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「勲を語らなかった零戦の英雄を悼む」

2006-08-21 12:17:25 | 日本の良い話
平成17年(2005年)11月25日、ノーベル工業株式会社会長・志賀淑雄さんが
91歳の波瀾に満ちた生涯を終えた。志賀さんは日本海軍史にその名を残す
零戦の飛行隊長で、敗戦により価値観が崩壊した戦後の日本では忘れられた英雄だった。

始めて志賀さんに会ったときの驚きを、筆者は今も忘れない。
彼を紹介してくれたのはスイス・エリコン社の日本代表、
英国籍のサビエル・小池氏(故人)だった。志賀さんは、中肉中背の、
礼儀正しく穏やかで謙虚な中年紳士という印象だった。
渡された名刺を見て首をひねった。志賀淑雄?聞いたことがある名だ。
共産党幹部に同名異人がいるな。まてよ、もしかして太平洋戦史によく出てくる
あの有名なゼロ戦乗りか?

「失礼ですが、もしかしてハワイ空襲の空母『加賀』の
ゼロ戦制空隊長の志賀さんですか?」とたずねてみると
「ハイその志賀でございます。こうして生き恥をさらしております」という
返事が返ってきた。

戦史上、筆者の知っていた志賀淑雄海軍少佐は、鹿児島出身、海兵六十二期、旧性四元、
源田サーカスとよばれた海軍戦闘隊の超エースの一員。
ハワイ空襲以来「加賀」「飛龍」「隼鷹」「信濃」と
四隻の空母の分隊長又は飛行長として徹頭徹尾太平洋の
あらゆる海空戦を最前線指揮官として戦い抜いた。
とくに南太平洋海戦では三回も攻撃隊指揮官として出撃し、
最期は沈みゆく米空母の上を超低空で航過し、艦番号を自分の目で確かめて、
それが「ホーネット」であることを報告した英雄だった。

(略)

気性の烈しい軍人だったようだ。麾下の零戦隊から特攻隊志願者を差し出せと
高級幕僚が命令してきたのを断乎拒否し、「どうしてもというなら私が征く。
の時は参謀長、貴官も私と一緒に征け」とくってかかり、辟易した参謀は
尻尾を巻いて引き上げたというエピソードもある。

(略)

「なぜ戦後航空自衛隊に入らなかったのですか?」と訪ねると、
「多くの部下を戦死させました私の出来ることは、彼らの菩提を弔うことと、
生き残った戦友たちや戦死者の遺族たちの生活の面倒を見る事です。
空戦中、敵機に後ろに廻り込まれてあわや撃墜されるかと思ったとき、
列機が間に割り込んで庇ってくれ、被弾炎上したその零戦の搭乗員が
私に挙手の礼をして墜ちていきました。その姿が忘れられません」という答えだった。

部下に殉職者を出した経験のある筆者には、数限りない修羅場をくぐり、
地獄をみ、多くの部下同僚を戦死させた志賀さんの菩提遁世の心境は
わかるような気がした。

戦争がなくなった戦後でも、日夜命がけの任務を遂行している
警察官の身の安全について志賀さんの力の入れようは尋常ではなく、
利益を度外視して警察のニーズに対応してくれた。
筆者が後藤田警備局長(当時)の特命でケネディ暗殺事件調査と
要人警備体制の研究のため訪米したとき、フーバーFBI長官に
お土産として持参した伸縮式特殊警棒は、志賀さんのノーベル工業製のものだった。

(略)

警察官たちを凶弾凶刃から護る最期の護身装備である防弾・防刃チョッキ、
初期の爆発物処理器材などなど、志賀さんが研究開発した警察装備は数々あった。
だが、枯淡の心境にあった志賀さんは、いざ量産、やっと儲かるという段階になると
実に爽やかに大企業に儲けの機会を譲ってしまい、
筆者らはそのあまりな無欲さぶりに歯がゆい思いをしたものだ。

謙虚な人柄だった。ある時、「志賀さん、零戦の星として
四年も最前線で戦い抜いたんですから、さぞ沢山敵機を撃墜したでしょう。
撃墜記録は何機ですか?」と聞いてみた。
答えは「単独撃墜は六機でございます。あと協同撃墜はもっと多うございます。
ある程度撃っておいて、まだ撃墜記録のない新参の列機に墜させるんでございます」

これには筆者は恐れ入った。ハワイ空襲、ミッドウェイの支援作戦だった
アリューシャン作戦、珊瑚海海戦、南太平洋海戦等々艦上戦闘機零戦の分隊長、
飛行長を四年間第一線の艦隊勤務で、最期は松山の柴電改第三四三飛行長として、
勝ち誇る米高速機動部隊のパイロットたちをして
「日本にまだこんなに強い戦闘機隊が残っていたのか」と驚嘆せしめた
志賀淑雄少佐のことだ。撃墜五十機といおうが百機といおうが、
流石「源田サーカス」の列機だった名パイロット、当然のことと
世人は納得するだろうに、「六機」ときた。
この人は「本物だ」と思ったものだった。

(略)

筆者は日本のために戦い、大空に散った空の勇士たちを代表するに
ふさわしい人を招いてよかったと目頭が熱くなった。昭和史の語り部志賀さんは、
遂に勲を語ることなくこの世を去った。志賀淑雄さん、どうぞ安らかお眠りください。

「諸君! 2006 2月号」佐々淳行 著
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2 コメント

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良い話です (KIN)
2006-08-22 00:52:14
日本のエース…奥ゆかしいです。



戦争状態を抜きにしても、部下を思い、私欲を捨て

任務に厳粛なまでに忠実な姿勢が心地よくも

感じられます。



当時の軍人は決して鬼畜でなく、一人の日本人として

恥ずかしくない生き方を貫いたものと感じます。



旧日本軍=靖国=軍国主義とかでなく、古き良き

日本人感が確かに有った事を感じてもらいたいです。



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こんばんは、KINさん (マグカップ)
2006-08-22 22:49:10
自虐史観ばかり子供に植え付けるのでなく、このような素晴らしい方が沢山いた事も事実として教えて欲しいものです

戦争というものは悪い部分は沢山ありますが、それは日本にだけに限った話でなく、他国にも言えることで。

それを語らないのはバランスが悪く真実は見えません。

それらを知った上で、「日本が悪い」という結論もあるでしょう。しかし,今のように片手落ちの戦争観だけで結論を決める子供に育てて欲しくないですね。

世界から見ても素晴らしい人物が沢山いた事実も教えて日本に誇りを持てる教育をしてほしいですね
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