●親友の接待
+++++++++++++++++++
理由は、よくわからない。
わからないが、このところ、「私」自身が、
大きく変化している。
そんな感じがする。
ほんの数年前までは、友人が、2か月とか
3か月、私の家にホームステイしても、
どうということはなかった。
毎日の生活を、いつもと同じように繰り返す
ことができた。
が、今回は、少し感じがちがう。
自分でもそれがよくわかる。
気疲れしやすいというか、重い負担感を覚える。
40年来の友人である。
気心も、よくわかっている。
その間に、たがいに何度も行き来している。
が、それでもいつもと感じがちがう。
今日は午後になって、偏頭痛まで起きた。
なぜだろう?
++++++++++++++++++++
●柔軟性(フレキシビリティ)
ここ1、2年、急速に柔軟性が失われていくのを感ずる。
臨機応変にその場に対処できない。
ひとつの計画を立てると、それに固執するようになった。
つまり以前は、もう少しいいかげんな人間だった。
その場、その場で、平気で計画を変更した。
が、今は、それができない?
これも脳の老化現象のひとつ?
友人は日本へ来てから、別棟の部屋に寝泊まりしている。
とくに世話がかかるわけではない。
もともと独立心の旺盛な友人で、ひとりであちこちに出かけたりする。
彼なりにここでの生活を楽しんでいる。
が、それでも気疲れを起こす。
「食事はどうしよう?」「どこへ連れていけばいいのか?」「洗濯はしているだろうか?」
などなど。
いつもそのことが頭から離れない。
●気疲れ
今までとちがう点がひとつある。
それは今度の出会いが、最後になるかもしれないという閉そく感である。
手術はうまくいったとは言っているが、友人は今年、大病を患った。
だからよけいに私は、気を遣ってしまう。
今までのような気楽さが、ない。
それから生まれる気負いが、私を疲れさせる。
「おいしいものを食べさせてやろう」とか、「楽しい思いをさせてやろう」とか、
そんなことばかりを、考える。
友人は友人で、それが反対にわかるのか、どこか他人行儀な態度を見せる。
欧米人を家に迎えるときには、やりたいようにさせてやる。
それが最善の接待方法である。
よくわかっているが、今回は、どうしてもあれこれと干渉してしまう。
それにもうひとつの理由は、この暑さ。
体の方がバテてしまっている。
ときどき軽いめまいがする。
何かにつけ、疲れやすい。
慢性的な睡眠不足症状もつづいている。
その友人がどうこうというのではなく、そういう状態のとき、人を接待するのも、
たいへん。
本来なら、仕事以外のときは、家の中でゴロゴロしている。
いや、今日は、仕事中に、ウトウトと眠ってしまった。
体力も、気力も、たしかに弱くなっている。
●接待の限界
ワイフはこう言った。
「これからは無理かもね」と。
つまり会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
どこかのレストランか、ホテルで会う。
宿泊までしてもらうというのには、無理がある。
このことは反対に、私たちがだれかの家を訪問するときも、そうだ。
会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
それ以上は、相手に大きな負担を与えるので、遠慮する。
若いときならともかくも、相手が60歳を過ぎていたら、遠慮する。
夫はともかくも、妻の方が、たいへん。
寝食の世話からすべて、いっさいがっさい、気を遣わなければならない。
相手が欧米人なら、まだよい。
あれこれ、家事を負担してくれる。
が、相手が日本人だと、そうはいかない。
●日本人
「客人」とし来た日本人は、何もしない。
本当に何もしない。
つまり何も手伝ってくれない。
いつもどこかでデンと座っているだけ。
「上げ膳、据え膳」という言葉があるが、それだけではすまない。
風呂の世話から、寝具の世話などなど。
動き回るのは、私と妻。
私も山荘をもったころは、毎週のようにいろいろな友人を呼んだ。
しかしそのうち、疲れるようになった。
せっかくの土日なのだが、それが終わるころには、ヘトヘトになってしまった。
ということで、今は、客人を、ほとんど招待しない。
……というか、体力的な限界もあって、招待できない。
内心では申し訳ないと思いつつ、駅前のレストランで会って、それで別れるように
している。
●やはり暑さのせい?
これもひとつの変化かもしれない。
老後になればなるほど、交際の範囲が、狭く、淡白になっていく。
これは息子や娘たちとの交際についても、言える。
私のばあい、息子たちには、ほとんど気を遣わない。
しかし嫁となると、そうはいかない。
気を遣う。
孫がいれば、なおさら。
最初から同居していれば、こういうこともないのだろう。
またこれは「慣れ」の問題。
毎週のように行き来していれば、それなりの対処もできる。
しかし私たちのようなばあい、やはり疲れる。
で、そのことをワイフに問うと、ワイフも同じようなことを言った。
「これからは、どこかのホテルに泊まってもらうようにしたら」と。
実のところ、泊めてもらう側の私にしても、同じことが言える。
あれこれ気を遣うよりは、どこかのホテルに泊まったほうがよい。
好きな時刻に寝て、好きな時刻に起きる。
好きな料理を食べる。
どこか心さみしい感じがしないわけでもないが、つまりそれだけ心のほうが、
柔軟性(フレキシビリティ)を失っていることを意味する。
……いや、やはりこれは暑さのせいかもしれない。
もう少し気候のよいときだったら、こうも疲れないはず。
このところの暑さは異常!
本当に暑い!
心身が、二重、三重にバテてしまっている。
だからよけいに柔軟性を失ってしまった……ようだ。
Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司
●感情のコントロール
+++++++++++++++++++++
感情のコントロールは、前頭の連合野が管理して
いる。
理性の府。
感情のコントロールができる人は、それだけ
人格の完成度が高いということになる。
が、この暑さ。
何かにつけ、イライラしやすい。
爆発しやすい。
つまりその分、セロトニン(脳間伝達物質)の
分泌が、旺盛になっている?
その前に暑さと、セロトニンの分泌とは、
関係があるのか。
たとえば暑いから、どうしてもアイスを食べたり、
甘味ジュースを飲んだりする。
それがインシュリンの分泌を促し、セロトニンの
分泌を促す。
結果として、キレやすくなる。
++++++++++++++++++++++
●葬儀で大泣きした女性
先日、ある葬儀に出たら、いざ出棺となったとき、人目もはばからずギャーギャーと
大泣きをした女性がいた。
年齢は65歳くらいか。
その女性の兄の葬儀だった。
その泣き方が、ふつうでないというか、異常だった。
みながなだめたが、5分以上は泣きつづけていた。
静かな会場だったので、よけいに目立った。
感情のコントロールができない人というのは、そういう人をいう。
つまりそれだけ大泣きしたのだから、さぞショックだったのだろうと思ったが、その
あとの三日目の食事会のときには、ケロッとしていた。
むしろ快活に、はしゃいでいるようにも見えた。
大声で笑い、冗談まで言い合っていた。
このタイプの人は、思慮深さがなく、また言ってよいことと悪いことの判断ができない。
その場の感情に溺れて、感情のおもむくまま、思いついたことを口にする。
愚痴、批判、悪口、中傷……まさに、何でもござれ。
●感情のコントロール
かく言う私とて、偉そうなことは書けない。
私自身も、感情のコントロールに苦労する。
他人に対しては、めったに取り乱すことはないが、ワイフに対しては、そうでない。
そのままの自分を、ぶつけてしまう。
だから夫婦喧嘩ばかり……。
自分でもそれがよくわかっているから、まず食事面で気をつけるようにしている。
(1) カルシュウム、マグネシウム、カリウム(海産物)の多い食生活に心がける。
とくにカルシュウム。
ときに錠剤で補う。
(2) 甘い食品を避ける。
一時的に甘い食品を多量に口にすると、インシュリンが分泌され、それが血糖値を
さげる。
さげたまま、さらにさげるから、結果的に低血糖状態になる。
低血糖状態になると、精神がきわめて不安定になりやすい。
イライラしたり、怒りっぽくなったりする。
集中力もなくなる。
とくに夏の暑いときは注意する。
言い忘れたが、カルシュウム剤は、戦前までは精神安定剤として使われていた。
「どうもこのところ精神が不安定」と思っている人は、カルシュウム分の多い食生活
に心がけてみたらよい。
子どもについても、そうである。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 感情のコントロール キレやすい キレやすい子ども)
+++++++++++++++
以前書いた原稿を、添付します。
+++++++++++++++
●キレる子どもの相談
++++++++++++++++
数年前、キレる子どもについて、
ある母親から、こんな相談が届いて
いる。
そのとき書いた原稿をそのまま
ここに紹介する。
++++++++++++++++
●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに
体重15キロの子どもが、缶ジュースを1本飲むということは、体重60キロのおとなが、四本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを4本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリームを1個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。
突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの子どもでまず疑ってみるべきは、低血糖。
一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげようとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残ったインスリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。
つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態になると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって大声をあげたり、暴れたりする。
このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るように、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、20年ほど前に話題になったことがある。
日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほか)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。
話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげしい」「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約50%が、この問題で悩んでいる。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。
(小食児へのアドバイス)
(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。
ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつうの家庭よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食(?)でも問題はないとみる。
++++++++++++++++++++++++
以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。
++++++++++++++++++++++++
●島根県のUYさんより
はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は5歳半になる年中児で、下に3歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でした。
それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度には見えません。
走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。
そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方については、それでは分からないという事を伝える様にしています。
できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるのでしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。
そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成ります。
できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。
【UYさんへ、はやし浩司より】
メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。
UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。
+++++++++++++++++
●汝(なんじ)自身を知れ
「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・7賢人の1人)だが、自分を知ることは難しい。こんなことがあった。
小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中2男児)がいた。どこがどう問題児だったかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。
「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。
ある日1人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小1男児)のように、友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行ってほしい」と。
もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。
話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。
このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。
それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。
+++++++++++++++
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理由は、よくわからない。
わからないが、このところ、「私」自身が、
大きく変化している。
そんな感じがする。
ほんの数年前までは、友人が、2か月とか
3か月、私の家にホームステイしても、
どうということはなかった。
毎日の生活を、いつもと同じように繰り返す
ことができた。
が、今回は、少し感じがちがう。
自分でもそれがよくわかる。
気疲れしやすいというか、重い負担感を覚える。
40年来の友人である。
気心も、よくわかっている。
その間に、たがいに何度も行き来している。
が、それでもいつもと感じがちがう。
今日は午後になって、偏頭痛まで起きた。
なぜだろう?
++++++++++++++++++++
●柔軟性(フレキシビリティ)
ここ1、2年、急速に柔軟性が失われていくのを感ずる。
臨機応変にその場に対処できない。
ひとつの計画を立てると、それに固執するようになった。
つまり以前は、もう少しいいかげんな人間だった。
その場、その場で、平気で計画を変更した。
が、今は、それができない?
これも脳の老化現象のひとつ?
友人は日本へ来てから、別棟の部屋に寝泊まりしている。
とくに世話がかかるわけではない。
もともと独立心の旺盛な友人で、ひとりであちこちに出かけたりする。
彼なりにここでの生活を楽しんでいる。
が、それでも気疲れを起こす。
「食事はどうしよう?」「どこへ連れていけばいいのか?」「洗濯はしているだろうか?」
などなど。
いつもそのことが頭から離れない。
●気疲れ
今までとちがう点がひとつある。
それは今度の出会いが、最後になるかもしれないという閉そく感である。
手術はうまくいったとは言っているが、友人は今年、大病を患った。
だからよけいに私は、気を遣ってしまう。
今までのような気楽さが、ない。
それから生まれる気負いが、私を疲れさせる。
「おいしいものを食べさせてやろう」とか、「楽しい思いをさせてやろう」とか、
そんなことばかりを、考える。
友人は友人で、それが反対にわかるのか、どこか他人行儀な態度を見せる。
欧米人を家に迎えるときには、やりたいようにさせてやる。
それが最善の接待方法である。
よくわかっているが、今回は、どうしてもあれこれと干渉してしまう。
それにもうひとつの理由は、この暑さ。
体の方がバテてしまっている。
ときどき軽いめまいがする。
何かにつけ、疲れやすい。
慢性的な睡眠不足症状もつづいている。
その友人がどうこうというのではなく、そういう状態のとき、人を接待するのも、
たいへん。
本来なら、仕事以外のときは、家の中でゴロゴロしている。
いや、今日は、仕事中に、ウトウトと眠ってしまった。
体力も、気力も、たしかに弱くなっている。
●接待の限界
ワイフはこう言った。
「これからは無理かもね」と。
つまり会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
どこかのレストランか、ホテルで会う。
宿泊までしてもらうというのには、無理がある。
このことは反対に、私たちがだれかの家を訪問するときも、そうだ。
会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
それ以上は、相手に大きな負担を与えるので、遠慮する。
若いときならともかくも、相手が60歳を過ぎていたら、遠慮する。
夫はともかくも、妻の方が、たいへん。
寝食の世話からすべて、いっさいがっさい、気を遣わなければならない。
相手が欧米人なら、まだよい。
あれこれ、家事を負担してくれる。
が、相手が日本人だと、そうはいかない。
●日本人
「客人」とし来た日本人は、何もしない。
本当に何もしない。
つまり何も手伝ってくれない。
いつもどこかでデンと座っているだけ。
「上げ膳、据え膳」という言葉があるが、それだけではすまない。
風呂の世話から、寝具の世話などなど。
動き回るのは、私と妻。
私も山荘をもったころは、毎週のようにいろいろな友人を呼んだ。
しかしそのうち、疲れるようになった。
せっかくの土日なのだが、それが終わるころには、ヘトヘトになってしまった。
ということで、今は、客人を、ほとんど招待しない。
……というか、体力的な限界もあって、招待できない。
内心では申し訳ないと思いつつ、駅前のレストランで会って、それで別れるように
している。
●やはり暑さのせい?
これもひとつの変化かもしれない。
老後になればなるほど、交際の範囲が、狭く、淡白になっていく。
これは息子や娘たちとの交際についても、言える。
私のばあい、息子たちには、ほとんど気を遣わない。
しかし嫁となると、そうはいかない。
気を遣う。
孫がいれば、なおさら。
最初から同居していれば、こういうこともないのだろう。
またこれは「慣れ」の問題。
毎週のように行き来していれば、それなりの対処もできる。
しかし私たちのようなばあい、やはり疲れる。
で、そのことをワイフに問うと、ワイフも同じようなことを言った。
「これからは、どこかのホテルに泊まってもらうようにしたら」と。
実のところ、泊めてもらう側の私にしても、同じことが言える。
あれこれ気を遣うよりは、どこかのホテルに泊まったほうがよい。
好きな時刻に寝て、好きな時刻に起きる。
好きな料理を食べる。
どこか心さみしい感じがしないわけでもないが、つまりそれだけ心のほうが、
柔軟性(フレキシビリティ)を失っていることを意味する。
……いや、やはりこれは暑さのせいかもしれない。
もう少し気候のよいときだったら、こうも疲れないはず。
このところの暑さは異常!
本当に暑い!
心身が、二重、三重にバテてしまっている。
だからよけいに柔軟性を失ってしまった……ようだ。
Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司
●感情のコントロール
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感情のコントロールは、前頭の連合野が管理して
いる。
理性の府。
感情のコントロールができる人は、それだけ
人格の完成度が高いということになる。
が、この暑さ。
何かにつけ、イライラしやすい。
爆発しやすい。
つまりその分、セロトニン(脳間伝達物質)の
分泌が、旺盛になっている?
その前に暑さと、セロトニンの分泌とは、
関係があるのか。
たとえば暑いから、どうしてもアイスを食べたり、
甘味ジュースを飲んだりする。
それがインシュリンの分泌を促し、セロトニンの
分泌を促す。
結果として、キレやすくなる。
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●葬儀で大泣きした女性
先日、ある葬儀に出たら、いざ出棺となったとき、人目もはばからずギャーギャーと
大泣きをした女性がいた。
年齢は65歳くらいか。
その女性の兄の葬儀だった。
その泣き方が、ふつうでないというか、異常だった。
みながなだめたが、5分以上は泣きつづけていた。
静かな会場だったので、よけいに目立った。
感情のコントロールができない人というのは、そういう人をいう。
つまりそれだけ大泣きしたのだから、さぞショックだったのだろうと思ったが、その
あとの三日目の食事会のときには、ケロッとしていた。
むしろ快活に、はしゃいでいるようにも見えた。
大声で笑い、冗談まで言い合っていた。
このタイプの人は、思慮深さがなく、また言ってよいことと悪いことの判断ができない。
その場の感情に溺れて、感情のおもむくまま、思いついたことを口にする。
愚痴、批判、悪口、中傷……まさに、何でもござれ。
●感情のコントロール
かく言う私とて、偉そうなことは書けない。
私自身も、感情のコントロールに苦労する。
他人に対しては、めったに取り乱すことはないが、ワイフに対しては、そうでない。
そのままの自分を、ぶつけてしまう。
だから夫婦喧嘩ばかり……。
自分でもそれがよくわかっているから、まず食事面で気をつけるようにしている。
(1) カルシュウム、マグネシウム、カリウム(海産物)の多い食生活に心がける。
とくにカルシュウム。
ときに錠剤で補う。
(2) 甘い食品を避ける。
一時的に甘い食品を多量に口にすると、インシュリンが分泌され、それが血糖値を
さげる。
さげたまま、さらにさげるから、結果的に低血糖状態になる。
低血糖状態になると、精神がきわめて不安定になりやすい。
イライラしたり、怒りっぽくなったりする。
集中力もなくなる。
とくに夏の暑いときは注意する。
言い忘れたが、カルシュウム剤は、戦前までは精神安定剤として使われていた。
「どうもこのところ精神が不安定」と思っている人は、カルシュウム分の多い食生活
に心がけてみたらよい。
子どもについても、そうである。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 感情のコントロール キレやすい キレやすい子ども)
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以前書いた原稿を、添付します。
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●キレる子どもの相談
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数年前、キレる子どもについて、
ある母親から、こんな相談が届いて
いる。
そのとき書いた原稿をそのまま
ここに紹介する。
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●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに
体重15キロの子どもが、缶ジュースを1本飲むということは、体重60キロのおとなが、四本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを4本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリームを1個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。
突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの子どもでまず疑ってみるべきは、低血糖。
一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげようとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残ったインスリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。
つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態になると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって大声をあげたり、暴れたりする。
このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るように、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、20年ほど前に話題になったことがある。
日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほか)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。
話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげしい」「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約50%が、この問題で悩んでいる。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。
(小食児へのアドバイス)
(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。
ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつうの家庭よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食(?)でも問題はないとみる。
++++++++++++++++++++++++
以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。
++++++++++++++++++++++++
●島根県のUYさんより
はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は5歳半になる年中児で、下に3歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でした。
それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度には見えません。
走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。
そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方については、それでは分からないという事を伝える様にしています。
できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるのでしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。
そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成ります。
できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。
【UYさんへ、はやし浩司より】
メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。
UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。
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●汝(なんじ)自身を知れ
「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・7賢人の1人)だが、自分を知ることは難しい。こんなことがあった。
小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中2男児)がいた。どこがどう問題児だったかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。
「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。
ある日1人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小1男児)のように、友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行ってほしい」と。
もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。
話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。
このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。
それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。
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