映画【道草】 観てきた
知的障害のある数人の成年が、施設やグループホームではなく
親元を離れ、派遣介護の力を借りながら【ひとり暮らし】をしている姿のドキュメントなのだが
大人になった彼らに、チビラが重なる
道端の草花や風の音にふらふらと気を取られていたり
急に大きな声を出していたり
人の食べているのを欲しがっていたり
同じ言葉を繰り返していたり
表情もあまりなく
叱られてもにやりとしてみたり
コミュニケーションが取りづらかったり
チビラの存在があるから、私にとっては彼らの振る舞いはあるあるに満ちていたのだが
こうして一歩引いて見せられると、客観的視点から感じる部分もあった
行動は脈略なく突発的
見た目には身体も大きく、年相応に成長しているし
介護の人とのやりとりも、周囲から見ると不可解
『怖い』と感じられても仕方ない
実際、自傷他害を抱えている人もいた
それでも
派遣介護士の見守りのもと、実家ではなく【ひとり】暮らしていく彼らはどこか解放感があった
順当に考えれば、親は最期まで一緒にいてあげることはできない
ずっとそばに、ずっと共に暮らしたいが
自分亡き後も、我が子の人生は続いていく
どこで、どのように生きていくのか
その【準備】は、親が元気なうちにしておかなければならない
もちろん、施設入所やグループホームが悪いわけではない
ただもし
自立とまではいかなくても、こんなふうに支援を受けながらでも
住み慣れた地域で【自分の暮らし】ができたなら
買い物をしたり、散歩をしたり、ある程度自分のペースで生活することができたなら
時折、本当に時折見せる彼らの笑顔に
今、私がチビラにしてあげられることは何か、考えさせられた
一つ言えるのは
今のうちに親以外の人の人脈、コミュニティーをしっかり形成しておかねばならない、ということ
チビラで言えばデイサービスのスタッフさんだったり、よく行く店の店員さんだったり地域の人だったり役所の福祉課だったり…
映画で取り上げられた成年の一人は
3年前、あの施設で被害に遭われていた方だった
事件を機に親御さんの考え方も変化し
施設に頼るのではなく、彼が彼らしく生きることのできる方法を模索しているとのことだった
息子さんにしてもかなり高齢(いうても私と同世代だが)であり、一から構築していくのは困難も多いだろうが
なにより、家族三人の笑顔が活き活きとしていたのが印象的だった
意思表示ができない?
意思疎通ができない?
そんなことはないんだ、ということを
どう伝えたら良いのだろう
わかりにくい部分はあっても
どの親御さんも、付き合いの長い介護スタッフも
彼らの意図をだいたい理解できるし、様々な形でコミュニケーションをとることができる
おそらく、この映画を観ても
身内でなければ、それはわかってもらえないかもしれない
でも
そんな日常を
少しでも知ってもらえたらと願ってやまない