Kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

巨泉さん、もうひとつの「別離」。

2016-06-27 | せいじの政治カフェ

   ソフトバンクへの支払いがかなり高額になり、引落しが出来ず店頭払いしてきました。「インターネットの使いすぎです」とのことですが、飛び込んでくる情報に反応しているうちに料金の発生が重なるのでしょう。

そういう「情報」としてこんなことも、大橋巨泉さんの私たちへの「遺言」です。

「真田丸」で「別離」を見て考えてきていたのでここに現代の「別離」を知らされました。 巨泉さん、3歳年上です、「11PM」の世代の私にとってはこの人の「引退」は残念です。それでこれまたインターネット巡りをしました。

これは切ない話です。

http://light-shade.net/post-743  このなかの巨泉さんの「遺言」だけ移しておきます、後はクリックしてお読みください。

 

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「別離」大いなる別離へ向かって。

2016-06-27 | 「真田丸」

「別離」という題から言えば鶴松の病死、利休の切腹、秀長の病死という主人公信繁にとっての別れがありました。

   NHK出版の『真田丸 前編』「略年表」によると第1回「船出」は信繁を16歳としてえがき、最後の第50回が1615年49歳です。今回の舞台になった天正十九年(1591)は25歳でした。前半の25回で信繁の10年間が描かれ同時に信繁の生涯の半生が描かれてもいました。そのなかでも第14回の「大坂」からはじまった信繁の活躍舞台は秀吉の馬廻としての日常で、この形は次回以降も続くようです。

 『真田丸 後編』による「あらすじ」の第29回「異変」でその最終部分を、【 文禄五(1596)年閏七月十三日未明。これまでにない大地震が伏見を襲った。  信繁は真田屋敷を飛び出し、秀吉のもとへと急いだ。秀吉の最期と、豊臣家の行く末を予感させる不気味な揺れだった。】と結んでいます。

  この後の21回分で《秀吉の最期、「関ヶ原の戦い」に伴い「犬伏の別れ」や「第二次上田合戦」から信繁と昌幸の「九度山蟄居」、昌幸の死、信繁九度山脱出大坂城入城、「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」そして信繁戦死》が描かれるのでしょう。まさに波瀾万丈の時代劇絵巻が展開されます。

  それだけにこの間の信繁が見聞きする秀吉とその周辺の描き方が、かなり細かく長く描かれているなぁとの感じがします。そして脚本を担当された三谷幸喜さんのインタビューが思い出されました。

  こうあります、 天正壬午の乱が終わると、大坂城の群像劇が始まります。「人たらし」と言われ、天性の陽気キャラだった秀吉が、次第に暴君に変わっていく過程を丹念に描き、馬廻衆として秀吉のそばにいた信繁の視点で、石田三成や茶々といった秀吉周辺の人々を描写します。大坂の陣で、なぜ信繁が豊臣方についたのか、命をかけて秀頼を守ろうとしたのか。その秘密を解くヒントが、若き日の大坂時代にあると、僕は思っています。】 

   波瀾万丈のなか信繁の言動に必然性をもたらし、視聴者に歴史のなかからひとりの武将の姿を蘇らせ、そして歴史のなかへ多くの人々とともに別れさせる「大いなる別離」に向けて、ひとつ一つの「別離」が描かれていくのだと思います。

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何がはじまったのか? イギリスのEU離脱。

2016-06-25 | せいじの政治カフェ

   かつて「停滞する欧州」などと思っていた時期がありました。第二次世界大戦後の復興期を経て、独仏両国を中心に戦争という誤りを繰り返さない国際的環境づくりへ、模索と実践が続けられていた時期だったのかと思い返しています。

   二度の世界大戦の戦火が覆ったヨーロッパ大陸では、各国の共存共栄への道はそれぞれの国民の切実な願いであったでしょう。それに応えるものとしてEU結成に至ったことは世界史的な前進だったと考えます。

   それだけに、域内第二の大国イギリスの離脱について関心を寄せ理解をふかめることは、これからの世界の動きを知るうえで大事なことと受け止めます。これに関して多くの見方があるでしょうし、あって然るべきと思います。ここでは「しんぶん赤旗」の記事を紹介しておきます。

追伸

直接「しんぶん赤旗」の6月25日の該当部分でしたら読みやすいでしょう。

ここをクリックして下さい、http://www.jcp.or.jp/akahata/ 

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イギリスのことが……。

2016-06-24 | せいじの政治カフェ

   イギリスのEU離脱のニュースをTVやインターネットで追いかけていて時間が経ってしまいました。

こんなメールが届きました。

そして東京では、

平均株価の今年に入っての最安値が更新されました。

世界の一体化が進んで一国の経済社会などの動向の影響が直ちに全世界に広がる状況が良く分かります。

参議院選挙の一人の投票も一人のイギリス人の投票と同様に世界にその影響を広げるでしょう。そういう時代に生きていることを実感できます、面白い時代です。

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「てんがらもん」222回 鹿児島、郷土的マグマ。

2016-06-23 | 「てんがらもんラジオ」

   鹿児島三大行事保存会事務局長の隈元忍さんをゲストにと声をかけるきっかけになったのがこの新聞紙面だそうです。

   鹿児島三大行事のひとつ「曽我どんの傘焼き」についての記事ですが、「曽我どん」の曽我とは日本三大仇討あだうちのひとつ「曽我兄弟の仇討」です、その仇討がなぜ「傘焼き」なのか?

   私の子供の頃、戦争中に読まれた「曽我兄弟仇討」の絵本が身近にあって父の仇かたき工藤祐経すけつねをねらって雨の中を行く二人の姿が描かれていた記憶があります。それは蓑みのをまとい笠をかぶったものでしたので、その笠だと勘違いしてました。ですから松明たいまつ代わりに燃やしたという説明で笠ではなく傘だと分かった次第です。

「曽我兄弟の仇討」については「吾妻鏡あずまかがみ」にも出てきます。『現代語訳 吾妻鏡』の第6巻は「富士の巻狩」という巻名です。頼朝の富士の裾野での巻狩りの場が近臣の工藤祐経の殺害の場になったこの事件について、背後には政治的な隠謀があり真の狙いは頼朝の暗殺にあったという見方が紹介されています。

   薩摩藩からは遠く離れた富士の裾野での事件を藩の郷中教育の一環として取り入れ現在も「この火を消すな!」と取り組んでいることからは、三大行事のもう一つの「赤穂義民傳輪読会」とともに鹿児島の歴史の息づかいを生々しく感じさせられます。またもう一つの「妙円寺詣り」では関ヶ原における敵中突破、いわゆる「島津の退き口」が今でも受け継がれていることを知ります。誠に鹿児島の地には薩摩の時代からの歴史的郷土的マグマが胎動しているの感があります。


  新聞記事の終わりの部分に隈元さんの思いが綴られています。

【同会の隈元忍事務局長は「傘がないことには、傘焼きを続けてはいけない。若い人も引き入れながら、緊張感をもって傘焼きを続ける方法を考えたい」と力を込める。

この思いが郷土的マグマの熱量で実現されることを期待してます。


「曽我どんの傘焼き」の光景は以下で、

 https://www.facebook.com/sogakasayaki/videos/514652738736096/

 https://www.facebook.com/sogakasayaki/?fref=nf

 

最後に今日の番組を(残念ながら私のiPadでは視聴できないのですが)、

http://www.ustream.tv/recorded/88715939

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