ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

過去からの贈り物

2006-09-30 17:25:50 | 教育
時は1985年湾岸戦争当時、サダム・フセインはイランの首都
「テヘラン爆撃」声明を発令したのです。

『「イランの上空は航行禁止区域とする。
3月20日午前2時以降,イラン上空を航行する
全ての航空機は攻撃対象になる。」』

テヘランに駐在していた邦人約500人は、直ちに命の危険にさらされる事と
なったのでした。
この時、残されたリミットは48時間でした。

「今すぐ、邦人救出を!」この叫びを聞きつつも、当時の日本では
邦人救出のヘリを飛ばすには、あまりにも危険である。との理由から
救出に手こずっていたのでした。

あらゆる手を模索しますが、バクダットへの攻撃も開始され
邦人救出は八方塞であるかのように思われた、まさにその時!!

現地のトルコ大使館から日本大使館へ連絡が入りました。
「トルコ航空機200人分を日本人に割り当てました。
 すぐさま避難してください」

テヘラン攻撃の1時間前、日本人はトルコが用意してくれた
飛行機で無事に難を逃れることが出来たのでした。

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私は恥ずかしながらこの話を、去年まで知りませんでした。
しかし、これは私達が過去から頂いた大いなる贈り物であることを
和歌山県串本で知りました。

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一体なぜこのような危険を冒してまで、トルコの方々は
日本人を助けてくれたのでしょうか?

「130年前のご恩返しです」とトルコの方は仰いました。


130年前・・・・・の嵐の日・・・・・


和歌山県牟婁群串本大島の岸壁近くに住む人々は真夜中に
大きな爆裂音を聞いたのでした。
驚いた村人は家々から飛び出し、樫野崎の岸壁に一隻の巨大な
船が座礁している姿を目にしました。


         【座礁した岩場】

事態を知った大島の人々は、あらゆる手段で乗組員達を救助しようと
試みます。しかし、眼下は断崖絶壁、大男のトルコ人、それでも
島人たちはひるむことなく一心に救助活動を行いました。

200Mはあろう断崖を傷ついた180cmもある大男をかかえて
のぼり、寒さに震える人には体を当てて体温で暖め、必死の介抱
を行ったのです。
乗り組み員65名の命はこのように救われました。

さらに島人たちは、当時保存食として持っていた食料を
全て差し出したのです。
保存方法のない時代、しかもそこは島、自分達の食べるものも
省みないでトルコ人に分け与えたのでした。


このことをトルコの人々は心から感謝し、子から孫へと
語り継いだのです。日本人の方がすっかり忘れてしまっても
トルコの人々の心には、鮮烈に焼きついていたのです。

「130年前のご恩返しです」
このように言って日本人を救出してくれたのは、このように
明治期の貧しい漁村で、名もない人々が行った壮絶な救出が
あったからでした。

今でもトルコは大変な親日派であると言われます。
トルコの大統領は来日の際は必ずこの大島を訪れ、慰霊碑に
花を手向けるのだそうです。


私達は未来の人々に、何を贈ることが出来るのでしょうか?
日本の南の最果ての地で、名もない人々が深い慈愛を持って
行ったこの出来事が、どれほど偉大であり、どれほど高い志に
根ざした行いであったかを通して、あり方、生き方を教えて
頂いたように思います。

安部首相が語る『美しい日本』
この美しいと言う言葉に、日本人の心のありようが
込められていると感じ、何を美しいと感じるかの感性を
育んでいきたいと思いました。