2021年4月14日(金)
6人兄弟の末っ子です。長男・長女・三男・は亡くなりました。
90歳の次兄と87歳の姉次女 そして私81才が残りました。
次兄は福岡北九州在住。夫婦で教職を勤め上げ3年前に自分史前編
・そして最近後編を出版しました。
私がブログを開設して2年後に「82才からの旅」を立ち上げました。
とぎれとぎれ、かろうじて続けています。
兄は、苦学で大学に行き人より遅れてのスタートでしたが、その
粘り強い人生は、兄弟の中でいつも要的な役割を果たしてきました。
他の兄弟は大学にも行けなかったので、父母亡きあとは、何かに
つけて兄がリーダー的な役目を果たして来ています。
私がいたころの実家です。この後甥っ子夫婦がこの家の世帯主となり
増改築して様変わりしていますが・・
私たちの小さい頃は藁ぶき屋根でした。
三男の兄(認知症)を8年の間千葉から引き取り、施設などへの
入所やその後の面倒を見てきました(2年前死去)
近年、残った3人の間では私が主にまとめ役になり、私がFMに
関わっていたことで、4周年の記念パーティや去年の最終放送の
席にも実姉とともに 鹿児島まで来てくれました。
兄は口癖のように「鹿児島の皆さんが妹を育ててくれた」と言って
くれました。21歳で福岡を離れたわけですから。
定年後始めたバイオリンで三男兄の施設へ慰問に
私もアコ持参でした。
今は90歳の兄夫婦は ぎりぎり自宅で老老介護しあいながら暮らして
いて、私との会話も電話ではお互い難聴で出来なくなりました。
身内の法要のたびに、故人の果たしたこまごまを、その子供や孫に
伝えようと、プリントを準備しています。
兄の自伝書は、なかなか孫子には関心がなく私の娘たちも「それどころ
ではない」と積読しています。
昨年は高田家の歴史をまとめて冊子にしたようです。(家系図など)
兄の自叙伝出版記念を身内でやりました。小倉にて
次兄・次女・私 今はこの3人になりました。
早くコロナが収束して北九州に里帰りしたい私です。
3人が健在の間は 何度でもあっておきたい。
昨年2月のてんがらもん最終回サンロイヤルホテルで
残念ながら私と長女と長兄は入っていない家族写真です。
小倉に菊人形を観に行ったときです。
時にこうして兄弟を思い書き残してみたいと・・・・