最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●ソフリエとなって孫育て?

2010-09-24 13:47:35 | 日記
●ソフリエ

++++++++++++++++

「ソフリエ」という言葉が、ある
雑誌に載っていた。
定年退職後の老人男性を指した言葉で、
育児のできる男性を意味する。
そのための育児講座があり、そこで認定
されると、「ソフリエ」の認定資格が
与えられるのだそうだ。

いわく「団塊世代をマンパワーとして
活用し、孫育てに生かすことで、生活の
充実と子ども世代の負担軽減を見込める」
(某雑誌)とか。
つまり「一石二鳥」とか。

+++++++++++++++++

●バカにするな!

 こういう発想ができるのは、そういう世代の若い人たち。
私たち団塊の世代を余剰人間としかみない、そういう連中どもである。
以前……といっても、10年ほど前にも、そうした動きが浜松市でもあった。
「これから先、団塊世代をどう使っていくか」と。
何かの会議で、討論の議題になったらしい。

 が、「団塊世代をマンパワーとして活用する」だと!?
バカも休み休み言え。
このドラ息子、ドラ娘ども!

 私たちがほしいのは、「仕事」。
経験や知識を生かした仕事。
たしかに体力は弱る。
気力も知力も弱る。
そのため、一人前の仕事は、無理。

だったら仕事を週3日制にするとか、労働時間も、午後からだけにするとか。
1人分の仕事を、2人で分けてするという発想で、(あるいは3人で分けるという
発想でもよいが)、私たちの「仕事」を考えてほしい。
ちゃんと給料がもらえる、「生きがい」を考えてほしい。
私たちが求めているのは、「暇つぶし」ではない。

……とまあ、できるだけ穏やかな口調で書いたが、やめた。
本音で書く。

何が、孫育てだ!
そんなことは、自分でやれ!
ジーちゃん、バーちゃんだから、孫の世話でもさせておけば、ハッピーなはず?
そういうありきたりの先入観だけで、私たちが置かれた現状をとらえるな。

誤解するな!
「孫の世話と庭いじり」……だれもそんな生活が理想の老後とは思っていないぞ。
そういうものを繰り返したところで、心の空白感を埋めることはできない。
もっとはっきり言えば、どうしてそれが生きがいにつながるのか?
子育ての失望感は、いやというほど、味わった。
(お前たち若造が、その結果だろ!)
ほとんどは、「もう子育てはこりごり」と考えている。
その上、どうして今、孫育てなのだ!

視点が反対だろ!
子どもや孫が、団塊の世話をする。
「ジーちゃん、バーちゃん、長い間、ありがとうございました。
これからは生きがいを求めて、がんばってください。
その応援をさせていただきます」と言うのなら、まだ話がわかる。
それを何が、「孫育て」だ!

●偏見と誤解

 ところでいつ見ても腹立たしいテレビ番組(NHK)がある。
「パソコン講座」とか何とかいう番組である。

 講師役は若い男女。
生徒役は、どこかノーブレインな(=脳みそがなさそうな)、中高年の男女。
(演技なのだろうが)、わざとバカ丸出しの様子で、講座を受ける。
「(グラフィックソフトで)、線が描けた!」
「(フォト・レタッチで)、写真が加工できた!」と、
たわいもないことで、そのつど歓声をあげて喜んでみせる。

 ああいう番組を見ていると、ディレクターの老人観がよくわかっておもしろい。
つまりわれわれ団塊の世代を、バカにしている。
バカにした上で、ああいう番組を作っている。

 パソコンというのは、若者の道具であるという偏見と誤解。
老人は、パソコンを使えないという偏見と誤解。
老人には、思考力がないという偏見と誤解。
さらに言えば、老人には、美的感覚や色彩感覚がまったくないという偏見と誤解。
そういった偏見と誤解に、あの番組は満ちあふれている。

 どうして反対に、パソコンに詳しい団塊の世代を講師に使わないのか?
携帯電話のキーを叩くことしか能がない若者を、生徒にしないのか。
つまり「ソフリエ」というのは、それと同じ発想でつながっている。
あるいはその延長線上にある。

そこらの若造に、戦後のあの60年を生きてきた人間の重みがわかってたまるか!
バカヤロー!

 その「パソコン講座」。
少し前に見た番組では、写真を切り抜いて、部分的に拡大する作業をしていた。
たしかどこかの橋の写真だった。
その写真の一部を切り抜いて、色彩明度を少し変える。
とたん写真の迫力が、変化する(?)。
それを見て、生徒役の中高年の男女が、お決まりのバカ丸出しの歓声!
「ワーッ、すごい!」「ウォー!」と。
私はそれを見ていて、こう思った。
生徒役の中高年の男女に対して、だ。

「お前らには、長い間生きてきたプライドというものがないのか!」と。
「逆に、若い人たちに自信をもって、教えてやることはないのか!」と。

 教えてもらうことは何も、恥ではない。
わからないことは教えてもらえばよい。
しかし自分がもつ人間性まで、落とすことはない。
堂々とした姿勢で、生徒役をすればよい。
ついでに言えば、こう。
「だからといって、それがどうしたの?」と。
「写真が加工できたからといって、それがどうしたの?」と。

●統合性の確立

 これについては、たびたび書いてきた。
10年も前から書いてきた。
大切なのは、統合性の確立。

 その統合性の確立がしやすい環境を、用意する。
また助ける。
励ます。
評価する。
そういう制度を確立する。

 いつかは、どんな若い人でも、老齢期を迎える。
この問題は、老人の問題としてではなく、自分の問題として考えたらよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ソフリエ 老人パワー 団塊世代の生きがい 生きがいとは 老人の生きがい)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

●社会のダイナミズム

2010-09-24 08:39:54 | 日記
●世界景気 

+++++++++++++++++

日本政府はどうとらえているか、知らない。
しかし現実の景気は、最悪。
体感景気は、さらに最悪。
全国的にみて、浜松の景気はまだよいほうと
言われている。
大企業がひしめく(?)、工業都市。
その浜松でも、このところ、店という店が、
暗く沈んでいる。
通りを歩く人たちも、どこか元気がない。

いったいどうなってしまったのか。
この浜松!
この日本!

+++++++++++++++++

●経済成長率

 経済成長率という言葉がある。
が、成長しているから、どうやらそれでよいということでもなさそうだ。
たとえば、A、B、C、D、Jの5つの国があるとする。
5番目の「J」は、日本。

 その中のA、B、C、Dの4つの国の成長率が10%。
J、つまり日本の成長率が、1%。
こういうとき、「少なくとも日本は、貧乏にはなっていない」と考える。
「今年は去年より、1%だけだが、よくなっている」と。
 
 が、実際にはどうか?
こんなケースで考えてみよう。

Aさんは、毎月のように家を改築している。
今月は光ファイバーを導入した。
先月は、それまでの太陽熱温水器から、太陽光発電に取り替えた。
来月は、家中を無線LANでつなぎ、外出先からも、家の中を
モニターできるようにした。

成長率が10%という国は、そういう形で発展している。
 
一方、Jさんは、現状維持が精一杯。
電話機も10年前の固定電話機のまま。
駐車場の屋根に取り付けた太陽熱温水器も、このところ故障つづき。
床の間には、古い置物がいくつか並んでいる。
先祖から伝わっているものというが、骨董的価値はほとんどない。
Jさんは、いつもこう言っている。
「何とか、やっていければ、それでいいです」と。

●社会のダイナミズム 

 こうした状態が10年もつづけば、どうなるか。
「差」は、一目りょう然。
経済成長率という数字にだまされてはいけない。
大切なのは、「社会のダイナミズム」。
国全体がもっている前向きな緊張感。
こうした「差」は、個々の家でも感ずることができる。
組織ともなれば、さらにはっきりと感ずることができる。

 同じ寿司屋でも、威勢のよい掛け声が飛び交っている寿司屋がある。
その一方で、店の主人が奥のほうに座り、いつ来るともわからない客をぼんやりと
待っている寿司屋もある。
節約のためか、電気のいくつかは消したまま。

 ゼロ成長、さらにマイナス成長になればなおさら。
その国の社会から、ダイナミズムが消える。
つまりその分だけ、より経済成長率の高い国に、ダイナミズムが奪われていく。
あとは、相乗効果で、そうした国はますます伸びていく。
一方、経済成長率の低い国は、悪循環の中でますます伸び悩んでいく。
今の日本は、まさにそういう国ということになる。

 ものの考え方が後ろ向き。
内へ内へと、ものの考え方が保守的になる。

●超・管理国家

 オーストラリアの友人(大学教授)がこう言った。
「オーストラリアも、ビュオクラチック(官僚主義的)になりつつある」と。
しかし程度が知れている。
この日本は、世界に名だたる官僚主義国家。
超の上に、超がつく官僚主義国家。
何をするにも、管理、管理、また管理。

 たとえば仕事にしても、今、資格、認可、許可なしでできる仕事は、ほとんどない。
あるとすれば、政治家くらいなもの。
あるいはタレント業。
それを頂点で管理するのが、官僚ということになる。

 オーストラリアでは、(それが好ましいことかどうかは別として)、若者たちはみな、
高校を卒業すると、自動車1台、電話1本で仕事を始める。
町中を、車のボデーを看板にした車が、無数に走っている。
「清掃します」
「パイプの詰まりを直します」
「電気工事します」
「屋根修理専門」などなど。

 言うまでもなく、社会が管理されればされるほど、社会からダイナミズムが消える。
人々はおとなしく、丸くなる。
小さくなる。
そしてそれと反比例する形で、役所が肥大化する。

●落ち葉はゴミ?

 最近では、「落ち葉はゴミ」と考える人がふえている。
そのため街路樹が枯れ葉を落とすころになると、市の苦情係のデスクには、苦情の
電話が殺到するという。
「落ち葉を何とかしろ!」と。

 街路樹の世話が市の仕事とするなら、落ち葉の始末も市の責任というわけである。
しかしこの考え方は、基本的な部分でまちがっている。
まちがっていることは、私は山荘生活をしてみて、はじめて知った。

 山荘周辺では、道路管理、水管理、土手の雑草管理などなど、すべてそこに住む
人たちの仕事である。
とくに「水」は、500メートルほど離れた山中から、引いている。
そのため水源の清掃、管理は欠かせない。
蛇口をひねれば水が出る……という生活に慣れきってしまった人には、それがわからない。
つまり水のありがたさが、わからない。
こうした「甘え」が、官僚主義国家をますます肥大化させる。
遠まわしな言い方になったが、こうした超・管理国家にしたその責任の半分は、
私たち日本人にもある。
この意識を変えないかぎり、この先、さらに管理、管理の超・管理社会は進む。

●内向きな若者たち

 誤解しないでほしいのは、官僚主義イコール、悪ということではないということ。
それが効率よく、かつ機能的に作用しているときは、それなりにうまくいく。
戦争直後の日本がそうだった。
しかしそれが逆転したとき、(現在がそうだが……)、官僚主義は反対に社会の
ダイナミズムを奪う原因となってしまう。

 不完全でもよい、失敗してもよい、……だからとにかくやってみよう!
それがダイナミズムの原点である。
たとえば教育の世界でも、電子黒板の導入、iPod型の電子ブック(教科書)の
導入が本格的に検討され始めた。
しかしこのニュースに対するコメントには、(大半が若者たちのものだが)、驚いた。
そこには10件ほどのコメントが並んでいたが、どれも否定的なものばかり。
「教師に楽をさせるだけ」
「ノートをとるから、勉強になる」
「そんなことに金をかけるなら、~~に金をかけろ」
「毎日予備校の通信講座を流したらいい」とかなど。

 コンピューターのもつ無限の可能性すら、若者たち自身が否定する。
その先、何ができるようになるか、それすらわかっていない。

●不公平感

 あの北朝鮮では、優良な(?)市民だけが、首都P市に住めるという。
あとの国民は、国民にあらず(?)。
しかしそういう国を見て、だれが笑うことができるだろうか。
この日本だって、同じことをしている。
私も63歳になって、はじめて、それがよくわかった。

 国民年金組は、いまだに年金はゼロ。
一方、元役人組は、すでに優雅な隠居生活を始めている。
私の自宅の周辺には、満55歳で退職したあと、ほぼ30年間遊んで暮らして
いる人たちが、たくさんいる。
そのほとんどが、元役人、もしくは旧国鉄労働者。
どの人も、30~40万円(月額)の年金を手にしている。
で、皮肉なことに、プライドが高いせいもあるが、地域の活動に参加している
人は、ほとんどいない。
中には朝から晩まで、庭の手入れと、小さな畑仕事だけで、毎日を過ごしている
人もいる。

 ごく一部の人たちが、(実際には、現職の公務員、準公務員とその家族だけでも、
この日本には600~700万人もいるが)、こうした恵まれた環境にいる。
その一方で、明日の生活に不安を抱きながら、「とにかくがんばるしかない」と
考えている人も多い。
私もその1人。
この不公平感には相当なものがある。
そしてその不公平感は、加齢とともに増大することはあっても、縮小することはない。

●失敗を許す社会

 忘れてはいけない。
成功はいつも失敗を土台として生まれる。
失敗を恐れていたら、成功など、おぼつかない。
つまりその失敗を許す寛容さこそが、成功への土台となる。
わかりやすく言えば、社会の不完全さ。
それこそが社会のダイナミズムを生む、原動力となる。

 「不完全にせよ」というのではない。
不完全であることに寛容であれと言っている。
「何もかも完ぺきに……」と考えれば考えるほど、官僚世界を肥大化させる。
そしてその分だけ、社会のみならず、国家経済すらも硬直化させる。
ある経済学者の試算によれば、公務員の人件費(給料を含めた、総人件費)
だけでも、38兆円。
国家税収が40兆円前後だから、これはもうメチャメチャな額といってもよい。
そのため、赤字国債につづく赤字国債。
国の借金だけでも、軽く1000兆円を超えている!
(政府が発表している700兆円うんぬんという額は、ウソ!)

 行政改革(官僚制度の是正)が叫ばれるようになって、もう20年。
一向にその成果が現われないばかりか、かえってこの日本は後退している。
これでは社会のダイナミズムなど、求めようがない。
つまり日本の発展もここまで!
とても残念なことだが。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●パソコン

「週刊アスキー」の今週号(10-26)の付録に、トランプカード
がついていた。
図柄に、歴代の・・・というか、1977年当時からのパソコンが
印刷されていた。
いちばん古いのが、1977年のAPPLE II。
この機種は、私がPET2001を買った直後に発売になったもので、
よく覚えている。
たしかモニターなしで、40万円前後ではなかったか。
(当時の価格で40万円だぞ!)
アップル社のあのカラフルなロゴが、ググーッと購買欲をそそった。

つづいて紹介されているのが、SharpのMZ-80K(1978)。
この機種も買わなかったが、よく覚えている。
浜松にさえパソコンショップが、まだ1~2店しかない時代だった。
「ムーンベース」という店があって、そこでそれをよくいじらせてもらった。

 そのあと、NECのPC8000の時代へと突入する。
以後、私は毎年、2~3台は新しいパソコンを購入した。
当時はパソコン1台が、40~50万円もした。

懐かしいというより、そこに時代の流れを感ずる。
私はいつも新しいパソコンが発売になると、それを見に行った。
買いたくても買えなかったパソコン。
買っても、すぐあきてしまったパソコン。
中には使い物にならなかったのもある。
NECのUシリーズも、そのひとつ。
当時はやり始めた「パソコン通信」をやりたかったが、カタカナ表示のみ。
どうすれば漢字表示ができるか、あれこれ試してみたが、結局、できな
かった。
数か月使っただけで、お蔵入り!

●1977年 

 APPLEのAPPLEIIが、発売になったのは、1977年となっている。
しかしそんなはずはない?
その数年前には、TOSHIBAのTK-BSが発売になっている。
今でいう電卓を複雑したようなパソコンで、マシン語でカチカチと
命令を打ち込んでいく。
たとえば(A+B)xCという命令を先にプログラムする。
そのあとA、B、Cの値を入力すると、その答えが、表示された。

その直後、PET2001が、発売になっている。
APPLEIIが、発売になったのは、ほぼ同時期だった(?)。
私はその斬新なデザインに驚いた。
1977年より、少し前ではなかったか?
「1977年と言えば、私が満30歳になったとき」と。
今は、そんなことを思い出しながら、そのトランプカードを見つめている。

 ・・・といっても、現代のパソコンとは、大違い。
ベーシック言語でプログラムを組むと、二次曲線のグラフを、ポツポツと
点で描いてみせてくれた。
私はそれをジーッと見つめていた。
それが楽しかった。

●無念

 で、ここからがジジ臭い話になるが、ごめん。

こういう(流れ)を見ていると、その(流れ)を見届けられない(はがゆさ)と
いうか、無念さを覚える。
この先も、パソコンの世界はどんどんと進んでいくだろう。
10年後にはどんなパソコンが発売になるのだろう。
20年後には・・・。
そのころには、私は生きていないかもしれない。
生きていても、脳みそが使いものにならないだろう。
今でさえ、あぶない!

●骨董的価値

 で、最近は、こう考える。
「新しいパソコンを買うのは、未来への投資のようなもの」と。
できるだけ最新型を買う。
歴史を可能なかぎり、先取りする。

 また現在、骨董品が、ほとんど価値を失っている。
骨董品だけではない。
コインも切手も、価値を失っている。
たとえば東京オリンピックのとき、1000円銀貨が発売になった。
その銀貨にしても、現在、実勢の交換価格は、1100円程度。
切手については、いくら古くても、表示価格でしか売ることができない。
モノがあふれ、モノに対する感覚そのものが、変わった。
言い忘れたが、あのPET2001(当時、33万円前後)にしても、今、
オークションに出しても、2000円前後の価値しかないという。

 だったら、捨てるしかない。
とくにパソコンは、磨いて床の間に飾っておくようなものではない。
ボロボロになるまで、使って使って使いまくる。
そのあと捨てて、また新しいのを買う。
たった2~3年前のパソコンでも、価値はゼロ。
処分するにも、引き取り料が取られる。

●ワープロ機として

 が、ゲーム機として使うパソコンは別として、私のようにワープロ
専用機として使う人には、それほど高性能のパソコンは必要ない。
5~6年前の機種でも、何ら問題ない。
となると、ワープロ機としてパソコンは、どうあるべきか?
3つほど、希望を並べてみる。

(1)文章の安全性・・・書いた文章を、そのつど即座にSAVEする。
保存した文章は、そのつど別ドライブにも保存できるようにする。
WINDOW7でも、そのつど別ドライブに保存できるようになっているが、
イマイチ使い勝手が悪い・・・。
あっという間に、1テラバイトのハードディスクが満杯になってしまう!
 
(2)言葉の検索・・・ワードならワード文書全体から、つまりすべての
ファイルの中から、あいまい検索ができるようにする。
「~~年~~月ごろ書いた、~~についての原稿」というような検索が
できるようにする。

(3)性能の問題・・・現在、私の書いた原稿は3~4万ページ近くに
なっている。
このファイルに、別の文章を追加すると、それだけでも10分ほど時間が
かかる。
最新のi-7、3GHz~、64ビットのマシンを使っても、それくらい時間がかかる。
もっとすばやくできないものか?

●未来像

 なお、こんなソフトを作ってほしい。
称して「話し相手ソフト」。

 たとえば先にも書いたように、この10年間で書いた原稿が、3~4万ページ
にもなる。
そういう原稿の中から、適当に検索をしながら、私の会話に、言葉として
応じてくれるソフトである。

「今日は、何日だった?」
「9月21日だよ」
「ピーターサロベイって、知っているか?」
「ああ、データがあるから、画面に表示しようか」
「頼むよ・・・」とか、など。

 想像するだけでも、楽しくなる。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

●オオカミ姉妹はいたのか?

2010-09-24 08:39:00 | 日記


●野生児(タマラとアマラ)

 ひとつの情報に出会い、つぎに同じような情報に出会うのは、
こちら側が求めてそうするばあいをのぞき、めったにない。
たとえば最近、私はタマラとアマラに関する文献を目にすることが
できた。
偶然だった。
もしその偶然がなかったら、私は自分がもつ知識を修正することは
なかっただろう。

俗に言う、『オオカミ少女』と呼ばれる2人の少女である。
そののち、心理学の本でもたびたび取りあげられている。
「野生児」という言葉も、そこから生まれた。

要点をまとめると、こうだ(「オオカミ少女はいなかった」鈴木光太郎
(新曜社))。

(1) オオカミの乳は、人間には飲めない。……だから少女たちがオオカミの
乳で育つはずがない。
(2) オオカミは、人間の子どもを連れ歩くのは不可能……オオカミはどうやって
赤子を運んだのか。
(3) ウィリアム・オグバーンというアメリカの社会学者が、
1951年に現地に入った。
が、オオカミ姉妹が発見されたという「ゴダムリ」という村は存在しなかった。
(4) 現地に新聞が残っていて、「少女たちが見つかったのは、トラの
穴」と記述されていた。
(5) 少女たちを発見したのは、シング牧師ではなく、サンタル族の住民
だった。
(6) 写真を詳しく調べてみたが、推定年齢(カマラは8歳半、アマラは
1歳半)が合わない。

 私はたびたびオオカミ姉妹(少女)について書いてきた。
この本だけで、すべてを否定するものではないが、しかし大きな疑念が
生まれたのは事実。
さらにその本は、シング牧師夫妻が寄付金集めのためにしくんだ作り話の
可能性があると説く。
実際、現在の今でも、欧米ではこの手の詐欺が後を絶たない。
(ついでに書き添えると、欧米では、孤児院経営を看板に、この種の詐欺が
日常化している。
じゅうぶん、注意したらよい。)

 で、結論としては、「自閉症か何かの障害をもった姉妹が、親に捨てられた。
その姉妹が、何年かあとに見つかった。村人たちは世話に困り、シング牧師の
ところへ連れていった」ということらしい。

 ・・・となると、私が今まで引用してきた話は、すべて訂正しなければ
ならない。
野生児の話は、ウソだったのか?

が、ここで注意したいのは、だからといって子育て論の本筋、たとえば
人間性と臨界期の問題、言語発達と臨界期の問題まで否定されるというのでは
ない。
人間はそれぞれの成長期に、それぞれの適切な環境で、適切に育てられなけば
ならない。
人間性にしても、言葉にしても、さらにたとえば音感やもろもろの美的感覚
にしても、その時期を逃すと、その後、修復がたいへんむずかしくなる。
たとえオオカミ少女の話がウソであったとしても、その重要性は変わらない。
またまったくのデタラメだったとしたら、こうまで長く、多くの心理学者や
精神学者、さらには哲学者たちの支持は受けなかっただろう。

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●山荘を手放す

 今日、山荘から帰るとき、ワイフとこんなことを話しあった。
「あと、2、3年したら、山荘を売ろう」と。
さみしい決断だった。
このところ山荘を利用する回数が、ぐんと減った。
「利用する」というよりは、「利用しなければ」と、何かせかされている
ような気分になることが多くなった。

 それに率直に言えば、私もワイフも、同じように歳を取った。
車の運転も、これからはあぶなくなる。
つい先日も、ワイフは、車をバックさせているとき、車の後部を
電柱にぶつけてしまった。
注意力も散漫になってきている。

 が、そのとたん、よき友を失ったようなさみしさを覚えた。
息子たちが巣立っていったときのようなさみしさだった。
土地作りに6年もかかった。
家は、建築会社に建ててもらったが、そのあといろいろな工事は自分たちでした。
家の周囲に砂利を敷いたのも、私たちだった。
そんな無数の思い出が、どっと脳裏を満たした。

私「さみしいね」
ワ「そうね」と。

 しかしいつまでももっているわけにはいかない。
これから先、雑草の管理すら、ままならなくなる。

私「しかしどうせ譲るなら、大切にしてくれる人にしよう」
ワ「そうね」と。

 ・・・ということで、新しいHPを立ち上げることにした。
『山荘を譲ります』というタイトルのHPである。
まだUPLOADしていないが、ここ1~2か月のうちには、
完成させたい。
私のメインのHPから、入れるようにする。
興味のある人は、見てほしい。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より。

今すぐ・・・ということは考えていない。
現在私は62歳。
もうすぐ63歳。
ワイフは60歳。
希望としては、65歳前後にだれかに譲渡できればと願っている。


●離婚

 結局、私たちは離婚するのをやめた。
喧嘩するたびに、「離婚だ」「離婚しましょう」となる。
が、今回も、またやめた。

 どうあがいても、私の人生も残り10年。
ワイフの人生も残り10年。
こういうとき人は1つの選択に迫られる。

「残り10年だから、今までの人生を完成させよう」、
あるいは、
「残り10年だから、やり直せるものなら、やり直そう」、と。

 つまり離婚しないで、残りの人生を共に力を合わせて生きるか、
それとも離婚して、人生をゼロからやり直すか、と。

 が、2人の間には、共通の思い出が山のようにある。
私の思い出イコール、ワイフの思い出。
ワイフの思い出イコール、私の思い出。
一体性が、あまりにも強すぎる。
平たく言えば、2人で1つの人生を生きてきた。
離婚などあえてしなくても、そのうち「死」が私たちを分かつ。

 では、私たちが定期的に繰り返す離婚騒動とは、いったい、何なのか。
祭り?
習慣?
あえて言えば、倦怠感を吹き飛ばすための定例儀式。
2、3日もすると、「やめよう」「やめましょう」と言う。
仲直りする。
そしていつもどおりの日々が、再び流れ始める。

 義兄に話すと、「だからこそ、夫婦でいられるのだよ」と。
つまり夫婦も会話が途切れたら、おしまい。
喧嘩もしなくなったら、おしまい。
言い争うから、夫婦。
・・・ということらしい。

 で、今は、今度2人で、昼神温泉へいっしょに行こうと話しあっている。
浜松から直通バスが出る。
往復6000円弱。

私「お前さあ、ぼくのことを本当は嫌っているんだよ」
ワ「そんなことないわよ。勝手に決めつけないでよ」
私「いいのか、ぼくで?」
ワ「あなたしかいないのよ。よくても悪くても・・・」
私「そうだよなあ。ぼくにも、おまえしかいないし・・・」と。

 かくして今は、平穏+平和な日々がつづいている。

(補記)

 同時に今、ワイフとの間で、こんな会話をよくする。
「2人でオーストラリアへ移住しよう」と。
このときも同じような選択に迫られる。
「残り少ない人生だから、好き勝手なことをしよう」、
「やり残した感じはあるが、無難な余生を送って過ごそう」と。

 こうした(やり残し感)は、どうやらだれにでもあるものらしい。
つまり人生は、そのつど選択の連続。
その選択をしながら、もう一方の選択肢に未練を残す。
こうして私たちはトボトボと、(トボトボと、だ)、自分の道を歩く。


Hiroshi Hayashi++++++Sep 2010++++++はやし浩司

1/3 ホメオパシー

2010-09-24 07:36:57 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 9月 24日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【代替医療】ホメオパシーについて考える前に

●まず先入観を捨てる

 あなたは「ホメオパシー」なる治療法をどう思うか。
まず先入観を捨ててみる。
その上で、この問題を考えて見る。

●ホメオパシー

+++++++++++++++++

少し遠巻き……とういうか、外堀を
先に埋めるような書き方をするが、
許してほしい。

今、「ホメオパシー」と呼ばれる、
いわゆる代替医療行為(?)が、
問題になっている。
どこかの助産婦が、新生児の頭蓋内出血
予防に必要とされる、ビタミンKを
投与させず、1人の女児を死亡させる
という事件も起きている。

実は私は、(私の不勉強によるものだが)、
今日の今日まで、その言葉を知らなかった。
「ホメオパシーって何?」と、ワイフに
問いただしたほど。

だから先に、思いついたことを書いてみる。
ホメオパシーについて書く前に、信仰とは
何か。
そのあたりからかんがえてみたい。

+++++++++++++++++

●ルルドの奇跡

フランスにルルドという聖地がある。
奇跡を起こす聖地として、知られている。
毎年熱心なキリスト教の信者たちが、たくさん訪れている。
実際、何かの病気が治ってしまった人がいるという。
そのうちの66人は、「奇跡」と認定されているという。

ある人のHPでは、旅行記としてつぎのように紹介している。

『ルルドは1858年、洞窟に聖母マリアが出現、マリアが告げたところから水が湧き、
その水に浸かったり飲んだりすると難病が治り、瀕死の子供が助 かったことからカトリッ
クの聖地となった。年間500万人が訪れる世界最大の聖地は300ヘクタールの広大な
聖域に聖堂や教会、病院、宿泊施設を備えている。今回の旅はルルドに3連泊、パリに2
泊のゆったりとした旅程。疲労が少ないように配慮された。

「ルルドは大変優れたシステムの癒しの場です。重病人は駅に迎えを頼むこともできます。
車椅子の方や難病の方はもちろん、ベットから起きられない方もボランティアが何人もか
かって持ち上げ泉の水にザボンと浸けてくれるんです。我々も全員沐浴させていただきま
した。シスターは、ある参加者ががんだとわかると抱きしめて祝福してくれました。それ
も感動的でした。

お世話してくれるシスターやボランティアの方、街全体が病人の気持ちをわかってくれて
いる感じがします。ここでは病人が主役なんです。日本ではがん患者は近隣や仕事関係、
家族にまで『元気にみせなきゃ』と気を使う。でもここでは病人で大丈夫だし、カトリッ
クでなくてもひとりで天に祈れます。そんな癒しの場が日本にもあればと思います。ルル
ドの癒しのサポートシステムはぜひ、医療関係者に知ってもらいたい』(逸見晴恵氏HPよ
り、一部抜粋)と。

●信仰とは

 若いころ、ある寺にいたら、朝早く1人の信者がやってきた。
いわく、「今朝は、お礼参りにやってきました」と。
話を聞くと、孫娘の肺炎が治ったという。
一時は危篤状態に陥ったという。
その信者は、仏壇に現金の入った封筒を置き、何度も祈りなおしていた。
私はその姿を見て、こう思った。
「肺炎を治したのは、寺ではなく病院だ」と。

 が、こんな理屈は信者には通らない。
こんな話もある。

 ある女性の夫が交通事故で死んでしまった。
そのあとその女性に、3000万円の保険金が支払われた。
それについてその女性は、「3000万円も手に入ったのは、この信仰をしていた
おかげ」と。
そこでその女性は、うち1000万円を寺に寄付してしまった。
その寺では、1000万円以上の寄付をする信者を、「4桁会員」と呼んで、
特別な立場に置いていた。

 まだ、わからない?

 では、もうひとつの話をしよう。
ある宗教団体では、念力で病気を治すと教えている。
で、その団体の信者の息子が、ある重い病気にかかった。
病院へ連れて行けば治った病気だったという。
しかし親は病院へは連れて行かなかった。
念力で病気を治すとがんばって、一晩中、息子の枕元で祈った。
が、その甲斐もなく、息子は死んでしまった。

 ふつうなら、つまりふつうの常識のある親なら、その信仰から遠ざかる。
が、その親はますますその信仰に、のめりこんでいった。
「私たちの信仰が足りなかったから」と。

 もっとも自分たちの過ちを認めたら、自分たちが息子を殺してしまった
ことになる。
親としては、それを認めることはできない。

●心の救済

 医学では、人の心を救うことはできない。
病気を治すことはできるが、人の心を救うことはできない。
そのことは、あなた自身がいちばんよく知っているはず。

 だから年間500万人の人が訪れ、たった66人の人にしか奇跡が起きなかった
としても、人々は、ルルドに心の救済を求める。
あるいは夫が交通事故で死んでも、3000万円の保険金が入ったとしても、
その女性は、「信仰のおかげ」と、それを喜ぶ。

 さらに言えば、自分たちの信仰のせいで、息子が死んでしまったとしても、
その親は後悔しない。
「後悔」という部屋のドアをしっかりと、閉じてしまう。
「心」というのは、いつも常識の向こうの世界で動く。
だから常識で理解できないからといって、こうした事例を頭から否定してはいけない。
「科学」にしても、そうだ。

●丸山ワクチン

 「丸山ワクチン」というワクチンがある。
当初、あのワクチンは、「ただの水」と酷評された。
「だからいくら注射しても、がんには効かない」と。
多くの科学者や医師が、その使用に反対した。

 が、そのあとも丸山ワクチンでがんが治ったという人が続出した。
脳腫瘍が消えてしまった人もいる。
そこでいろいろ調べてみると、丸山ワクチンが、人間が本来的にもつ
免疫機構を刺激することがわかってきた。
そのスイッチとなる部分は、脳下垂体にあるという(伝聞)。
その結果、免疫機構が働き出す(伝聞)。
わかりやすく言えば、丸山ワクチンが免疫機構を目覚めさせるということになる。
だから、ほんの少量でよいということらしい(伝聞)。
一説によれば、数千万分の1ミリグラムとか、あるいはもう1桁多い、一億分の
1ミリグラムでもよいとか(伝聞)。
(このあたりの話は、あくまでも参考として読んでほしい。
内容は不正確。)

 つまり丸山ワクチンががん細胞を攻撃するのではなく、免疫機構を目覚めさせ、
その結果としてがんが治るということらしい(伝聞)。
人体の機構はそれほどまでに複雑で、かつ未解明な部分が多い。
だから「科学的に・・・」という理由だけで、それを否定したり、あるいは肯定した
りしてはいけない。
とくに「科学性がないから、エセ」という考えることには、私は疑問をもつように
なった。

「科学性」というときは、現在の時点までの科学的レベルを基準にする。
が、既知の分野より、未知の分野のほうがはるかに多い。
「科学性がない」というのは、あくまでも「既知の分野」で証明された科学性に
すぎない。
よい例が、鍼灸治療でいうところの「針治療」がある。
漢方薬治療でもよい。

 私が子どものころには、和漢、つまり日本の東洋医学は「完全に」と言っても
過言でないほど、社会の隅に追いやられていた。
「迷信」というよりは、迷信としても相手にされていなかった。

●ホメオパシー

 そこで今、話題になっている「ホメオパシー」。
信仰なのか、信仰でないのか。
科学性はあるのか、ないのか。
考え方の基本は、こうである。

 「植物や動物、鉱物などを希釈した水を染みこませた砂糖玉を飲む療法」(中日新聞)
と。
科学性ということになると、根拠はない。
日本医学会の高久会長は、「科学的にはまったく無意味だ。根拠のないことの広がりには
危機感をもたざるをえない」(同)と述べている。
「エセ科学」と断言する学者も多い。
が、私はそうとも言い切れないのではないかと考える。

私はひとつの判断基準として、「経過時間」をあげる。
つまりもしエセなら、その歴史的経緯の中で、とっくの昔に消えてなくなって
いるはず、と。
それが100年単位でつづいているというのなら、それを見る私たちは、もう
少し謙虚になってもよいのではないか。
ホメオパシーについても、約200年の歴史があるという。
(だからといって、ホメオパシーを肯定しているのではない。誤解のないように!)

 よい例が、先にあげた鍼灸である。
「針治療」である。
繰り返すが、あの針治療にしても、ほんの40年前には、エセ科学と位置づけられていた。
公然とそれを口にする人はいなかったが、そう考えられていた。
またそれを施す人たちのほとんどは、身体に障害をもつ人たちであった。
が、それがとんでもないまちがいだったということは、現在の状況を見ればわかる。

●毒蛇研究所

 丸山ワクチンについて書いているとき、こんなことを思い出した。
それに私には、もうひとつ、こんな経験がある。

 ブラジルのサンパウロ市公害に、「毒蛇研究所」という、恐ろしい研究所がある。
その研究所を訪れたときのこと。
案内をしてくれた所長がこんな話をしてくれた。
1975年ごろのことで、そういうものの考え方をする研究者は、日本には
いなかった。
つまり「毒を薄めると、薬になる」と。
(反対に、薬を濃くすると、毒になる。)

 そこでその研究所では、毒蛇から毒を採取し、それを何千倍とか、何万倍とかに
薄めて、薬として使用している、と。

 今度の「ホメオパシー」の発想は、どこかあの毒蛇研究所の所長が言った発想と
似ている。
あるいはどこかでつながっている?

●研究会?

 さて、本論。
長い前置きになってしまったが、「外堀」の話は、ここまで。

 で、問題なのは、「ホメオパシー」が、信仰化しているという点。
先にも書いたように、どこかの助産婦が、新生児を死亡させてしまったという
事件も起きている。
それで日本医学会でも問題になり始めた。

とくに、この日本では、医者をないがしろにするような行為や言葉にきびしい。
「治る」などという言葉は、医師でしか使えない。
「~~病に効果がある」と、病名を出すのも禁止。
「~~病が治った」というのも、禁止。

 だからこそ、こうした「治療法」を許せないのかもしれない。
自分たちの医療体系というよりは、寡占体系が崩れてしまう。
そこで「研究会」ということになった。

 今朝の中日新聞はつぎのように伝える。

+++++++++++以下、中日新聞++++++++++++

長妻昭厚生労働相は、8月25日、日本学術会議の金沢一郎会長が「ホメオパシー」と
呼ばれる代替医療の効果を否定する談話を発表したことを受け、「本当に効果があるのか
ないのか、厚労省で研究していく」と述べた。

(中略)

都内で開いた記者会見で、日本医学会の高久会長は、「日本学術会議からホメオパシーの
危険性を検討してほしいという依頼があり、科学的根拠がないと一致した」と述べた。
日本医師会の原中会長も、「科学的にはまったく無意味だ。根拠のないことの広がりには、
危機感をもたざるをえない」と強調した。

(中略)

金沢会長は24日に、「(これに頼ることで)、確実で有効な治療を受ける機会を逸する
可能性がある」との談話を発表。推進団体は反発している。

+++++++++++以上、中日新聞++++++++++++

●ハンゲコウボク湯信者

 ところで私にも、信仰(?)がある。
「ハンゲコウボク湯信者」という信仰である。
そういう私だから、当初、ホメオパシーという言葉を聞いたとき、一瞬だが、
こと「ホメオパシー」については、エセ科学とは言い切れないのではないか。
そう考えた。

そのものが効くというよりは、それが脳のある部分のスイッチをONの状態に
する。
とたんそれまで眠っていた、その病気に対する免疫機構が働き出す。
そういうことはありえる(?)。

 私が現在、毎晩眠る前に服用している「ハンゲコウボク湯」にしても、
そういう効果があるらしい。
ほんの微量(耳かきに一杯程度の量)で、がんの予防になるという。
東大の元薬学部長であった水野先生が、その効果を何かの研究の途中で偶然発見した
という。
また丸山ワクチンの開発をした、丸山氏とも親交があり、丸山氏の研究をを励ました
という記録も残っている(「丸山ワクチン」HP)。

以後、水野先生の周囲には、ハンゲコウボク湯信者が急速にふえていった。
恩師の田丸謙二先生(東大、元総長特別補佐、日本化学界元会長)もその1人で、
「林君ものんだら」と勧められて、以来12年近くのんでいる。

 が、ここから先が、信仰のおもしろいところ。
私とワイフは、その信者だが、そうして毎晩のむことによって、安心感を覚える。
「私たちはがんにならない」という安心感である。
信仰性があれば、さらに絶対的な安心感に変わる。 
あるいはそうした安心感が、免疫力を高めているのかもしれない。

 だからがん検診にしても、毎年たいへんおおまかなものしか受けていない。
しかしこれも「確実で有効な治療を受ける機会を逸する可能性がある」(金沢会長)
ということになるのだろうか。

●医療と心

 話が混乱してきた。
もう一度、整理してみる。

(1)フランスのルルドには、病気を治してもらいたいと、年間500万人もの人々が
訪れている。

(2)信仰には常識をはずれた盲目性がある。

(3)「科学性がないから……」という理由だけで、その治療法を否定するのは
危険なことである。

(4)ホメオパシーとは、いったい何なのか。

 その前に考えるべき第一の問題は、「医学で、心の救済はできるか」ということ。
このことは、自分の問題として考えてみると、わかりやすい。
話が戻るが、許してほしい。

 たとえばルルドには、毎年500万人の人たちが訪れているという。
みながみな、キリスト教を信じているわけではない。
が、そのうち奇跡によって病気が治ったと言われる人は、66人と言われている。
『このルルドで病気が治ったと自己申告をした人は、1862年以来6700人にのぼる
が、そのうち、ルルド聖地当局によって正式に奇跡と認定されたのは、たったの66人だ
けだ』(「ルルドの泉」HPより)と。

 確率から言えば、1万人に1人?
病気を治すということであれば、私の家の近くにある医療センターのほうが、はるかに
多くの人を治している。
が、毎年500万人の人たちが、救いを求めてルルドに向かう。
この日本でも、特別なツアーを組んでいる旅行社がいくつかある。
「特別」というのは、「病人の人のための」という意味である。

 「科学性」ということを言うなら、なぜ日本の医師会は、(厚労省でもよいが)、
ルルド巡りにメスを入れないのかということになる。
さらに科学性ということを言うなら、かつての「針治療」「丸山ワクチン」のときは、
どうだったのかということになる。
ただその一方で、科学を装った「ニセ科学」というのも、ある。
バランスをとるため、それについても書いておきたい。

2/3ホメオパシー

2010-09-24 07:36:26 | 日記


●水からの伝言(ニセ科学)

 もちろんとんでもないエセ科学というのはある。
「水からの伝言」を例にあげるまでもない。
あれほどまでにバカげたエセ科学はない。

++++++++++++++++++++

09年7月に書いた原稿を再掲載します。

++++++++++++++++++++

●ニセ科学(pseudo science)
In Japan very strangely most of the young people believe that each man’s personal
character is decided by the blood type. It is only one of pseudo science, which widely
spread throughout Japan.

++++++++++++++++

家具屋の店員に、重い家具を搬入してもらった。
そのとき、私が「こんな家具、地震で倒れたら、たいへんだなア」と、ふと漏らすと、そ
の店員は、こう言った。
「重いから、倒れません」と。
私は、その言葉を聞いて、あっけに取られた。
血液型による性格判定についても、しかり。
つまり科学性、ゼロ!

++++++++++++++++

「Imidas、時事トレンド」の中に、こんな記事が載っていた。同志社大学教授の左
巻健男氏の書いたものだが、「人はなぜ、ニセ科学を信ずるのか?」というのが、それ。

 左巻氏は、ニセ科学として、いくつかの例をあげている。そのひとつが、マイナスイオ
ン。

(1) マイナスイオンとは、化学で学ぶ「陰イオン」ではなく、これに近いのが、大気科
学の「負イオン」である。「滝にマイナスイオンが発生している」と言うばあいには、負イ
オンだが、これが健康によいという根拠はない。

プラスイオンは「吸うと心身の状態が悪くなる」のに対して、マイナスイオンは空気を浄
化し、吸うと気持ちのイライラが解消し、ドロドロ血はサラサラに、アトピーや高血圧症
にも効き、健康にもいい」というのである。

これは「納豆ダイエット」でねつ造が発覚したテレビ番組「発掘、あるある大辞典」(フジ
テレビ系)が火付け役で、1999年から2002年にかけて、特集番組で驚くべき効能
がうたわれた。

そこから有名企業までが、マイナスイオン類似の効果をうたう商品を製品化し、エアコン、
冷蔵庫、パソコン、マッサージ機、ドライヤーや衣類、タオルなど、広範囲の商品が市場
に出されるに至った(以上、P162)、と。

 ニセ科学は、血液型による性格判定だけではなかったというわけである。電気店へ行く
と、たしかにその種のうたい文句を並べた商品は多い。私はマイナスイオンにとくにこだ
わっていたわけではないが、今度、新しく購入した冷蔵庫にも、それがあった。

 しかし左巻氏に言わせると、それもニセ科学だったとは! しかも火付け役が、あの「発
掘、あるある大辞典」だったとは! 

 左巻氏は、こうつづける。「マイナスイオン測定器でこれらを測定すると、1ccあたり、
数10万個との数値を示すが、空気の分子数とくらべると、微々たる数値にすぎないこと
に注意を要する」(同書)と。

 だからといって、つまりImidasにそう書いてあったからといって、左巻氏の意見
を全面的に信ずるのもどうか、ということにもなる。しかしここは、やはり科学者である
左巻氏の意見を尊重したい。相手が、「発掘、あるある大辞典」では、話にならない。
 左巻氏も書いているが、本当の問題は、こうしたニセ科学にあるのではなく、「人はなぜ、
ニセ科学を信ずるのか?」という部分。

 もうひとつ、こんな例をあげている。

(2) 容器に入った水に向けて、「ありがとう」と「ばかやろう」の「言葉」(文字)を書
いた紙を張り、その水を凍らせる。

すると「ありがとう」の水は、対称形の美しい六角形の結晶に成長し、「ばかやろう」の水
は、崩れた汚い形の結晶になるか、ならない。

ゆえに「水が言葉を理解する」と主張する『水からの伝言』(江本勝著)という本が話題に
なった。

水という物質が、言葉によって影響を受けるということはない(同書)、と。
 こんなアホなことは、だれにでもわかる。何も、左巻氏の説明を借りるまでもない。し
かし、だ。こんなアホな説を根拠に、教育界でも、「きれいな言葉を使いましょう」運動が
広まったという。

 理由は、「人間の体の6~7割は水だから」と。が、批判が高まると、「それに加担した
教育団体は、ホームページからその授業案を削除したが、いまもどこかで、こうした(道
徳)の授業が行われている」(同書)と。

 しかし、『水からの伝言』とは何か? 江本勝という人物は、どんな人物なのか? 少し
前、麻薬を所持していて逮捕された教育評論家がいた。彼は以前、「子どもにはナイフを持
たせろ」「親が子どもを信頼している証になる」と説いていた。

 その教育評論家は、都会で子どもたちによるナイフ殺傷事件がつづくと、いつの間にか、
自説をひっこめてしまった。私は、左巻氏の意見を読みながら、その教育評論家のことを
思い浮かべていた。

 で、さっそくヤフーの検索エンジンを使って調べてみると、それは、そこにあった。
いわく、「私たちは、水の結晶写真技術に基づいて、愛・感謝の気持ちが水を美しく変化さ
せるということを、実証してきました。水をきれいにすることにより、私たちの心身もき
れいになり、健康を取り戻し、本来持っている才能を開花することができるのです。水が
変われば世界が変わります。いっしょに波動と水の可能性を探究しましょう」(「水からの
伝言」HPより)と。

 どうやら、本気らしい。

 しかし……? 「?」マークを、1ccあたりに存在する水の分子の数ほど、つけたい。
その数は、約3x10の22乗!(ヤフー・知恵袋参照)

 数字で表してみると、こうなる。

300,0000,0000,0000,0000,0000個!

 しかし、左巻氏ではないが、どうして人は、こんな珍説を信ずるのだろう。あの占星術
にしても、そうだ。科学性は、さらに低い! ゼロどころか、ゼロにもならない!
 これも教育の欠陥といえば、それまでだが、その先には宗教があり、カルトもある。け
っして、軽く考えてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ニセ科学 非科学 納豆ダ
イエット マイナスイオン マイナス・イオン 水からの伝言 エセ科学 はやし浩司 
水からの伝言 水伝 水の結晶)

●ホメオパシーJ

 ホメオパシーJのHPでは、つぎのように説明している。

『……今から200年前にドイツの医師ハーネマンがその生涯をかけて確立させた療法で、
その起源は古代ギリシャのヒポクラテスまでさかのぼることができます。

ホメオパシーは同種療法あるいは類似療法と訳されている通り、「症状を起こすものは、そ
の症状を取り去るものになる」という「同種の法則」が根本原則になっています。

ハーネマンはこの「同種の法則」に、症状を起こすものを非常に薄めて使うことにより、体
に悪影響を与えることなく、症状だけを取っていくものとなるという「超微量の法則」を打
ち建て、安全で体にやさしく常習性を持たないホメオパシー療法を完成させました。

ホメオパシーでは症状を抑圧するのではなく、症状を出し切れるように後押しします。そ
うして初めて心身ともに健康になると考えます。 私達の心や細胞が抱える不自然なパター
ンを解放し、体の芯から健康を取り戻す自然療法、それがホメオパシーです』と。

 よくわからない……というより、「植物や動物、鉱物などを希釈した水を染みこませた砂
糖玉を飲む療法」(中日新聞)というのとは、少しちがうのではないか?
もう少し詳しく調べてみると、同団体のY氏が、朝日新聞社の記者のインタビューに
答えてつぎのように述べているのがわかった。

『……ここまで薄めると毒の物質は、事実上もう入っていないが、「薄める時によく振るこ
とで、毒のパターンが水に記憶される」と協会会長のYさんは解説する。

「自然治癒力が病気と闘っている時に現れるのが病気の症状。西洋医学は症状を緩和する
が治癒はさせない」。ホメオパシーで治せる病気は精神病から皮膚病まで多種多様で、がん
治療も可能かと聞くと、Yさんは「そうです」と力強く答えた』(朝日新聞)と。

 ……と思いつつ、「ホメオパシーJ」のHPを読んでいくと、「?」がいくつか頭の
中を横切った。

 どこかカルト化している?
そんな印象ももった。
「がん治療も可能と力強く答えた」というのは、ま・ず・い!

●レメディー

 「植物や鉱物などを高度に希釈した液体を小さな砂糖の玉」を、「レメディー」と
呼ぶらしい(同HP)。
その玉を「舌下に入れ、溶けるのを待ちます」と。
もう少し詳しく説明すると、つぎのようらしい。

『……レメディーは、舌下に入れて溶けるのを待ちます。基本的にレメディーを摂る20分
前後は、口の中に何も入れないよう指示されますが、レメディーを摂る20分前後に飲食を
すると効果がなくなるということはありません。時間的に余裕のない時は、飲食前後の20
分以内でも構いませんので、レメディーをお摂りください。

但し、コーヒーや香りの強いもの(ミントが含まれている歯磨き粉等)は、レメディーに影響
を与えることがありますので、レメディーを摂る前後20分ほどは、避けるようにしてくだ
さい。また、レメディーを摂り続ける期間中は、できるだけコーヒーを飲まないようにし
た方が賢明です。レメディーの作用を消してしまう場合もあると言われています。
メンソール、ユーカリ、樟脳などの香りが強い場所は、レメディーの保管に向いていませ
ん。

レメディーを摂る本人以外はレメディーに触れないようにしてください。レメディーに触
れると、多少触れた指からもエネルギーが入ってしまいます。しかし、緊急時や赤ちゃん・
動物等に与える場合には、かまわず自分の手に取ってすばやく口に入れてあげてください。
時間にゆとりがある場合には、スプーンなどを使ってレメディーを相手の口の中に入れて
あげるか、レメディーを水に入れて溶かし、その水を飲ませるなどの方法を取ってくださ
い』(同、HP)と。

 この中でとくに気になる部分は、『レメディーを摂る本人以外はレメディーに触れないよ
うにしてください。レメディーに触れると、多少触れた指からもエネルギーが入ってしま
います』というところ。

 レメディーに触れると、多少触れた指からも、「エネルギー」が入ってしまう、と。

 エネルギー?

 さらに「薄める時によく振ることで、毒のパターンが水に記憶される」という意見も
たいへん気になる。
毒のパターンが水に記憶される?
これなどは、まさにあの「水からの伝言」そのもの。

 またレメディーというのは、キャンディーのこと?
だったらそういうキャンディーなら、いくらでも市販されている。
いろいろなフルーツの味で作った、「森永キャンディー」というのもある。
私は子どものころ、大好物だった。
(だから虫歯だらけになってしまったが……。)
しかし「エネルギー」までは、考えなかった!

●私の印象

 私は実は、この原稿を書き始める前は、ホメオパシーに好意的というか、擁護的な
印象を抱いていた。
「200年前からあった」という、年数にも敬意を払った。
ひょっとしたら、人間が本来的にもつ免疫機構に、何らかの作用を及ぼすのではないかと
も考えた。
それに「科学性」という言葉には、両刃がある。
「科学性があるから……」といっても、すべてを信じてはいけない。
「科学性がないから……」といっても、すべてを否定してはいけない。

 しかし結論を先に言えば、やはりどうも胡散(うさん)臭い。
ホメオパシーJのHPを読めば読むほど、疑惑が強くなった。

……という程度にしか、今は書けないが、ともかくも胡散臭い。
科学性のあるなしを論ずる以前の問題のようでもある。
さらに言えば、信仰のレベルを超えて、カルト化している?
ホメオパシーについては、そんな印象ももった。

 今回は、外堀だけを埋め、この先は、もう少し様子をみてから書いてみたい。
何とも歯切れの悪い原稿で、ごめん!

 ホメオパシーは、本当に効果があるのかないのか。
その正体は何なのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ホメオパシー 自然治癒力 水からの伝言 ルルド 水伝 ニセ科
学 エセ科学 代替医療)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司※