福岡タワーとの対話

タワーと出会い早30年。動画制作にも意欲を持つ令和版高齢者!

『駅』・・・夢によく出てくる女性

2020年02月13日 21時35分36秒 | 煙のゆくえ
2020年2月13日木曜日、天候晴れ。午後9時20分現在時外気温12℃湿度84%、西南西の風2m/s。
近頃、夢によく出てくる人がいる。

高校2年生のことだったと記憶する。
当時お付き合いしていた人で、夢の女性はこの人である。
名前をT君としようか。
小学校時代の同級生で、通う高校は違っていた。
縁有ってお付き合いすることになった。
きっかけは「写真撮らせてください」だった。
都合4年間、お付き合い頂いた。
T君とは時たま列車の旅をした。
旅といっても朝出て夕方に戻ると言った、日帰りの小さな旅だった。

早朝の列車に乗り、一緒に行く約束だったが寝過ごしてしまい、しばしば遅れて行くことがあった。
T君は最寄りのM浜駅待合室に待っていてくれたが、遅刻は1度や2度で済まず、3度目は居なかった。
そのはずで30分以上も遅れて行ったわけで、待ちくたびれて帰ってしまうのも仕方の無いことだった。
T君の自宅へ行って詫びるも、何も言わず、呆れてものが言えないというか、
少し悲しげな風にみつめられて、それからは何も言葉が出なかった。
随分と悪いことをしたと、大いに反省した。

列車の旅で印象深いのは、隣県の小さな町へ行ったことか。
M浜駅は、福岡市内から隣県・城下町のK津市とを結ぶT肥線沿線に位置するが、終点の西K津駅から進行方向を変える路線が有る。
地名から取ったK津線がそうである。
M浜駅を出発した列車はしばらく海岸沿いを走り、終点の西K津駅で向きを変え、途中のY本駅でK津線に接続、以降はS賀方面へ山間(やまあい)を走る。
K津線は蒸気機関車牽引の貨物列車が日に数本走る路線で、それを撮るのが目的だった。
現地の最寄り駅・T久駅から国道に沿って30分ほど歩き、撮影場所に着いた。
周りは一面のミカン畑で、駅と駅の間に有る長いトンネルが分水嶺だった。
トンネル入口の上から撮ろうという訳で、二人して斜面をよじ登り、彼方を見ながらのんびり待った。
青い空と流れる雲が印象的で、近くに鳥の鳴き声も聞こえた。

日に数本の蒸機牽引列車はなかなか来ず、二人とも待ちくたびれてしまった。

日も傾き夕方になってしまい、この日は撮影を諦めて帰宅することにした。
畑を出る時、土地の方に沢山のミカンを頂戴し、しかも袋に入れてくれた。



最寄りのバス停でしばらく待っていると、西K津駅前行き急行バスがやって来た。
ミカン入りの袋を下げバスに乗車。
二人ともくたびれ果て、終点までぐっすりと寝てしまった。
終点の西K津駅前に到着。

ここから博多行きの列車に乗るのだが、二人分の乗車券を買うにはお金が足りないことにそこで気付いた。
予定では往復とも同じ交通機関利用で計算していたのだが、西K津駅前までのバス利用で計算が狂った。
バスのほうが高い料金だったのだ。

駅前で途方に暮れた二人だが解決策もなく、ぼんやりと駅の待合室のベンチに座っていた。
私達は話し合って「手持ちのミカンを買うてもらおう」と言うことになり、
買ってくれそうな人は居ないかと辺りを見回すと、一人のご婦人が目に止まった。
頭をかきながら私は、ご婦人に事の次第をお話しし、「必ずお返ししますので、このみかんを買ってくれませんか」とお願いした。
そのご婦人は苦笑しながらも、「べつに返さんでいいから」と、二人分の乗車券代を手渡してくれた。
「それではこのミカンを」と、手渡そうとしたら、「よかよか、あんたら汽車ん中で食べんしゃい」と言って、受け取ってくれなかった。
私達は交互に頭を下げお礼を言って、発車間近の列車が待つホームへと急いだ。
申し訳なくも、あの時のご婦人のお名前も住所も聞いていなかった。

予定よりも随分と遅く、T君を自宅まで送った。
ご自宅ではご両親が、心配そうに待っておられた。
遅くなったことをまずお詫びし、事の次第をお話した。
苦笑しながらも親父さんに「うちの大事な娘やけん、F君もうちっと気ぃつけないかんばい」と、クギを刺された。
「すみません」の他に言いようがなかった。随分と心配かけてしまったもんだ。
公衆電話がやっとの時代で、携帯など無かった半世紀も昔ことである。

煙のゆくえ(追分駅とその周辺)

2019年05月16日 07時34分54秒 | 煙のゆくえ
2019年5月16日木曜日、天候曇り。午前7時10分現在時外気温20℃湿度74%、南南東の風2.0m/s。
今日から5月も後半である。
日一日と、季節は梅雨入りに向かっているように感じる。
それを肌で感じる。
ヒトの肌は敏感で、季節の移ろいも当然のようにわかるものである。
窓から入る風は、まったりとした湿り気を含んでいる。

こうやって、今年もじんわりと梅雨に・・・

さて、
今回の動画は、『煙のゆくえ』の続編である。
国鉄追分駅とその周辺(と言いつつ、夕張方面も含んでいるが)である。

煙のゆくえ(追分駅とその周辺)

私のSL撮影も、この動画分が最後となった。

(以下、Wikiより転用)
1975年12月14日「さようならSL」のヘッドマークを掲げたC57 135による室蘭本線室蘭〜岩見沢間の225列車が運転され、
蒸気機関車牽引の定期旅客列車は姿を消した。
C57 135による225列車運転の10日後の12月24日に夕張線(現・石勝線)でD51 241による石炭列車が運転され、本線上から蒸気機関車が消滅、
年が明けた1976年3月2日に追分機関区の9600形による入換え仕業を最後に、
保存目的の車両(梅小路蒸気機関車館所属の車籍を有する保存機)を除いて国鉄から蒸気機関車は姿を消した。

と言う次第である。

高校1年生から始めたSL撮影は、わずか6年間と言う短いものであった。
その後の長い年月、撮る被写体を見失い、カメラから遠ざかったのである。

煙のゆくえ II

2019年05月02日 14時09分15秒 | 煙のゆくえ
2019年5月2日木曜日、天候快晴。午後1時20分現在時外気温21℃湿度66%、北北西の風5.4m/s。

GW10日連休の折返しの今日、
天候はこの連休中最高の陽気となった。

朝8時過ぎから草取り2日目を決行、強(こわ)ばる足腰を気遣いながら、
利き腕も人の腕のようになりながら、
自らに課した毎年GW中の家の草取り。
遅々として進まないのが草取りである。

2日目を終えて半分も進んだであろうかと、全体を見渡す勇気は今の私には無い・・・

庭にこんな花が咲いていた。

調べると「カクテル」という名のバラの一種らしい。
家内がいつか植えたのだろうが、今が見頃なのか。

さて、今日も動画制作に励んだ。
手元のストック・フォトに有るものから選んでみた。

煙のゆくえ II


学生時代に夜行急行で訪れた鹿児島・宮崎での記録である。
普通座席に揺られて6時間、終着駅・西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)に着いたとき、体中が強張(こわば)っていた。
客車列車にエアコンの設備は無く、扇風機と窓から入り込む夜風の中で、うつらうつらの6時間であった。
調べると、23時59分博多発〜翌朝6時12分西鹿児島着となっている。
ちなみに現在、九州新幹線「みずほ」では最速1時間17分で行ける!

スタミナのあった当時だから、行けたのかもしれない。

煙のゆくえ

2019年04月27日 10時11分05秒 | 煙のゆくえ
2019年4月27日土曜日、天候晴れ。午前9時50分現在時外気温13℃湿度63%、北の風5.5m/s。
連休初日は、肌寒い気温で始まった。
勤務先の研修で1泊2日の千葉行きから戻った昨夜、気疲れでもしていたのか
早々に寝入ってしまった。
寒暖の差が激しい研修先の天候も、疲れの要因の一つかもしれない。
最近なにかと疲れやすくなった。
適度に運動してるし、歩きは特に毎日。
回復に時間がかかるようになったのだろうか。
今の自分の体力を容認しながら、上手に付き合っていきたい。

背振とその周辺を完結させて、心地良い達成感と
ぼーっとした虚脱感のようなものを感じつつ、
何か無いか?と、ストックフォトを見ていた。

それでこれを作った。
番外編とでも言おうか。

1975年だからかれこれ44年前か。
モノクロ一辺倒の写真時代で、しかもマニュアル(フォーカス)だもんで、
多少のピンぼけも、シャレの一つと割り切りたい。
初の北海道行きで蒸気機関車を撮影したものだ。

煙のゆくえ