最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

*Buddhist Ceremoney (1)

2010-09-09 17:32:55 | 日記
【犬山にて】(名鉄犬山ホテル)

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昨日は、母の三回忌の供養のため、
郷里のG県のM町に向かった。
日帰りは無理と判断したので、
犬山で一泊することにした。
愛知県犬山市の犬山である。
泊まったのは、名鉄犬山ホテル。
木曽川沿いに立つ、立派なホテル。
そのすぐ横に、あの犬山城が見えた。

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●扁桃腺炎

 朝、友人を駅に見送る。
京都から、山陰の町へと旅立った。
そのあと私たちは、G県へ。
TOYOTAのプリウスに乗り換えてから、最初の遠出。
やや不安だったが、ハッチバックをバタンと閉めたとき、覚悟が決まった。
体の調子は、あまりよくない。
昨日から、軽いめまいがある。
子どものころは、慢性中耳炎に苦しんだ。
そのせいか、風邪の引きはじめに、よく同じような症状が出る。
三半規管のどこかに問題があるらしい。

 素人療法だが、そういうときは、ビタミンC(アスコルビン酸)を、大さじに
2、3杯、水に溶かして飲む。
(読者のみなさんは、まねをしないでほしい。)
扁桃腺にしみることもある。
が、そのあとしばらくすると、症状は消える。

●G県M町へ

 台風の影響で、厚い雲が空を覆っていた。
自宅に一度もどったあと、荷物を車に積む。
それに飲み物。
昨日までの暑さが、気になっていた。
こういうときは水分の補給が何よりも大切。
ミネラルウォーターに、ジュース。
それに頭痛薬を溶かしたウーロン茶。

 私は夏場には、昼だけでも、2~3リットルの水を飲む。
飲まないと、頭がボーッとしてしまう。
「低血圧のせい」と、自分ではそう思っている。
つまり水分を補給して、血圧を調整している。
(これも素人療法なので、読者のみなさんは、まねをしないでほしい。)

●台風

 東名高速道路に入る前に、ガソリンを満タンにする。
寺へのみやげはギョーザ。
住職の好物。
店で買う。
そのころから、大粒のはげしい雨が降り始めた。
時刻は午前9時半。

「一度M町へ行き、それから犬山に戻ろう」と私。
「もし途中で疲れたら、犬山で休憩し、明日M町へ行けばいい」とも。

 が、東名に入ると、意外と車が楽に走り始めた。
「さすがプリウス!」と、私は思った。
加速性がよい。
乗り心地もよい。
そのときワイフが言った。
「まっすぐM町へ行きましょうよ。
早く片づけたほうが、気が楽よ」と。 

●三回忌

 2年前、実兄と実母が相次いで他界した。
今年は三回忌にあたる。
その三回忌をどうしようか、このところずっと悩んでいた。
だからといって誤解しないでほしい。
三回忌が無駄とか、そういうことを言っているのではない。
「したくない」と言っているのでもない。

 人、それぞれ。
事情は家庭によって、みな、ちがう。
あなたにはあなたの家庭がある。
私には私の家庭がある。
つまりあなたにはあなたの考え方がある。
私には私の考え方がる。

 ただ私は60歳を過ぎるころから、急速に柔軟性を失ってしまった。
がんこになったというよりは、「私」が強く表に出てくるようになった。
いやなことは、いや。
納得できないことは、いや。
もう少しわかりやすく言えば、自分を捻じ曲げることができなくなった。

●妥協?

 ワイフは、いつもこう言う。
「あまり深く考えないで、気楽に妥協したら」と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
その「妥協」ができなくなった。
ほかのことならともかくも、自分の哲学に関することについては、とくにそうだ。
宗教観は、まさにその哲学の一部。
宗教観というより、死生観。
ときに自分のもつ哲学は、死生観に集約される。

●拒否反応

 もちろんお金の問題ではない。
今まで、私は実兄の葬儀にせよ、実母の葬儀にせよ、その費用は言われるまま、
全額負担してきた。
葬儀費用だけで、軽く計400万円を超えた。
それに僧侶への葬儀料や戒名料などなど。
仏壇も新調した。
葬儀のあとは、七七の法要や百か日の法要と、つづいた。
その間に、祖父の三三回忌の法要も入った。
(33年目の三三回忌だぞ!)
が、今度は、三回忌。
率直に一言。
介護もたいへんだが、葬儀もたいへん。
息子たちへの学費がやっと終わったと思っていたところへ、その追い討ち。
さらに出費が重なった。

 今までのことを思うなら、なんでもない法要ということになる。
が、ここにきて突然、拒否反応が起きるようになった。

●母の介護

 拒否反応といえば、こんなことがあった。
晩年、母は死ぬまでの2年間、浜松にいた。
うち1年間は、私の家にいた。
その間、母の世話は私がした。
とくに便の始末は私がした。
ワイフにはさせなかった。

 といっても、それが苦痛だったというわけではない。
「赤ん坊の世話よりも楽」と、いつも私はそう思っていた。
朝起きるとまず、おむつの取り替え。
それが終わると、便器の清掃、部屋の掃除。
朝食の用意。
デイサービスがある日は、服を着替えさえ、迎えのバスを待つ。

 母はおとなしく、何一つ、不平不満を言わなかった。
が、だからといって、気が休まる日はなかった。
家をあけるときも、まず母の様態をうかがってから出かけた。
「ショートスティ」というサービスもよく利用させてもらった。
しかしだからといって、一泊旅行ができたわけではない。
いつ何どき、何があるかわからない。
それが老人介護。

●特別養護老人ホーム

 その母が、たいへん運よく(?)、特別養護老人ホームへ入居できた。
「150番待ち」とか、「2年待ち」とか言われていた。
が、たまたまある日、順番を申し込むためにホームを訪れると、「明日から
どうですか?」と。
あとでわかったことだが、応対してくれた女性が、そのホームの園長だった。

 こうしてちょうど2年目の冬、母は、ホームへ入居した。
とたん、私の家から緊張感が消えた。
抑うつ感?
それまではそういう負担感があるとは思ってもいなかった。
が、消えたとたん、それまでそれがあったことがわかった。
私の体を取り巻いていた無数のクサリが、パラパラとはずれた。
 
●拒否反応

 が、ちょうど1か月目のこと。
母が脳梗塞で倒れた。
それまでは冗談もわかるほど、頭の回転はよかった。
が、その日を境に、極端に反応が鈍くなった。
そのときのこと。
入院先の医師が、こう言った。
「入院しますか?」と。

 入院といっても、最長1か月間という。
「1か月はいられますが、それ以後は、再び自宅へ連れ戻ってもらいます」と。
(ホームではなく、自宅。)
特別養護老人ホームといっても、医師が常駐しているホームはほとんどない。
看護師はいるが、医療は受けられない。
また1~2週間ならともかくも、1か月ともなると、ホームから籍を
消されてしまう。
それこそ今度は、「150番待ち」「2年待ち」ということになってしまう。
そのときのこと。
私は、はげしい拒絶反応を覚えた。
あれほど何でもなかった母の介護だったのだが、「再び自宅で介護」という話に
なったとき、体中が固まってしまった。
だから医師に、私は強く言った。

「2、3日で、病院から出してください」
「ホームへ母を戻してください」と。


*Buddihist Ceremony(2)

2010-09-09 17:32:23 | 日記
●臨界点

 今までは、それほど深く考えないで、行動することができた。
が、三回忌となったとたん、体が固まってしまった。
それまで感じていた矛盾が、臨界点を超えたせいかもしれない。

 似たような話は、教師経験者たちからも聞く。
たとえば退職したような教師。
そういった教師に、「もう一度、子どもを教えてみませんか」と声をかけてみる。
そのとき「二度といやです」と、はき捨てるように言う人は少なくない。
それまでのいろいろな思いが、そういう言葉となって、はね返ってくる。

 こういう拒絶反応を、心理学の世界ではどう説明するのか。
症状としては、恐怖症、あるいは強迫観念に似ている。
それまではそれほど苦労なくできていたことが、ある日を境に、急にできなくなる。
できなくなるだけではない。
体が固まってしまう。

●重圧感

 が、車がG県に向かい始めると、言いようのない懐かしさがこみあげてきた。
足で蹴飛ばすようにして去った町だが、故郷は故郷。
生まれ育った故郷。
それに今度は、今までのような重圧感はなかった。
ただの法事。
寺の住職にあいさつをして、それで帰ってくればよい。
やるべきことは、すべてきちんとやった。
負い目はない。
後ろめたさもない。

 過去40年の中でも、もっとも気楽な帰省ということになる。
が、それでも固まった心はそのままだった。
主義主張を貫くべきか。
それとも適当に妥協すべきか。

●キリスト教

 宗派にもよるのだそうだが、一般的にキリスト教には、そうした儀式はない。
たまたま我が家にいるオーストラリアの友人は、こう言った。

 彼が属する宗派では、遺灰は、教会の横にあるバラ園にまくことになっているという。
地面に小さなプレートが置いてあり、そこに故人の名前が刻んである。
もちろん和式仏教でいうような、~~回忌というのは、ない。
で、その話をすると、その友人は、こう聞いた。
「どうして日本では、そんなことをするのか?」と。

 簡単に言えば、こうした儀式は、故人を偲ぶためというよりは、「家」制度維持のため。
それが背景にあって、~~回忌というのが、日本では定着した。
私が子どものころには、どこの家でも、~~回忌の儀式をこぞって派手にやった。
親戚中を集めて、みなで飲み食いをした。
つまりそれをすることによって、「家」のプライドを守った。

●死生観

 が、今は時代も変わった。
初盆をする家も少なくなった。
「やっても三回忌まで」と考える人も、多くなった。
私も含めて、「死んだら、遺灰は、~~へでもまいてくれればいい」と考えている人も多い。
直葬とか、自然葬とかいう言葉も、よく聞かれるようになった。
日本人の死生観が大きく変わりつつある。
が、その理由のひとつに、ありきたりの和式仏教に疑問をもつ人がふえたことがある。
「戒名」も、そのひとつ。
ノーブレインの人(=思考力のない人)は、何も考えず、過去を踏襲する。
踏襲しながら、「それが正しいこと」と信じて疑わない。
それだけではない。
自分がノーブレインであることを棚にあげて、そうでない人を、平気で排撃する。
「親の三回忌もしないヤツは、バチ当たり!」と。

 今ではどこの寺も葬儀屋と結託して、戒名料を決めている。
が、どうして戒名なのか?
その昔には、生きている人が出家をしたとき、戒壇の道場で受戒を受けて、戒名を
授かった。
あるいは古来中国には、成長する段階で、改名するという習慣はあった。
日本にもあった。
それが今では、死者につけられる。
で、どうしてそれをしないことが、仏の教えに反するということになるのか。
(このあたりは、私の常識的な記憶によるものなので、不正確。
興味のある人は、一度、自分で詳しく調べてみたらよい。)

●住職

結果的に私は妥協した。
が、敗北感は、あまりなかった。
私が所属する寺の住職は、よい人だ。
憎めない。
穏やかな表情に、誠実そうな人柄。
会うと、にこやかに話しかけてくれた。
それを見て、私は安堵した。

 私とワイフは型どおりのあいさつをかわし、本堂にあげさせてもらった。
下座にすわり、手を合わせた。
「こんなやり方でいいですか」と住職に聞くと、「ああ、それで結構です」と言って
くれた。

 あとは世間話。
が、居心地は、あまりよくなかった。
心のどこかで、私は自分を捻じ曲げていた。
言うなれば、私は不誠実な信者ということになる。
それとも面従腹背?
住職への申し訳なさが、先に立った。
私はたしかに住職を裏切っていた。
住職は住職で、私を、熱心な信者と思ったかもしれない。

●犬山へ

 ワイフにせかされて、私は寺を出た。
車のナビを、「犬山」にセットした。
その日は、犬山の名鉄犬山ホテルに宿泊することになっていた。
エンジンをかけると、底で大きな砂利を踏みつける音がした。
山門をくぐるとき、一度だけ振り返ってみたが、住職の姿は見えなかった。
何となく、私はほっとした。

 細い路地だった。
小さな家々が、軒を重ねて連なっている。
私には、どの家も、見覚えのある家だった。
が、懐かしさは消えていた。
かわりにあの独特の息苦しさが、よみがえってきた。

●名鉄犬山ホテル

 暗い話がつづいた。
少し話題を変える。

 旅館にせよ、ホテルにせよ、「やる気」を見て選ぶ。
従業員のやる気。
活気。
それが感じられる旅館やホテルは、すばらしい。
そのやる気満々のホテル。
「名鉄犬山ホテル」。
電話は0568-62-5750。

 若いころ、この川沿いの旅館にはときどき来たことがある。
しかしこれほどまでにすばらしいというか、立派なホテルがあるとは、
私は知らなかった。
何と言っても、風呂がすばらしい。
長い大理石張りの通路を歩いていくと、その先に大浴場がある。
露天風呂にサウナ風呂もある。

●星は4つ!

 風呂から出たとき、通路で待っていたワイフに、思わずこう言った。
「いい風呂だったよ」と。
それが受付の従業員にも聞こえたらしい。
2人の男女が、うれしそうに私を見て、笑った。
浜松にも、これほどまでのホテルは、そうはない。
星は、4つか5つの、★★★★プラス。
建物はやや古いが、何と言っても従業員のやる気。
それが心地よかった。

 私たちは夕食にバイキングコースを選んだ。
が、鮎の塩焼きが食べ放題というのは、うれしかった。
私は2匹食べた。
ワイフは1匹食べた。
ほかの料理が、それ以上においしかった。

 ……そのワイフは、今、再び風呂に行っている。
ここの露天風呂が、よほど気に入ったらしい。
私はこうしてひとりで、パソコンのキーボードを叩いている。