ホトケマンストリート3

ホトケマンの道~台湾編~

趣味変遷

2011-04-29 19:11:14 | 日記
前のHPの時から、書いていましたが、
今までの趣味変遷について、書いてみました。


【小学生】
○5年生
・学校の放課後のクラブ活動、陸上部へ入る。それなりに足は速かった
 が、短距離の選手になるほどのスピードはない。結局、ハードルの選手となる。
・周りのみんなが日曜日に少年野球チームやサッカーチームに入りだし、
 遊ぶ人がいなくなったんで、仕方なく自分も少年野球チームイーグルスへ入る。

○6年生
・陸上クラブ市内総合陸上大会→ハードル準決で、ハードルに引っか
 かって転倒、敗退。
・少年野球チーム、イーグルスBチームでセンターを守る。
 最後の市民大会にてブラックハルミンズというお坊さんのチームに
 11-0でコールド負け。ちなみにAチームは市民大会優勝。

【中学生】
・部活動は野球部に入った。今までずっと長髪だったが、生まれて
 はじめて坊主となる(五分ガリ)
・足を買われて、一年生からベンチに入るようになる。
・3年間これといった、素晴らしい戦績無し。
・TVで風見慎吾のブレイクダンスを見て、はまる。
 そのうち派手なスウェットを着て原宿の歩行天で踊るようになる。
 (野球部なので当然坊主;超ダサダサ田舎者ダンサー)
・竹の子族にたこ焼き2個で入らないかと進められるが断る。

【高校生】
・部活動はなぜか、ずっと好きだったサッカーをはじめる。
 周りの技術レベルについていけず、途中でやめる
・ハードロックが好きになり、エレクトリックギターを買う。
 VAN HALENやBONJOVIにはまる。
・友達となんちゃってでバンドを組む。ラフィンノーズ、ブルーハーツ
 あたりをコピーしまくる。

【大学生】
・クラブサークルは、何か新しいものをやりたくて、演劇、ゴルフ、
 アルティメット、軽音楽等を回るが、綺麗なお姉さんに引っかかって、
 なぜか体育会競技ダンス部へ入る。
・すぐ辞めるつもりだったが、どんどんダンスの魅力に取り付かれ
 はまっていく。
 後期あたりから大会に出るようになり、トロフィーや賞状をバシバシ
 とり、ちょっとした有名人になる。
・3年の時にバックパックを持ってイタリア、フランスを周遊。
 4年の時はエジプト、トルコ、ギリシャへ

【社会人】
・海外旅行へをしたいが、仕事が忙しく行けない。
・新人歓迎会にて、ラテン系ダンスを披露。翌日からサンバ君と呼ばれ
 るようになる。
・同じ会社の友達に進められ、テニスを始める。はじめから結構打てる
 ようになり、たまにやるようになる。
・同じく友達に進められスキーを始めた。おもろかったので一式購入。
 一年目シーズン5回ほど雪山へ行った
・社会人2年目、友人にスノボを進められ、即TRY!!めちゃめちゃはまる。
 スキーは卒業。2年目シーズン7回ほど雪山へ行った。クレージーな
 滑りがたたり、腰をいためる。整骨院に約3ヶ月通う。
 次のシーズンは肋骨にヒビが入り、翌年からは大人の滑りをするようになる。
・突然空を飛びたくなり、一人車で山へ・・・パラグライダースクールの門をたたく。
 ちょこっとだけ鳥になる。
・マイケルジョーダンにはまり、バスケットボールを購入。
 翌日から毎日近所の中学校のリングで練習するようになる。
 だんだんとうまくなり、近所から遊びに来ている中高生と1on1の対決を
 挑むようになる。持ち前の運動能力でほとんど負けることはナシ。
・奥田民生の「一人股旅」を見て、ギター弾き語りをしたくなり、
 アコースティックギターを購入。友達の結婚式で4回ほど、弾き語りをやる。
 しかし、近所から苦情が
 入りギターを手放してしまう。
                            
○2000年 
・アコースティックギターを手放したが、「ゆず」が流行りだし、再びひきたく
 なり、また購入してしまう。また、家で雄たけびを上げるようになる。
・柏の路上では、ストリートミュージシャンが異常繁殖し始め、よく
 聞きにいくようなる。
・柏の路上で、牛久から来た女の子デュオ「水曜ドリンクバー」という
 グループに会い、楽曲と歌の素晴らしさに感動し、ついつい声を掛け
 運命の出会いを果たす。
・01年X’MASは、水ドリとその仲間たちと朝まで過ごす。

○2001年
・1月の誕生日、「水ドリ&ホトケマン」の路上ライブを企画・実行。
 柏の路上で大騒ぎし、その日もその勢いで朝まで飲んだくれる。
・水ドリを通して、多くのアコギ仲間ができ、NET上を介して、オフ会
 に参加するようになる。
・「ホトケマン」という奇妙な名前がだんだんと全国区に浸透していく。
 岡山でのオフ会にも出没する。
・NET上では、なぜかモー娘博士と吊るし上げられる。
・会社の飲み会で、同僚と音楽の話で盛り上がり、たまたまギター・
 ベース・ドラム・ボーカルがそろっていたので、スタジオ行っちゃおう
 と盛り上がる。
・翌週には、スタジオ入りみんな久々の音楽を楽しむ。めっちゃ盛り
 上がって、この4人でバンドを結成することに。
・バンド名は「産業資材BAND」その当初の自分たちの部署名にBANDを
 つけただけの、とってつけた名前となる。
・BAND活動はコピーから開始。VOCALは女の子だったが
 GUNS’ROSES、SPITZ、BRILLIANT GREEN、GOGO7188、BONNYPINKなど
 あらゆるジャンルの音楽をコピーしまくる。

○2002年
・02.3月~ホトちゃんの岡山転勤も決定。BAND活動は継続。
・だんだんとコピーでは物足りなくなり、本格的にオリジナル楽曲を
 作成し始める。
・オリジナル楽曲は、TOTAL6曲になった。
・年末、来年からVOCAL女性が、結婚と旦那のNY転勤が決定。

○2003年
・産業資材BANDは、6月に最初で最後のライブを企画。
・6月には、六本木のLIVEHOUSEに約150名の観客を集め、LIVEを慣行。
・この日を最後にBANDは、解散。
・8月、岡山で出会った彼女に誘われて、うらじゃ祭りという踊りの祭り
 を見に行く。踊りを見ていてもたってもいられなく、総踊りの輪に飛び込む。
・終わった後、来年は踊り手として参加することを決意。

○2004年
・4月位から、インターネットでうらじゃのチームを探すようになる。
・HPを見てフィーリングで「俄嘉屋」というチームの門をたたく。
・チームのレベルは決して高くなかったが、10年ぶりに踊れる楽しさを
 思い出す。うらじゃ1年目の結果は、「敢闘賞」。個人としてもメダルをGET。
・TVで見た、YOSAKOIソーラン祭りでの平岸天神に感動し、
 翌年から毎年札幌へ参上するようになる。
・冬には、「鬼ごろし」というチームへなりゆきで冬の陣
 というイベントに参加する。若いチームで一味も違うレベル
 に踊り魂が蘇る。ミュージカルは大成功で幕を下ろす。
・このチームの成功に感動し、自分のチームでも成功したい思いが
 急に盛り上がる。

○2005年
・俄嘉屋チームリーダーに連絡を取り、飲み会を申込み、自分の思いを
 ぶつける。
・チームのスタッフとして、振り付け・練習コーチ・地方作成を担当
 することになる。
・自分が熱すぎて嵐をまき散らしてしまったが、その年のうらじゃ祭り
 で俄嘉屋にとって、初の誉賞受賞を実現する。
・しかし、オフには・・・

○2006年
・立ち上げ時スタッフは離れたが、結局6月から練習コーチ復帰
・練習時50人の前で、鳴子のばちを「ビラビラ」と言ってしまう。
・誕生日に、彼女からジャージをプレゼントされ、練習に着ていく
 ようになるが、股間に視線を集めることになる。
・よざくらという新チームから振り付けのオファーがあり、
 振付・練習コーチを担当。若い子たちとの交流を堪能する。
・06年うらじゃ祭り俄嘉屋「誉賞」受賞。
 よざくらは「表町パレード賞」「演舞場賞」受賞。
・俄嘉屋高知全国大会に出場を果たす。史上初の帯筋逆流を果たす。
・ひろめ市場で、お立ち台を独占する。

○2007年
・何か新しいことをしたくて、俄嘉屋を卒業。
 新チーム「吉備人」を結成。代表として、奔走する。
・よざくら2年目も振り付けを担当。
・07年うらじゃ祭り誉賞受賞。
・夏は、岡山からのよさこいチーム「水簾」に参加。完走!
・オフシーズンに「男魂」という非公式チームを結成。
 ウーハー踊りを披露。F会超忘年会で、準グランプリをGET。

○2008年
・台湾への転勤が決定。
・長年支えてくれた彼女との結婚を決断する。
・8月の最後のうらじゃは、スタッフとして参加。総踊りで踊り子より
 テンション上がり、壇上にあがってしまいつまみ出される。
・7/14に入籍、8/20から台湾赴任
・台湾赴任後、現地会社社長より、会社の自転車部の入るように
 進められ、たまに参加するようになる。
・初めてのロードレーサーは、上司から安く譲り受けたTREKである。
・会社のメンバーはオヤジばっかりであったが、結構早く、
 いつもちぎられていた。オヤジ自転車部恐るべしと実感。
・9月には、社員旅行で、台湾南部の懇丁へ行った。しかし自転車部は
 高雄から懇丁まで、約80Kmを自転車で往復することに。
 この時に、ひざを痛め歩くのも大変な程、間接が痛くなる。
・ここからしばらくの間自転車は休憩。
・12月には、F会忘年会の為だけに、日本へ帰国。久々のウーハー踊りを披露。

○2009年
・年越しには、バリ島へ夫婦で旅行。
 台湾からアジアリゾートは日本と比べて、近くて安いことに気づき
 以後、くせになっていく。
・2月は、旧正月で日本へ帰国。久々に東京へ帰る。
 日本は平日なので、遊ぶ相手もいなく、夫婦で箱根に旅行する。
・5月には、懇丁へ旅行。
・8月には、再び岡山・高知・千葉へ帰省。
 高知では、吉備人が参加する。よさこい全国大会へ出場。
 久々の高知を満喫する。
・9月には、香港・マカオへ旅行

○2010年
・12月には、新婚旅行として、イタリアへ10日間旅行。
 イタリア旅行は、台湾のツアーだったので、周りはみんな台湾人
 カップルが多く、かなり浮いた存在となり、歯がゆい思いを。
・2月旧正月は、ボラカイ島へ。
 勢いあまって、前から興味を持っていたダイビングライセンス
(オープンウォーター)を夫婦で取得する。
 綺麗な海に感動する。
・ひざの調子もよくなってきたので、自転車を復活する。
 周りのメンバーの自転車がバブル期になっており、ほとんどのメンバー
 が100万円前後の自転車を乗っている状況に変化していた。
・5月には、自転車部で再び懇丁自転車旅行へ
 今回は、片道125km×2=250Kmの道のりを走破。ひざの痛みはなかった。
 それ以降、自転車がかなり好きになり、急成長を遂げる。
・このころから前から憧れていたトライアスロンへの挑戦を目論む
 ようになる。
・一番の問題は、今まで一度も習ったり練習したことのない水泳であった。
 本を読みながら、自分でプールに行って練習開始する。
・水泳や自転車など、練習を急激に上げてしまい、6月には心臓が不整脈を
 起こしてしまい、通院する。
・しばらくは、自転車も水泳も休む。
・8月夏休みは、パラオへダイビング旅行。ブルーコーナーの魚の群れに
 感動する。
・9月頃心臓も落ち着いてきたので、ゆっくり練習を再開。
・10月には、石垣島へダイビング旅行へ、沖縄のマンタとさんご礁を堪能
・自転車で、台湾一週を試みたくなる。
 年末の6日間で、1000Km強を走るというちょっと無謀な計画であった。
 12月からは、毎週土日100KmレベルのLSD練習を取り組む。

○2011年
・2011年の野望は、
 1、台湾自転車一周 2、トライアスロン完走 3、ヒルクライム大会参加
・年末~年始に掛けて、自転車で台湾一週を敢行。花蓮の山奥で
 パンクし、絶対絶命となったがなんとか切り抜け、無事一周を
 達成する。
・トライアスロン大会への参加を、4月の台湾大会(苗栗国際)
 に定める。同僚も勧誘し、快諾。一緒に練習を開始。
・4月苗栗国際トライアスロン大会参加。完走!
 Totalタイム2時間44分、172位/520名というなかなかの成績であった。



                ~ホトケマンの道はつづく

花博in台北②

2010-11-13 22:19:57 | 日記
前週に引き続いて、またまた懲りずに花博に行ってしましました
ただというところで、開幕前にいけるだけ行ってやろうという
貧乏人根性まるだしっ・・(笑)

今回行ったところは、「水区」です。
丁度、圓山ホテルの近くの大佳嗎頭あたりで開催されています。
今日もMRTの圓山駅から出ているFREE BUSに乗って、会場まで行きます。
丁度、川辺あたり一面にいろいろな花畑が広がっていました。
なかなか見応え十分です。↓











この会場は、広大な川辺の広場一面に花畑が広がっていて、のんびりまったりと
過ごすことができました。

その後また、FREE BUSで圓山に戻って、圓山駅附近の「花区」へ行きました。
着くと、すぐ近くに果物の展示畑がありました
そこにはパイナップルがあって、ちょっと自分的には凄く驚いたんだけど

パイナップルって、今までヤシの実みたいに木になっているもんだと
思っていたけど。。。

見てびっくりしたのは、草の上にちょこんと乗っているもんだとは思いませんでした。
びっくり・・



その後、花区の花を満喫しながら、またしばし花畑を散策









そのうちに文化館というところについたので、入ってみました。
中には、果物で作られた、繊細なお花がいっぱい。
すごいきれいですよね。↓









その後さらに奥まで行くと、真相館というのが
ありました。

ここは3Dの展示をしているということで、結構並んでいましたが、
面白そうだなって思ったので、並んでみました。
3,40分はならびましたかね?
結構いろいろ回って足も疲れていたけど、期待も込めていざ入ると・・・

ぜーんぜん花と関係ない、映画をやっていました。
台湾の東部は、がけ崩れや災害が多いので、気をつけてのような映画で。
終始約30分くらい、がけ崩れで人が逃げ惑う映像を流していました。
なんでやねん。。
本番が開幕したら変わるのかな?かなーーりショック!
んな感じで、今日も一日歩き疲れて、帰路に着きました


花博 in台北 ①

2010-11-01 23:00:54 | 日記
今年、中国上海では、万国博覧会が開催されもりあがってましたが、
台湾でも、11月から花博が開催され盛り上がろうとしています

このあいだ、嫁の台湾人友人情報で、
この花博開催に先駆けて、その近辺の住民?に無料で公開している
という情報をキャッチ

早速、行ってみました。
場所は、MRT圓山駅を降りると、すぐ目の前に元々中山サッカー場
(普段は全然使用されていない。)があり、その周辺一体が開場と
なっています。



着いてみると、無料ということもあり凄い人だかり・・

入場してみると、インフォメーションで若い女の子が案内もして
くれています。



開場が広いので、これを一日で見ようとしたら、大変な疲労を覚悟しなけ
ればいけないでしょう♪

僕らがその日に見たゾーンは2か所です。
まずは、圓山駅前一帯の「現区」「競区」です。

丁度その中山サッカー場内に展示されています。
サッカー場の観客席に、花を一体に植えられていたり、中にはいるといろんな花が
展示されています。







立派な花壇や中の展示の花も和式・中華式などいろんなシチュエーションの中で展示され
趣深い感じですね。とても癒されました。


その後に無料のシャトルバスで、もうひとつの会場「夢区」「茶区」へ

夢区では未来館や夢想館や天使生活館などいろいろな館がありますが、
どこもこの無料期間では、スタッフ向けになっていて一般は入ることが
できませんでした。
機会があったら、またチャレンジしたいと思います。

茶区では、中華風の庭園があり、きれいな景観を作りだしています











その後に行ったのは「養生館」です。

こちらは盆栽などが飾られていて、とても高価な気品のある庭に入ったような
感じですね







丁度午前中に自転車でひと山登っていたので、さすがに
疲れがでてしまいました。

他にもいろんなゾーンや場所があるんですけど、今日はさすがに
嫁にもう無理となきを入れさせてもらって帰路につきました。

疲れましたけど、綺麗な花々にとても穏やかな気分になれた一日でした

Deep Purple

2010-10-24 22:23:39 | 日記
ちょっと前の話しですが、

台湾に、「Deep Purple」が来たので、嫁と二人でライブへ行ってきました



皆さん知っていますか?

DeepPurpleは、Led Zeppelinとならんで
1970年代に活躍した今のハードロックやヘビーメタルの音楽のルーツとなる
バンドですね。。

全盛期はそのころなので、もちろん僕自身も全盛期の時のことはしりませんが・・

丁度、中学生の頃(1980年代後半)にHR/HMにはまり始めてから、
80年代だけでなく70年代の方にも興味を持つようになりました。

DeepPurpleで始めて聞いたアルバムは「Live in Japan」これを聞いた時は
ちょっとびっくりしましたね。

丁度一曲目が「Highway star」という曲で
演奏力の高さ、躍動感、パワー、楽曲の素晴らしさ、録音状態の高さ、
様々な点において度肝をぬかされました。

80年代で聞いたHR/HMももちろんいいのですが、70年代と80年代では圧倒的に
楽器の性能の違いで、70年代はいい意味でアナログ感が強く・・
人の表現力や演奏力がより濃く反映されていました。
80年代のHR/HMは、トランジスタの発達で、音を無理矢理歪ませたり、
膨らませたりという部分があって、人の表現という点でアナログ感が
損なわれてしまうのです。

どっちがいいか?というのは、
両方とも兼ね備えているのがBESTなのでしょうが・・

そんなDeepPurpleが、台湾に来る・・ちょっとビックリしました。
そのような伝説的バンドがまだ活動をしているのも知らなかったし、
本当にそのpurpleで合っているのか?
調べてみるとやっぱりそのbandで間違えなかったでした。

しかし、1970年というと今から40年も前です。
その人たちはもう恐らく60ぐらいの年齢になっているはずであり、
一体どんなもんかな?と・・

期待と不安が混じり合わさりました。
とはいいつつもそのような伝説的なバンドが来るとあっては一度は
見とかなきゃいけないということで早速チケットをゲット。


当日、パープルが出てくるとやはりおじいちゃんバンドであることは
明らかでありました。
始めの曲は、その伝説的楽曲とも言える「highway star」。

楽曲が始まると大盛り上がり・・既にHR/HM界でスタンダードな一曲ですね。

肝心の演奏ですが、
やはり、全盛期に聞いたlivealbumからするとかなりパワーダウンしていて
ボーカルの声もやはり出ていなく。。かなり苦しそうに歌っていました。

また、ギターの音もかなり歪ませたりして、
昔のよき頃の音とはかけ離れていました。
個人的な感想としては、出来れば昔の音で、パワーを感じさせてくれる
ような音を期待していたが、まぁ仕方のないことであろうか?

こんなのは、僕の知っているパープルではないというところが多々ありました

まぁ、とはいいつつも、
生で伝説のバンドの演奏・楽曲を聴けたということに非常に感動を覚えましたし、
改めて楽曲の素晴らしさを体感しました。

台湾の観客も気持ち年配の方が多かった感は否めませんが、、
みなさん伝説のbandの演奏に盛り上がっていました

こっけいな一日♪

2010-10-19 22:17:34 | 日記
もう先週の話しですが、 10/10は体育の日・・

いやいや、国慶節という日でいわゆる建国記念日でした。
その日は、用事で101付近へお出かけしてました

まず朝MRTで市政府で見かけたのが、最近阪急デパートが出来て、その中に台湾で
初のユニクロが出店されるということもあって、朝開店前から、大行列・・



ユニクロごときになんでやねーんって感じ。

しかも、あの高級デパート阪急の中になんでユニクロやねーんって感じ。。
ちょっとびっくりでしたね


昼にお出かけの用事も終わり、バスで家まで帰ろうとしたら、途中道が通行止め
で通れなくなっていました。
しかも目的地までもいけなーい・・バスの乗客はなにも知らずに全員途中で降りるはめに
丁度、中正記念公園のところです。



実は後から知ったのですが、
国慶節なので、そこでパレードが行われていました
ミス○○とか、バイク軍団とか、チアリーダーとか、モデル軍団とか太鼓軍団やらいろんな
団体がその周りをパレードしていました。このような珍しいイベントに観客もめっちゃ集
まっていました。なかなか見ごたえのあるパレードでした。

























しばしパレードを鑑賞した後に帰宅。

夜は、国慶節ということで川原で、花火大会が模様されていました
去年行った時、ちょうど堤防の入り口が一ケ所しかなくて終わった後1時間くらい人の渋滞で
出れなかった思い出があったので、今回はおとなしく川べりではなく、自分のマンションの
屋上から鑑賞しました
いつもは、30分くらいの花火大会も国慶100年ということもあって50分へ拡大。
屋上からはちょっと遠かったですが、なかなか見ごたえがあってよかったです。

終わってから、10分後には部屋に戻れるってめっちゃいいですね・・

っというささやかな国慶節の一日でした。



来年は、丁度民国100年ということで、いつもよりちょっとだけ盛り上がった一日でしたかね。

ひさびさの岡山

2010-09-30 01:11:59 | 日記
先週は、日本で半年に一回の大きな会議があったので、
水曜日から日曜日まで、岡山に帰っていました

水曜日は昼着の便で台北から関空に行きましたが、
関空に降りた瞬間、台北よりあつっ・・
台北より日本の方が暑いのが、不思議な感じでした。

ずーっと最近日本から出張者が、日本の方が暑いと言って
いたので、ホントだったんだと実感しました。

昼に関空について、新大阪経由で、岡山へ行きました。
岡山についてから、ホテルにチェックインし、部屋でゆっくり
していると、夕方には突然の雷雨が・・

今までに聞いたことのないような、凄い激音の雷でした。
まさに、空が割れるような音に、、びっくり。。
生まれてから一番の雷だったかもしれません・・
まぁ、そんな奇妙な天候に迎えられつつも、
金曜日まで、しっかりと??会議を行い、仕事を終えることが
できました。

土曜日は、岡山の友人と夜飲み会をする予定だったので、昼間はのんびり
と駅前を散策・・



ビッグカメラ・メルパ・ドレミの街あたりをブラブラしていました。
その後台湾に帰ってくると、岡山の祭り関係者や会社関係者から次々と
「あれっ、もしかして岡山にいましたか?それらしき人を見かけたんで・・」
とmailや電話が来ました。

岡山って、狭いもんですぐに発見されてしまうんですね・・
変な行動は慎まなければ・・なーんちゃって。。

実はその時に、、めっちゃ暇だったので、メルパで映画を見てました。



岡山では踊りの祭りに参加していたので、
祭り関係者の人は、あっ、今日本でやっている「君が踊る夏」という
よさこい祭り関係の映画をきっと見たんだっと想像されたかも
しれませんね・・




ブーブー・・残念、違いました。




実は、「君に届け」という少女漫画の実写化された映画を見てました。はずっ!

ある方からメルパで見かけたというmailを頂いて、特に何していたか
返信はしなかったのですが、、

実はこの少女漫画の映画を見ていたとは、、恥ずかしくて言えなかったので。。


ちょうど、2,3ヶ月前に、台湾でこのマンガがTVで放送されていて、
初回を見た時からハマってしまい、嫁と一緒に毎日最後まで見ていました。

ストーリーは、引っ込み思案だけど、純粋でまっすぐな女の子が
どんどん成長していく姿を描いています。
この女の子のひたむきな姿がすごく共感できます。

映画館に行くと、そのフロアには女子中高生あたりの若い子ばかりが
開場を待って並んでいました。
エレベータを降りた瞬間・・目の前に女子中高生ばかりが。。
その中に、この38歳のおっさん一人が・・

正直めっちゃ恥ずかしかったっす。。
開演まで10分なのに、映画館に入れず待たされ、ちょっと周りから
変な視線を感じながら、じっと耐え、待ちました。

この10分がホンマに苦痛でした。
映画館に入ると、あまり集団に入らないように、できるだけ前の席に座って
ひたすら小さくなっていました。
映画が始まるとやっと落ち着くことができましたが・・

映画は、ほとんどマンガの内容と同じ内容でコンパクトにまとめられていました。
ストーリーで泣けるところが結構多くて・・思わず涙してしまいました。
これも、周りの女子高生に見られたら、恥ずかしいところ。
ひたすら、小さくなって見つからないようにしましたね。

一番のメインストーリは、主人公の爽子とクラスの人気者風早君の恋愛ストーリー
ですが、その間にくるみちゃんという学校でも評判のかわいい子がライバルで
入って・・

でも、結局純粋でまっすぐな爽子が、風早くんと結ばれていくというストーリーです。

実は、うちの嫁も、純粋でまっすぐな子なので、この主人公にちょっと重ね合わせて
いた部分もあったのかもしれません。
凄く心にキュンとくる話しです。

終わってから、嫁が待っている台湾にすぐ帰りたくなりました。


また嫁と一緒に見れたらなっとも思いましたね。。

夜はいつもの祭り仲間と2時まで大騒ぎ。。



っという久々の岡山参上の一日でした。


明日から、嫁と石垣島へマンタを見に行ってきまーす♪






NEW自転車GETぉ~♪

2010-09-28 21:24:45 | 日記
ちょっと前のことですが、


会社の同僚の誘いで自転車を乗り初めてから上司に安く自転車(ロード)を
譲ってもらって、大分乗り込んでいたら急に新しいロードがほしくなって
しまったので、

嫁と相談して、ついつい新しいロードを買ってしまいました。
前まで乗っていたロードは、TREKのフレームがアルミでコンフォートタイプの
BIKEだったので、サドルとハンドルの距離が比較的近かったんです。
前傾姿勢が取りづらく、いつも社長からフォームがおかしいと指摘をされて
いました。

必ずしも自転車のせいだけではないのだけど・・

会社の皆さんのBIKEはといったらサーベロ3TやらデラローサやらTIMEやら
自転車界のスーパーカーばっかり。
(基本的に、みんな日本円で100万円越え)

そんな中で、自分の自転車といったら、それらの自転車と比べると、
ゴミみたいな自転車だったかもしれません。

それでも、体を鍛えてなんとか付いていきましたが・・

でも、周りの台湾人の自転車乗りからしたらぼくらのグループは
かなり奇妙な光景に移っていたんだろうと思います。


たとえて言うならば、

高速道路で、フェラーリやポルシェやカウンタックなどのスーパー
カーが60kmくらいのSPでゆっくり一列にならんで走っているような
光景です

周りから見たら、

「うわっ、スーパーカーの行列や・・すげぇ~・・あれっ、、めっちゃおそっ・・」
みたいなっ!

なので、結構台北近郊ではちょっとした有名団体になっているようです。

変な日本人のおっさんチームで、高級車でめっちゃゆっくり走っているチーム。

そんなチームの中では、唯一のボロ車だったので、逆に目立っていました。
さすがに最近になって、ちょっと新しい自転車をほしくなったのでした。

うちの社長に相談すると、早速自転車屋へ連れて行ってくださいました。
そこですぐに交渉。

新しい自転車は、台湾地元メーカー GIANTのTCR ADVANCED GIROというBIKEです。
丁度去年、ジロデイタリアで優勝したD.メンショフが所属するRABOBANKという
チームにGIANTが自転車を提供していて、そのレプリカ版が発売されたので、
思わずミーハー的なノリで買ってしまいました。



フレームは、カーボン。コンポーネント SHIMANO ULTEGLA。
全車体重はメーカースペックでは7.5kg。今までのアルミロード(約10kg)に比べた
ら数段に軽くなりました。

前に乗っていた自転車(TREK アルミ)↓



お古のTREKは、嫁に譲って、一緒に台湾を走ったりしています。気持ちぃぃ!


また、今まで普通のシューズで乗っていましたが、
これを気にビンディングシューズへ変更。また、今まで3枚ギアだったんですけど、、
2枚(内側はコンパクトクランク)へ変更。 乗ってみると今までの自転車がうそ
だったみたいに軽い軽い・・

特に山のぼりはめちゃめちゃ楽に上っていけます。
いつも練習コースで使っている故宮前の坂道(200mの高度、約7km)では、
約20分⇒約17分へと3分も縮まりました。

これにはビックリ・・

恐るべきカーボンバイクっ!

これを一度乗ってしまうと、元のアルミバイクには乗れませんなっ!

その他ジャージ・グローブ・キャップ・ボトルも新調↓





全部、RABOBANK仕様。。どんだけ~




という訳で、
こんなミーハーなバイクで日々自転車生活を送っていまーす♪


CATSが台北にやってきたぁ~♪

2010-09-21 23:51:04 | 日記
日曜日台北ドームで、ミュージカル「cats」を嫁と二人で見てきました。

土曜晩から台風が来ていたので、日曜は大丈夫か?
心配してましたが、日曜の朝は結構激しい雨も降りましたが、
午後になると普段と変わらないようなレベルの普通な雨模様

バスや地下鉄などの公共移動手段はほとんど通常通りの運行となって
ました
午前中の激しい暴風雨もあって、道路はやや折れた街路樹の枝や葉が
落ちていましたが・・



CATSは、何年か前に一度日本の劇団四季の公演を東京で見た時以来です。
今回の公演は、海外から来た公演とあってわくわくしてました。

もともとミュージカルはそんな好きという訳ではなかったんですが、
前に何かのきっかけで、劇団四季の公演を見た時に
踊りのレベル・歌のレベル・演技のレベルどれにもすっかり魅了されて
しまいました

それから劇団四季の公演は、今までに「李こうらん」「CATS」「ライオンキング」
などを見ました。

四季の劇場は、それ専用に作られていることもあって、
特にCATSは、セットが回ったり、あらゆるところから演者がカオを出せる
ような仕組みになっていてかなり立体的に楽しめるつくりになってい
ました

四季の公演は、もう長年に渡って行われていて、機会があったらまた
見てみたいと思っていました

でも、台湾に住んでから、もうミュージカルに触れることは二度とない
だろうなっ!と思っている矢先に


思わぬ告知っ!、、、、「CATS」が台湾で公演される

しかも海外から来た本場のCATSが??

早速チケットをGETしました。 当日の舞台は、台北ドームということも
あって、やはり舞台からはかなり遠い位置でしたが
全体的に結構値段高かったし・・ちょっと安めにしといちゃいました。えへっ!


台風ということもあり、ちょっとギリギリに会場へ到着。
公演に来る客層は、カップルが多かったでしょうか?全般的な比率は
やはり女の子が多いみたいでした


さあ、いざ開演っ


舞台は、ある都会の中のゴミ捨て場・・満月の月日が青白く光っている

年に一回の猫たちの舞踏会・・

開演とともに、暗闇のあちこちからキラリと鋭い光が光る

そして観客席の中からどこからともなく猫たちが集まってくる。

猫たちは観客の中をかき分けて舞台に上がります。

さぁ、舞踏会のはじまりですっ



はじめからテンションの高い猫たちの踊りと合唱に圧倒されました

鳥肌が立ってきます。

それぞれの猫たちは、良く見るとそれぞれが全然違う顔つき・個性を持った

24匹のそれぞれの猫を演じていました。共通して言えることは、みんな人間の

手の中に染まらない自分たちで一生懸命生きているんだっというパワーに

みなぎっていることです。だからこのキャッツを演じるにはものすごいパワー

外に発散させなければいけない。。

だから凄いんだなって・・演技よりもむしろ心が技術を越えなくてはいけない

っていう世界・・・いやぁ、、自分の好きなジャンルやなぁ(笑)


それでも、やはり距離が遠い分だけ、日本でみた時より迫力不足を感じた部分は

やむえなかったかな?

それでもやはり凄かったです



途中、「MEMORY」を歌う場面では、英語だけでなく、中国語でも歌を披露してい

ました。中国語で歌うと観客席からはどよめきが・・

発音もかなり完璧な中国語に近い。おそるべしっ


MEMORYの独唱には、やはり感動を覚えました。

魂を揺さぶる歌というのはまさにあのようなモノをいうのでしょう!

歌自身も心にひびきますが、彼女の表情、目つき、遠く月に向かって何かを訴える

ようなすべての演技が、心を打たれました

この距離でなんというオーラを感じたのだろうか・・


最後の方で、また一匹の猫のソロがあります。

基本的にはバレー技で、ピルエットとかグランジュテとか・・

四季の時もあって男性がこのソロを踊っていて、かなり力強い踊りでグランジュテで

舞台を駆け巡っていましたが、今回の公演では女性がソロを務めていました。

この女性の踊りの質がホンマに凄かった

バネのように全身が弾けていて、もの凄い柔軟性とジャンプ力

一人でもこの台北ドームの観客をすっかり魅了していました。


ブラボーっ!


っと、はじめから終りまで、息もつかせぬ演技っ、やはり何回見ても凄かった・・





岡山からこちらに移り住んで以来、久々に踊りを見たので、新鮮な感動がありました。

帰り路は、なんとなく体が弾むように軽くなった気がしました。

台風はすっかり台北にはなんの被害も残さず過ぎていきましたが、このキャッツパワー

にでも圧倒されたんでしょうかね~♪どんだけ~!


Tour de France 2010

2010-09-20 20:46:50 | 日記
この間NHKのBS1でツールドフランスの総集編をやっていたので、思わず

見てしまいました


今年のツールは見どころいっぱいと思っていました

ツール7連覇を果たしたアームストロングが去年から復活して、去年は

コンタドールとの確執などありながらも、3位に入賞した中で、今年は

自ら新しいチームを立ち上げてどうなるのか


本命はやはり、現在最強のコンタドールとなるが、去年2位に入ったA.シュレク

がどこまで、迫ってくるか


他サストレ、エバンス、サンチェス、メンショフなどのライバルがどこまで食い下

がってくるか

というところで、見る前から楽しみいっぱいと思ってました




期待のアームストロングは、途中落車などに見舞われ、やはり年齢的なこともあって

ツール半ばにして、優勝戦線から脱落してしまい、、



やはり本命のコンタドールシュレクの戦いとなって行きました

ツール序盤戦で、シュレクがタイムをリードし、後半ではマイヨジジョーヌ(総合一位)

に袖を通す展開となりました。



去年のコンタドールは、山でもバツグンの切れ味がありましたが、今年は不調なのか

独走するような場面はみられませんでした

ツールも終盤に差し掛かり、シュレクがリードしているとは言え、その後に控える

ステージではタイムトライアルがあり、この点においてはコンタドールが圧倒的な力を

持っており、シュレクもタイム的にリードはありましたが、決してセーフティなリード

ではありませんでした。試合後のインタビューでもコンタドールはTTの分自分が有利

だと発言するなど、試合以外での舌戦も繰り広げられました



これだけ接戦となったツールも珍しいかもしれません。


第15ステージの後半では、他の選手達群衆に埋もれたコンタドールを見た瞬間、

シュレクが勝負を賭けたアタックをかけました。群衆に囲まれたコンタドールは

反応が遅れ、、アタックは決まったように見えましたが、シュレクがさらに加速

した瞬間。。チェーンが外れてしまうというアクシデント


後からあわてて、追いかけてきたコンタドールやメンショフ・サンチェスなどの

総合争いを繰り広げていた選手たちはそのチェーンの外れたシュレクを横目に見ながら

抜いていく。


シュレクもチェーンを直して、必死に追いかけましたが、そう簡単には追いつけず

そのレースは結局、コンタドールたち集団から39秒遅れてゴール。。

結局、マイヨジョーヌを失ってしまった・・


その日だけで、必死に守ってきたマイヨジョーヌを明け渡してしまうとは・・


一般的には、マイヨジョーヌの選手にトラブルがあった時には、その優勝争いを

している選手たちは、マイヨジョーヌを待つという、紳士的な協定があり、、

このコンタドールがそのままゴールしてしまった行為に対して、その日表彰台に

たったが、観客からはブーイングの嵐・・


去年のチャンピオンがこのような形で、表彰台に立つなんて、思いもしないドラマでした。



残りのステージで、シュレクが勝負をかけられるステージは、第17ステージの

トゥールマレー山の山岳ステージです。その次のステージではタイムトライアルなので

これを得意としない、シュレクにとってはこの山岳で、コンタドールに大きく差をつける

ことだけが、総合優勝に辿りつける唯一の条件となります。



このステージでのシュレクは、同じサクソバンクのチームメイトのアシストを受け、

最後のトゥールマレーでは、コンタドールとの一騎うちになりました

終始先頭を走るシュレクは、幾度となくペースを上げ、コンタドールをちぎろうとする

がなかなかちぎることはできません。


コンタドールも必死に食らいついていきます。そのうち、シュレクも言葉で揺さぶりを

かけるようにしていきますが、コンタドールはその揺さぶりにまけず、一貫してシュレク

の後に張り付く守りの走り、、この永遠と続くバトルは本当壮絶だったと思いました。

残り4kmくらいのところで、コンタドールも王者としてのプライドか?一回だけアタックを

かけました。そのアタックに対して、シュレクも懸命についていく


もの凄い加速に見えましたが、シュレクも同じくダンシングでついていく。その後すぐに

コンタドールの前へ、、前へ出た瞬間コンタドールに声をかける。

あたかも「そんな加速で俺をちぎれるとでも思ったのか?」と言わんばかりでした

そんな壮絶なレースも結果的にはそのまま二人でゴール。

終始後からついていくコンタドールも最後ゴールスプリントをかけるかと想いましたが、

スプリントせず、シュレクがステージ優勝を飾りました


このスプリントしない姿勢に、王者の貫録をみたような気がしました。

本当は、一勝もしないで総合優勝というのは、あんまり過去に事例のないことで、

ステージ優勝がほしいところ、、しかし、この日のシュレクの走りをたたえての行動

であったのでしょう。。この姿勢には共感をしました



その後のTTのステージでの、コンタドールとシュレクのタイム差は、わずか8秒。

シュレクもTTの実力では、コンタと圧倒的な差があると言われていたが、

序盤からかなり積極的に全力でとばす、第1チェックポイントでは総合タイムで8秒

あった差も、わずか2秒まで縮まる場面も・・これはひょっとしてという期待も

あったが、結局自力にまさるコンタドールは、31秒の差をつけてゴール



最終ステージはパリへの凱旋レースなので、事実上このステージでコンタドールの

優勝は決定!総合でのタイム差は、39秒。。


あのチェーンアクシデントで、遅れたステージでのタイム差は39秒。。

皮肉にも、このアクシデントがなく、その日のタイム差がもしなかったら、シュレクと

同じタイムであったという結果であった。いやぁ~、ドラマですなっ


今年のツールは問題などいろいろあったが、結果的には接戦でものすごくおもしろかった。

来年もコンタvsシュレクの新しい世代の争いが中心となることでしょうが・・

今から楽しみであります



アームストロングはこのレースで引退を表明しているが、終盤のステージでは

ステージ優勝を狙った果敢な攻めは往年の王者のプライドを示した素晴らしいレース

でした

ブログ作っちゃいました♪

2010-08-31 22:44:44 | 日記

大変ご無沙汰していま~す♪

 岡山から台湾に移住して早2年経っちゃいました

 人生初の海外生活、、初めは、全然なれず大変でしたけど、今ではすっかり慣れ、

台湾生活を日々楽しんでやっていま~す。

 

最近はどうかっていうと・・

台北附近道や山を自転車で走りまくったりしてま~す。

あと、今年フィリピンのボラカイ島に夫婦で行って、綺麗な海を満喫したついで

に、OPEN WATERのダイビングライセンスも取ったりしました。

あと平日は、好きな水泳にもいそしんでいる日々であります

 

っというように、台湾に来てからも、いろんな趣味に興じているところです

 これからも自転車ツーリング、トライアスロン、ダイビングなどいろんなことに

チャレンジしていきたいと思っていま~す

 今後ともよろしくお願いしま~す♪