[概略]
「権力を批判する立場のジャーナリストは権力に有る者と親しく(したしく)食事などしないはず」という仮定の正しさを、あえて数学的に考えてみました。こんな事、感覚的にはアキラかですが無理に数学的に思考しました。
[本文]
アルファ・ブロガーの「きっこのブログ」に「朝日・毎日・読売が麻生氏と高級ホテルで会食した」と記述されていました。情報のソースがわからなかったのですが、元の記事に3社からクレームが付いていないようなので方向性は間違い無いのかも? と私は考えています。
<付>その後、ソースは毎日新聞などの「首相日々」に記述されていることを、「晴天とら日和」のブログで知りました。
私は「権力を批判する立場のジャーナリストは権力に有る者と親しく(したしく)食事などしないはず」という前提(仮定)で、今まで思考してきました ―ジャーナリストと言っても、権力に迎合(げいごう)する人ももちろんいるでしょう。この記事では権力を批判する立場の人間をジャーナリストとして思考しています。
私のその仮定(前提)自体が、誤っている? のかも。ということで この仮定を否定して(修正仮定)「権力を批判するべき立場の者であっても権力者と親しく会食する場合もある」として考えてみました。
人間にとって、同じテーブルを囲み、親しく会食することの意味は何なのでしょうか? 「親しく食事をし、なおかつその直後、相手を厳しく批判する」と言うことが、あなたの歴史上有ったでしょうか? あなたにもおそらく人類の歴史上にも無かったと感じます ―もちろん、裏切りを成功させるために戦術的に親しく会食するポーズをとる場合は除く―
日本には「同じ釜(かま)のメシを食う」という言葉もあります。要するに、親しく会食することは「あなたに危害は加えませんよ」と言うことの表現行為です。権力を批判するべき立場のジャーナリストが「あなたを攻撃することはありませんよ」と体現することは、明らかに矛盾です。
とすると「修正仮定」で思考していった結果、矛盾が生じたことになります。数学で言う「背理法」で考えて、「修正仮定」そのものが違っていたと言うことが結論できます。すなわち、最初の仮定が正しいと背理法で証明されました。
ということは、仮定と同表現の「権力と親しく食事をした(朝日・毎日・読売)は自分達を権力を批判する立場においていない」と言うことを明言したことを意味しています。
PS お願いします。悠(ゆう)ちゃんを助けてあげてください

「両前肢が欠損している」 「悠(ゆう)ちゃんの右前肢」
悠(ゆう)ちゃんはサメに襲われ両前肢に障害を負い保護されました。悠ちゃんに義肢を送ろうというプロジェクトが日本ウミガメ協議会によって発足しています。悠ちゃんは、たかだかウミガメに過ぎません。その為、人(あなた)の助けがないかぎり、生きのびることはできません。
http://www.umigame.org/J/yuuchankikin.htm