福岡タワーとの対話

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オットー・クレンペラーでヘンデル「合奏協奏曲作品6」を聴く

2015年01月31日 08時31分45秒 | 音楽、聴きかじり
2015年1月31日土曜日、外気温3℃湿度83%。北北西の風5m/s、冷たい風の吹く土曜日の朝。
久し振りのブログ更新。
昨日まで壱岐2泊3日の出張、クタクタの体で20時過ぎ博多港着。フェリーの約2時間半は長い。
疲れた。昨夜は自分のベッドで爆睡。朝6時前起床、いつもの日常に還る。

EMIが出した企画Boxから。
バッハからハイドンまで(8CD)
クレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団

クレンペラー没後40年を記念したアニヴァーサリー・エディション。
バッハ、ハイドン、ヘンデル、ラモー、グルックというバロックから古典派にかけての作品を収録。



・ヘンデル:合奏協奏曲作品6 第4番イ短調
 録音:1956年録音(ステレオ)

・グルック:歌劇『アウリスのイフィゲニア』序曲(ワーグナー編曲版)
 録音:1960年録音(ステレオ)

・ラモー:ガヴォットと6つの変奏
 (オーケストレイション:クレンペラー)
 録音:1968年録音(ステレオ)

・バッハ:管弦楽組曲第1番ハ長調 BWV.1966
 録音:1954年録音(モノラル)

 フィルハーモニア管弦楽団(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)
 オットー・クレンペラー(指揮)

オットー・クレンペラー(Otto Klemperer, 1885年5月14日 - 1973年7月6日)は、
現ポーランド(当時ドイツ領)に生まれたユダヤ系ドイツ人の指揮者・作曲家。
20世紀を代表する指揮者の一人。
ドイツ圏の古典派・ロマン派から20世紀の音楽まで幅広いレパートリーを持つ。
晩年の録音で聴くことができるように、アンサンブルや音色・情緒的表現など表面的な美しさよりも、
遅く厳格なテンポにより楽曲の形式感・構築性を強調するスタイルでよく知られている。
ロンドンでの客演が英国EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグに感銘を与え、1952年にEMIとレコード契約を交わすことになる。
アメリカの音楽団体による活動の制限、アメリカ市民権継続の問題などからしばらく北米に留まることとなるが、
やがてヨーロッパへ脱出し、ドイツの市民権を回復する。
1954年(69歳)からフィルハーモニア管弦楽団とレコーディングを開始したクレンペラーは、EMIから多くのレコードをリリース。
これにより、忘れられていた彼の名は広く知れ渡り、巨匠として世界的な名声を得ることになる。
そして1959年8月に、クレンペラーはレッグと終身のレコード録音契約を結ぶと共に同楽団初の常任指揮者の座に就いた。
クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団の関係は、楽団が1964年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団として新しいスタートを切った後も変わることなく続いた。

生前、数多のエピソード(スキャンダル、ゴシップの類多い)を持つクレンペラーだが、フィルハーモニア管と録音された作品群は
しっかりとした解釈に裏付けられた立派な演奏が多い。それはバッハに言えることであり、モーツアルトのピアノ協奏曲に言えることでもある。
晩年に多くの仕事を残した彼、88歳でなくなる前年まで仕事に勤しんでいた様子だ。エピソードに塗れた感があるが、基本は仕事を続ける職人でもあったのだろう。

晩年は聴覚を含む体の衰えが著しくなり、1972年1月に公開の演奏活動から引退を表明。
同年末にはレコーディング活動からも引退する。翌年にスイス・チューリッヒの自宅で死去した。

カラヤンでもベームでもない、クレンペラーの芸術。時折り聴くと、クラシックの世界がいかに広いかを感じる。

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