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きっかけは可愛かったから・・

中国語を始めたきっかけは発音が可愛かったから。あれから33年。寄り道もしたけどやっぱり中国語に戻ってくるんだよね

桜の三井寺(前半)

2019年05月18日 | 通訳ガイド(関西)
ご無沙汰ですね


仕事においてのブログは備忘録のために書いていますが、


なんせ、写真見て、思い出しながら、そして確認しながら書いているので時間がかかる


時間がかかると面倒になるんですよね、私


で、ほったからし



でも、初めて行ったところはできれば書き留めておきたい



次回のために





先月、とても桜がきれいな時期に三井寺に行ってきました



もちろん、お仕事で




初めてだったので纏めておこうと思います


今回はお客様の宿泊先のスタッフさんがガイドもしてくださったので、そのスタッフさんの説明も覚えてる限り書いていこうと思います






*三井寺の起源(三井寺のHPより)

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。


*その後(三井寺のHPより)

貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。
その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。



↓京阪電車の三井寺駅です
 駅員さんはいないとても小さな駅です。電車も2両編成だったしね



↓駅を出ると琵琶湖疎水。琵琶湖疎水の桜h有名ですよね~



↓境内マップ(ほぼ、この順番で周りました)



↓仁王門




元々、滋賀県湖南市の常楽寺にあった門で、1451年に建てられたと言われています。
その後、豊臣秀吉が伏見城に移築し、1601年に徳川家康が三井寺に移築したんだそうです。

両側には仁王像があります。


↓仁王門からまっすぐ行き、階段を上がると金堂が見えます



金堂への入口は階段上がり、左に行きます。



↓三井の晩鐘



日本三銘鐘の一つです

 ①「形の平等院」・・・形がきれいな平等院の鐘


 ②「銘の神護寺」・・・作った人が有名な神護寺の鐘


 ③「音の三井寺」・・・音色がきれいな三井寺の鐘


300円を納めると鐘をつくことができます。(今回はお客様の宿泊プランに込みでした)




鐘が鳴っている間は、手を合わせて、先祖供養とお願いごとをする時間だそうです。


鐘のつき方ですが、片方の足を前に出し、出した方の足と反対側の手で上の方をつかむ。もう一方の手は縄の真ん中くらいを握るんだそうです

↓こんな感じ



この体制が一番楽に鐘がつけるそうです


そして、3回ほど軽く振ってから、最後大きく振って鐘をならすのです



でも、これがなかなか上手くつけなかったんですよ~



結構難しかったです



ちゃんとつくことができれば、10分ほど鐘の音色が鳴り響くらしいですよ




この後、金堂に入ります。
靴はぬいで、靴箱にいれます。



日本には現在、建物の国宝が226個あって、うち、4つの建物が三井寺にあるんですが、そのうちの1つが金堂です。


金堂は本尊・弥勒菩薩を安置しています。
弥勒菩薩は未来仏で、お釈迦さまの入滅後56億7000万年後の未来に、この世界に現れて悟りを開き、多くの人々を救うと言われているんだそうです。
この仏様が天智天皇の念持仏(身近に置いて拝んでいた仏像)ですが、絶対秘仏のために見ることができないんですよね


現在の建物は、豊臣秀吉の正室北政所(ねね)が、1599年再建したものです。


中に入ると、まず参拝。ぐるっと囲むように外陣があり、そこにはたくさんの仏像が安置されています

仏像は一番新しいものでも400年前のものだそうです。


中にはちょっとしたお土産を買うことができます。


小さな博物館と言った感じです。



続いて、金堂の左手にまわります。




↓閼伽井屋(あかいや)



天智・天武・持統天皇の誕生の際に産湯に用いられた井戸水です。


なので、当初は「御井」の寺と言われていたのが転じて三井寺となったらしいです。


耳を澄ますとポコポコという湧いている音が聞こえてきます


中をのぞくと、しめ縄がかけられている岩があります。


ここには龍神(水の神様)が住んでいると信じられているそうです。


ただ、この龍は昔、夜になると琵琶湖に出て暴れていたとのこと。


そこで、江戸時代初期の彫刻の名匠、「左 甚五郎」が龍の彫刻を彫り、目に五寸釘を打って鎮めたんだとか。


↓その伝説を表す彫刻が、閼伽井屋の上にあります。





この井戸が三井寺最大のパワースポットらしいですよ


パワーをもらったら階段を上って霊鐘堂に行きましょう







これは三井寺の初代の鐘で、弁慶の引きずり鐘と呼ばれています。

弁慶とは比叡山延暦寺の僧侶です。

延暦寺と三井寺は同じ天台宗ですが、仏教解釈の相違から争いが生じ、山門派(延暦寺)と寺門派(三井寺)に分かれ、
次第に、その争いは武力にまで発展しました。
延暦寺の僧侶は山から下り、三井寺に攻めた時、鐘を奪いました。
その時、強力な弁慶が引きずって持って帰ったという言い伝えがあり、弁慶の引きずり鐘と呼ばれているんだそうです。


じっくり見ると、引きずったであろう擦り傷も多数あります。


↓弁慶の汁鍋もあります(弁慶が所持していた汁鍋らしいです)



↓そのほか、厄落絵馬 という他ではあまり見たことがない絵馬があります


「厄」という文字の部分を取り外し、名前と年齢を書いて掛けておきます。


↓こんな感じで掛けておきます







さて、前半ということで、今日はここまで。


三井寺は広くて見どころもたくさんあり、また桜の季節で写真もたくさん撮ったので、1時間半という時間では少し物足りない感じでした。


これでも、お客様は2人だったので、その方たちのペースに合わせ、たくさんの桜も見てもらったんですが・・


団体だったら、もう少し足早に観光しないといけないかもしれません




では、続きはまた次回


















三千院

2019年04月17日 | 通訳ガイド(関西)
おはようございます



暖かくなったな~と思ったら今日は雨が降るようです



曇り空の日は頭痛になりやすいので要注意なんですよね~






さて、今日は三千院について書いてみようと思います




ここは仕事で行ったんじゃんないんですが、いつかのためにと思ってたまたま時間があったので行ってきました




桜が咲く前だったので、人も少なくゆっくり回ることができましたよ






*三千院の歴史について

三千院は天台宗の寺院で、山号は、魚山。

本尊は薬師如来で、開基は最澄です。

三千院という名前は明治以降につけられたんだそうですよ。

最澄が比叡山の東塔南谷に小屋みたいなものを建て、円融房と名付けました。

そして、860年、最澄作の薬師如来像を安置するために伽藍を建て、その伽藍を円融院と呼ぶようになりました。

この円融院はずっとその地にあったわけではなく、いろんな場所に移りました。

比叡山のふもとの坂本や、京都市内の紫野(今の船岡山)など。そのたびに梨本房や円徳院、加持井、梶井門跡などの名前に変わったんだそうです。

そして、三千院となったのは明治時代です。

そのきっかけが「廃仏毀釈」。

明治政府は国の象徴として天皇の影響力を高めようとして、皇室の後ろ盾となる神道を保護し、仏教の力を抑えました。

お寺の財産や領地を押収することによって、お寺が弾圧され、数多くの経典、仏像が壊されました。

三千院も京都市内の領地を没収され、明治期まで使用していた梶井門跡という名前も使えなくなってしまったんだそうです。

仕方なく、梶井門跡の僧侶は新しい名前を考えることにしました。

そこで、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇直筆の額から三千院と呼ばれるようになったんだそうです。



*マップ(観光バス駐車場から三千院入口まで)




駐車場からは上り坂になっていますが、参道にはお店がたくさんあるので、遠くには感じませんでした


小川沿いを上ってくるような感じです




*三千院入口




門跡とありますが、

門跡寺院というのは皇族や公家が住職を務めた格式の高いお寺のことで、

三千院は白河上皇の孫にあたる最雲法親王が梶井門跡で住職を務めていたそうです。


*三千院前の通り



大原はしば漬けが有名なんでしょうか?


至る所にしば漬けという看板を見かけました



*境内のマップです



なかなか広くて、ゆっくり回るなら1時間半はほしいところです。


*御殿門




*勅使門




天皇陛下と使いの勅使だけが使われた玄関。

門跡寺院なので、天皇や勅使がくることがあったのかもしれませんね



*玄関




一般人はこちらから入りましょう


靴を脱いで、袋にいれなければいけません


中は撮影禁止です


本来はこちらから入り、客殿、聚碧園、宸殿を見学して、宸殿から外にでるようなのですが、


宸殿が修復中であるため、客殿、聚碧園を見学したら、玄関となりのところから出なければいけませんでした



*客殿と聚碧園

客殿は撮影禁止なので写真がありません


客殿は僧侶たちの居間兼書斎として使われいたところでした。

室内で刀を振り回せないように鴨居が低くなっています。

背の高い外国人は絶対頭ぶつけそうな低さでした。

また、鴨居の一部には槍掛けが設けられていて。敵の襲撃に備えていたんだとか。




聚碧園は江戸時代の茶人、金森宗和によって造られた庭園。








心和みますよね~



でも、


毎回、庭園をご案内するときに思うんだけど、外国人目線だとどう感じるんだろう?


中国の方って、あんまり興味をもたないような気がします。


ザ・金!


とかのわかりやすいもののほうが興味があるようにお見受けします


それとも、私の案内がへたくそなのかもしれません


お庭を見ながらお抹茶も頂けます


が、縁側の席に限りがあるので、団体で訪問した際はおススメはできませんね





*宸殿(修復中で見ることができませんでした)


以下、三千院の説明より

三千院の最も重要な法要「御懺法講(ごせんぼうこう)」の道場として1926年に建てられました。

御懺法講は後白河法皇の時代から始められた宮中の法要でしたが、今では一般の人も自由に献香できるようです。

御懺法講とは、諸悪の行いを懺悔して、「むさぼり・怒り・愚痴」の三毒を取り除き、心を鎮め、清らかにするという法要儀式です。

本尊「薬師瑠璃如来像」 は、現世に生きる人々を導き、苦しみから救っている仏。

秘仏のため見ることはできません。

本殿向かって左、西の間には歴代住職法親王の尊牌がお祀りされており、向かって右の東の間には天皇陛下をお迎えする玉座を設えています。

その玉座の間には下村観山の襖絵があり、大きな虹が描かれていることから「虹の間」とも呼ばれています。



この虹の間を見たかったんですけどね~


宸殿は京都御所の紫宸殿を模して造られていて、正面に三千院の額が飾られています。

これは霊元天皇が書いたもので、このお寺が三千院と呼ばれるきっかけになったものですね。




期間は5月30日までのようです



*極楽往生院




中央に阿弥陀如、向かって右に観世音菩薩、 左に勢至菩薩が祀られていて、この3体を阿弥陀三尊と呼び、

浄土信仰の中で特に崇拝されている仏様なんだそうです。


観世音菩薩と勢至菩薩は正座してるんですよ。


正座と言うか、つま先を立てて、かかとをあげ、前かがみになって座ってらっしゃいます。(大和座りというそうです)


すぐに立てるように? 笑


低い位置にいる私たちの方を向くため?


調べてみましたが、はっきりした答えはみつかりませんでした


天井には極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれており、あたかも極楽浄土そのままを表しているんだそうですが、


覗いてみると真っ黒で、なんとな~くしかわかりません


でも、ご安心を


円融蔵という資料館に、その絵が再現されています


なんでも、赤外線カメラを利用して、7年もの歳月をかけて復元したんだそうです



*有清園


通常は、宸殿からこの庭を通って、極楽往生院に行くことになります。



説明によると・・


宸殿に祀られているのは薬師如来。薬師如来は現世を見守る仏。


有清園は瑠璃光庭と呼ばれ、薬師如来の浄土を表している。


そして、往生極楽院に祀られいてるのは阿弥陀如来で、来世を見守る仏。


つまり、ここに現世と来世が表現されいて、人が往生してこの世を去り、幸福に満ちた極楽に向かうということが表現されているんだそうですよ。



なるほどね~


奥深いですね~




*わらべ地蔵








このわらべ地蔵を見に来る観光客も多いみたいですね~


確かに、可愛くて癒されますね



*弁財天




『京の七福神』のうちの一人。


京の七福神とは恵美須(ゑびす神社)、大黒天(妙円寺)、毘沙門天(毘沙門堂)、布袋尊(長楽寺)、福禄寿(護浄院)、寿老人(行願寺)


琵琶を弾く美しい姿をした、七福神の中で唯一の女神で、音楽や芸能の神として諸芸上達や、財運などのご利益があるとされています。





上記以外にも、



*金色不動堂(護摩祈祷を行う祈願道場として、平成元年4月に建立)







*観音堂(身丈3メートルの金色の観音像が祀られています)



もあります。



建物以外でも、庭園がきれいで、苔が広がってるからでしょうか?



全体的にの印象を受けました。



だからか、落ち着くというか、森林力効果なのか、とてもリラックスできた時間を過ごせました



桜の季節もきれいなようですし、


また、紅葉の季節も良さそうなので


機会があったら、そういう時期にも行ってみたいですね~






初めて行く方の参考になれば幸いです









































刺激を受ける

2019年03月08日 | 通訳ガイド(関西)
おはようございます



昨日は京都半日ツアーに行ってきました




お客様は7か国から終結



中国語の通訳ガイドをしていると、7か国の方を一度にご案内することは稀じゃないでしょうか



現に、私は一度もありません



もちろん、数か国はありますが、7か国というのはないですね~



昨日ももちろん、すべてが中国語圏ではなく、実は英語圏の方との混合バス



なので、ガイドも私以外にもう一人、英語のガイドさんがいらっしゃいました




京都市内半日なので移動時間はほぼありません




その中で、交代で案内をさせて頂きました




英語のガイドさんのガイディングも見させていただいたのですが、




たくさんの資料を持っておられました




ちゃんと整理されていて、お客様にその都度見せておられました




足利将軍、徳川将軍も写真を見せて、説明をされていました




風水についても




その他にもそのファイルにはたくさんの資料が





きちんと整理されていて、いろんな資料が入ってました




ガイディングも聞かせて頂きました




英語は苦手なので、100%の理解能力はありませんが、なんとなく、〇〇について話してるんだな~ということくらいはわかります




将軍や幕府について、説明されていたのを聞いたんですが、




日本の歴史において、幕府は3つあって、〇〇幕府は○○将軍ファミリーが握っていた、




というような感じの案内をされていました




なるほど~





確かに、それを先に説明したら、歴史の流れが簡単に頭に入るかもしれないなぁと思いました





もっと、わかりやすく!




もっと、おもしろく!




が、私の常日頃の目標なんですが、これは本当に難しいんですよね~





もっと、人を引き付けられるような案内ができれば、お客様の旅ももっと、もっと面白くなるだろうって思います




10年前の私よりは成長もしてると思いますが、




まだまだです





でも、昨日、久しぶりに刺激をもらったので、また心改めて頑張っていこうと思います




奈良の舞妓さん(元林院)

2018年03月01日 | 通訳ガイド(関西)

すごい風です

洗濯の竿竹が飛んでいくほどすごい風でした

台風の暴風警報が出たときでもこんなにも強い風を体験したことがなかったのに・・

 

さて、もうだいぶ前の話になりますが、

仕事で初めてお座敷体験をさせて頂きました

私はガイドの立場ですので、飲んだり、遊んだりはもちろんできませんでしたが、その様子や、舞妓さんの踊りはちゃんと見させて頂きました

 

舞妓といえば、京都が有名ですが、奈良にもいたということを仕事で初めて知りました。

 

ちょっと調べてみると

 

明治時代から昭和30年代まで栄えた花街が奈良にもあったんですって

 

それが元林院(がんりんいん)

東大寺からも春日大社からも近い猿沢池のすぐそばにある花街です。

何度か仕事で通ってるけど気づかなかったな~

 

一番多いときで舞妓さん、芸妓さん合わせて200人以上もいたんだとか

京都の祇園と肩を並べるくらいだったそうですよ。

置屋も10軒以上あったんだそうです。

ところが、時代の流れとともに、昭和30年代くらいから客足が減り始め、商売ができなくなっていったお茶屋さんが次々と閉店

今では舞妓さん、芸妓さんの数は数える程度だそうです。

 

その数少ない舞妓さんの1人と見習いさんが今回わざわざ大阪まで足を運んで、芸を披露してくれたんです

 

↓頂いた千社札(せんじゃふだ)です。お名前が菊亀さん

舞妓さんから直接もらったの初めてだったのでこれだけでもテンションあがります

 

↓お茶屋遊び

 

かわいい

 

関西弁なんだけど、ゆっくりなしゃべり方で、癒されます

 

奈良の花街は京都に比べてまだまだ知名度が低いですよね~

ガイドやってる私ですら知らなかった(これはただの勉強不足か

奈良の花街は今、衰退した花街を復活させようと、芸妓の菊乃さんを中心に頑張っているようです

3年前に菊乃さんが舞妓塾を立ち上げ、舞妓育成に力をいれていて、その第一号が菊亀さんだそうです。

舞妓デビューまで3カ月だそうです。

意外に早くてびっくり

でも、その3カ月間、しっかりと日本舞踊や作法などを学ぶんでしょうね~

 

↓少し前、情報ネットten.で菊亀さんが襟替えをして、芸妓になる、というので特集されていました。

<ノゾキミ>奈良の花街の灯を守る舞子「菊亀」(21歳)の思い  

京都を案内するときに舞妓さんの話をしますが、今後は奈良の舞妓さんも応援すべく、私も積極的に元林院を紹介していきたいと思います

 

 


伏見の舟下り

2017年12月21日 | 通訳ガイド(関西)
ニーハオ!


伏見のお話の続きです


伏見では舟乗りが楽しめます。
何度も言いますが、伏見稲荷大社だけではないんです(日本人は知ってますね

楽しめる舟は2種類あります。

十石舟三十石舟です。


Wikipediaより
「十石舟」「三十石船」は、江戸時代に伏見からの酒や米などの搬出および旅客を大坂と行き来させるため、宇治川派流と宇治川・淀川の間を航行する輸送船としてはじまり、明治時代末期まで存続した。

そして、1988年に観光船として復活させたんだそうです。

今回は十石舟に乗ってきました。三十石舟に乗ろうと思っていたのですが、乗り場がイマイチわからず、それらしき舟も見当たらずぶらぶら歩いていたら十石舟乗り場を見つけたのです。

乗り場は月桂冠大倉記念館裏の弁天橋です

寺田屋から歩いても10分もかからないくらいです。
⇩乗り場です


⇩乗り場の弁天浜


⇩十石舟です


ルートですが、弁天橋を出発してしばらくは柳並木と酒蔵が間を下っていくのでとても風情があります。
途中、三栖閘門で下りて、資料館を見学します。乗ってきた舟には前に降りて資料館を見学していたお客さんが乗って行くので、降りるときは忘れ物はないように
次の舟が来るまで資料館を見学したり、淀川を眺めたりと自由時間です

青い線のところが風情があって外国人にも受けそうです。

⇩風情ありますね〜。桜の季節はもっときれいなんでしょうね。あっ、桜の季節は予約必須だそうです




途中、竜馬とお龍の像があります。ここから新婚旅行に出かけたそうです。なんでも、日本で初めての新婚旅行だとか・・


黄色い線の両側は現代の家が立ち並んでいます。魚釣りをしている人もいました。


緑のところが三栖閘門で、ここで下ります。

⇩ 三栖閘門と資料館です


資料館はとても小さく、興味がなければ5分もいりません
じっくり見ても10分くらいでした。
舟が来るまで20分もあるのでつまらないと感じる人もいるかもしれませんね。

⇩昔の伏見の様子です

⇩伏見にあったお城。伏見城と淀城しか知りませんでした。

⇩いろんな舟があったんですね〜


所要時間は55分ですが、約25分は三栖閘門の資料館にいるので、舟に乗っている時間は思っている以上に短めです。

お値段は大人1000円

倉敷の舟下りは20分の乗船で500円

資料館のお値段が含まれているのでしょうかね~

資料館なしでもう少し安かったらなぁと思います。
だって、外国人が資料館に行ったところで、ガイドでもいれば別でしょうが、外国語併記も案内もないので、外国人は何したらいいかわからないんじゃないかなぁと思います。

私たちが帰るころに舟にのって資料館にやってきた台湾人はあそこで何をしてたのでしょうか・・


舟はバス一台分の人数は乗れませんので団体には不向きですね。
個人のお客様にならおススメできますね。


京都で神社やお寺に飽きたらここをおススメするのは如何でしょうか。


京阪電車中書島駅より徒歩5分だそうです