格差反映?売れ筋は2極化 エアコン商戦ヤマ場へ (共同通信) - goo ニュース
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最近は『格差社会』がはやりなのか、なんでもかんでもその言葉でケリをつけようという記事が多い気がします。ぶっちゃけ、記者の怠慢かと。事実なら事実だけを書くべきで『社会の現状を反映しているようだ』なんて主観はいらないし、主観をもとに考察を書くのであればもっと踏み込んだ部分まで書くべきかと。このブログのような素人の考察ならさておき、それで金をもらってる人間のやることかといいたいです。
大体…エアコンの売れ筋が2極化といったって、他の理由だってあるかもしれないじゃないですか。
猫西ならまず、格差がどうこうという社会不安をあおるようなものではなく、エアコンという物自体が陳腐…あるいは一般化されてきているという観点から切り込みますけどね。要するに、『エアコン』がもはや『高級品』ではなくなってきたのではないか、と。あるいは日本で生活していくうえで『必需品』に近くなったのではないかと思うのです。
もちろん、エアコンに限らず製品はなんでもそうですけど、新しく生み出された時点では価格も高いし数も少ないじゃないですか。それが、販売数が増え製造数が増えるにつれ、定価も少しずつ下がっていく。そうするとメーカーにとってはより高い付加価値をつけることによって、より旨味を増やそうと努力するでしょうし…当然、基本性能だけのものを残しつつ高付加価値化を進めていくと、同じひとつの製品でありながら、値段・機能の上下がある、という状態になります。エアコンもそういう成熟した市場になった、と見ることができますね。
さて、これは経済的(かつ紋切り型ですが)の見方ですが、他にも心理的には…前述のとおり、『高級品』ではなくなったと見ることもできます。『憧れ』でありそれが『ステータス』だったころは、持っていること自体に価値があったでしょうが、売れ行き好調の結果、エアコン自体はステータスシンボルではなくなりつつあると思います。要するに皆が持っている、と。そうなると、エアコンは『象徴』から『道具』にシフトするんじゃないかと、猫西は思ってます。もちろん、性能やデザインなどこだわる人はこだわるでしょう。けれど…道具ですから。要は使えりゃいい、空気が冷えりゃそれでいい、とシンプルにとらえる人も増えるのではないかと思うのです。文房具なんかもそうですね。文字を書く道具だからインクが出ればそれでいい、と100円のボールペンを買う人もいるでしょうし、ユニバーサルデザインや材質など『自分にとってより良い』『けれどその分お値段も張る』ボールペンを買う人もいるでしょう。あるいは状況に応じてそのふたつを使い分けるかもしれません。エアコンも同じで、もしかしたらお客様をおもてなしする応接間には高級性能エアコン、家族の自室は基本性能エアコンと使い分けている家庭もあるかもしれません。けれどそれを一概に『格差社会』でレッテルぺったり張って終わりにするってのは随分と乱暴な話ではないかと、猫西はおもうのです。
素人でさえこれぐらい考えるんだから、高給取りの新聞記者さまにはもっと頭を使って欲しいものです。
夏本番を前にエアコン商戦が本格化し、メーカー各社は、お掃除機能付きなどの高付加価値商品の売り込みに懸命だ。消費者の志向は高級品と低価格品に「2極化」しており、所得格差が拡大しているといわれる社会の現状を反映しているようだ。
大手メーカーの担当者は「販売面では今週末が最初のヤマ場になる」とみており「サッカーのワールドカップ(W杯)で日本が敗退したことで、家電ユーザーの関心がエアコンに向かってくれれば」と期待を込める。
別のメーカー関係者によると、フィルターの自動清掃やセンサーによるきめ細かな室温制御などを売り物にした16万-18万円の商品が人気の一方、機能を絞った5万円程度の商品もよく売れているという。 →情報源
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最近は『格差社会』がはやりなのか、なんでもかんでもその言葉でケリをつけようという記事が多い気がします。ぶっちゃけ、記者の怠慢かと。事実なら事実だけを書くべきで『社会の現状を反映しているようだ』なんて主観はいらないし、主観をもとに考察を書くのであればもっと踏み込んだ部分まで書くべきかと。このブログのような素人の考察ならさておき、それで金をもらってる人間のやることかといいたいです。
大体…エアコンの売れ筋が2極化といったって、他の理由だってあるかもしれないじゃないですか。
猫西ならまず、格差がどうこうという社会不安をあおるようなものではなく、エアコンという物自体が陳腐…あるいは一般化されてきているという観点から切り込みますけどね。要するに、『エアコン』がもはや『高級品』ではなくなってきたのではないか、と。あるいは日本で生活していくうえで『必需品』に近くなったのではないかと思うのです。
もちろん、エアコンに限らず製品はなんでもそうですけど、新しく生み出された時点では価格も高いし数も少ないじゃないですか。それが、販売数が増え製造数が増えるにつれ、定価も少しずつ下がっていく。そうするとメーカーにとってはより高い付加価値をつけることによって、より旨味を増やそうと努力するでしょうし…当然、基本性能だけのものを残しつつ高付加価値化を進めていくと、同じひとつの製品でありながら、値段・機能の上下がある、という状態になります。エアコンもそういう成熟した市場になった、と見ることができますね。
さて、これは経済的(かつ紋切り型ですが)の見方ですが、他にも心理的には…前述のとおり、『高級品』ではなくなったと見ることもできます。『憧れ』でありそれが『ステータス』だったころは、持っていること自体に価値があったでしょうが、売れ行き好調の結果、エアコン自体はステータスシンボルではなくなりつつあると思います。要するに皆が持っている、と。そうなると、エアコンは『象徴』から『道具』にシフトするんじゃないかと、猫西は思ってます。もちろん、性能やデザインなどこだわる人はこだわるでしょう。けれど…道具ですから。要は使えりゃいい、空気が冷えりゃそれでいい、とシンプルにとらえる人も増えるのではないかと思うのです。文房具なんかもそうですね。文字を書く道具だからインクが出ればそれでいい、と100円のボールペンを買う人もいるでしょうし、ユニバーサルデザインや材質など『自分にとってより良い』『けれどその分お値段も張る』ボールペンを買う人もいるでしょう。あるいは状況に応じてそのふたつを使い分けるかもしれません。エアコンも同じで、もしかしたらお客様をおもてなしする応接間には高級性能エアコン、家族の自室は基本性能エアコンと使い分けている家庭もあるかもしれません。けれどそれを一概に『格差社会』でレッテルぺったり張って終わりにするってのは随分と乱暴な話ではないかと、猫西はおもうのです。
素人でさえこれぐらい考えるんだから、高給取りの新聞記者さまにはもっと頭を使って欲しいものです。