花は桜木・山は富士

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「親日談いろいろ」(中国)

2006-04-05 19:03:01 | 良い話(中国)
パート9・138 :176など :02/10/04 23:34 ID:EWguLR3A

色々親日談が載っております。
多すぎて紹介しきれないので、リンクだけ。
請 孫 文 再 来

と思ったんだけど、ちょっとだけ紹介。

◆孫文の臨終に立ち会った唯一の日本人
山田純三郎は青森県弘前市出身、生家のある在府町の真向かいの家は明治言論界の重鎮、
陸羯南が住んでいた。幼少は「純コの馬鹿」と言われたくらいに愚鈍な少年であった。
兄、良政は物静かで思慮深く、陸羯南に可愛がられその影響から当時、
上海にあった東亜同文書院の教授として渡り、孫文の唱えた辛亥革命に
挺身した日本人最初の犠牲者として恵州で戦死している。

兄の後を追って革命に挺身した純三郎は、孫文の側近として臨終に立ち会った
唯一の日本人でもある。革命史実はその後の体制が取りまとめるものですが、
臨場事実については革命のさなかは当事者の口述、文章記述は情報漏洩の意味もあり、
普通は書残さないものだ。後世の歴史家や研究者は年代を追って記述を取りまとめ、
文章体として記録しているが、それさえも登場人物の高名無名、
はたまた背景にある体制の都合によって作文されたり名利のための
虚偽宣伝のネタにされることもある。

山田のそれはすべてが体験口述のため「歴史家」「研究者」と称される人とは
趣を異にするが、史実そのものは臨場体験でしか味わうことのない事実そのものの姿が
現れている。「孫さんがなぁ…」ではじまる山田の語りは、歴史に興味のないものにも
人間学として、あるいは、利害得失、枝葉末節といった思考の観点しかなくなった
現代人にとって、懐かしくも忘れ去られたかのような人間像を
思い起こさせるものでもある。

革命や改革といった状況の中での緊張と挫折、あるいは土壇場における思考や行動は
平常時では想像もできない人間の姿として現れるものである。
逆に挫折や失敗はつきものとばかり、一刻の余裕に風雅を楽しむおおらかさもある。
それは単なる高邁な論理の積み重ねではとうてい論証できることではなく、
戦時下の混乱の極まりにこそゆきつく見解や直感力によって人物と
事象をみることのできる山田ならではの言葉である。
山田の話には必ずといってもいいほど枕言葉は決まっていた。

「孫さんはなぁ、世界をどうするか、そのためにはアジアはどうあるべきか、
日中両国のかかわりは、そのためには自分は何をなすべきか、といったところに
思考循環の原点を置き、行動の大義を唱えていたんだ。それだからこそ我が国にも
国家民族を超越してアジアの安寧を考え、今、日本人として何を行うべきかを
自覚した多くの賛同者が現れたんだ」

(山田純三郎と孫文)写真

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