Kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「てんがらもん」231回 ある薩摩おこじょの114年間。

2016-08-26 | 「てんがらもんラジオ」

  今日のゲストの二川道子さんが書かれた2冊の本が紹介されました。二川さんが話されたのが『日本一になった薩摩おこじょ』、これは二川さんの祖母白浜ワカさんを絵本にしたものです。もう一冊はインタビューをした前迫さんの紹介で『私のウィーン物語』、二川さんのウィーン生活体験談です。

  白浜ワカさんは明治11年生まれで亡くなったのが平成4年、亡くなるまでの4年3ヶ月余114歳の長寿日本一でした。明治大正昭和平成と書き連ねてみて、この期間の長さと日本の激動期、それも明治維新直後を生き抜いてきたのですからそこから多くのことが知ることが出来ると思います。

   明治11年・1878年とは西南戦争で西郷隆盛が自刃した翌年です。その鹿児島で生を受けたひとりの女性の114年間の生涯と言われれば関心を持たざるを得ません。

   桜島で生まれたワカさんが、結婚し子を成したあとちょっと実家に寄ったことを姑にとがめられ、離縁され子供と別れさせられたというのです。当時の嫁の立場がどのようなものだったか、考えさせられます。同時に都城で再婚し7人の子供の教育のため大八車での野菜の引き売りで資金を生み出し、全員を大学に進学させたことなどに薩摩おこじょの芯の通った気丈さを感じます。

   この作品は鹿児島児童書出版助成対象作品に応募していました。その講評のなかに「文章がうまく、完成度が高い」とあります。二川さんは番組のなかで次の作品に向けて引き続き書いていく意欲を示されました。先に触れた『私のウィーン物語』は2004年です、是非第三作目を書かれそれが「てんがらもんラジオ」で紹介されること期待してます。  

番組は   http://www.ustream.tv/recorded/90756618

ワカさんの100歳110歳の時の元気な姿が見られます(本の内容の紹介・chidoriさんのブログです。)  「てんがらもん」231回

wikipediaでも  wiki/白浜ワカ

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帰宅中……。

2016-08-25 | 非詩的なつぶやき

   先程まで元仕事場の旧友との暑気払いで、横浜で二時間そこで付き合った川崎の連中がもう少し飲もうとの声かけに応えてしまい、川崎で二時間ずーと飲んでいたわけではないのです。

    横浜でも川崎でも何かをしゃべりたい、聞いて欲しいという人はいるものです。自分が青春をかけたり壮年期のエネルギーを傾けてきたうえにたって今夜の自分がいる、その思いは共有しています。それだけに何故彼がこれほど力を込め訴える如くしゃべるこか、分かる分かるとその口の動きを見つめながら思い続けた四時間でした。

    そういう時間を持てた事が明日からの、難問にも立ち向かえるエネルギー源になるに違いありません。それはしゃべってた者だけでなく、うなづきながら聴いた者にとっても同じです。10月には彼らと会う一泊の集まりがあります、そこへ向けて何らかの試みを提起できるようにしたいものです。

   帰宅中の発信です、「てんがらもんラジオ」の感想は途中ですので明日まとめます。

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老人と「資本論」

2016-08-24 | kaeruの『資本論』

「老人と……」とくれば「……海」でしょう。ヘミングウェイの代表作、昔読んだなーと、映画はテレビだったかなーとも。そんなことを頭に浮かんできたのは今日の資本論の講読会で、三人の話を聞きながらでした。

  話の内容はほとんど聞き取れないし今日報告された「商品資本の循環」とか「循環過程の三つの図式」はまったく予習なしでしたので、特に分からないままでした。そんななかで、資本の循環過程のなかでの労働市場、その労働市場から抜け出てきている高齢者層の一員であるここにいる四人は何のために「資本論」なるものを読んでいるのか? と妄想的に浮かんできました。

  というのも今日の講読会が始まるとき、Y氏が本を持ってくるのを忘れた、「俺も歳だなー」と言ったことが絡んでいたのでしょう。実は資本論を読もう、と言い出したのは彼でした。大学生時代にひと通り読み人前で講義をしたという話も彼からではありませんが聞いたことがあります。

   なんでそんなことを言い出したのか、と聞いたことがありましたが『もっと基本的なこと、根本的なことをつかみたい」と悩める青年のようなことを言ったものです。多分町長選挙を起点にして大きな変化が起きた、というより彼を中心にした一群がかかわって起こした時期からかなり経っての話だった頃だったかと思います。

   より根本的なことを知る、ということでしたら小生の願うことでもありましたしこれまでの資本論との関わりが中途半端でしたので、今度は全三巻を通そうと乗り掛かった船に座り込んだわけです。そして第1部「資本の生産過程」から第2部「資本の流通過程」に入ってみると労働市場というものが見えてきました。かすかに見えるという状況ですが、ここにいる79歳2人と70歳前後の2人にとっては、かなり以前に生きの良し悪しは別にして各々労働力所有者として立っていた「市場」です。

  もとより「資本論」は「労働者階級のバイブル」と称された様に、労働者に向けて書かれたものです。マルクスが【『資本論』がドイツの労働者階級の広い範囲にわたって急速に理解されだしたことは、私の仕事への最高の報酬である。】と書いているとおりです。

   同時にそれは、資本主義社会の基本的な仕組み・根本的な構造の解明の書でもありました。Y氏が「基本的な、根本的」を求めた内容でした。あわせてマルクスの次の言葉を思い起こすことができます。もちろん私は、新たなものを学ぼうとし、したがってまた自分で考えようとする読者を想定している。】

   現状から出発しつつ、現状を変える努力を支える精神はマルクスのこの言葉にあると思います。「新たなことを自分の頭で考える、そのために基本的なこと根本的なことを追求する」、こうなると高齢者にこそ必要な精神かと思えるのです。

   ヘミングウェイの老漁夫は大いなる得物を得ました、私達高齢者も得てきたものは誠に多くのものがある筈です。老漁夫は得物を失いましたが、私達はそれらのものを首尾よく次の世代の手に渡さねばと思います。そのためには若い世代と未来への展望を共有しなければなりませんが、ここに高齢者にとって資本論の意義があるように思えてきたのです。

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葉山御用邸周辺の景観と住環境を守りたい。

2016-08-23 | 葉山そして人

  「御用邸、葉山公園一帯の景観を破壊する京急不動産のマンション計画に反対する」署名用紙が知人から届けられました。反対運動があることは聞いていましたので、先月仕事で近くに行った際、付近で見た看板を撮ってありました、アップしてみます。

建築予定地には、この表示。

「葉山町下山口プロジェクトの計画」とあります。

   御用邸と計画現場の位置と間隔はこの写真の通り、ほぼ真ん中の御用邸があります。写真の一番下、国道134号を挟んで右に「葉山ハートセンター」その反対側、海岸近くが計画地です。御用邸の裏の浜とは浜続きで距離にしたら500〜600㍍でしょう。

   この署名活動は「葉山町下山口景観協議会」という団体によるものですが、上の御用邸の住所にもありますように御用邸のある一色地域の問題でもあります。

   署名活動の趣旨のなかに「昭和46年に御用邸が火災になり、……再開された後、当時の神奈川県議会議長と葉山町議会議長と葉山町長によって建物を建てるに当たっては御用邸に配慮して2階建てにすることを決め、御用邸、葉山公園一帯は低層住宅地として保たれてきました」とあります。

  そのことは当然のことながら御用邸周辺の一色地域の住宅環境をも保ってこれた要因になっています。その意味ではこの運動は一色地域の運動として取り組まねばならないと考えるのです。

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「吾妻鏡」を手にして……。

2016-08-22 | 逗子 鎌倉 それぞれ

   先月大船駅の近くの料理店で貰ったチラシ案内( 鎌倉は大船駅近くで )の講演会に相棒の誘いにのって出かけてきました。鎌倉は杉本寺の近くの鎌倉女子大学二階堂学舎、受付にMさんがいました、「kaeruのつぶやき」の名付け親です。講演会の主催がICP鎌倉地域振興会(http://icp2001mt.sakura.ne.jp )という団体で、そういえば以前Yさんの誘いで同種の講演会に参加したことがありました。

「未来に引き継ぐ鎌倉の歴史遺産」と題する講演ですが、思った通り私の耳では聴き取れませんでした、がかなり詳しい資料でしたので参加しておおいに刺激を受けました。「吾妻鏡あずまかがみ」に記されている記録と現在の鎌倉への変遷、段葛の保存を巡る話特に桜樹に関する話は観光地として表面だけ見ていては見えてこない問題の一端だろうと感じました。

   資料のなかの「吾妻鏡」原文ーー漢字文のなかにーーに平仮名の和歌を記されていたのは面白く、それも静御前が八幡宮で義経を慕い舞う場面ですからいっそう目に入ります。原文は、

この頁の中ほどに、

よし野山みねのしら雪ふみ分けて……   と  しつやしつ……

が読み取れます。


帰りは一人でしたので歩いて鎌倉駅へ、途中で

   今日の講演会でも「私たちが歴史的遺産を次世代に引き継いでゆくためには何が必要なのか考える」とありましたが、その現場のひとつです。

   あわせて私の手元に現代語訳「吾妻鏡」があります、原文のそれを読むことは及びもつきませんが、現代語訳でしたら読み進めることができるでしょう。原文と同じ部分でもこうあらわされています。

その努力を払うことは私にできる歴史遺産の継承です。

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