昔が良かった。

古き良き時代というけれど。クルマ好きにとって、60年代、70年代は希望があった。

私の最後のCG誌

2015-06-30 09:55:23 | ALFAROMEO

そろそろ、引越し準備をと。

段ボール箱を買ってきて、プチプチの太巻きロールを買ってきて。

古い、本は、親父の書庫だったところにあるが、一番最新、最後の2年間ほどのCG誌は、ダイニングキッチンの端っこに、何でもかんでも置いてある本棚に。

このCG誌を段ボール箱に詰めていて、『あ、思ったより最近まで、CG誌を買っていたんだと。』 と、いうより、中学生のころより読み始めて、CG誌(当時はカーグラフィック)、オートスポーツ誌、オートテクニック誌と、3種の本を毎月、本屋が持ってきてくれていた。

創刊号から買っていたのが、オートテクニックで、この本のチューニングの記事の連載が、今の私を作ったといって過言ではない。(ちょうどラリーを、そしてダートラに、エンジンチューンを本格的にするようになっていたころのある意味バイブル本だ)

いつのころに、オートテクニックをやめたのかは、記憶に無いが、競技をやめてからというのは確かだ。また、毎月2冊発刊だったオートスポーツも、F3で大活躍だったダ・シルバが、アイルトン・セナと呼ばれだしたころに、もう必要が無くなった。

最後に残ったCG誌も、ドイツ車好きのQ編集長が、F1の解説で、規則も知らずに話をし、その場ですぐに、森脇さんに訂正されて、無知をさらし、『ああここはもう駄目だなと』
それでも買い続けたが、1750の長期テストで、OH渡しのはずのエンジンがトラブルを起こし、その記事の写真だけで、原因がわかった私は、すぐに編集部に、FAXを送って、ピストンライナーが錆びた中古品を使っていたことを指摘したが、すぐには返事が無かった。
たまたま、東京から大阪に転勤して来た客が、東京のそのOHした店を知っていて親しいとの話だったので、原因と、ひょっとすると長期保存の中古エンジンに乗せ替えたのかもということで、裏から、聞いてもらったら、車の売値が合わなかったので、店においてあった他の車の、比較的O/Hしてから、走行距離も少ない車から、乗せ替えたのだとか。
長く置いてあった車で、エアークリーナーやキャブを外したエンジンではよくあることで、シリンダーが錆びて、錆びの部分が掘れ込んで、しばらく使っていると、その部分でピストンスカートに傷がつき、ライナーもガタガタになって、クリアランスが多くなり、一気に、異音発生パワーダウンとなる。 私の工場に持ち込まれた、他店で買ったという車で、わりとよくある症状だ。

そんな記事の写真だけで、私程度のメカニックが、原因究明できるものを、大CG誌の記者が判断できなかったこと、ちょうど編集長が、海外出張のときだったので、私への返事が遅くなったがと、長野のアルファ・デイの当日に電話連絡があった。
アルファ好きの編集長との事だったので、しっかり話をして見たいと思ったが、そのときの電話のみの対応で、アルファデイには来れないとのことだった。

後日、修理が終わった1750は、もやは、エンジンO/H後、いちからやり直しての長期テストも、記事として、成り立たないと判断、担当者が責任とって、車を買い取って、個人的に使用し、ときおり、記事を書いて報告するとの事で、幕引きされてしまった。

古いアルファの長期テストは、選んだショップも悪かったし、担当記者も、エンジンに対してのそれなりの知識経験も無かったのを暴露してしまい、雑誌社としては、大恥かいたことになり、やめざる得なかったのかもしれないが、私が、写真から判断して原因とかを、文章に書いてFAXしたものを、真剣に読んでいれば、すぐに原因解明できたものを、まともな、アルファディーラーがないころに、一介のアルファショップのオールドカーの再生車を、長期テストに使用すると言う、いかにもその当時のセミクラッシックカーファンの気持ちをくすぐる、金儲けに繋がる企画だったのだろう。
うまくいけば、持ちつ持たれつ、ショップと、雑誌社のコラボだったのだろうが。

あのころから、急に、CG誌は、私の興味の世界から遠ざかっていった。
アルファロメオが好きという、編集長がいても、記事を読む気が無くなり、ただ買い続けるだけの本となってしまっていた。

オートジャンブル、オールドタイマー等の本も読んだが、ことアルファロメオに関する限り、私のプラスになる記事はほとんど無かった。

アルファロメオに関する知識のレベルが、いつの間にか私のほうが、、、、。

中学生のころから読んでいたカーグラ誌、ファミリアロータリークーペの周りには、大勢のアルファロメオの姿が映った、スパあたりのレースの写真は、まだアルファよりポルシェが好きだった学生には、自分があのアルファロメオのメカニックになるとは思ってもいなかった。(ある日、ポルシェのコレクターで有名だったT氏のガレージで、車の移動で、もと滝進太郎氏のカレラ6の運転席に座り、ハンドルを握らせてもらったときは、本当に感激だった。『そのうち、お前に、サーキットで乗せてやるよ。10のほうは、お前は突っ込むまで、スピド上げるかもしれないから駄目だけど、6なら乗っても良いから。』あの言葉を聴いたときは、さらに、心躍るひと時だった。その後、カレラ6は、滝進が、鈴鹿でコースアウト、ポルシェ本社での、高額レストアされたので、『悪いけどF,お前にもう乗せてはやれない、高くつきすぎているから』そう言われたけれど、ごくそれで当たり前と、落胆の気持ちは無かった。Tさん、あのときの言葉、本当に嬉しかったです)

当時のアルファロメオといえば、プロトタイプでは、プラクティスは早いが、レース結果は散々で、というのは、アルファロメオの33の定番だったが、どこか、ホンダのF1にも、似たパターンだった。(その点、ポルシェは、キッチリ結果で、その技術を証明していた)

まだ、伊藤忠オートの社員メカニックだったころは、CG誌は、雲の上の存在だったが、伊藤忠が無くなる寸前に、社内外注メカニックとし、社員メカニックの東京出張に、同行させてもらったときに、東京に出張するたびに、東京での上司だった、企画室の部長が、東京で一緒に企画室の仕事をした者が、CGに入ったと聞かされた。
あの日、羨ましさの気持ちとともに、CGは雲の上でなくなったと感じた日だった。

そして、関西で開催された、六甲モンテミリアに、出場する、SZ,TZのエンジンO/H、チューン、ミッション足回りのメンテを任され、片方の1台をあてがわれてのドライバーとしての出場。(鳴らし試運転を兼ねて、SZや、TZを、通勤にも使い、自宅に持ち帰った人間が、この世に何人いるだろうか)
鈴鹿サーキットのレストラン開店のイタリアンフェスタでは、当時、奈良にあった、MハウスのS氏のマネージメントで、ゴールデンウィークの3日間、鈴鹿の東コースを、真昼間に、自由に走らせてもらって、車両展示。あのTZと、SZと過ごしたころが一番楽しかった。オーナーのO氏のおかげで、普通なら、まずは乗れない車に、エンジンチューンから、ドライバーとしての起用まで、していただけた幸せは今でも忘れていない。
しかし、あの日、ピットで、TZをメンテしていると、オーナーのO氏のところに、『良い音して走ってますね』と、やってきたCGの御大は、O氏の『この人がチューンしたんですよ』との言葉に、TZのフロントブレーキをペーパーで研磨する私を見下したような目で、『コイツか』といっていたように感じた。
(心の中で、私は、『アンタの101エンジン乗ったSZと違って、こちらは、パーツの一つ一つに一連番号まで入った本物のエンジン750の、正真正銘のコンレロチューンだったものを、わたしが、心を込めて再チューンしたものだ。オーナーには、7500RPMまでと、いっているが、私は、メーター読みで8000で走っているし、8500まではテスト済みのエンジンだ。
町乗りもするので、カムは抑えてあるが、フルスロットルでストレートマフラーなんだから、いい音で回るのは当たり前だ、安心してフルスロットルできるエンジンなんだから。』そういいながら、次の走行に向けて、ブレーキメンテをする私だった。)

ソレニシテモ、S氏と一緒に、何度か、顔をあわせているのに、自分の車より、よい音で走るエンジンを作った私に、そしてそのSZ,TZに嫉妬しているかのごとくだった。(それは、後で、オーナーのO氏も感じ取っていたと話していた)

自分のメカニックとしての自信が深まるたびに、あの、車好きの少年だったころの、憧れの雑誌だったものが、孤高の存在から、無用の長物への落ちていくのが悲しかった。
それも、雑誌の記者が変わるたびに、どんどん落ちていくのが、、、、、。
(私は吉田匠氏を、手放すべきではなかったと、ずっと思っている。あのS800が、筑波の最終コーナーのシフトダウンのところで、ガードレールの向こうに飛んだのを、インフィルードにいた私は目の前で見たが、ここまで踏める、ドライバーであり、テスターであり、編集記者であり、ライターであった人材を手放したCGはそれだけで、魅力が半減したものだった)

 

あらためて、段ボール箱に入った、最終のCG誌を取げて見ると、表紙には,ブレラの後姿が。

記事を読むと、さすがに、CG誌。 買いたくなるような、そんなうまい表現だ。(このころのCGの記事は初めて読んだ。そう、買うだけで本棚の肥やしになっていたころのCGだ)

しかし、私は、巾の広い、大排気量の車は好きではない。

あの156でさえ、1ヶ月乗ったら、嫌になり、手放した人間だ。

雑誌の記事に惑わされることはないだろう。

 走る媚薬 アスカと栩内を、コマーシャルに起用すればピッタンコ(笑)


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (修理屋35歳)
2015-07-01 13:47:51
車関係の雑誌は全く読まなくなりました。たまに立ち読みするくらいです。買うとすれば自動車工学くらいでしょうか。
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Unknown (管理人@走るゴミ箱)
2015-07-01 19:11:15
修理屋35歳さま>

自動車工学ですか。
私も以前はよく読んでいました。
1世代若い友人のメカニックも読んでいます。

私の場合、ロメオ専門なので、BMWや、ベンツ、VWのことはたまに載っていても、ロメオほどマイナーになると、整備関係で記事になることはまず無いので、いつの間にか読まなくなってしまいました。

また一度、本屋で、読んで見ます。
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データベースとしちゃあ (親分)
2015-07-02 07:23:04
CGをずっと手元に置いていましたが、買わなくなって、もう、20年近くになります。中身が無くなり、試乗記の燃費データに捏造が疑われるようになり、フルテストも無くなり、パーツ自作の参考にもならなくなって、
吉田さんの微妙なブルーのS800マシーン製作記などは、妙に覚えていますし、、
某編集長のアウトバーン三車線大ロールテストを自慢げに語る記事や、、
初期のフルテストの総集編とかまであったんですけれどね、、、
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Unknown (修理屋35歳)
2015-07-02 13:51:26
確かにそうだと思います。
自分たちのような車種、メーカーが限定的ではない場合、とても役に立つ本だと思います。整備事例は参考になるし、新型車の解説やその他の内容もとても参考になります。
そう考えると、メーカー別のもっと深く突っ込んだ本は、少ないというかないに等しいと思います。とても残念です。日本にはクルマ好きのための本が大半を占めてる気がしますが、海外では、もっと分野が細かく分かれ、アマもプロも関係なく読める内容の濃いものが少なくないと思います。
ある意味、本屋さんで手に入らなければ、インターネットで複雑なな内容を解説しているサイトもありますし、海外から本を取り寄せてもいいわけですから、考え方を変えればいいだけなのかな?とも思ってしまいます。
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車の『暮らしの手帳』 (管理人@走るゴミ箱)
2015-07-02 20:44:05
親分さま>
 
初代編集長は、その昔、車の『暮らしの手帳』を目指してとか、言われていたはずですが、いつのまにやら、大衆のための暮らしの手帳じゃなくって、金持ちだけの暮らしの手帳になって、高級志向(さすがの出のよい方、御曹司だけに、庶民はほったらかしに) GTRのテストでは、排気量アップのショップの手助けまでしたり、ドイツ車褒め称えて、ドイツ車扱いの会社にリクルートする編集部員とか、どんどん気品の無い成金相手の車雑誌になっていったようで。読むところが減って、というか読めるところが減って、広告ページを買っているような本になってしまって、カーグラも、『昔がよかった』ですね。
あの本は、バブルのころに、悪魔に魂売ったのかも。そういう感じがします。

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『自動車工学』は (管理人@走るゴミ箱)
2015-07-02 20:50:55
修理屋35歳さま>

あの本は、スタンス変わらないですね。
立派だと思います。

イギリスあたりには、メカニック、ハイアマチュアともに使える、メンテナンス本がありますよね。

やっぱり車の歴史の差なのかな?
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随分薄くなりましたね (にゃむ)
2015-07-03 00:28:06
ユーザー視点かメーカー視点かの違いかと。

海外であってもスポンサーと出版社の関係は変わらないかと思いますが、書籍の流通方式の違いでメーカーに配慮した記事しか書けないような話を聞きました。

自動車に限らず読者の方を向いてないんじゃそりゃ売れなくも成ります。
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Unknown (修理屋35歳)
2015-07-04 13:08:52
内燃機の発明や自動車の普及までの時間に、に日本と差がありすぎるのはひとつあると思います。
車検制度や修理、定期的なメンテナンスに対する考え方が、国によってユーザー個人に対する比率が高いのかプロに任せることが一般的なのか、その辺も含めると、一概に普及が早かったか遅かったのかだけではないのかもしれません。
日本国内での『自動車』というカテゴリーに対する考え方が変わっていかなければ、◯◯専門誌という枠の中でも、内容が薄いなって感じるもののレベルが上がることもないだろうし、それに変わって他からもっと良いものが出るとも思えません。
プロ向けの専門書が並ばないのも、日本のメカニックの技術レベルに比例するものではないかとも思います。残念ですが。
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