「若者の車離れ」というのを、よく耳にするが、若者だけでなく、車離れは社会現象であろう。
少子化というのが言われるようになって久しいが、人数の多い団塊の世代に車が普及していった時代は、いやでも車は売れた。 今は、その団塊の世代が、郊外の戸建てより、都会のマンションが便利で経済的だと、駅近くのマンションに住み、車を手放したり、小型車に乗り換えたりしている。 若者の車離れだけではなく、今まで一番車を買ってくれた団塊の世代の車離れである。
最近の車は、デザインが悪い。
技術的には、先進国の車は、どこの会社の車でも完成の域に達している。
技術的な差がなければ、あとはデザインと、コンセプトで選ぶことになる。
しかし、普通に優しい気持ちで乗れるデザインの車がない。
そろいもそろって、爬虫類のような眼をして、バックミラーに映ったときに、いかにもドケドケと言っているような、おどろおどろしい顔つき。
乗り心地の悪い、タイヤメーカーだけが喜ぶ馬車のような大径ホイール。
重くて、抵抗が多い太いタイヤ。それを補うための大排気量エンジン。
いくら、希薄燃焼で、実験数値的に燃費が良くても、実際に使用するほうから見ると、車が大きく重くなった分だけ、燃費は経済的とは言えないのが現状である。
その昔、見た目はファミリーカーで、中身はスポーツカーに仕上げた車を、羊の皮をかぶった狼といったものであるが、現在の車を見ると、インベーダーかエイリアンの操縦する宇宙船もしくは、ステルス戦闘機というイメージである。
一部、写真ではかわいらしいイタリア車もあるように見えるが、現物は背が大きくて、ブカブカ。。。ロリータエロビデオのおばはん見てるような感じである。
その昔の、ピニンファリーナやら、ジウジアーロのデザインのような、優しくて美しい、キュートなデザインはもう描けないのだろうか?
(そういえば、イタリアンデザインとは、イタリア人がデザイナーだからだと思っていたのですが。いつの間にやら主任デザイナーが流れ者の日本人だった、あの車がイタリアンデザインと言われるのは不思議です。私には、トニーサウスゲートあたりのデザインしたレーシングカーのパクリのようにしか見えない。初めて見たとき、なんでこんなデザインでと思ったが、後で主任デザイナーが、日本人とNHKのテレビで知って、納得したのですが。)
70年代の、ピニンファリーナ、ジュージアーロ、ミケロッティ、ザガート等。そしてアメリカでは、ビル・ミチェルの世界。(ファイアーバードⅣ、そしてマコシャークⅡ)
デザイナーとは夢(未来)を売る商売である。
現実のレーシングカーのパクリでは情けない。
いかにも子供のころ、ガンダムや、スターウォーズを見て育ったデザイナーの、デザインは、脅しだけが勝負で、スリムでスマートな知性に欠けるものだ。
美しく、すがすがしいデザインはもう枯渇したのだろうか?
どこが省エネ?
車は、年々肥大化の一途である。
確かに、作るほうからすれば、大型車で、至れり尽くせりの高級車を売るほうが1台当たりの利益率が高いのはわかる。
しかし、有名スポーツカーまで、重く大きく、大排気量になると、興ざめである。
70年代、OILショックと、マスキー法のために、あの恐竜と言われたアメ車が、サイズダウンした。特に排気量ダウンは、ある種の革命だった。
だが最近の、欧州車、日本車は、どんどん肥大化し、一部の車はかつてのアメ車のようになっている。
大衆車ですら衝突安全の理由付けで、ボディ肥大化し、その割に車内は狭い。おまけに、いたるところにエアバッグやら、フルオートエアコンやら、重くなる一方である。反面、ボディシェルは、ある一定の衝突安全基準に合致すれば良いように、軽量で解体プレスしやすいように、設計される。事故で、クシャクシャになるわけである。
車が事故するときは衝突安全基準テスト方法どうりに当たるものではない。
そもそも、当たることを前提に、エアーバック満載って、おかしいと私は思う。
犬も歩けば棒に当たる。
車も走れば事故にも会うこともある。
だからと言って、やたらと安全装備付けて、重くして、加速を悪くし、ブレーキの利きを悪くし、ハンドルのフィーリング悪くしたりすれば、それだけでドライブの楽しさは激減する。
そんな車を運転していて楽しいはずがない。
そんな車を欲しいと思うはずもない。
車を買う年齢層の人口減少。 買いたいと思うような車を作らないメーカー。若者が買える値段の車を作らないメーカー。 販売台数の減少は、当然である。
さらに大衆車が、海外生産で後進国からの逆輸入車となり、日本人労働者はリストラしておいて、日本国内で車売れないのは当たり前、雇用なくして、収入はない。収入なくして消費は無い。
外国に身売りした日産は、仕方がないとしても、他の国産メーカーは、の本の労働力を捨ててまでの逆輸入だけは避けるべきである。