明治七宝の大皿です。
この品は、以前、大皿として一度紹介しました。
今回、七宝として観察し直したところ、いくつかの興味深い事柄が見つかりましたので、あらためてアップした次第です。
径 36.0㎝、高台径 19.5㎝、高 4.9㎝。明治時代。
典型的な輸出品です。
明るいブルーが、明治の時代を表しているようです。
皿吊り金具は、外国で付けられたのでしょう。不思議なのは、オリジナルの幅広金具のうち、3本が折れ、針金パーツに変えられていることです。針金には糸か細布が巻かれていた痕跡が残っています。幅広金具で傷がつくのを嫌ったのでしょうか。ならば全部変えてしまえばいいように思うのですが(^^;
裏面は、全面に青海波。
この皿の売りは、やはり、表の花鳥図です。
絵が単純なので、七宝の描き方がよくわかります。
金属線で縁取りをして、その中に色釉鉛ガラスを入れ、焼き付けます。グラデーションも一部ありますが、基本的には、金属線で囲まれた部分は単色です。その結果、色釉が混ざり合うことなく、シャープな絵ができあがります。丁度、友禅染めの場合に、糊で縁取りをして、色をさすのと同じです。白い糸目が、七宝の金属線に相当します。
この品の場合、金属線は、葉脈や花びら、青海波模様も表しています。
さて、今回はじめて気がついたのですが、表面のあちこちに、◯が点在しています。中小かなりの数あります。白っぽいのがほとんどですが、茶色っぽいのもいくつかあります。
伊藤若冲にならって、病葉を描いたのでしょうか?
じっと見ると白い部分が輝いているような・・・
拡大して見ると、
ぽっかりと穴があいています。中は、ピカピカと銀色に輝いています。
針の先でつついてみると・・・
白い部分は取れて、茶色が出てきました。
確かに削れています。
どうやら、表面の濃紺色釉が剥げた後には、銀粉が残り、その下にさらに茶色の色釉があるようです。
他の場所に、もっと深くえぐれた穴がありました。
茶色で、銀粉は見られません。
ピンセットでつついてみると、
茶色ガラスの小塊がポロリととれ、
ポッコリと穴があきました。
拡大して見ると、
ボディの銅が見えます。
七宝の解説書には、銅などのボディに、金属線で細かく縁取りをした後、鉛ガラスを糊で溶いて輪郭線の内側を埋め、焼成する、とあります。
しかし、この皿の傷からは、もっと複雑な工程が浮かんできます。
いきなり色釉をさして絵を描くのではなく、下地を茶色釉で作っておき、その上に銀粉(?)をまいた後、各種色釉で最終的に花鳥図を描いたと推定されます。
どうしてこのような工程をふむのでしょうか。
銀粉は、ひょっとしたら、日本画の胡粉のような役割をしているのかも知れません。材質も、銀ではなく、胡粉そのものの可能性があります。白いキャンバスに色ガラス釉で描かれた花鳥画が、より映える効果を狙ったのではないでしょうか。
裏面も含め、青色の地には、◯型の剥離は全く見られません。銀粉(胡粉)が下に撒かれていないからでしょう。その分緻密で、剥離し難い。
この推定が合っているかどうか、青色部分を少し傷つけて調べてみる必要がありますね(^^;
それにしても、これだけきれいな◯形に、色釉が剥離するのはなぜでしょうか。
疑問だらけですが、一度の焼成で済むようなものではないことは確かです(^.^)