくし』の3回目です。

2日間のインターバルで、どん字4種の謎解き。もう、アップアップです。

そういうわけで、今回もあやふやな部分を残したままの見切り発車です(^^;)

 

【門】の右側が逆さになっている字です。

読みは、「のきにそそう」。

そのココロは、「門(かど)ちがい」。

男が頭をおさえ、「ちがってけつかる」とつぶやいています。

 

【門】の左下、ト部が欠けた文字です。

読みは、「あけっぱなし」。

そのココロは、「門(かど)にト(戸)がない」。

 

【庭】の壬を欠いた文字です。

これは、よくわかりません(^^;)

「ほちやう」と読めるのですが・・・

絵では、蜘蛛の巣が張った庭を、職人(庭師)が眺めています。

左上に書かれているのは、「手がいらぬ庭」。壬を、手とみなしているようです。

「いらぬ」の部分が、「要らぬ」と「入らぬ」では、意味が反対になります。「要らぬ」なら、手入れをする必要がないほど整った庭です。しかし、絵の様子からすると、その逆で、「入らぬ」だと思います。手入れをしていない荒れた庭です。

すると、「ほちやう」は、「捕虫」、「捕蝶」でしょうか?

 

【車】の縦棒が無い文字です。

読みは、「これでハゐかん」。

そのココロは、「しんぎ(心木)のぬけてる車」。

心棒がはずれた荷車に、男が頭をかかえている絵。納得です。

 

次回は、次の4種のどん字です。

宿題です。一緒に解いて下さい。

 

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江戸の頓智! 『どん字づくし』(2)

2020年01月12日 | 面白古文書

先回に続いて、『大志んぱん どん字づくし』の2列目、4文字です。

 

【産】の字の横棒3本がありません。

読みは、「はらミ女の九月め」。

そのココロは、「三があると産(うま)るる」

 

 

【向】の口がない漢字。

読みは、「奉公人の口入や」

そのココロは、「向なく 口があらふ」

「向き不向きなく、奉公する先があるだろう」ということでしょうか。今一つ、わかりません。

 

これは難しい。自信がありませんが・・

【平】の半分の字。

読みは、「ハモの半平」だと思います。

「はもの」は、端物、刃物ともかけているのでしょう。

右の男が、「とんとこ とんとこ と」包丁で細かく切っています。ハモの骨切りを兼ねているのでしょう。

左の男(子供?)は、すり鉢、すりこぎで(魚の身を)すり身にしています。横に書かれている文字は、わかりません。ゴシゴシなどの擬音語だと思うのですが。

 

【十】の字です。

読みは、「点うちや千(せん)」

寺子屋で、帰ろうとしている子に、もう一人の子供が「それてんうちやせんと」と言っている場面でしょう。点うちとは、書きとめた文の大切な所に、圏点をうつことだと思います。今でいえば、赤線引き。

 

こんな具合で、わからない所だらけです。ブログ諸氏からのサポートお願いします。

 

次回の予定。4種です。

 

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頭の体操! 『どん字づくし』(1)

2020年01月10日 | 面白古文書

故玩館には、いわゆる骨董以外に、古文書や資料類も多くあります。

しかし、悲しいかな、ほとんど読めません。

その中で、かろうじて何とかなりそうな品を、少しずつ紹介したいと思います。

亀さんよりも遅く、カタツムリ程度にしか進みませんのであしからず(^^;)

 

今回は、紙ものです。

『大志んぱん どん字づくし』とある一枚物です。

発行元は、大阪の書肆、塩屋喜兵衛、右上に薄く赤い印「安政〇〇・・〇」が押されていて、安政年間に出版されたものであることがわかります。

いわゆる瓦版の一種です。江戸時代には、判じ物やしゃれなどのことば遊びが流行しました。そのなかに、文字絵などの文字遊びがあります。

文字遊びの代表が、どん字です。どん字(鈍字)は嘘字ともよばれ、庶民の間で人気がありました。

今回の品はその一つです。

                             18.3x25.2cm    

薄い紙に木版で摺られています。大量に刷られたのでしょうが、こういうものは消耗品であり、残っている物は少ないです。今回の品は、一部破れがありますが、全体としてはまず良好な部類でしょう。

全部で、32種類のどん字がのっています。摺りが甘い部分もあり、全部読めるかわかりませんが、何回かに分けて、行けるところまでいってみます。ブログをご覧の方々も、わからないところをフォローしていただき、誤りなどを指摘していただけるとありがたいです。

 

今回は、右1列目の4字に挑戦します。

まずは、この字。

『昔』の読みは、「弘法大師」です。

【昔】を分解すると、廾、一、日となります。毎月、21日は、御縁日です。

これを笑点流に言うなら

「昔とかけて、弘法大師と説く。その心は、御縁日です」

となりましょうか(^..^)

 

 

【通】で用の部分が欠けた字です。男が家に入ろうとして看板をみて頭をポンとたたいています。

看板の読みは、「無用の者入べからず」

その意は、「用字(用事)がなくては  通とゐへん」

 

【嘉】の字の左下のカが口に重なった文字

男が、嵐の中、傘をひろげず、片方の下駄を手にもって、歩いている、「たいへんたいへん」と言いながら。

読みは、「喜(き)がちがふて いる嘉(か)」

 

【實】の字の母が部分が欠けた文字です。

女が炬燵に入ったまま、箒を手にした子供に、「さっさとはきや」と言っている。

読みは、「ままこ」。

そのこころは、「實の母がない」

 

いやー、面白いが、けっこう大変でした。

次回は、2列目の4字です。宿題です。

考えてみてください(^_^)

 

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