最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●マガジン(2-26)先取り版(1)

2010-01-26 07:32:24 | 日記
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     2月   26日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人生の正午
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満40歳前後を、「人生の正午」と呼ぶ。このころから、人は、老後の準備を始める。つ
まり「死」という限界状況の中で、自分のすべきことを模索するようになる。(したいこ
と)ではない。(すべきこと)を、だ。その準備を怠ると、その人の老後は、あわれで、
みじめなものになる。孫の世話、庭木の手入れ、旅行ざんまいの生活が、けっしてあるべ
き(老後の生活)ではない。

●「だから、それがどうしたの?」
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(したいこと)と、(すべきこと)の間には、大きな距離がある。それがわからなければ、
自分にこう問うてみればよい。何か、おいしいものを食べた……だから、それがどうした
の?、と。あるいは何か、ぜいたくなものを買った……だから、それがどうしたの?、と。
(したいこと)をしても、その答は返ってこない。(すべきこと)をしたときのみ、その
答が返ってくる。

●子育ては、子離れ
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心のどこかで子育てを意識したら、すかさず、子離れを考える。もっと言えば、いかに子
どもの親離れをじょうずにさせるかを、考える。でないと、未熟な親のまま、いつまでも
子離れできなくなってしまう。そのよい例が、野口英世の母である。外国で懸命に研究生
活をしている自分の息子に向かって、「帰ってきておくれ」は、ない。言うとしたら、「私
のことは心配しなくていい」「研究が終わるまで、帰ってくるな」である。未熟な親を、
けっして美化してはいけない。

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●「釣りバカ日誌」論
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浜ちゃんとスーさんは、いつもいっしょに釣りに行く。しかし自分の妻は連れていかない。
日本人には何でもない光景だが、欧米では、考えられない。会社の同僚たちとの飲み食い
(=パーティ)するときでも、夫婦同伴が原則。もし欧米で、男どうしが、2人でいそい
そと旅行に行こうものなら、同性愛者とまちがえられる。見なれた光景だが、日本の常識
は、けっして世界の常識ではない。

■子はかすがい論
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たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよくある。夫婦のきずな
も、それで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならない。夫婦関係
がこわれかかっているか、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、子はまさ
に「足かせ」でしかない。日本には「子は三界の足かせ」という格言もある。

■親のうしろ姿
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生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では「子は親のうしろ
姿を見て育つ」というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がいる。「親の
うしろ姿は見せろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見
せたくなくても、子どもは見てしまうかもしれないが、それでもできるだけ見せてはいけ
ない。)恩着せがましい子育て、お涙ちょうだい式の子育てをする人ほど、このうしろ姿
を見せようとする。

■親の威厳
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「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場にいるものには、
居心地のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。その分だ
け上のものの前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというものは、
百害あって一利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の
権威」などというのは、封建時代の遺物と考えてよい。

■育自論
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よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちがっては
いないが、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、
谷を越えている間に、いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もち
ろん人間として、外の世界に大きく伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育
てとは関係のないこと。子育てにかこつける必要はない。

■親孝行論
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安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的な「孝行」を子
どもに求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも子ども
の問題。子どもの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。たが
いにやさしい、思いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲
になるのも、子どもが親のために犠牲になるのも、決して美徳ではない。親子は、あくま
でも「尊敬する」「尊敬される」という関係をめざす。

■「産んでいただきました」論
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● よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきました」「言葉を教えてい
ただきました」と言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そういうふうに思
わせてしまったその人の周囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして恩着せ
がましい子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもにそう思わせてしまう。いわゆる
依存型子育てというのが、それ。

■水戸黄門論
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日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといって
も、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=巨悪)にど
っぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわか
らないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひ
れ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪
いことをしようとしたら、どんなことでもできる。ご注意!

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■「釣りバカ日誌」論
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男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、
「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこ
れこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パ
ーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすと
いうことは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が
生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●三つの失敗

 子育てには失敗はつきものとは言うが、その中でもこんな失敗。

ある母親が娘(高校1年)にこう言ったときのこと。その娘はこのところ、何かにつけて
母親を無視するようになった。「あんたはだれのおかげでピアノがひけるようになったか、
それがわかっているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、ピアノ教室へ連れていっ
てあげたからでしょ。それがわかっているの!」と。それに答えてその娘はこう叫んだ。
「いつ、だれがあんたにそんなことをしてくれと頼んだ!」と。これが失敗、その1。

 父親がリストラで仕事をなくし、ついで始めた事業も失敗。そこで高校3年生になった
娘に、父親が大学への進学をあきらめてほしいと言ったときのこと。その娘はこう言った。
「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、私の学費を用意してよ! 
私を大学へやるのは、あんたの役目でしょ」と。

そこで私に相談があったので、その娘を私の家に呼んだ。呼んで、「お父さんのことをわ
かってあげようよ」と言うと、その娘はこう言った。「私は小さいときから、さんざん勉
強しろ、勉強しろと言われつづけてきた。中学生になったときも、行きたくもないのに、
進学塾へ入れさせられた。そして点数は何点だった、偏差値はどうだった、順位はどうだ
ったとそんなことばかり。この状態は高校へ入ってからも変わらなかった。その私に、『も
う勉強しなくていい』って、どういうこと。そんなことを言うの許されるの!」と。これ
が失敗、その2。

 Yさん(女性40歳)には夢があった。長い間看護婦をしていたこともあり、息子を医
者にするのが、夢であり、子育ての目標だった。そこで息子が小さいときから、しっかり
とした設計図をもち、子どもの勉強を考えてきた。が、決して楽な道ではなかった。Yさ
んにしてみれば、明けても暮れても息子の勉強のことばかり。ときには、「勉強しろ」「う
るさい」の取っ組みあいもしたという。

が、やがて親子の間には会話がなくなった。しかしそういう状態になりながらも、Yさん
は息子に勉強を強いた。あとになってYさんはこう言う。「息子に嫌われているという思
いはどこかにありましたが、無事、目標の高校へ入ってくれれば、それで息子も私を許し
てくれると思っていました」と。

で、何とか息子は目的の進学高校に入った。しかしそこでバーントアウト。燃え尽きてし
まった。何とか学校へは行くものの、毎日ただぼんやりとした様子で過ごすだけ。私に「家
庭教師でも何でもしてほしい。このままでは大学へ行けなくなってしまう」と母親は泣い
て頼んだが、程度ですめばまだよいほうだ。これが失敗、その3。

 こうした失敗は、失敗してみて、それが失敗だったと気づく。その前の段階で、その失
敗、あるいは自分が失敗しつつあると気づく親は、まずいない。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●断絶とは

 「形」としての断絶は、たとえば会話をしない、意思の疎通がない、わかりあえないな
どがある。「家族」が家族として機能していない状態と考えればよい。家族には助け合い、
わかりあい、教えあい、守りあい、支えあうという5つの機能があるが、断絶状態になる
と、家族がその機能を果たさなくなる。

親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目をそむけあう。まさに一触即
発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもはやり返す。そこで親は親
で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか! そして一度、こうい
う状態になると、あとは底なしの悪循環。親が修復を試みようとすればするほど、子ども
はそれに反発し、子どもは親が望む方向とは別の方向に行ってしまう。

 しかし教育的に「断絶」というときは、もっと根源的には、親と子が、人間として認め
あわない状態をいう。たとえば今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は5
5%もいる。「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青
少年白書』平成10年)。

もっともほんの少し前までは、この日本でも、親の権威は絶対で、子どもが親に反論した
り、逆らうなどということは論外だった。今でも子どもに向かって「出て行け!」と叫ぶ
親は少なくないが、「家から追い出される」ということは、子どもにとっては恐怖以外の
何ものでもなかった。江戸時代には、「家」に属さないものは無宿と呼ばれ、つかまれば
そのまま佐渡の金山に送り込まれたという。その名残がごく最近まで生きていた。いや、
今でも、親の権威にしがみついている人は少なくない。

 日本人は世間体を重んじるあまり、「中身」よりも「外見」を重んじる傾向がある。た
とえば子どもの学歴や出世(この言葉は本当に不愉快だが)を誇る親は多いが、「いい家
族」を誇る親は少ない。中には、「私は嫌われてもかわまない。息子さえいい大学へ入っ
てくれれば」と、子どもの受験競争に狂奔する親すらいる。

価値観の違いと言えばそれまでだが、本来なら、外見よりも中身こそ、大切にすべきでは
ないのか。そしてそういう視点で考えるなら、「断絶」という状態は、まさに家庭教育の
大失敗ととらえてよい。言いかえると、家族が助け合い、わかりあい、教えあい、守りあ
い、支えあうことこそが、家庭教育の大目標であり、それができれば、あとの問題はすべ
てマイナーな問題ということになる。そういう意味でも、「親子の断絶」を軽く考えては
いけない。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●親子の断絶の三要素、(1)リズムの乱れ

 親子を断絶させる三つの要素に、(1)リズムの乱れ、(2)価値観の衝突、それに(3)
相互不信がある。

 まず(1)リズムの乱れ。子育てにはリズムがある。そしてそのリズムは、恐らく母親
が子どもを妊娠したときから始まる。中には胎児が望む前から(望むわけがないが)、お
なかにカセットレコーダーを押しつけて、英語だのクラシック音楽を聞かせる母親がいる。
さらに子どもが生まれると、今度は子どもが「ほしい」と求める前に、時計を見ながら、
ミルク瓶を無理やり子どもの口に押し込む親がいる。「もうすぐ3時間50分……おかし
いわ。どうしてうちの子、泣かないのかしら……。もう4時間なのに……」と。

 そしてさらに子どもが大きくなると、子どもの気持ちを確かめることなく、「ほら、英
語教室」「ほら、算数の教室」とやりだす。このタイプの母親は、「子どものことは私が
一番よく知っている」とばかり、何でもかんでも、母親が決めてしまう。いわゆる『ハズ
論』で子どもの心を考える。「こうすれば子どもは喜ぶハズ」「こうすれば子どもは感謝
するハズ」と。

このタイプの母親は、外から見ると、それがよくわかる。子どものリズムで生活している
母親は、子どもの横か、うしろを歩く。しかしこのタイプの母親は、子どもの前に立ち、
子どもの手をぐいぐいと引きながら歩く。あるいはこんな会話をする。

 私、子どもに向かって、「この前の日曜日、どこかへ行ってきたの?」、それを聞いた
母親、会話の中に割り込んできて、「おじいちゃんの家に行ってきたわよね。そうでしょ。
だったらそう言いなさい」、そこで私、再び子どもに向かって、「楽しかった?」と聞く
と、母親、また割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、楽しかっ
たと言いなさい」と。

 いつも母親のほうがワンテンポ早い。このリズムの乱れが、親子の間にキレツを入れる。
そしてそのキレツが、やがて断絶へとつながっていく。あんたはだれのおかげでピアノが
ひけるようになったか、それがわかっているの? お母さんが、毎週高い月謝を払って、
ピアノ教室へ連れていってあげたからでしょ。それがわかっているの!」「いつ、だれが
あんたにそんなことをしてくれと頼んだ!」と。

つまりこのタイプの親は、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談
があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小3男児)は毎日、通信
講座のプリントを3枚学習することにしていますが、2枚までなら何とかやります。が、
3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょう
か」と。

こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを3枚するようになれば、親は、「四枚やらせたい」と
言うようになる。子どもは、それを知っている。

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