Kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

死なない準備。

2017-04-25 21:11:42 | 100歳へ上手な生き方

自分の本棚はこれまで、自分がどんなことに関心を持ったかを知らせてくれます。昨日今日と本棚を整理して引っ張りだしたのが、

と、これです。

両方とも「死ぬ気がしない」という話ですから、関心を持ったのも当然でしょう。

宇野千代さんの本は文庫本としては1999年6月発行ですが、元は平成七年(1995)十二月に単行本で出されています。金子さんのは2014年10月ですから二年少し前、この俳人の俳句も好きですし、その発言も気に入っていますのでこの本以外にも何冊か棚にはあります。

宇野千代の作品は読んだことがありません、文庫本のカバーに「愛欲の世界を描いて比類のない地位を確立」とありますから、「死なないような気がする」気力の根源も理解でき、是非読まねばと思うのです。ただ本人はこれを書いた半年後に亡くなってしまったのです、満99歳の半年前です。それだけにあるべき「気力の方向」を示してたものと思い読みだしてみようと思います。

金子さんは現在も朝日新聞「朝日俳壇」選者をつとめている1919年生、97歳。テレビで見かける国会前などでの「アベ政治を許さない」は金子さんの筆になるものです。

 

満80歳を目の前にしてこの魅力ある作家と俳人の筆になった言葉を拾い読みしてみようと思います。

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春耕 ー 土でつながる人と人。

2017-04-24 21:49:36 | 葉山そして人

【 テレビがなくなると風の音や鳥のさえずりが聞こえてくる。寂しさよりも新しい世界が立ち上がってくることに気付けた。福島の原発事故をきっかけに節電に徹した人の感想です

多くの人びとから日常を奪った大災害の後、自分たちの生活や国の形を見直す機運が高まりました。節約に努め、生き方そのものを変えた人も。物があふれる、きらびやかな社会ではなく、つましいながらもみんなが幸せに暮らせる道とは。問いかけは今も続いています

米国で愛された絵本作家のターシャ・テューダーは「スローライフの母」と呼ばれました。ボストンの旧家に生まれながら華やかな社交界よりも田舎暮らしを選択。自然や動物に囲まれ、いとおしい人たちと寄り添いながら92年の生涯を終えました

山奥に建てた農家で草花を育て、四季を映した庭をつくりあげ、季節の移ろいの中で過ごした日常。自給自足で時間と手間をかけた手作業を基本に、質素ながら好きなことを心から楽しむ生き方に共感する人は多い

生誕100年にあたる2015年から日本でも彼女についての催しが各地で開かれています。15日から上映されている記録映画「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」は、ときがゆっくり、ゆったり、穏やかに流れていきます

物ではなく、心の充足を何よりも大切にしてきたターシャ。周りに流されず地に足をつけた人生、日々の暮らしから発する数々の言葉は、豊かさとは、生きる喜びとは何かを、静かに語りかけてくれます。】

上の一文は昨日の「しんぶん赤旗」の「潮流」ですが、今日は半日何時ものおじさんの畑仕事の手伝を妻と一緒にしてきました。相模湾が山の脇に光ってる小さな畑の土起こをしながらこのコラムを思い起こしてました。

   春耕や翁も嫗も土の人    kaeru

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「森友」への財務省による手引き。

2017-04-23 22:51:11 | せいじの政治カフェ

【号外】等の見出しはFBに投稿されてきたものです。

「しんぶん赤旗」の記事全文はこちらです、

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-22/2017042215_01_1.html?_tptb=032

この21日の衆議院国土交通委員会での宮本氏の追及はこちらです。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=47077&media_type=hb

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「地球の日」です。

2017-04-22 20:02:16 | どこまで続くかこのブログ
 
大地動乱の時代。
 
  岩波新書に『大地動乱の時代 ー地震学者は警告する』があります、これです。   1994年8月に発行されています、この本は1995年2月3日の第5刷版です。第1刷がでたの......
 

「てんがらもんラジオ」のゲストさんの話の「4月9日 子宮の日」から今日が「地球の日」だと知ったのは20日のことでした。丁度一年前のブログが届きましたので見ると(上の「大地大動乱の時代」)地球に関することをつぶやいています。

一年前の「つぶやき」をもって今夜の「つぶやき」とします。

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目で見る「資本論」と麻雀。

2017-04-21 23:30:23 | kaeruの『資本論』

今夜の「つぶやき」も訳のわからない様ですが、お読みいただければ有難いです。昼間、麻雀の卓を囲み夜は「資本論」の拾い読みというチャランポランな一日で、頭がおかしくなった? かも知れません。

構成メンバーとしてなんとか仕込もうとされる御婦人の期待に応えたいこともありますし、麻雀そのものもかなり魅力的でこれは憶えて損はない、と『マンガでわかる!麻雀』をお借りしてきました。「東大式」という「肩書」があるだけに「分かりやすい」のです。「バカでもチョンでもわかる」という「お薦め」があればもっとよかったでしょう。

牌を手にしながら聞く麻雀用語も、マンガのコマのなかで読むとそういうことか、となります。私の頭がマンガに向いているのがよくわかります。

そこで「資本論」を漫画では?と本棚を見ました、「マンガ 資本論」ではありませんが『理論劇画 マルクス 資本論』という本です、理論劇画という「肩書」が面白いですね。

http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2009/04/17201832/

中身も披露したいのですが、写真がアップできないばかりか撮れませんので、後日に機会がありましたら。


『マンガでわかる!麻雀』はこちらです、こちらも機会がありましたら。

http://www.ikedashoten.co.jp/book-details.php?isbn=978-4-262-10733-2 

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「子宮の日」と「地球の日」

2017-04-20 23:27:18 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ」264回、

http://www.ustream.tv/recorded/102309153

ゲストは、児島淳子さん 鹿児島県民総合保健センター健康増進部長

この人の話を聞いたおかげで毎年4月9日は「子宮頸がんを予防する日 子宮の日」として啓蒙活動を強める大切な日だと理解しました。「子宮の日」で検索してみましたら、

http://www.studio-yoggy.com/blog/pr/74370/

にこんなことが書かれています。

「日本では毎年約1万人の女性が新たに子宮頸がんにかかり、1日に約10人の方が亡くなっているそうです。子宮頸がんの特徴としては、20歳代後半から30歳代後半の方が発症しやすく、早期に発見し治療行えば、治る確率は高いそうです。しかし、驚くのは子宮頸がんの検診受診率。アメリカは85.9%の一方、日本は24.5%とかなり低いのが現状のよう」

児島さんの話にも厚労省の受診率目標は70%だとありました、児島さんたちの努力もこれからだという思いがします。そのためにも「子宮の日」キャンペーンが意義あることでしょう。因みに76歳の妻に「4月9日は子宮の日って知っていた?」と聞いたのですが、知りませんでした。

私が6月で80歳になることを思えば、80年前の今頃はまさに母親の子宮に守られていたわけで「子宮の日」は自分の命を見つめる日になる、と思うのです。すると言葉が似てることもあり「子宮と地球」が自ずと繋がり、人間をはじめすべての生命を守る母胎としての地球の存在が身近になります。

4月22日が「アースデイ・地球の日」です、これについては、

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アースデイ  で。

二つの大切な「日」を自分の命を母胎と地球に引きつけて、思いを深めることの意義を知った2時間でした。

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『資本論』目から鱗 2 「賃金か賃銀か…」回答

2017-04-20 20:04:24 | kaeruの『資本論』

友寄さんの事例の出しかたは、

19・「賃金」を、なぜ「賃銀」と表記するか、その理由

というのです、その説明文【 】内。

【 「賃金か、賃銀か」ーーこれは、よく出る質問です。

    ドイツ語の「賃金」(Lohn)を最初に翻訳したころ、明治の初期は、一応、形式的には金本位制を採用していましたが、実質的には銀が通貨として流通していました。そのため、「銀行」とか「賃銀」とかの漢字が使われたのだと思われます。

  ただ、そういう日本の特殊な歴史的事情だけでなく、当時のヨーロッパでも、マルクスは、「賃労働と資本」や「賃銀、価格および利潤」で、そのことを強調しています。その意味では「賃銀」と表記する理由は、単なる日本での翻訳上の問題だけともいえません。

  それにしても、賃金を〝ちんぎん〟と読ませるなら、銀行の「金行」と書いて〝ぎんこう〟と読ませるようにすればよさそうなものですが、銀行はいまでも銀行と書いてだれもなんともいいません。なんとも首尾一貫してない話です。】

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『資本論』目から鱗 1「賃金か賃銀か」

2017-04-19 23:42:59 | kaeruの『資本論』

雑誌「経済」のバックナンバーを拾い読みしていましたら、2008年5月号の大特集「マルクスの経済学のすすめ」に「目から鱗が落ちる」20の事例(友寄英隆氏・当時「しんぶん赤旗」論説委員、寄稿)がありました。

以下はその19事例目です。

「賃金」を、なぜ「賃銀」と表記するか、その理由

もう一つ、その第2例目は、

「自分の頭で考えろ」とマルクスが言っていること

最初に、第2例目です。

【『資本論』の学習会の講師をやりながら、絶えず強調してきたことは、解説書などを読むまえに、まず自分の頭で徹底的に考えるということでした。

何回目かのとき、それまであまり気がついていなかったマルクスの次の文章が目に飛び込んできて、改めて、我が意を得たりと思ったものです。

「それゆえ、価値形態にかんする部分を別にすれば、本書を難解だと言って非難することはできないであろう。もちろん私は、新たなものを学ぼうとし、したがってまた自分自身で考えようとする読者を想定している

この文章の「価値形態は難解だ」というところはだれでも知っていますが、その直後に、マルクスがこんなに大事なことを言っているとは、案外見逃している人が多いのです。】*アンダーラインは友寄氏

さて、第19例の「賃金と賃銀」については、「まず、自分の頭で考える」でいきましょう、友寄氏の回答は明日に。

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『資本論』と私の前歯。

2017-04-18 22:36:17 | kaeruの『資本論』

   こんな訳の分からないタイトルなのは、今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」が関係してます。(【 】内)

【『資本論』は、冒頭の章で「前歯を折る」と戦前から言われてきました。マルクスも序文で「すべて初めはむずかしい」ということわざを引き、第1章(商品)のむずかしさに読者の理解を求めています

以前、職場で『資本論』の学習にとりくんだことがあります。「価値形態論」に入ると、むずかしいという声が一斉にあがりました。“前歯が折れそう”になりました

とくに貨幣が生まれる秘密を含んだとされる「簡単な価値形態」が難解でした。初版で調べると、「簡単だから分析がいささか困難」とあります。一瞬、「簡単だから?」と首をかしげました

容易なということではなく、単純なという意味です。商品の中のいろんな規定が未発展で、隠され、分析が困難というわけです。マルクスは「抽象力」を働かそうといいます。特別な知識がなくても、ていねいに読めば分かるようになっています。読むたびに、分かるところが増えた実感も得られます

マルクスも、叙述の改善にかなり努力しました。エンゲルスの忠告を受け入れ書き直した経過を、不破哲三さんが雑誌『経済』の『資本論』第1巻150年特集の連載で紹介しています

この特集で経済学者の暉峻淑子(てるおかいつこ)さんは「もっとも大きな知的衝撃を受けたのは、価値形態論」と書いています。「本というものはこれだけのものを遺(のこ)すことができるのだ、という希望を与えてくれた」とも。来年はマルクス生誕200年。記念すべき年に、自分の歯でかんで面白さを味わいたい。】

日本での『資本論』は1920年(24年完結)の高畠素之訳が初の完訳ですので「戦前から」とはその頃からでしょうか。とはいっても丈夫な歯は折れなかったのでしょう。作家宮本百合子は1939年の春に『資本論』を読み出します。これは不破哲三さんの書かれた「宮本百合子と古典学習」によりますが、『空想から科学へ』『反デューリング論』『賃金、価格および利潤』『経済学批判』などを読み終えて『資本論』にかかるのです。

そして、1939年3月30日に獄中の夫・宮本顕治に出した手紙に、

「このごろ、やっと大部な著作(『資本論』のこと)の読書にとりかかって、感歎おくあたわず、です。涙ぐむほどの羨望です。純粋の羨望であって、腹の中では顫えるようです。小説においても、文芸評論においても、こういう態度に些か近づくことを得れば、本当に死んでもいい、そう思う」

と書きました。不破さんはこれについて、「マルクスの方法の核心をしっかりつかんだものこそがいえる言葉」と評しています。

kaeruの歯は入れ歯ですから折れる心配はありませんが、自分の歯で噛むのとは違う心許なさを感じつつの食事です。でも食事が体づくりの基本ですから心許なさを感じつつも食べます。ならば読書学習は精神をつくる素でしょうから、たとえ残っている前歯がすり減っても、口に入れ飲み込み脳味噌という胃袋へおさめていけば、幾らかでも精神の活力にはなるでしょう。

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初代の手紙ー「私にはある非常が…サヨウナラ」

2017-04-17 22:08:21 | 葉山そして人

偶々飲む機会があって、隣に座っての初顔合わせでした。ですから桜井さんの名前も耳にした時、葉山町でそう多く聞く苗字ではないし、宜しくで済みそうになりました。すると向かいにいた「葉山新聞」の山本氏が「ほら、川端康成の初恋の人の息子さん」と言葉を添えてくれたのです。

そういえば以前この新聞社が「伊豆の踊り子」に関わった企画で文芸講演会と称した集いを計画したことを思い出しました。その講演会には行ってませんし康成の生涯についても疎かったので「伊豆の踊り子」の元は康成の初恋が悲恋で終わったのか、程度の感じだったのです。

でも、その初恋の人の息子さん本人だとなると俄然関心が強くなるのは、ある種の野次馬感覚なのかもしれません。

さて、昨日の続きです。初代からの「驚きべき」手紙とは、

「おなつかしき康成様

  お手紙有りがとう御座いました。此の頃手紙を出しませんで失礼致しました。あなた様はおかわりなくお暮らしのことと存じます。私はあなた様におことわり致したいことが有るのです。私はあなた様とかたくおやくそくを致しましたが、私にはある非常が有るのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ないのです。私今、此の様のことを申し上げれば、ふしぎに思いになるでせう。あなた様は、其の非常を話してくれとおおせでせう。私は其の非常を話すくらいなら死んだ方がどんなに幸福でせう。どうか私のやうなものは此の世にいないと思って下さいませ。あなた様が私に今度お手紙を下さいます其の時は、私はこの岐阜には居りません。どこかの国で暮らして居ると思って下さいませ。私はあなた様の◯!を一生わすれません。私はもう失礼をいたしませう。私は今日が最後の手紙です。此の西方寺に下さいましても私は居りません。さらば。(略) お別れ致します。

康成様     サヨウナラ」

「葉山新聞」紙面では手紙の紹介のあと、この「非常」とは何か。破談から2年後の川端の日記に「千代(初代)は西方寺にて僧に犯されたり。自棄になりて、家出す。……」とあると説明があます。

この「非常」な事実を、初代さん自身が娘に話したそうです。その娘は隣席の桜井靖郎さんの父違いの姉に当る人でした。桜井さんは姉さんからきいていたのでした。

「伊豆の踊り子」という名作の陰の秘話であり悲話。それで初恋の人・伊藤初代さんのことをウィキペディアでみてみました。かなり詳しく書かれています、一読してみて下さい。                                           

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/伊藤初代            

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