バラ公園の冬バラ・・・。
今朝、礼拝に行く車の中で
運転ができることや
早起きして 早朝の礼拝に行こうと思う
そんな心に、いつの間にか変えて下さっているのを想い
感謝の祈りがあふれてきました。
それらの事は、
天に帰った娘が生まれてきてくれて
逝く寸前まで、病に苦しんでくれたからであることに
改めて・・・本当に改めて感じたのです。
娘が病気になっていなかったら
彼女の送迎の為に
車の免許を取る事はなかったでしょう。
足腰が悪くなってきた時点で
車の運転ができなかったら
私の行動範囲は、今とても狭められていて
何とも、はがゆい日々を送る事になっていたかもしれないのです。
免許だけではなく
教会に導かれる事もなかったかもしれません。
希望も持てず、デモ何かを求めて髪振り乱して
暗闇と罪の世界を、今でも歩んでいただろうと思います。
次女の病に、私の心身と霊は振り回されていました。
私の40代は一体何をしていたのか、記憶にもないぐらいで、
何が正しく、何が間違っている事の判別する力も失われていました。
ただただ苦しみと、そこから逃れたいという日々を過ごしていました。
娘は、私と家族の救いの為に、後の幸いのために
我が家のキリストとして
発作に苦しんでいたのだということが分かってきたのは
一年前、彼女が逝ってからでした。
『苦しみに合ったことは私にとって幸せでした。
私はそれで
あなたのおきてを学びました』詩篇119:71
この聖書の御言葉は、今しっかりと私の心に光を与えてくれています。
そして、全てに感謝できるように、なりつつあります。
全てはkamiさまから与えられた幸いへのギフトであるから
感謝できないこともし続けていけば
何も誰をもうらむ事が無くなりますよね。
嬉しい事ですよね・・・喜べるんですよね・・・・。
(まだその部分は工事中なんですけど・・・)
でも天国で次女に会ったら、一番に「光をくれてありがとう」って言いたいです。