あんな事こんな事あったもん♪

心の中をイラストや写真付で発信。時折文章だけの時もあり文体は気分次第です。
お付き合いくだされば感謝です。

1.17

2006-01-17 | 思ったことあったこと
11年前の今日(1月17日)
我が家は見事な全壊で、私は階下に寝ていました。
二階が一階を押し潰し、
埋もれていても不思議でなかった状態で
回りは瓦礫、人一人座れるスポットの中に一時間半ぐらいいて
御近所の方に助け出されました。
母も同じ様な状態の中から救い出されたのですが
耳が聞こえない人だったし、恐怖で声も出なかったのか
応答が無くて もう死んでいるっと思ったのですが、
助け出されました.

夜まで近所の小学校の校庭で冷たい風にさらされながら
家族が身をよせあっていました。
息子が瓦礫をとってきて 焚き火をしてくれたのですが
その時「潰れている家の木、取って来てもエエかな~」
の言葉が なんだか忘れられないのです。

要領のいい人たちが テントを張っているのを
ボーっとみていたのを思い出します。

「何で テントなんかあるんかな~?」
自分の家は ペッチャンコで何も持ち出せないで
着の身着のままなのに・・・不思議でした。

みんなもそうだと思っていたけど
そうでないことに気がついたのは大分と時間がたってから。

家が半壊とか倒れていなくても余震が怖いから校庭にきてらして
そういう方々が テントを張ったり、
布団とかマットレスとか持ってきておれれたのです。

夕方頃に 冷たい固い固い小さいおにぎり一個が配給されたけど
食べた記憶はありません。お腹も空いてなかったですね。

浴衣姿(寝巻き)の母が、日が沈むと寒いから
校舎のなかにでも入れてもらおうっと
覗きにいったら、教室の床の上に
血だらけの死体がいっぱい並べてあったのを
鮮明に覚えています。
その時 人が沢山亡くなったってことを実感しました。

だから我が家6人 誰ひとり欠けず、
打ち身も怪我もないことに愕きました。
ガラスで足を切って 巻かれた布が血に染まっている人もいたし
何かにあたったのか 顔が青じんでいる方もいましたから・・・。

しかし、涙もでず、これからのことも考えられない!
感情なんか なかった気がします。

夜遅くなってから 近所に住んでいた同期生が
(マンション・・・壊れていなかった)
ぐちゃぐちゃになった内部を片付けてから
私たちを招いてくださったのは 本当に感謝でした。
そこで 何日か過ごさせて貰えたことが ホント、幸せでした。

とても遠い昔のようでもあり、つい昨日のようでもあり・・・

しかし、11年もたって復興のすすんだ町並みに
ポツポツと空き地(更地になった)が今だに残っているのを見たり
表札が二枚出ているお家を見ると、ふと胸が傷みます。
(奥さんの実家が潰れて親御さんを引き取ったんだろうっと思えるから)

一体 どうやってこの11年を過ごしてきたのでしょうか・・・。
記憶の底の底の方にしまい込んでいる恐怖や憂い、辛さは
なにがしらの傷となって残っているのかもしれないけど
やはり...何時のまにか 過去のものとして
風化されていっているのを感じます。
それの是非は・・・分からないけど.....。





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2 コメント

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早いものですね (chica)
2006-01-19 23:28:52
いつも見てくれてはるんですね。

嬉しいです。わたしのブログには

たまにしかコメントが入ってこないから、すごく新鮮でした ありがとうね。

くだらんことばかり書いて、自己満足の世界ですが

これからもよろしく・・・。
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一年 (大江のぞみ)
2006-01-18 19:59:48
こんにちは。明けましておめでとうございます。

お出会い出来まして一年になりますね。去年楽屋でおっしゃっておられたお話が書いてあって、見入っていました。

毎週神戸に行っていますが、震災の日になると、私は今の神戸しか知らないのになあと申し訳なく思っています。

では、これからも守られますように・・

実はしょっちゅう(笑いながら)見ています!!
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