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マハロ船長の航海日誌2

諸磯〜小網代〜油壺あたりを海上散歩する

2024/5/29
今日はマハロママのお友達を誘って海上散歩に。
できれば帆走もしたかったのですが、思った以上に風があり(6〜7m?)、帆は揚げず機走のみとしました。

ドックアウトはシングルハンドで、二人と二匹はサービス桟橋から乗り込みます。


ゲストがアリーゼに乗り込むのには、
 ①テンダーで乗り込む
 ②管理人さんにモーターテンダーで送ってもらう
 ③サービス桟橋から乗る
今日は③作戦を決行。


まずは、ぐるっと網代岬を回って小網代湾に入り、シナーラを見てUターン。
今日はヨットが2隻ほど豪快なセーリングを楽しんでました。


続いて静かな油壺湾に入り、黄色ブイに係留してみました。静かと言っても風はあるので、バウ着けは流されて失敗。スターン着けでやり直したら意外に簡単にできました。(詳しく言うと、ポート側に着けるべくデッドスローで進み、ブイがスターン真横まで来たらゴーアスターン。プロップウォーク作用でブイに近づけてボートフックでブイ確保。ママにボートフックを引っ張ってもらってるうちに、ロープをリングにバイトにとって係留完成。)


のんびりと昼食タイム。


ところで「油壺」の語源は2説あって、

 ①この地の新井城に籠もった三浦一族は、北条早雲の大軍を相手に3年間にわたって奮戦するも、1516年(永正13年)に三浦義同(道寸)を始め将兵は討死にし、残る者は油壺湾へ投身し、血に染まった湾一面がまるで油が流れるような風景であったことから、後に「油壺」と言われるようになったとされる。
 ②また、湾内の水面が油を流したように静かであったという説もある。壷という字も「壷型の入り江」のことで、これもいつも静かなところを意味している。
とのことで、私は静かな入江説に軍配が挙がるように考えますが、三浦一族の血が流れた説も歴史ロマンを感じますね。ちなみに現在の三浦市は財政難で、これは無駄な公共投資に血税を流したからだと誰かが言ったとか言わないとか・・・。

今日ものんびりとした時間を楽しむことが出来ました。ありがとうアリーゼ。


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コメント一覧

マハロパパ
行燈入道さん 
三浦半島への道路が整備されたのは、なんと先の東京オリンピック以降で、それまでは信じられないほど交通不便な僻地だったようです。葉山のあぶずりという地名も、馬のあぶみが擦れるほどの悪路だったことの名残です。
だから、三浦豪族というのはまったくの田舎侍だったのだと思います。司馬遼先生から見れば三浦豪族はたんなる"その他大勢の脇役"なんだと思いますよ。だから油壺でもそんなに血を流した武勇伝があったとは思えず、てんでんばらばらに逃げ散らかしたに違いないと思ってます(笑)
行燈入道
ヨットの固定は難しいのですね。
ボートのようにアンカー投げとけばOK
って訳に行かないのですね。確かにあんな
大きな船が、湾内でアンカー中心に周って
いたら邪魔ですものね。三浦一族と北条早雲
との戦いは 司馬遼太郎先生 の 歴史小説 「箱根の坂」
で読みました。早雲側からの視線ですから、三浦側は
良く描かれてませんでしたが、史実はどうなのか解り
ません。私もパパさん同様「静かな入江説」に一票投じ
ます。
マハロパパ
no-oneさん
カウボーイの投げ縄の要領ですかね。
今度試してみます。
1番安全な方法がいいですよね。
マハロパパ
カズさん
> 小網代シーボ沖アンカーリング派
そうなんですね。よく豪華モータークルーザーがアンカリングしてるのを見かけます。
アンカリング練習のために今度トライしてみます。
no-one
あそこのブイって、上のリングにこだわらずブイの下のチェーンに行ってこいのロープを引っ掛ける感じにすると確実に把持できますよ。
それから手繰り寄せて、ゆっくりリングに掛ければ楽ですわ。
カズ
僕は、油壺黄色いブイ係留より、小網代シーボ沖アンカーリング派😄広々しててね🎵油壺の名は三浦一族終焉の地派です😄今度ブログに写真アップしてみますね。
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