ぶら~り相模の国

信州生まれの勘太郎、のんびり人生

令和になって初めての終戦の日

2019年08月16日 | 日記
昨日は令和になって初めての終戦の日でした。政府主催の
全国戦没者追悼式が開かれました。
戦没者追悼式は国内だけでなく世界の各地でも行われている。

フィリピンでも大使館主催で毎年開催されている。
フィリピンでは日本人はもちろんフィリピン人も多くの
犠牲者が出ている。

ラグナ州のカビンティ町にある「カリラヤ日本人戦没者慰霊園」
でも15日に慰霊祭が行われました。日本大使館主催の
日本人戦没者慰霊祭が開かれ約300人出席したとの報道がありました。













以下は現地の今朝(8月16日)マニラ新聞の報道です。

太平洋戦争の74回目の終戦記念日の15日午前、ルソン地方ラグナ州の
カリラヤ慰霊園で戦争中にフィリピンで命を落とした戦没者を追悼し、
日比両国の友好・平和を願う「日本人戦没者慰霊祭」が開かれた。

在比日本大使館の主催で、マニラやバギオ、ダバオの邦人団体や戦没者の遺族に、
同州カビンティ町のアラントリー・アロヨ副町長も加わり、前年を上回る
約300人が出席した。
 
晴天の下、カリラヤ湖を見下ろす会場で、マニラ日本人会の清水光彦会長が
追悼の言葉を述べた。その後、1分間の黙とうが行われた。
 会場では、ドゥテルテ大統領の追悼メッセージを伊従誠公使が代読。

大統領は「比の立場は明快だ。国策としての戦争を拒否し、人々に苦しみを
生む侵略行為を非難する」としたうえで、「この歴史的な機会に、
両国の親善と和解を再確認したい。日比関係は今かつてなく強固な基盤の
上にある」と述べた。
 その後で「ふるさと」の合唱の中、それぞれが故人への思いを胸に、
慰霊碑に向けて花を捧げた。
 
 羽田浩二大使は閉会のあいさつで「先の大戦では50万人余の日本人、
100万人を超える比人が命を落とした。飢えや病をわずらい、
再び祖国の地を踏めなかった人々のご無念を思い、万感胸に迫るものがある。
令和という新たな時代を迎え、われわれが今日享受している平和は、
戦没者の方々の尊い犠牲の上にある」と、平和への誓いを述べた。
 
 比日系人会連合会会長で日系3世の山之内マリャリさんも、娘を連れて
追悼の場に加わった。前日にダバオからマニラ入りし、この日に臨んだという。
 
 カリラヤ日本人戦没者慰霊園は、比政府が用地を無償提供し、
日本政府が建設費用を出して1972年に建設された。
慰霊祭は翌73年から続いている。2016年1月29日には、
当時の天皇皇后両陛下も同地を訪れ、比での戦没者の遺族やレイテ戦を生き抜いた
元日本兵の男性らと30分以上も言葉を交わしている。
(マニラ新聞記事の抜粋)


隣の町のパグサンハンは川下りは有名で一度訪れたことがある。


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