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マハロ船長の航海日誌2

帆走即是禅 禅即是帆走

〜4月8日は花まつり、お釈迦様の誕生日によせて〜 

禅とセーリングについては以前も書いたことがありますが、調べたら8年も前のことでした。→ココをクリック

当時書いていたのは、
禅といえば「座禅」だが、座禅以外にも、
・立禅 ・仰臥禅 ・一息禅 ・歩行禅 ・走行禅 ・椅子禅
というような禅の実践方法があり、
要するに、「余計なことを考えずに没頭する」ことが、すなわち「禅である」。
だとすれば「帆走禅なんてのもアリ!」じゃないか?

というようなことを書いていました。


風をみて、一心にヨットを操縦する行為は、座禅に似ているなぁ。」という考えは今でも変わりませんが、馬齢を重ね、当時よりも集中力の持続ができぬようになり、一心にヘルムをとるのはオートパイロットにまかせることが多くなりました。


オートパイロットまかせの禅などあり得ないーーー喝!
と自責の念にとらわれていたのですが、先日こんな禅語があるのを知りました。

「閑座聴松風」(かんざしてしょうふうをきく)

「閑座聴松風」の意味は、心閑かにいることで、普段は意識しないような音も心地よく聞こえてくる、というものです。
こいつを、
「閑座聴風波」(かんざしてかざなみをきく)
と言い換えてみると・・・そうです!ひとり静かにセーリングをしている時間そのものなんじゃないですか?
操舵という俗界の仕事はオートパイロットに任せて、一人静かにコックピットに座り、風の音・波の音(それと、オートパイロットのガーガー音)に耳を澄ませている状態そのものじゃありませんか!
つまり、「オートパイロットに力を借りたとしても「禅」の実践になる!邪道なんかじゃない!」・・・ワタクシはそう確信しました!(お釈迦さまも、悟りを開いた後は、苦行ばかりが能じゃなく心を安やかにしていることの大事さを説き、横になりながら弟子を説法したそうですから、凡人も少し楽させてもらっても罰は当たらないことでしょう。)


ちなみに、本船の船長は、自らの手で操舵することはなく、コーターマスターという操舵専門部員に指令することで船を動かしてます。
ヨットの艇長もオートパイロットという名のコーターマスターに操舵を任せましょう。(でも、本当は横山晃さんのサバニ船型のヨットで手放し帆走が理想なんですが、リベッチオでは残念ながらそうはいかないんですよね〜。)


閑話休題
禅寺の石庭は、庭の中に大自然を表現しているものですが、
竜安寺の石庭は、何となく伊豆七島の島の連なりに似ている気がします。なんとなくですけどねー。


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