どぅ-ち-むに-日記

「どぅ-ち-むに-」とは沖縄の方言で独り言。日記スタートから8年!。今年もてーげ(てきとー)な日記をよろしくお願いします

四十九日

2015-05-18 09:12:15 | Weblog
昨日は、従兄弟ミッチーの妻、智美さんの四十九日の法事があり、鳥取県へ行って来ました。3月にお見舞いに行った際には、闘病中ながら笑顔で迎えてくれた智美さんが、智美さんの笑顔が、今はもう写真や遺影の中にしか無い。。。



親を看取り、歳を重ねた子に囲まれ看取られる。

それが出来ずに、幼い子を残しこの世を旅立たねばならなかった無念さ、想像に余ります。




娘ちゃん達は僕の事を覚えていてくれて、大泣きしてる時に僕が抱っこしてあげる仕草をするとダッシュして向かって来てくれました。

お寺へ移動して、お坊さんがお経を読み上げている最中、笑顔で走り回る長女ちゃん。参列者が涙を拭く為に使っていたハンカチを取り上げて、マントにしてみたり、腰にあててみたり。手を振って笑う娘ちゃん。

あまりにも若過ぎる死、突然の別れ。強い悲しみと無力感、悲壮感に包まれるはずの場。
そんな場になると思っていましたが、あの子の笑顔に参列者一同がつられて笑っていました。


僕は最初に「智美さんの笑顔は写真と遺影にしか無い」

と書きましたが、それは大きな間違いでした。生前に多くの人を癒してくれたであろう智美さんの笑顔は、肉体が消滅した今もそこにありました。


娘さん達の笑顔、周囲を癒す屈託の無い笑顔を見てそう感じました。


かりゆし58の歌に「さよなら」というのがあって、その歌詞の一節に


命は始まった時からゆっくり終わっていくなんて信じない
「ぼくが生きる今日は もっと生きたかった誰かの明日かも知れないから」


とあります。

今日という1日を無駄に垂れ流していくのではなく、大切に1日でも長く積み重ねていきたい。

智美さんのような、笑顔と、安路のように感謝の心を忘れず

積み重ねていきます。。。



沖縄を、安路を愛してくれた智美さんが喜んでくれたら嬉しいな。