2015年4月19日(日)あめ 10995歩
(18日は14535歩 平尾台散策) 山帽子さんにお世話になりました。
兄のお見舞い 北九州へ
私より5歳上の兄は 5年前 横浜で交通事故に遭いました。
一人暮らし。遠くT県で暮らしていたので認知症の症状があることをだれも知りませんでした。
交通事故では2週間しか入院が許されず、やむなくしばらく精神科病棟にいましたが、故郷
北九州に居場所を探して、施設での生活が始まりました。
この間3ケ所施設を変わり、4月にまた2度目にいた場所に戻ってきました。あまりにも足が弱
って歩けなくなり、リハビリの出来る場所への移転です。
町で書いてもった似顔絵
次兄が弟のために 作った(おむすび苑にいるころ)替え歌です。
今の居場所「桜丘」 とても優しい介護士さんでした。 門司の和布刈公園に出かけたそうです。
毎日歩く練習。¥(1.2.3.)と自分で掛け声をかけながら歩いています。
兄85歳 姉82歳 そして患者の兄は80歳です。私が末っ子75歳。
長男と長女は他界しています。
次兄は算数や日記帳、塗り絵など、自分が教育者だったのでつい、その分野のやり方で何とか
機能回復を願います。算数は得意らしいのですが…日記はついていてもやりたがらない。
ハーモニカも得意ですが、最初の施設で与えたら、一日中フロアで演奏して、迷惑がられてやめました。
とてもうまく吹くのですが・・・・。
今日3人で訪問して感じたことは 今までの自分の生い立ち、職歴など克明に覚えています。
それを得意げに語ります。
勿論私が色々引き出そうとしたのですが、とても生き生きと語ります。
でも別れた家族のことに触れると、話をそらします。またなくなった長兄 長女の事はあまり記憶に
ないようです。もうかなり前の出来事だからでしょうか?
3年前、岐阜の従弟のお寺にお墓や、戒名や葬儀のことを相談しにみんなで行きました。
その時のこともよく覚えていました。
この施設に代わる前、次兄によれば心を閉ざしていたようです。
「今日は何月」「4月19日 日曜日」と答えます。
毎日の日程も自分で予定表を見て理解しています。40分ほど兄姉4人で兄に質問しながら
過ごしました。今まで兄を訪問しても、格別よろこんだり別れを惜しむことはありませんでした。
今日は、エレベーターに乗り込むのをじっと見つめて笑顔で手を振り続けていました。
入居者の中では、介助なく食事やおやつを食べるし、いろいろお手伝いもできているようでした。
足も以前より歩けるようになっているようでした。
母 父 三男 次女 次兄
私と、長男 長女はお留守番だったようです。小倉まで菊人形を見に行ったそうです。