旅の途中 FM銀河「てんがらもん」の毎日

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己書師範ー23期生認定式 第3の人生のスタートの日―晴れがましい1日でした

2022-03-14 | 日記
2019-03-31 | 日記

2019年3月29日―31日

 29日(金)14564歩―歩きすぎ―た

 お別れの季節・・空港で志布志中から奄美大島の朝日中?へ転勤する勝山先生の見送り

 船の離島への見送りたくさん見ましたが今や飛行機の時代ですね。

 手にしているうちわで、裏表見せながら…私のためにリクエストしてくれました。

  ブログで全国アップしましよ…。わーい。(かげにいた家族にお礼も言われちゃった。

名古屋国際空港で純子師範といつも頂くという「おかゆ」??いただきました。

 

 純子師範はこのほかに〇〇〇が付きますが、私はこれでちょうどいい・・しらすとエビでいいお味。

夜、宴会のためにここでは控えることにしました。

 

 ホテルに荷物を置いて、歩いたり電車に乗ったりの繰り返し、会場も電話とスマホ頼りに

やっとたどり着きました。

 電車を乗り継いで、まず1日に目の研修は 己書会での人気者「ケンちゃん」先生の道場へ

https://profile.ameba.jp/ameba/genki-mura すごいかたですよ。

普通の民家らしいおうちがこの日の会場でした。

 

 

朝から描いているという熱心なっ生徒さんたち、すごーい難しい作品

、カレンダーなど・・さまざま

どこも同じすごー爆笑が繰り返されながらがこの幸講座の特徴でーす。

 

 

 

私たちもお茶と高級お菓子のもてなしの後早速はがき4枚に挑戦しました。

 まず2枚・・描き上げて・・・4枚も描き上げましたよ。

まもなく夜の部の方もやってきて・・次々幸座は続きます。

(ブログ出させてね;つていいました)

 すごいでしょう?金箔の色紙に七福神…朝から描いているのです。

 

夜の「純子師範の歓迎パーティ」を親しい師範仲間が開いて

くださるとのこと。私も仲間に入れていただきました。

 次々にごちそうが出たのに 食べるのに懸命で写真撮るのを

忘れていました。

この時間私はくたびれてさえない表情でしょう?

とにかくすごいにぎやかの仲間ばかり・・多分40代―最高の方が還暦前

 

話題は他愛もないこと〈失礼・・)でそのたびに爆笑。

話題の中心は純子師範。師範同期の仲間

延々4時間・・一向に終わる気配なし

疲れている私へのサービスまでも  

私だけホテルに入り、

またしばらくメンバーで街をうろついて?過ごしたそうです。

 私はもうやっとやっとで風呂に入り、兒島さんの

のびた師匠へお礼の言葉を伝えたい・

元気でお帰り下さい」のメールに1行の返信が精一杯でした。

 

30日(土)7896歩

 8:30 純子師匠と待ち合わせて、会場のへテルへ。

電車乗り継いで中村区のキャッスルプラザへ。

 今回の師範合格者80数名と来賓の皆様?など。なんと私真ん中の前列に

総師範杉浦さんの配慮です。

更に 23期生を送り出した師範の皆さんが前に加わりました。

杉浦総師範からの認定証書授与

 

杉浦総師範と私の師匠北薗純子師範に挟まれて。

私のグループのメンバーとその師範が付き添います。あいうえお順だから

最後から3番目のグループです。

 

 

私を己書に導いてくれたラジビタはなさんの師匠平井浩二師範(日本己書道場統括師範)

 

 

馬渕将樹副総師範

 

https://jp.linkedin.com/in/%E8%8B%B1%E9%9B%84-%E8%B6%8A%E5%BE%8C-b6a931165

越後英雄さん(企業立地事務所)この方もすごい方です。

 

向かって右の女性は92歳(私より一回り上の辰年生まれ)今回師範に。

私はこの中で2番目の高齢者だから…総師範が両脇に呼んでくださった。

 

 私のグループのステージ北薗師範が前に座って

カメラで待ち構えてくれています。

ステージで証書授与の後一人一人自己紹介と己書との出会いや

道場名を決めた理由を話します。

私には特別?な一言が副総師範から「マイク渡したら放送で話すように、

いろいろ話してください」

このグループでは最後だったので、お言葉に甘えて誰よりも

たくさん話させてもらえました。

ブログのおかげでラジビタはなさんに出会ったこと。

そのつながりで己書の北薗純子師範に出会えたこと

てんがらもんラジオの話・・誕生日のことまで

「もしや18歳では?」と副総師範に言われてつい

そうなんです来年二十歳になります。と調子に乗りました。

おかげで後の自由時間やパーティでたくさんの方に名刺交換を

いただく羽目になり。

その情報を頭に収めきれなくて…

 

ずっと隣席だった沖縄の紀恵さん。うれしくてうれしく・・

私が沖縄に思いを寄せ続けて生きてきたことを話すことが

できました。素敵な出会いでした。この方は私の師範試験の日の

覚えておられました。きっとベレー帽でね。

この方の推薦師範は 本土で己書の師範になり沖縄に永住。

炭火焼きのみせ「すみ家」を経営されている方。

今回多くの出会いがありましたが紀恵さんとの出会い。

格別なものがあります。

 

 

 

何かと気にかけてくださった総師範です。

児玉師範(試験性担当係。全国の師範の皆さんのお世話役?

メールでいろいろ連絡いただいている方です―北海道出身)

 

大先輩の岡山からの、大江千賀子さん、娘さんが師範でご一緒

「私の妹に似ている」と挨拶してくださいました。

もしや辰年では?」千賀子さん92歳の辰年、」「私も

昭和15年の辰年です」大正15年と昭和十五年・・・大いに意気投合しました。

これから私の目標です。

 

この日の昼食は純子師範と親しい師範の皆さんが誘ってくださいました。

この前鹿児島にいらした方々もいます。

一番手前の方が「憲法9条を守る会」で頑張っていることを聞き、すっかり

話が弾みました。

 

昼の部が終わって

夜の交流会は23期生 推薦師範幹部の師範の皆様、来賓など、昼に続いての

大変な盛り上がりでした。来賓の皆様のお話も大変ないよう深いもの

でしたが私は部分的に聞き取れないので、なかなかまとめて報告できません。

 

ビンゴゲームも盛り上がりました。景品も素晴らしい。

先生方の作品や、己書の必需品

筆ペンや画線はがき、バッチ他色々あり私も筆ペンと秋田犬のバッチ

・そして純子師範が画線はがきなど譲ってくださいました。

 

認定書、左の作品は試験の前に課題書として書いたものを

私があてがっているだけです。

 

 

 

この中に入っているのが試験の作品ですが、公開禁止です。

多分あとの期生にも

同じ課題があるからです。一つは自由化課題の色紙。

(40分で仕上げる)

一つはみな同じの課題。(3時間半で仕上げる)

どちらも苦戦しました。

自分ではもう絶望的でした。

受験生の2割は不合格ということでしたので幸運でした。

 

100枚の名刺・己書バッチ、バッグ、看板などいただきました。

なるべく名刺は使わないでと思ったのですが、たくさんの方にいただいて

交換となるので、これもこれからの活動に大事な役目を果たすと思い

ます。(名刺の裏表です)

 

 

 

3月31日(日)5255歩とプール50分ウオーク

昨夜は一人で金山のビジネスホテルへ。なるべく空港に行きやすいところに。

純子師範はまだ2日残っていろんな幸座を受けるそうです。師範になっても次なる

上席師範目指して力をつけるのです。

一人で泊まったビジネスホテル。

 

しだれ桜が見事でした。

今日はフライトが遅れて40分遅れで鹿児島空港へ。

 

機上から見えた霧島連山

高千穂の嶺です。

3日分で長々となりました。

第3の人生?とも思えるこれからのスタートです。

しっかり記録しておきたくて・・お付き合いありがとうございます。

23枚の名刺をいただいたのですが、私のは20枚使っていました。

ごめんなさい。次々おいでいただいて混乱していました。

もしぶろぐを観ていただいたらぜひコメントくださいね。

 

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まついのりこさんを偲ぶ会-東京に参加した記録

2022-03-13 | 日記

2017年 6月2日(金)-3日  ( 3日ー11448歩)

まついさん次の世代に語り継ごう・娘の家のバラ・安曇野・松本城

 

 

    松井エイコさん                 松井朝子さん

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

ご心配いただいた東京駅での移動すんなりゆきました。

まついのりこさんの「しのぶ会」武蔵野公会堂にあるれるほどの

方々が集まっておられました。

 

 

夜の会でわかったのですが、それは全国津々浦々からの参加で

鹿児島からは私一人でしたが、身の置き場がないような活動家の

皆さんの集まりでした。

 

 

まついのりこさんは絵本作家ですが、特に紙芝居の世界を世界に

広げられた方です。その業績のすばらしさは、参加されていた全

国の皆さんが、各地域で素晴らしい活動をされていることでも伺え

ました。

特に松井ファミリー。娘さん二人、長女のエイ子さんは壁画家と

して、次女朝子さんさんはパンとマイミストとして活躍されて

います。故松井幹夫さんは算数の一人者として「子供たちにわか

る算数」を届けることで活躍されました。次女がお世話になった

埼玉の自由の森学園創立から関わり、大変お世話になりました。

 

 

 この4人の共通点は「戦争を憎み、平和であり続けること」が生

き方の中心に貫かれている。ということです。

私は今は沖縄在中の仲里千江さんのご縁で のりこさんと出会い、

私の小さな保育園のお母さんたちへの講演会を3度もしていただ

きました。朝子さんのパントマイムも保育園で実現し、そのあと

鹿児島の数か所で実現にこぎつけることが出来ました。

 

しのぶ会では朝子さんの素晴らしいパントマイムも演じられて

会場は感動と興奮であふれていたように思えます。 

ホテルでの「心をつなぐ集い」ではお隣に長野県の飯田市から

見えた文庫活動などをされている方といろいろお話できました。

あさこさん、エイ子さんともごあいさつできてよかったです。

 言葉はなく抱き合って胸がいっぱいになりました。

東京駅・・・

皆さんにいろいろご心配いただいて吉祥寺から 東京駅へ

ここでの新幹線への乗り換え、何の不安もなくスムーズに

その乗り場へ移動できました。

23時33分 長野着 娘夫妻が出迎えてくれました

6月3日(土)

安曇野ー松本(松本城ー 縣の森など)

10数年前何度も通ったコースを歩きました。

この日のことは帰宅してからにします。

 

6月4日 (日)21:30分帰宅ました。

 

 長野15:00発の新幹線あさまです。

飛行機。通路席で、きれいな夕焼け 19:50頃です。

1年前のブログです。

http://blog.goo.ne.jp/chidori-t/d/20160603

 

娘の家にはバラの花がこぼれるように咲き誇っていました。

 

娘の家のバラです

松本城

安曇野のバラ園

 私もよく通った縣の森(松本)ここで全国指揮者講習会 

6回参加。

 

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