6月19日(月)7122歩
今年2月21日に亡くなった照子さん。毎朝温泉に行く途中楽しませてもらいました。
帰りに声をかけると、上がってお茶をいただくこともありました。
四季折々植え替えて道行く人を楽しませてくれました。
4年前にご主人をなくされて、それまで夫婦二人で花つくりをされていたので
すが、それを引き継いでひとりで・・でした。団地に越してきてからの付き合いで、
こまどり保育園の主任さんだったこともあり、またご主人とは結婚前からの
私たち夫婦共通の知り合いでもありました。
私のブログに一番たくさんお花を咲かせてくれた人です。
もう手入れをする人もない。それでも、私の大好きだった花は、次々花を
咲かせています。
今朝も1丁目の猫ちゃん母さんは 3尾の赤ちゃんに授乳中でした。
太極拳に出かけました。福祉館まで歩いて7-8分。一番暑い13:30ー14:30
でも1時間ゆったりとした流れの中での静かな時間はオアシスです。
明後日は 鴨池の子育て教室。今日中にFMの準備を済ませておこうと
昨日おとといからやって済ませることができました。
明日から雨の予報、明後日の子育て教室は雨だと子供連れのお母さん
自転車とか歩きとかの方が大変だろうと・・気がかりです。
1年前のブログです 土砂降りの歩こう会でした。
http://blog.goo.ne.jp/chidori-t/d/20160619
主亡き庭に咲く花たち、どうなって
しまうのでしょうか。・・・。・
寂しいときの流れですね
寂しい気分になりました・。
のびたさんも心配ですし・・・。
猫ちゃんのなんとかわいいこと!
癒されます・少し元気になりました。・
chidoriさんごゆっくりおやすみください^^・・
体が一番の資本なんだなと痛切に感じた今日でした。
沢山あります、そしてこの照子さんのお宅のように
手入れもされずに、雑草の中でも懸命に花を
咲かせているようすが見られ・・複雑な気持ちです
其処の花を採る事は出来ませんので、せめて
写真だけでもと・・道路から覗きこんで撮ってます
これから こんな家が益々増え続けることでしょう
Chidoriさんに、見てもらいたかったのでしょうね!
猫ちゃんも、安心して授乳しているなですね
とても、ゆっくりと時が流れている感じがしますね
温泉に行くのは今は6:00過ぎに家を出ますが、ちょっと
遠回りしたりしながら、今日の一日の動きを考えています。
でも確実に1年前と違うからだです。いつも体の状態を
昨日と今日とどう違うか‥を確認しながら歩いています。
一番いけないのがパソコン。だから皆さんのところに思うように回れません。
間にいろんなことをして何とかこなしている状況です。
ごめんなさいね。
親しくしていた人への思いが熱いのでその人のことばかり
思っていましたが、近所にもだんだん荒れていく家があります。
温泉に行く途中もあります。毎年あじさいはさいています。
そんな時ふと自分たちがいなくなったらと思います。
照子さんは息子さんが隣の団地にいる。娘さんは四国で、亡くなってから2度四国ナンバーの車が止まっていました。
こうして行き来のある家はともかく、そうでないところが増えてきますね。
このお宅は、特別お花がたくさん、そのほかにご主人が
○○クラフト?というのかしら?木材でたくさんの人形やお花や、2階の一部屋にぎっしり残しています。
生存中あちこちに差し上げて、ご近所どこの玄関にも
飾ってあります。
皆さんに親しまれたご夫妻でした。
バス通りにあるので毎日前を通って思い出します。
もう住まう人も居なくなって、そのままなのですか。
花達は 黙って咲いてくれますね^^
これからは そんなお宅も増えますね。
こちらも 空き家や空き地が増えていますよ。
先日も ”藤絡む 空き家1軒 消えにけり” でした。
少子高齢化が 諸に見えますね!
いつも読み逃げで ごめんなさい!元気貰って帰っています^^これからもよろしく~
廃屋は多くて寂しい気がします
でもね、どの廃屋も綺麗に花が咲いています
紫陽花も綺麗に咲いています
紫陽花は、剪定するとまた来年奇麗に花が咲きます
時々、来年も綺麗に咲いてねと 剪定して通る事もあります、道筋の花ですよ・・・
何処まで行っても、家はありますねー
若い人が帰らないので、大きな屋敷が崩れかけています。。。寂しいですねー
そんな中花を見ると ホッと 癒されますよ
花の力って凄いですねー
深く感じ入りました。
多分、そういう人は多いと思います。
真面目ゆえに、自分のしたい事をすることが「わがまま」をしている罪悪感を感じる。
仲間のあの人も、あの人も、我慢しながら
今、すべきことを一生懸命している。
だから、自分さえ我慢したら・・・・。
私は子供が4人だったので、子供育てるというより、子供に関わる環境づくりを「自分がやらずに誰がやる」な~って走って来ました。
みんなが走った訳ではありません。
子供のためなのに、会議にも出てこない、行事も不参加。でもそれなりの事情があるのよと思うようにして、関わってきました。
そういう人とのかかわりの中で信頼も育ってきました。
ただ、自分が何をしたいのかってことを考える余地・余裕はありませんでした。
もっと、子供たちや取り巻く親たちと「行事だから行く・参加する」んじゃなくて、「楽しみたい」と遊べばよかったのに「~~すべき」「~~するべきでない」という狭い枠の中に自分を閉じ込めていた気がします。
続きはもうちょっと落ち着いて書きますね。
いったん終わります。
以前は、人の気持ちに凄く気を遣っていた・・・と思ってました。気遣いのできる自分だと思っていました。
が、そうじゃなくて自分のプライドに気を遣っていました。
言いたいんだけど「言ったら」なんと思われるか?言ってもいいはずの内容なのに躊躇してる自分。
相手から「反対の素振りや、返事をされたら」それが怖くて(嫌で)言えなかった。
だから一人で頑張っていた
コッチの方が気分的にらく~~。
そして「自分だけが(みんなの為に)頑張ってる」「は~~疲れた」と嘆いたり自己憐憫したり。
そんなに、気が遣えるなら、本当に相手の気持ちを考えてもよさそうなのに、それに気づけない。
相手と向え会えない私でした。
まとまりませんが、現状報告です。
まだまだ進化していきます。
考える機会をくださってありがとうございます。
chidori姉様のコメント楽しみにしています。