きのうは「ラジかる!」と言う番組で寿司の大食い記録に挑戦していたとのこと。
白田信幸くんは30分で190カンの寿司を完食、泉拓人くんは148カンでした。
寿司一個をなぜ一貫と呼ぶのでしょうか?
カキ氷に使うあの角氷は、氷屋さんでは2個で一貫と言ってました。一貫の氷は3.75キログラム、これをニ等分したので二個で一貫、これははなはだ分かりやすい。
ところが寿司一個は一貫目もあるわけはないですよね。シャリの重さはせいぜい20gといったところ。
ここでは「江戸時代の銭1貫文相当の穴あき貨幣をひもでくくったものと寿司1個分が同じ大きさであったという説」を紹介しておきます。江戸時代時、一文銭96枚を銭さしに通してまとめると100文として通用したそうです。これを「銭さし100文」と呼び、10個集めた960文を「銭さし一貫」と呼んでいたという。この「銭さし100文」の重さが360gで、当時の寿司1人前の重さと同じだったところから、寿司を一貫と呼んでいたというのが始まりだそうです。この頃はまだ四角い押し寿司ですね。
その後握り寿司が登場してからは、1個のシャリの重さが40gのものを9個そろえて一貫揃いと呼んでいました。それからこの一個を一貫と呼ぶようになったのです。のちにさらに半分にしてシャリ20gの一口サイズのものを2個で一貫として出すようになりました。カウンターでお寿司を注文すると必ず2個ででてくるのもこんなところから来ているのかな。
昭和後期に入ると2個で一貫と呼んでいたはずの寿司が、いつのまにか1個で一貫と呼ぶようになりました。回転寿司などはほとんど1個=一貫です。
ウィキペディア 寿司 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8
白田信幸くんは30分で190カンの寿司を完食、泉拓人くんは148カンでした。
寿司一個をなぜ一貫と呼ぶのでしょうか?
カキ氷に使うあの角氷は、氷屋さんでは2個で一貫と言ってました。一貫の氷は3.75キログラム、これをニ等分したので二個で一貫、これははなはだ分かりやすい。
ところが寿司一個は一貫目もあるわけはないですよね。シャリの重さはせいぜい20gといったところ。
ここでは「江戸時代の銭1貫文相当の穴あき貨幣をひもでくくったものと寿司1個分が同じ大きさであったという説」を紹介しておきます。江戸時代時、一文銭96枚を銭さしに通してまとめると100文として通用したそうです。これを「銭さし100文」と呼び、10個集めた960文を「銭さし一貫」と呼んでいたという。この「銭さし100文」の重さが360gで、当時の寿司1人前の重さと同じだったところから、寿司を一貫と呼んでいたというのが始まりだそうです。この頃はまだ四角い押し寿司ですね。
その後握り寿司が登場してからは、1個のシャリの重さが40gのものを9個そろえて一貫揃いと呼んでいました。それからこの一個を一貫と呼ぶようになったのです。のちにさらに半分にしてシャリ20gの一口サイズのものを2個で一貫として出すようになりました。カウンターでお寿司を注文すると必ず2個ででてくるのもこんなところから来ているのかな。
昭和後期に入ると2個で一貫と呼んでいたはずの寿司が、いつのまにか1個で一貫と呼ぶようになりました。回転寿司などはほとんど1個=一貫です。
ウィキペディア 寿司 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8
我々の仕事の殆どが口伝で教わりました。
師匠が違えば 伝わり方も当然違います。
師匠のお父さんが孫弟子の私に歌う様に
振り売りの売り声を聞かせてくれたのを昨日の様に感じます。
お世話に成りました。
ウツボ(mixiでもウツボです)
ウィキペディアがリンクしてあるので、おそらく2005年当時はこの説が表記されていたと思われます。
銭さし100文が1貫と呼ばれるようになる経緯は
「いづみ鮨」のHPを参照。
http://www8.plala.or.jp/izumizusi/rekisi.htm
(1000文ではなく960文で1貫というのは東アジアの商習慣で「短陌(たんはく)」によるものです。)
2008年には同じようなことを自分で調べなおしておりました。もうすっかり忘れてるのね~。
http://d.hatena.ne.jp/oomesikurai/20081127
その際参考にしたのは
「静岡の魚竹寿司」のHPです。
http://www.uotakesushi.co.jp/index01.html
左のメニューから一番下の寿司の知識、寿司の歴史をクリックしてください。大変詳しくてためになります。
数詞の「貫」については
「コラム:日本語力を鍛える」(飯田朝子)より
http://www.japanknowledge.com/nihongo/column_kaz_s070604.html
(特別編16 一貫しない鮨の数え方の由来)も参考にドウゾ。
大変詳しく、お調べですが?参考にされた資料を教えて
頂きたいたいのですが?参考にしたいのですが。
私の知識の多くは 今は故人に成った師匠や師匠のお父さん!
友人達と僅かな本から学びました。
資格を得る為の学びは苦痛ですが?
リタイア寸前の身では学ぶ事は喜びに成ります。
登頂の峰から登坂を振り替えるアルピニストと同じように。
九州の片田舎町で鮨屋を営んでるリタイア寸前の鮨屋より 宜しくお願いします。m(__)m
ウツボ!
江戸時代後期にいまの握り寿司の形が出来上がりましたが、いまでいうファーストフードのようなもので、立ち売りの露天商や屋台の店が主流だったそうです。
浮世絵などの資料を見ると、今より結構大きいサイズのようで、2分割説もうなづけますね。
半貫目(はんがんめ)氷とも言いますよね。
文字通り重さです。
貫文とすし1貫の関連話は面白いですが、
1/10貫文の重さがすし1貫と言うのは解せません。
どうしてそうなるのでしょうか?
江戸時代に合わせて、
握りは2個で一貫と読んで欲しいと思ってます。
私の聞いた話では、江戸時代に
風呂帰りに屋台で鮨をつまむのが流行り、
それまでのサイズでは一口で食べれないため、
半分サイズにして2つ1セットにした。
そのため、2つで1個分として、一貫と呼んだ、
ということでした。
36皿→15皿って、胃が小さくなったんですか。
もう一人の友達が48皿。
勝負でした。
一皿100円なのに、負けた友人のほうは10000円払いました。
俺はもう15皿しか食えない。