昔が良かった。

古き良き時代というけれど。クルマ好きにとって、60年代、70年代は希望があった。

車離れと、最近のカーデザイン

2012-03-24 00:45:36 | その他

「若者の車離れ」というのを、よく耳にするが、若者だけでなく、車離れは社会現象であろう。

少子化というのが言われるようになって久しいが、人数の多い団塊の世代に車が普及していった時代は、いやでも車は売れた。 今は、その団塊の世代が、郊外の戸建てより、都会のマンションが便利で経済的だと、駅近くのマンションに住み、車を手放したり、小型車に乗り換えたりしている。 若者の車離れだけではなく、今まで一番車を買ってくれた団塊の世代の車離れである。

 

最近の車は、デザインが悪い。

技術的には、先進国の車は、どこの会社の車でも完成の域に達している。
技術的な差がなければ、あとはデザインと、コンセプトで選ぶことになる。

しかし、普通に優しい気持ちで乗れるデザインの車がない。

そろいもそろって、爬虫類のような眼をして、バックミラーに映ったときに、いかにもドケドケと言っているような、おどろおどろしい顔つき。
乗り心地の悪い、タイヤメーカーだけが喜ぶ馬車のような大径ホイール。
重くて、抵抗が多い太いタイヤ。それを補うための大排気量エンジン。
いくら、希薄燃焼で、実験数値的に燃費が良くても、実際に使用するほうから見ると、車が大きく重くなった分だけ、燃費は経済的とは言えないのが現状である。

その昔、見た目はファミリーカーで、中身はスポーツカーに仕上げた車を、羊の皮をかぶった狼といったものであるが、現在の車を見ると、インベーダーかエイリアンの操縦する宇宙船もしくは、ステルス戦闘機というイメージである。
一部、写真ではかわいらしいイタリア車もあるように見えるが、現物は背が大きくて、ブカブカ。。。ロリータエロビデオのおばはん見てるような感じである。

その昔の、ピニンファリーナやら、ジウジアーロのデザインのような、優しくて美しい、キュートなデザインはもう描けないのだろうか?
(そういえば、イタリアンデザインとは、イタリア人がデザイナーだからだと思っていたのですが。いつの間にやら主任デザイナーが流れ者の日本人だった、あの車がイタリアンデザインと言われるのは不思議です。私には、トニーサウスゲートあたりのデザインしたレーシングカーのパクリのようにしか見えない。初めて見たとき、なんでこんなデザインでと思ったが、後で主任デザイナーが、日本人とNHKのテレビで知って、納得したのですが。)

70年代の、ピニンファリーナ、ジュージアーロ、ミケロッティ、ザガート等。そしてアメリカでは、ビル・ミチェルの世界。(ファイアーバードⅣ、そしてマコシャークⅡ)

デザイナーとは夢(未来)を売る商売である。
現実のレーシングカーのパクリでは情けない。
いかにも子供のころ、ガンダムや、スターウォーズを見て育ったデザイナーの、デザインは、脅しだけが勝負で、スリムでスマートな知性に欠けるものだ。

美しく、すがすがしいデザインはもう枯渇したのだろうか?

 

どこが省エネ?

車は、年々肥大化の一途である。
確かに、作るほうからすれば、大型車で、至れり尽くせりの高級車を売るほうが1台当たりの利益率が高いのはわかる。
しかし、有名スポーツカーまで、重く大きく、大排気量になると、興ざめである。

70年代、OILショックと、マスキー法のために、あの恐竜と言われたアメ車が、サイズダウンした。特に排気量ダウンは、ある種の革命だった。

だが最近の、欧州車、日本車は、どんどん肥大化し、一部の車はかつてのアメ車のようになっている。
大衆車ですら衝突安全の理由付けで、ボディ肥大化し、その割に車内は狭い。おまけに、いたるところにエアバッグやら、フルオートエアコンやら、重くなる一方である。反面、ボディシェルは、ある一定の衝突安全基準に合致すれば良いように、軽量で解体プレスしやすいように、設計される。事故で、クシャクシャになるわけである。
車が事故するときは衝突安全基準テスト方法どうりに当たるものではない。
そもそも、当たることを前提に、エアーバック満載って、おかしいと私は思う。

犬も歩けば棒に当たる。
車も走れば事故にも会うこともある。
だからと言って、やたらと安全装備付けて、重くして、加速を悪くし、ブレーキの利きを悪くし、ハンドルのフィーリング悪くしたりすれば、それだけでドライブの楽しさは激減する。

そんな車を運転していて楽しいはずがない。
そんな車を欲しいと思うはずもない。

車を買う年齢層の人口減少。 買いたいと思うような車を作らないメーカー。若者が買える値段の車を作らないメーカー。 販売台数の減少は、当然である。

さらに大衆車が、海外生産で後進国からの逆輸入車となり、日本人労働者はリストラしておいて、日本国内で車売れないのは当たり前、雇用なくして、収入はない。収入なくして消費は無い。

外国に身売りした日産は、仕方がないとしても、他の国産メーカーは、の本の労働力を捨ててまでの逆輸入だけは避けるべきである。


飽和状態の世界

2012-03-21 10:55:51 | その他

 

50年代から、70年代までの日本は、戦後復興の波に乗り、上昇機運、明るい未来に希望が満ち溢れていた。

その目標は、ヨーロッパ諸国ではなく、アメリカだった。

子供のころ、まだ我が家にはテレビがなく、近所でいち早くテレビを買ったお向かいの家に、毎日のように見せてもらいに行ったものだ。

子供のころに見たアメリカからの輸入番組では、大量生産、流れ作業、郊外の広い戸建。
アメリカは夢の国、理想の国と感じたものだ。 

そして、まだ戦後復興=発展途上国だった日本は、この世は発展以外何もないと、皆が思い込んでいた時た。

そんな希望の時代に育った私も理科の実験で、飽和状態というものを習った。

 

今の日本 それは飽和以外の何物でもない。

日本だけではない、先進諸国はすべて飽和時代に入っている。
成熟の果ての飽和状態である。

 

右肩上がりの経済は、発展途上国では、よく見られるが、成長した先進国家においての右肩上がりの成長などありえない。地球という器の中で、人間という動物だけが、経済活動というものを行っている。地球資源を食いつぶしながらの無限の経済成長が、続くわけがない。

そう、経済学とは、行き着くところ、ネズミ講と同じで、見方を変えたり、言い訳を変えたものが、新たな経済学として、学者と言われる錬金術師氏によって発表される。
しかしそれはやがて化けの皮がはがれて、崩壊する。

経済は輪廻転生右肩上がりの成長は、発展途上国の話で、成熟した社会において、右肩上がりはあり得ない。
成熟しきった経済は飽和である。
本来の正しい経済は、平等な物々交換が基本である。
絵空事のマネーゲームであってはならない。

 飽和に達した経済は、ブレイクしなければ、新たな発展はない。
あってはならないことだが、一番簡単な経済停滞の解決方法が戦争である。

 1950年代から70年代の日本の発展は、太平洋戦争からの復興で、その時期に都合の良いことに、朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があった。敗戦国日本は、憲法で武力を放棄しており、これらの戦争に参加することなく、経済的恩恵を受けた。

 その時期は、丁度団塊の世代が、社会に出てくる時期と重なるのである。
戦争で、焼け野が原になった日本で、一部力のあるものが権力を握り、右肩上がりの経済成長を下働きで支えたのが、集団就職等で都会に出てきた団塊の世代である。

 会社の上司は、右肩上がりの成長を、販売の者に課すが、その上司は、個人的消費では右肩上がりの消費はしない。
モノがない所に、モノを与えれば、我先にと、とりあう。それは全員に一巡するまで、右肩上がりの需要になる。そんなのが経済というのではない。それはネズミ講とおなじで、やがて行き詰る。

 金融機関とて同じ方法で、成長してきた。
銀行は、必ず自分だけが儲かる相手にしか、融資せず、本当に困っているものには、銀行の配下の、金融機関から高利で借りねばならないようになっている。

当然大手が勝つ社会である。
大手銀行で、支店長クラスになった人間でさえ、今の銀行は、万が一の時に政府の後ろ盾のある高級高利貸しだという。

大国ゆえの都会と田舎の貧富の差から、いまだに発展途上国という大国。
もはやF1にも進出してきた、発展途上国。

これらの国も、やがて飽和状態になるだろう。
モノをよそに売りつけることによって成り立つ今の経済社会。

何も、自由主義、資本主義が悪いと言っているのではない。
無秩序な独り占めが悪いのだ。

先物買いや、投資ファンド、絵空事の世界。こういうものを、野放しにしていることが今の資本主義の悪い点なのだ。

法治国家で、法の下の平等というが、法というものは、作られたものであって、人間の倫理ではない。誰かが都合良いように決めた事柄が法なのだ。法律が正しいということはない。悪法でも法は法なのだ。

野放しの法治国家、資本主義社会は、エゴの塊以外の何物でもない。
ある意味、封建社会、君主国家と同じである。

 

一部のスポーツでは、口先ではノーサイドという言葉を言うが、スポーツにおけるサポーターが殴り合いのけんかをするのもよく見る。口先だけの平和なのだ。

 

 

 

 

貧富の差があるからの経済社会など、人間の経済ではない。
それは侵略者としてのエゴの経済だ。
経営合理化、人件費削減だけが目的で、国内雇用は無視して、グローバルとかわけのわからないこと言って海外の安い労働力だけ求めて海外移転する売国奴の経営者たちと、そのつかいっぱしりたち。

地球資源を掘り尽くして、次は月の資源だ、火星の資源だとのたまうバカ者たち。
自然の法則無視して、人間の将来はない。
人間はこの地球で生かされているのだ。

 

エゴ同士の衝突。

それは近い将来戦争に発展するだろう。

大国のエゴで、核兵器の開発阻止なんて、持つものを持った先進国の倫理である。

先進国が、そういう態度である限り、テロもなくならないし、核戦争の危険もなくならないだろう。文明の後に砂漠が残る

 

 その日はもう近いのであろう。

イナゴが、大量発生し、やがて色が変わり肉食化して、滅びるように、人間社会も、何度目かの滅亡の時期に来ているのかもしれない。

未来の人たちもまた、滅んでしまった今の我々の文明を、OO文明と呼ぶのだろうか?


日本の政治?経済?

2012-03-13 05:05:06 | その他

長らく国営であったJR、郵政、道路公団、多くの公営事業が、民営化され、株式会社組織にされて久しいが、これらは、本来、国営にて日本国民平等に供されるものでなくてはならない。 いち大会社の独占事業であってはならないものだ。 

本来国が管理すべきものを、ほったらかしにするから、今回の東電のような、横柄な態度の者があらわれるのだ。(東日本大震災における原発事故は、独占大企業のエゴのもと、結果的自己責任を負わねばならない経営陣の無料奉仕や、社員の高給を削減するのではなく、消費者への値上げだけで、賠償金を捻出しようとしている。)

 

電気事業、ガス事業、道路事業、逓信事業等、大規模事業で、国民生活に影響が多大なものは、国営であって、何ら問題でないと私は思う。いや、国営であるべきだ。
全国、津々浦々まで、平等に通信できる権利や、交通手段の確保、電機やガス等生活必需品の確保は、国の責任である。また国立大学、国立病院等も当然必要である。
(国の事業としてこれらがあるのを承知の上で、宅配、メール便等のように、個人会社が参入しても、それはそれでかまわないのだが。一部の者の利益のための、郵政民営化は、あってはならないことだった。)

また、国営事業は、公僕たる国家公務員により運営されなくてはならない。公務員が、営利目的企業のように、高給であったり、ボーナスがあったりしてはならないと思う。公務員、公僕たるものは、その人間性と、生涯の生活保障がなされるなら、それ以上を求めてはならないと思う。ボーナスが欲しいなら、民間の営利企業に勤めて、黒字に応じてのボーナス要求をすればいいのである。

 

もし、国が本気で雇用先を確保したいなら、高速道路の料金所や、駅の改札を、すべての自動機を、人間に戻せば、それだけでも仕事が増える。
組織としての利益を求めて、経費削減、人員整理は、国として必要な経済社会を壊すことになる。
利益追求で、人件費削減、仕事の機械化による雇用の減少は、労働力不要ということである。
人件費削減が大切で、雇用が必要ないなら、少子化でも問題ではないはずである。

しかし、自分勝手なもので、合理化で人件費削減しても、自分が年金もらうためには、若い者に数多く働いてもらわないと困るのである。
正規従業員へらし、給料減らしておいて、消費だけしてくれ、年金の捻出してくれと言いながら、年寄りは左うちわで、マネーゲームで、ばくち打ち、損失出しても知らんふり。

そんな矛盾を、何とも感じない企業の経営者や政治家がいるから、この国はだめなのだ。

経営合理化の先に、国民すべての幸せはない。
合理化の先には、一握りの貴族と、大勢の奴隷と化した民衆しかいない。

「モダンタイムス」

 

営利目的の民営企業が、より安い労働賃金を求めて、非国民として海外に事業展開するのは、たしかに勝手である。しかし、創業者の奥方の実家の事業まで、他国に売り飛ばす、どこぞの会社の今の経営陣は、どういう心理なのか私にはわからない。 

大手の電気製品製造会社の中には、下請けに融資するからと過大な投資をさせて、自分の意のままにし、具合が悪ければ、仕事を減らして倒産させたり。具合よく儲けが多いと、その会社に増資言って、取り込む。
下請け泣かせOOOOなどが典型である。

ある政経塾出身の政治家は、ガセネタ振りかざして、ドヤ顔した恥ずかしい過去があっても、平気な顔で国会にいるし、貝割れ騒動で、お遍路さんした男は、東日本大震災の原発事故でも、お遍路さんでごまかそうとして議員に居座り続けている。
次の手もないのに、沖縄県外約束したボンボンは、何できないのに、いまだに国会議員でいる。おまけに、彼は、石油から作られる製品の大株主の家柄で、その恩恵を最大限に受けながら、その企業の首を絞めかねないCO2削減約束など勝手な発言して、尻切れトンボで。

原発事故では、事故起こした設備も、何もかもが、前政権党のときのものであるが、野党になり下がった今、まるで自分たちに関係がないように批判する。
こんな政権に任せておいては日本に将来はない。

いくら、日本の領土を主張しても、すでにその島に上陸し、住居まで建設されると、事実上は住んだもの勝ち。それは日本の民法だって、そういう判決になっている。
隣国が領土を侵してくるなら、それは守らねばならない。

戦争放棄の憲法であっても、自衛権はある。そのための自衛隊もある。
沖ノ鳥島南小島が、日本領土で、経済水域を主張する勇気があるなら、なぜ、竹島問題を、尖閣諸島を灰色にするのか? なぜ条約破棄してまで、瀕死の日本に宣戦布告し、北方4島を、ハイエナのごとく横取りした国と対等に話出来ないのか。

要するに日本は、エネルギー問題で、近隣国、特に大国とは、大きな態度で話しできないのである。(それは太平洋戦争に至ったころと、状態は同じである)
確かにエネルギーを求めての、大陸進出、南方諸国への進出は無謀であったが、当時、すでに、同じことを、ヨーロッパの先進諸国はそれをやって、東南アジアを植民地としていた。
日本だけが、侵略者として、近隣諸国から非難される理由は何もない。

戦後の決着は、とうの昔についている。
同じ国が、政権が変わるたびに、OO問題の決着をと言ってくるのは、なめられている証拠である。
日本からの
謝罪の言葉を受け、戦後は終わったと高らかに宣言した大統領もいた。
その隣国から、若かりし頃日本で学んだはずの大統領が
新たに領土問題が、慰安婦問題が。。

ようするに、今の日本の政治家は、他国から、なめられているのである。
民衆による革命で手に入れた政治でないのが日本の弱みである。

新たに名乗りを上げた、政経塾がいくつかあるが、マネしたではなく、独りよがりの売国奴ではなく、まともな政治家を生むそんな人たちであってほしいものだ。

 

 


痛し痒し、リプロパーツ

2012-03-03 01:30:34 | ALFAROMEO


バルブガイドの入れ替えで、内燃機屋さんから、帰ってきた、ヘッドを、さっそく点検。

寸法測定して、唖然!!

即刻、内燃機屋さんに電話して、いつもの指定寸法に出来上がっていないと文句を垂れる!!

同じ職人が、同じように仕事しているのに、なぜ今回だけこのようなことになったのか。

純正、外品にかかわらず、今まで、バルブガイドの寸法的な不満は一切なかった。今回、送ってきたバルブガイドは、明らかに外品だったが、当然、今までと同じ寸法で、できているものと思っていた。(こんな簡単な旋盤作業だけで作られているパーツが、メーカーの寸法どうり出来ていないとは。  信じられない程度の低い輸入品だ。何年か前の東洋の大国からの輸入品程度の品で、安かろう悪かろうである) 

そう言えば、つい最近も、新品のシリンダーライナーを寸法測定すると、メーカーの最大値以上で、上下、縦横の寸法もばらばらで、ひどいものが売られていたが、今回のバルブガイドも、同じルートからのものである。

通常、当方が、バルブガイド交換を外注作業にだすときは、持込みするガイドの外径の寸法点検と、エンジンの仕様ごとに異なる、ガイド長さと、セット高さの指定である。内径は特に点検せずとも今までは大丈夫であった。
というのも、バルブガイド単体では、バルブステムが通るのは当たり前で、単品測定は意味がない。ヘッドに打ち込んだ時に、締め付けられて、内径が縮まるので、ステムが通らなくなる。それをリーマーで拡大して、希望のクリアランスに調整するものだ。
もちろん、このクリアランスは、メーカー指定値があり、一般的にはその寸法で仕上げるが、当方では、経験上より良い独自の寸法に指定して、仕上げてもらっていた。

今回のモノは、メーカーの指定寸法ギリギリであり、バルブガイド入れ替え作業していた内燃機屋さんのいつもの職人も、ガイド入れ替えし、修正しようとした時に、いつもの当方の指定の寸法に仕上げられないことに気が付いていたらしい。
ただ、ほかの工場の仕事の時の寸法は、何とか出ているので、「今回はえらい寸法管理が甘いな」と思いながら、当方に出荷したようだった。(部品持込みなので、私がその事を承知の上での持ち込みと思っていたらしい)


メーカー指定値は、9.015までOKですが、ガイドクリアランスで0.01クラスの違いは、大変大きな差なのです。

写真は、当方のバルブシートカッターのパイロットシャフトを入れての寸法測定しているところで、このシャフトが入っているということは、、、、、メーカー値をご存知の方なら、お分かりだと思います。(私の持っている何本かのパイロットシャフトの一番太い寸法のものです。)
今後は、バルブガイドも、製作しなければならないかも。
もっとも、より高いレベルのチューニングでは、8mmステムのバルブも、そのバルブ対応のガイドも、オリジナルで制作しているので、作ることには問題ないのだが、値段が。。。。。

前の、ライナーと言い、今回のバルブガイドと言い、安かろう悪かろうの見本である。

 

今回は、新品バルブを使うので、クリアランス的には、メーカー最大寸法をギリギリクリアーで、このまま組み立て作業に入る。
(本来の寸法の品なら、ガイド入れ替えだけで、バルブは元のものを、フェースカットして、安く仕上げることもできるのだが、リーマで内径調整のできない今回のようなバルブガイドでは、それは不可能である。結果として、バルブも新品ものを要することになり、安いガイドを使うメリットはない。また、当方のように、そのエンジン仕様によって、寸法を変えて耐久性と性能向上を求めることは、できないことになる。これは、ユーザーにとって、大きなマイナスだ。
 ただ、今回は、セミチューンなので、最初からバルブは新品を使う予定だったので、あまり問題はない。

せっかくのエンジンOH。 
料理と同じで、よりおいしい、より良いものを作るには、より良い材料が求められる。

腐った魚で、刺身を作れ、やれた野菜で、ナマサラダを作れと言われても困るのである。

O/H後にトラブル出すのは、調理人が食中毒出すのと同じこと。

自己満足の見た目の美しさを求めるより、内に秘めた技術、味付け、そして何より、素材を選ぶ目が大切だ。