被告・中央学院大学が提出する準備書面――口頭弁論の期日前に主張を相手に
予告する書面――は、専任教員と非常勤講師の恐ろしいほどの賃金格差・待遇
格差を正当化するために、珍論・奇論を繰り出している。
■珍論奇論・その1――「非常勤講師は本学の学生教育に責任を負っていない」
ぶったまげる主張とは、こういうのをいう。
被告第2準備書面はサラッと次のように言ってのけた。
「専任教員の授業は義務として行われており、本学における教育業務に
ついて被告に対する責任を伴うものであるのに対して、非常勤講師は、
被告に対して本学の学生の教育についての責任を負うべき立場には
ない」(4頁)。
この大学、頭がイカレてる。
専任教員だけが、授業を「義務として」行っているわけではない。非常勤
講師といえども、契約に基づいて授業を行っており、当然のことながら、担当
する授業を「義務として」行っているのだから、教育について「責任」も
負っている。
中央学院大学は、こんなことさえ分からないのだから、驚きだ!
佐藤学長さん、あなたどうしたの!
全く「開いた口がふさがらない」。
■信用のない授業と卒業証書
中央学院大学は、授業の約4割、講義科目(体育の実技や演習を除いた科目)
の実に約5割を非常勤講師に依存しているというのに、「非常勤講師は本学の
学生の教育について責任を負う立場にはない」と言ってのけた。
じゃー、この講義科目の5割の教育には、誰が責任を負っているのかね?!
この講義科目の教育にも、専任教員が責任を負っているのかね?!
そんなことはありえないことは自明だ。要するに、中央学院大学で行われる
講義の約5割については、「誰も責任を負っていない」ということだ。
たいした大学だ!
大学という高等教育機関である中央学院大学は、教育に「責任を負っていない」
非常勤講師に、授業の約4割、講義科目の約5割をやらせ、教育に「責任を負って
いない」非常勤講師に単位を出させているのだとさ!
つまり、卒業に必要な単位の約4割、約50単位は、「責任を負っていない」
非常勤講師が与えているから、中央学院大学の交付する卒業証書は、その一つ
ひとつが、まったく信用できない代物(しろもの)ということになる。
■巨大な賃金格差の正当化の論拠ーー教育責任論
中央学院大学の専任教員の1人当たりの平均人件費は約1250万円――教授とも
なれば約1550万円――だが、専任教員の義務的担当コマ数の週5コマを上回る、
週6~8コマを20年も担当している原告の非常勤講師・小林が得る年収は
約200万円、人件費は220万円程度であり、実に約6~7倍も違う。
小林には年金も退職金もなく、住宅手当も扶養家族手当も払ってこなかった。
研究室も研究費(年35~45万円)も与えてこなかった。
この巨大な賃金・待遇の格差を正当化するために、このような驚くべき珍論・
奇論を繰り出しているのである。
■専任教員は「教育」に対する責任を果たしているのか?!
専任教員と非常勤講師では、同じ授業を担当しても、前者は責任をもって授業を
しているのに対し、後者は責任をもって授業をしていないのだから、その賃金・
待遇格差は当然というわけだ。
教育に責任を負っているはずの或る専任教員が、「100人」もの履修者のいる
ゼミを毎年3つ持ち、10年以上もこの状態を続けていたというのに、中央学院
大学はこれを黙認し、放置していた。
どの口で、専任教員は教育に対して責任を負っているが、非常勤講師は責任を
負っていない、などと言えるのか!?
■「均衡はとれている!」
佐藤英明学長は、当組合との団体交渉の席で、専任教員と非常勤講師の賃金は
「均衡がとれている!」
と言い放ったが、巨大な賃金格差を正当化する根拠の一つが、この教育責任論だ!
この歴史的発言の録音は、準備してここにアップしよう!
中央学院大学の繰り出す珍論奇論は、これにとどまらない。我々が抱いていた
或る<いやな>予感は的中し、中央学院大学はもっとすごい珍論奇論を繰り
出してきた。
<続く>