まちづくりはFeel-Do Work!考えるより感じよう、みずから動き、汗をかこう!(旧“まちづくり”便利帳)

まちづくりの支援者から当事者へ。立ち位置の変化に応じて、実践で培った学びの記録。もう一人の自分へのメッセージ。

社会変革のエンジン――『格好いい・楽しい・美しい』

2005-01-28 16:34:56 | Personal Views
(画像は映画「Pay it forward」の一場面。社会はきっと変えられる。)

「社会を変える」というと、何だか自分には縁遠いとんでもない大事のように聞こえますが、実はそれはちっぽけな人間一人一人の発言や行動から始まります。どんなにすごい社会変革も、最初は一人が起点なのです。行動をする本人にとっても、そんなこと考えもなかったということが多くあります。
私達一人一人は、わずか63億分の一ですが、その数の大きさを考えれば「どうせ自分一人が…」と諦めるのはむしろ自然なことかもしれません。でも、無理だからと簡単に諦める人より、発言や行動できる人の方が格好よくないですか?「善い行い」をするのではなくて、「格好いい行い」自体が結果的に「善い行い」に通ずればいい、そのほうが真似をする人が増えると私は思っています。

「意識を変えろ!」

バブルが崩壊した90年代から今に至るまでビジネスや政治など、あらゆる場面で多用されてきた言葉です。でも、発した本人がよくわかってないことも往々にしてあります。そんなよく意味のわからない言葉は使うのは、そろそろ卒業したいところです。


人や社会が向上しようとする時、他の事例を参考に良い点を習い、悪い点を反面教師にしながら学ぶことがしばしば行われます。主観的に自己分析をするよりよりも、鏡のような存在である周囲を観察した方が、客観的に見ることができ、より早く問題に気が付くというのが主な理由でしょう。「学ぶ」の語源が「真似る」「まねぶ」にあったように、「よい(善い・良い)行いを真似る」ことから、質の向上が始まります。ただ、残念なことに、この「真似」はよい行いばかりとは限りません。良くも悪くも、その行為がどんなに小さなことだったとしても、多くの人が真似をすれば、社会は大きく変革することになります。

そこで、もし意図的に、真似の対象を「よい行い」に、そして「インパクトの強い行為」に仕向けることができたなら、社会をより早く、よりダイナミックに改善することができるのではないでしょうか?

では、人が興味を惹かれ、他人の行為を真似るまでの構造から考えてみましょう。

行動科学や社会行動学などを経ていないので、直感的にしか言えないのですが、私は次のように考えています。
最初に「好き」「嫌い」のフィルター(反射回路)があって、そのフィルターを通った後に、各々の価値観や「よい」「悪い」などの倫理観(思考回路)によって評価されます。その中で、人が自発的に他人の行為を真似るか否かを左右するのが、『格好いい・楽しい・美しい』の3つの価値観なのです。

もちろんこの3つの価値観は、マスメディアの影響を多大に受けるのですが、それだけ時代環境、自己の視点や成長によって、大きく変わるというのもまた事実。それだけ敷居が低く、その敷居を越えること(価値観を見直すこと)はそれほど難しくないということがわかります。

例えば喫煙。映画やドラマなどで格好いい俳優が煙草を燻らすのを見て、喫煙するようになった人は多いでしょう。煙草は量が過ぎれば体には悪いですし、マナーが悪ければポイ捨てで街を汚したり、伏流煙で周囲に迷惑を掛ける加害者になりかねません。特に後者では、当人は罪悪感を感じつつも、ついつい繰り返してしまいます。
「率先して健康を悪化させること」が『格好悪い』、「ポイ捨て行為が自己中心的」で『格好悪い』。世間の大勢の人達が、その行為を指差して「格好悪い」と口にするようになったら、マナーのない人はこれまで以上に肩身が狭くなるはずです。「いけないことだ」と思うよりも、『格好悪い』と思った方が、止める人は圧倒的に増加するでしょう。

世の中には様々なネガティブ・キャンペーンが存在します。ある対象を指摘しては「○○を止めさせろ!」という社会的なものから、「△△しちゃいけません!」という家庭教育まで、もちろん時には声を大にして叫ばなくてはいけない時もあるのですが、大概の場合は指摘された相手は身構え、反発し、場合によっては反撃に出ることさえあります。
むしろ、そのような対象を「格好悪い」と相手にせず、対極にあるものに「格好いい!」とエールを送るポジティブ・キャンペーンの方が、最終的には効率的で効果的なのではないでしょうか?


「いけないこと」は止められないし、「正しいこと」は真似できない。

でも、

  格好良くて、
  楽しそうで、
  できあがったモノが美しければ、

それは多くの人を惹き付け、必ず真似する人を増やすでしょう。
狭い範囲の営利を追求した結果、モラルを極端に欠いた事件が露呈する昨今、社会的な問題をビジネスとして取り組む「社会起業家」と呼ばれる人達が急増しているのは、どうやらこの辺に理由がありそうです。

社会はそうやって変わってきたし、これからもそうやって変わるはず。
『格好いい・楽しい・美しい』が、社会変革を加速します。
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2 コメント

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サッカーにおける社会変革 (管理人)
2005-01-28 16:43:23
「反則も技術のうち」と解釈する人も多く、未だに恥じらいもなく故意的なファールを続ける情けない選手もいます。でも考えてみれば、技術が足りないから反則をするわけで、反則を習慣とする選手には成長はありません。Jリーグのサンフレッチェ広島やヴィッセル神戸を率いて数々のフェアプレー賞をチームにもたらした経験を持つスチュワート・バクスター監督は、ある試合について次のように語ったそうです。



「こちらに絶好のチャンスがあってドリブルで抜け出そうとしたとき、相手の意図的と思われるファウルで止められた。そのあとで、相手に同じようなチャンスがあり、こちらのDFは反則すれば止められたのだが、フェアに守って相手に突破されてしまった。その結果、試合に負けてしまったので、そのDFは『あそこは反則で止めるべきだっただろうか』と聞いてきた。私はこういいました。『いや、あれで良かったんだ。あそこで反則で止めたら、次に同じような場面になったとき、また反則で止めるだろう。イエローやレッドカードが積み重なるだけでなく、個人の技量もチームの力も進歩しない。そして、なによりもサッカーのスピリットがどんどん破壊されることになる』と」(Jリーグオフィシャルガイド1997より)



詳しくは↓こちらをご覧下さい。

http://homepage2.nifty.com/stadium/fair_play.htm

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同感です (taiji)
2005-03-03 17:41:58
私は、森林問題に関心がありますが、「熱帯林破壊は、地域の人々の生活を奪っている。あなたたちはそんな生活をしていていいのか。」(ことはそんなに単純でないということを問わなくても)というより、森林が美しいということ(見た目にも、それに触れる生活という意味でも様々な意味で)を共感してもらい、それを大切にしませんか?と訴える方が効果的だと思います。

 その、「大切だと思うことを大切にすること」こそが、人生の価値だと思うからです。それをなおざりにしているから、たとえお金があっても不幸なんだ思います。



**

 サッカーの例は若干難しいと思います。

 やはり、スポーツの厳しい世界では「勝利」に意味があります。たとえ、長期的に成長したとしても、そのチームが優勝できる唯一のチャンスかもしれませんから。ファールというのは、いまや一つの戦略となっていますからね。

 サッカー界全体で変えない限り、ファールはなくならないし、倫理的でさも、ファールする人間を完全に100%責める事はできないと思います。

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