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映画「裁き」de BAR・雑感

2017-10-21 | 映画系


映画「裁き」での言論カフェ。
チャレンジでした。
これまでにないチャレンジだった、と見終わって誰もがそう思いました。
何せ、だいたい皆、寝たそうです。
かくいう僕も、昨夜いっしょに観に行った相方は最初から最後まで爆睡。
見ていない人よりも説明できないほどの睡眠導入剤だったようです。

それでも、必死にみんななんとか言葉を紡ぎました。
インドの司法制度の前近代性、詩人の歌声のすばらしさ・・・
でも、あとは何もない。本当に何も言葉が出てこない。
圧倒的に何も残らない。
映画のもともとのタイトルは「court」。
つまり、「法廷」。
こっちの方であればまだ、法廷を描いた作品として解釈が可能だったかも。
そもそも宣伝のキャッチフレーズが巧みすぎだ。
あれなら、誰でも不条理な罪状で翻弄される人間の闘いを描いたものと思い込むじゃないか。

むしろ、これで何があるのかを教えてほしい。
インドのカースト制のひどさ、裁判の緩さ、不条理さ。
そんな陳腐な言葉で何とか意味づけようとしても、そこからするりと抜け落ちる何かがあるようで何もない。
いちおう、パンフレットを紐解いてみた。
なるほど、もっともらしいことは解説してある。
けれど、So what ? 
困り果てた挙句、ただの飲み会になった。
「三度目の殺人」の方がよほど語れたかな。
映画って難しいね。

その後、2次会で、大人になれば自然に幸福になれるのか?幸福だと思える瞬間なんてほんの一瞬じゃないか、だとすれば生きているって何なんだ。
人生を振り返ると、あっという間に過ぎ去る速さに驚きを覚えるとともに、生きている実感を得られる瞬間のはかなさにぞっとする話。
それと人生で最も輝いた瞬間はいつだったか、そんなこと自分で決められるのか、そんな哲学チックな議論になった。
もちろん映画とは何の関係もない。
が、よほど話が盛り上がった。
でも、映画に強引に重ね合わせれば、冤罪を被った主人公の人生って何だったのか、と問えなくもない。
どうでもいい、雑な司法制度に翻弄され、ああやって人生はいつの間にか消耗して終わる。
自分の力では何とも制御できないものに翻弄されながら、たらい回しにされながらいつの間にか人生の不条理と何の変哲も高揚もない日常の混在の中でい生は自分ではないものに巻きこまれつつ、翻弄されつつ、無感動のままにぐるぐる永劫回帰する。
なんか、そんな虚無的な力を入れることの無意味さを映画に感じながら、仲間と人生の意味を語り合いつつ夜が更けていったのだ。
(文;渡部 純)








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