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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 9月 27日
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page014.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●勇気(2010-8-29)
+++++++++++++++++
昨日、友人が経営しているミカン畑を
訪れてみた。
ドライブの途中だった。
友人は私と同じ、昭和22年(1947年)
生まれ。
市の部長職を退職したあと、1年ほど、
どこかの団体で働いていた。
そのあと、長年の夢をかなえるため、農場主に
変身した。
1年ぶりの訪問だった。
が、ミカンの木は、かなり減っていた。
そのかわり、そこにログハウスが建っていた。
友人は、自分であちこちに山小屋を建てて、
人生を楽しんでいる。
今度で、4棟目ではないか?
1度、雑誌で紹介されたことこともある。
それを見て、ググーッと感動した。
水は、農業用水。
飲み水は、ペットボトル。
電気は近くの電柱から。
風呂は、家の外。
家の中をのぞくと、工具が整然と並べられていた。
今は屋根の工事の最中らしい。
ビニールのシートが、夏の暑い風にあおられて、
パタパタとはためいていた。
「何だ、やればできるんだ!」と思った。
生きる勇気が、腹の底からわいてきた。
友人は60歳を過ぎても、まだ意気軒昂(いき・けんこう)。
家に帰ってからさっそく、電話する。
「林さん(=私)、オレたちは、まだ若いんだよ、ナッ!」と。
大いに励まされた。
私「ぼくはね、どう生きるかよりも、どう死ぬかばかりを
考えているよ」
友「ははは、だから、ジジ臭い」
私「いや、死ぬのがこわいというのじゃないんだよ。
死に向かっていくプロセスがこわい」
友「それはそのとき、考えればいい」と。
そう、我ら、ヤング・オールド・マン、
何にも遠慮する必要はない。
だれにも遠慮する必要はない。
我らは、まだ若い。
その気になれば、1年でログハウスを建てることも
できる。
それにしても昨日ほど、一軒の家をまじまじと
見たことはなかった。
どこかの山城より、ずっと立派に見えた。
力強く見えた。
ただミカンの木が減ったのは、こういうことらしい。
友人はできるだけ農薬を使わないで、有機農法
にこだわった。
が、それが裏目に出た。
「カミキリムシにやられた」、とか。
「ミカンは難しいよ」と、その友人は笑っていた。
(補記)
うっかりしいて、カメラをもっていかなかった。
そのため新しいログハウスを、写真に収める
ことができなかった。
来週のはじめにもう一度行くことになっているので、
そのとき写真を撮る。
マガジンのほうで紹介する。
お楽しみに!
+++++++++++++++++++
●流れ
退職をすると、みな、一様に健康運動を始めたり、日々の生きがいを求めたり
するようになる。
スポーツジムに通うようになったり、夫婦で散歩に出たりするようになったりする。
あるいは町内の世話役をしたりするようになったりする、など。
判を押したように、みな、同じことをするようになるから、おもしろい(失礼!)。
しかし(流れ)の中にないものは、長つづきしない。
たいてい2、3年もすると、花がしぼむように、少しずつ衰退していく。
軽い事故や怪我がきっかけで、そのままやめてしまう人も多い。
昔から『泡銭(あぶくぜに)、身につかず』という。
同じように、取って付け足したようなことをしても、長つづきしない。
そこには(流れ)というのがある。
それを称して、「老後の統合性」という。
その統合性は、若いときから準備するもの。
あるいはその「芽」は、若いときから作っておくもの。
早ければ早いほど、よい。
40歳(=人生の正午)でも遅いくらい……。
●老後の統合性
「老後の統合性」については、何度も書いてきた。
もう少し正確には、「退職後の統合性」でもよい。
退職後、(やるべきこと)をもち、その(やるべきこと)に向かって、日々を忘れる
ことができる人は、幸福な人だ。
が、それには条件がある。
無私無欲。
打算、功利が入ったとたん、統合性は霧散する。
が、いくら無私無欲といっても、暇つぶしや時間つぶしでは、意味がない。
かえって虚しくなるだけ。
言うまでもなく、真・善・美の追求。
そこに行き着く。
私たちがなぜここに今、生きているかといえば、真・善・美の追求にほかならない。
つまりそのために生きている。
しかもその追求は、日々の研鑽と努力のみによって、可能。
一日でも休んだら、その緊張感はその日を境にして崩れていく。
それはちょうど健康法に似ている。
究極の健康法というのはない。
私たちがなぜ今日、健康かと言えば、昨日までの努力がそこにあるから。
そうでなくても、退職年齢になると、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
知恵や知識、経験や技術が、そこからどんどんと、それこそ容赦なく下へこぼれ
落ちていく。
健康については、さらにはっきりしている。
1週間もだらしない生活をしたら、とたんに足腰が動かなくなる。
●40歳になった人へ
40歳になったら、運動をはじめなさい。
「運動」というより、「運動する習慣」を身につけなさい。
40歳になったら、無私無欲でできる(何か)を見つけなさい。
真理の探究、善の追求、美の創造……。
「これが私」と言えるものを、見つけなさい。
またその「芽」がすでにあれば、よし。
そうでなければ、今すぐ、始めなさい。
コツは、(したいこと)をどんどん高めて、それを「目標」と言えるほどまでに、
昇華させること。
冒頭に書いた友人は、現役時代も、土日はひとりで山にこもって、ログハウスを建てて
いた。
そういう下地があったからこそ、今、生き生きと自分の人生を歩むことができる。
「退職しました。ログハウスでも建ててみるか」では、何度も書くが、長つづきしない。
中に「子育てが生きがい」と言う人もいる。
女性(母親)に多い。
しかし子育てなど、生きがいにしてはいけない。
安っぽい家族主義に振り回されてはいけない。
私たちは親として(やるべきこと)はやる。
しかし「その限度」(バートランド・ラッセル)を忘れてはいけない。
あなたが子どもに、自分の人生を力強く生きてほしいと願うなら、同時に、あなた
自身も、自分の人生を力強く生きる。
それが結局は、子どもを育てるということになる。
●私もがんばる!
今日は8月30日。
月曜日。
朝、目を覚ますと、冷気を含んださわやかな風が、カーテンを揺らしていた。
ふだんならそのまま起きて、ランニングマシンに直行。
しかしそれを見ている間に、また眠ってしまった。
つぎに目を覚ましたのは、犬のハナが吠えたとき。
ハナは、私たちが起きるのが遅いと、一声だけだが、寝室の横に来て、「ワン!」と
吠える。
食事の催促か?
それとも私たちのことを心配してか?
どうであるにせよ、今朝は、それで起きた。
時計を見たら、午前8時。
ランニングマシンと乗馬マシンで体を動かして、そのまま体重計に。
数日前62キロになって喜んでいたが、今朝は、何と63・5キロ!
昨日、ギョーザを食べたのが、よくなかった。
今日の運動(予定)。
昼に、もう一度、20分のランニング。
夜になって、サイクリング。
来週は友人が、オーストラリアから来る。
楽しみ!
今日も+今週も、がんばります!
8月30日。
月曜日。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 老後の統合性 退職後の統合性 生きがい 無私無欲)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【参考:2009年、5月の原稿より】
●自我の統合性と世代性(我々は、どう生きるべきか?)
(Do we have what we should do? If you have something that you should do, your life
after you retire from your job, would be fruitful. If not, you will despair in a miserable
age.)
+++++++++++++++++
乳児期の信頼関係の構築を、人生の
入り口とするなら、老年期の自我の
統合性は、その出口ということになる。
人は、この入り口から、人生に入り、
そしてやがて、人生の出口にたどりつく。
出口イコール、「死」ではない。
出口から出て、今度は、自分の(命)を、
つぎの世代に還元しようとする。
こうした一連の心理作用を、エリクソンという
学者は、「世代性」と呼んだ。
+++++++++++++++++
我々は何をなすべきか。
「何をしたいか」ではない。
「何をなすべきか」。
その(なすべきこと)の先に見えてくるのが、エリクソンが説いた、「世代性」である。
我々は、誕生と同時に、「生」を受ける。
が、その「生」には、限界がある。
その限界状況の中で、自分の晩年はどうあるべきかを考える。
その(どうあるべきか)という部分で、我々は、自分たちのもっている経験、知識、哲学、
倫理、道徳を、つぎの世代に伝えようとする。
つぎの世代が、よりよい人生を享受できるように努める。
それが世代性ということになる。
その条件として、私は、つぎの5つを考える。
(1)普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)
(2)没利己性(=利己主義であってはいけない。)
(3)無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)
(4)高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)
(5)還元性(=教育を通して、後世に伝える。)
この世代性の構築に失敗すると、その人の晩年は、あわれでみじめなものになる。エリク
ソンは、「絶望」という言葉すら使っている(エリクソン「心理社会的発達理論」)。
何がこわいかといって、老年期の絶望ほど、こわいものはない。
言葉はきついが、それこそまさに、「地獄」。
「無間地獄」。
つまり自我の統合性に失敗すれば、その先で待っているものは、地獄ということになる。
来る日も、来る日も、ただ死を待つだけの人生ということになる。
健康であるとか、ないとかいうことは、問題ではない。
大切なことは、(やるべきこと)と、(現実にしていること)を一致させること。
が、その統合性は、何度も書くが、一朝一夕に確立できるものではない。
それこそ10年単位の熟成期間、あるいは準備期間が必要である。
「定年で退職しました。明日から、ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわ
けにはいかない。
またそうした行動には、意味はない。
さらに言えば、功利、打算が入ったとたん、ここでいう統合性は、そのまま霧散する。
私は、条件のひとつとして、「無私、無欲性」をあげたが、無私、無欲をクリアしないかぎ
り、統合性の確立は不可能と言ってよい。
我々は、何のために生きているのか。
どう生きるべきなのか。
その結論を出すのが、成人後期から晩年期ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人生の統合性 世代性 統
合性の確立)
(追記)
(やるべきこと)の基礎をつくる時期は、「人生の正午」(エリクソン)と言われる40歳
前後である。もちろんこの年齢にこだわる必要はない。早ければ早いほど、よい。
その時期から、先にあげた5つの条件を常に念頭に置きながら、行動を開始する。
この問題だけは、そのときになって、あわてて始めても、意味はない。
たとえばボランティア活動があるが、そういう活動をしたこともない人が、いきなりボラ
ンティア活動をしたところで、意味はない。身につかない。
……ではどうするか?、ということになるが、しかしこれは「ではどうするか?」という
問題ではない。
もしそれがわからなければ、あなたの周囲にいる老人たちを静かに観察してみればよい。
孫の世話に庭いじりをしている老人は、まだよいほうかもしれない。
中には、小銭にこだわり、守銭奴になっている人もいる。
来世に望みを託したり、宗教に走る老人もいる。
利己主義で自分勝手な老人となると、それこそゴマンといる。
しかしそういう方法では、この絶望感から逃れることはできない。
忘れることはできるかもしれないが、それで絶望感が消えるわけではない。
もしゆいいつ、この絶望感から逃れる方法があるとするなら、人間であることをやめるこ
と。
認知症か何かになって、何も考えない人間になること。
もし、それでもよいというのなら、それでもかまわない。
しかし、だれがそんな人間を、あるべき私たちの老人像と考えるだろうか。
(付記)
統合性を確立するためのひとつの方法として、常に、自分に、「だからどうなの?」と自問
してみるという方法がある。
「おいしいものを食べた」……だから、それがどうしたの?、と。
「高級外車を買った」……だから、それがどうしたの?、と。
ところがときどき、「だからどうなの?」と自問してみたとき、ぐぐっと、跳ね返ってくる
ものを感ずるときがある。
真・善・美のどれかに接したときほど、そうかもしれない。
それがあなたが探し求めている、「使命」ということになる。
なおこの使命というのは、みな、ちがう。
人それぞれ。
その人が置かれた境遇、境涯によって、みな、ちがう。
大切なことは、自分なりの使命を見出し、それに向かって進むということ。
50歳を過ぎると、その熱意は急速に冷えてくる。
持病も出てくるし、頭の活動も鈍くなる。
60歳をすぎれば、さらにそうである。
我々に残された時間は、あまりにも少ない。
私の実感としては、40歳から始めても、遅すぎるのではないかと思う。
早ければ早いほど、よい。
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
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昨日、友人が経営しているミカン畑を
訪れてみた。
ドライブの途中だった。
友人は私と同じ、昭和22年(1947年)
生まれ。
市の部長職を退職したあと、1年ほど、
どこかの団体で働いていた。
そのあと、長年の夢をかなえるため、農場主に
変身した。
1年ぶりの訪問だった。
が、ミカンの木は、かなり減っていた。
そのかわり、そこにログハウスが建っていた。
友人は、自分であちこちに山小屋を建てて、
人生を楽しんでいる。
今度で、4棟目ではないか?
1度、雑誌で紹介されたことこともある。
それを見て、ググーッと感動した。
水は、農業用水。
飲み水は、ペットボトル。
電気は近くの電柱から。
風呂は、家の外。
家の中をのぞくと、工具が整然と並べられていた。
今は屋根の工事の最中らしい。
ビニールのシートが、夏の暑い風にあおられて、
パタパタとはためいていた。
「何だ、やればできるんだ!」と思った。
生きる勇気が、腹の底からわいてきた。
友人は60歳を過ぎても、まだ意気軒昂(いき・けんこう)。
家に帰ってからさっそく、電話する。
「林さん(=私)、オレたちは、まだ若いんだよ、ナッ!」と。
大いに励まされた。
私「ぼくはね、どう生きるかよりも、どう死ぬかばかりを
考えているよ」
友「ははは、だから、ジジ臭い」
私「いや、死ぬのがこわいというのじゃないんだよ。
死に向かっていくプロセスがこわい」
友「それはそのとき、考えればいい」と。
そう、我ら、ヤング・オールド・マン、
何にも遠慮する必要はない。
だれにも遠慮する必要はない。
我らは、まだ若い。
その気になれば、1年でログハウスを建てることも
できる。
それにしても昨日ほど、一軒の家をまじまじと
見たことはなかった。
どこかの山城より、ずっと立派に見えた。
力強く見えた。
ただミカンの木が減ったのは、こういうことらしい。
友人はできるだけ農薬を使わないで、有機農法
にこだわった。
が、それが裏目に出た。
「カミキリムシにやられた」、とか。
「ミカンは難しいよ」と、その友人は笑っていた。
(補記)
うっかりしいて、カメラをもっていかなかった。
そのため新しいログハウスを、写真に収める
ことができなかった。
来週のはじめにもう一度行くことになっているので、
そのとき写真を撮る。
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●流れ
退職をすると、みな、一様に健康運動を始めたり、日々の生きがいを求めたり
するようになる。
スポーツジムに通うようになったり、夫婦で散歩に出たりするようになったりする。
あるいは町内の世話役をしたりするようになったりする、など。
判を押したように、みな、同じことをするようになるから、おもしろい(失礼!)。
しかし(流れ)の中にないものは、長つづきしない。
たいてい2、3年もすると、花がしぼむように、少しずつ衰退していく。
軽い事故や怪我がきっかけで、そのままやめてしまう人も多い。
昔から『泡銭(あぶくぜに)、身につかず』という。
同じように、取って付け足したようなことをしても、長つづきしない。
そこには(流れ)というのがある。
それを称して、「老後の統合性」という。
その統合性は、若いときから準備するもの。
あるいはその「芽」は、若いときから作っておくもの。
早ければ早いほど、よい。
40歳(=人生の正午)でも遅いくらい……。
●老後の統合性
「老後の統合性」については、何度も書いてきた。
もう少し正確には、「退職後の統合性」でもよい。
退職後、(やるべきこと)をもち、その(やるべきこと)に向かって、日々を忘れる
ことができる人は、幸福な人だ。
が、それには条件がある。
無私無欲。
打算、功利が入ったとたん、統合性は霧散する。
が、いくら無私無欲といっても、暇つぶしや時間つぶしでは、意味がない。
かえって虚しくなるだけ。
言うまでもなく、真・善・美の追求。
そこに行き着く。
私たちがなぜここに今、生きているかといえば、真・善・美の追求にほかならない。
つまりそのために生きている。
しかもその追求は、日々の研鑽と努力のみによって、可能。
一日でも休んだら、その緊張感はその日を境にして崩れていく。
それはちょうど健康法に似ている。
究極の健康法というのはない。
私たちがなぜ今日、健康かと言えば、昨日までの努力がそこにあるから。
そうでなくても、退職年齢になると、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
知恵や知識、経験や技術が、そこからどんどんと、それこそ容赦なく下へこぼれ
落ちていく。
健康については、さらにはっきりしている。
1週間もだらしない生活をしたら、とたんに足腰が動かなくなる。
●40歳になった人へ
40歳になったら、運動をはじめなさい。
「運動」というより、「運動する習慣」を身につけなさい。
40歳になったら、無私無欲でできる(何か)を見つけなさい。
真理の探究、善の追求、美の創造……。
「これが私」と言えるものを、見つけなさい。
またその「芽」がすでにあれば、よし。
そうでなければ、今すぐ、始めなさい。
コツは、(したいこと)をどんどん高めて、それを「目標」と言えるほどまでに、
昇華させること。
冒頭に書いた友人は、現役時代も、土日はひとりで山にこもって、ログハウスを建てて
いた。
そういう下地があったからこそ、今、生き生きと自分の人生を歩むことができる。
「退職しました。ログハウスでも建ててみるか」では、何度も書くが、長つづきしない。
中に「子育てが生きがい」と言う人もいる。
女性(母親)に多い。
しかし子育てなど、生きがいにしてはいけない。
安っぽい家族主義に振り回されてはいけない。
私たちは親として(やるべきこと)はやる。
しかし「その限度」(バートランド・ラッセル)を忘れてはいけない。
あなたが子どもに、自分の人生を力強く生きてほしいと願うなら、同時に、あなた
自身も、自分の人生を力強く生きる。
それが結局は、子どもを育てるということになる。
●私もがんばる!
今日は8月30日。
月曜日。
朝、目を覚ますと、冷気を含んださわやかな風が、カーテンを揺らしていた。
ふだんならそのまま起きて、ランニングマシンに直行。
しかしそれを見ている間に、また眠ってしまった。
つぎに目を覚ましたのは、犬のハナが吠えたとき。
ハナは、私たちが起きるのが遅いと、一声だけだが、寝室の横に来て、「ワン!」と
吠える。
食事の催促か?
それとも私たちのことを心配してか?
どうであるにせよ、今朝は、それで起きた。
時計を見たら、午前8時。
ランニングマシンと乗馬マシンで体を動かして、そのまま体重計に。
数日前62キロになって喜んでいたが、今朝は、何と63・5キロ!
昨日、ギョーザを食べたのが、よくなかった。
今日の運動(予定)。
昼に、もう一度、20分のランニング。
夜になって、サイクリング。
来週は友人が、オーストラリアから来る。
楽しみ!
今日も+今週も、がんばります!
8月30日。
月曜日。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 老後の統合性 退職後の統合性 生きがい 無私無欲)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【参考:2009年、5月の原稿より】
●自我の統合性と世代性(我々は、どう生きるべきか?)
(Do we have what we should do? If you have something that you should do, your life
after you retire from your job, would be fruitful. If not, you will despair in a miserable
age.)
+++++++++++++++++
乳児期の信頼関係の構築を、人生の
入り口とするなら、老年期の自我の
統合性は、その出口ということになる。
人は、この入り口から、人生に入り、
そしてやがて、人生の出口にたどりつく。
出口イコール、「死」ではない。
出口から出て、今度は、自分の(命)を、
つぎの世代に還元しようとする。
こうした一連の心理作用を、エリクソンという
学者は、「世代性」と呼んだ。
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我々は何をなすべきか。
「何をしたいか」ではない。
「何をなすべきか」。
その(なすべきこと)の先に見えてくるのが、エリクソンが説いた、「世代性」である。
我々は、誕生と同時に、「生」を受ける。
が、その「生」には、限界がある。
その限界状況の中で、自分の晩年はどうあるべきかを考える。
その(どうあるべきか)という部分で、我々は、自分たちのもっている経験、知識、哲学、
倫理、道徳を、つぎの世代に伝えようとする。
つぎの世代が、よりよい人生を享受できるように努める。
それが世代性ということになる。
その条件として、私は、つぎの5つを考える。
(1)普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)
(2)没利己性(=利己主義であってはいけない。)
(3)無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)
(4)高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)
(5)還元性(=教育を通して、後世に伝える。)
この世代性の構築に失敗すると、その人の晩年は、あわれでみじめなものになる。エリク
ソンは、「絶望」という言葉すら使っている(エリクソン「心理社会的発達理論」)。
何がこわいかといって、老年期の絶望ほど、こわいものはない。
言葉はきついが、それこそまさに、「地獄」。
「無間地獄」。
つまり自我の統合性に失敗すれば、その先で待っているものは、地獄ということになる。
来る日も、来る日も、ただ死を待つだけの人生ということになる。
健康であるとか、ないとかいうことは、問題ではない。
大切なことは、(やるべきこと)と、(現実にしていること)を一致させること。
が、その統合性は、何度も書くが、一朝一夕に確立できるものではない。
それこそ10年単位の熟成期間、あるいは準備期間が必要である。
「定年で退職しました。明日から、ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわ
けにはいかない。
またそうした行動には、意味はない。
さらに言えば、功利、打算が入ったとたん、ここでいう統合性は、そのまま霧散する。
私は、条件のひとつとして、「無私、無欲性」をあげたが、無私、無欲をクリアしないかぎ
り、統合性の確立は不可能と言ってよい。
我々は、何のために生きているのか。
どう生きるべきなのか。
その結論を出すのが、成人後期から晩年期ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人生の統合性 世代性 統
合性の確立)
(追記)
(やるべきこと)の基礎をつくる時期は、「人生の正午」(エリクソン)と言われる40歳
前後である。もちろんこの年齢にこだわる必要はない。早ければ早いほど、よい。
その時期から、先にあげた5つの条件を常に念頭に置きながら、行動を開始する。
この問題だけは、そのときになって、あわてて始めても、意味はない。
たとえばボランティア活動があるが、そういう活動をしたこともない人が、いきなりボラ
ンティア活動をしたところで、意味はない。身につかない。
……ではどうするか?、ということになるが、しかしこれは「ではどうするか?」という
問題ではない。
もしそれがわからなければ、あなたの周囲にいる老人たちを静かに観察してみればよい。
孫の世話に庭いじりをしている老人は、まだよいほうかもしれない。
中には、小銭にこだわり、守銭奴になっている人もいる。
来世に望みを託したり、宗教に走る老人もいる。
利己主義で自分勝手な老人となると、それこそゴマンといる。
しかしそういう方法では、この絶望感から逃れることはできない。
忘れることはできるかもしれないが、それで絶望感が消えるわけではない。
もしゆいいつ、この絶望感から逃れる方法があるとするなら、人間であることをやめるこ
と。
認知症か何かになって、何も考えない人間になること。
もし、それでもよいというのなら、それでもかまわない。
しかし、だれがそんな人間を、あるべき私たちの老人像と考えるだろうか。
(付記)
統合性を確立するためのひとつの方法として、常に、自分に、「だからどうなの?」と自問
してみるという方法がある。
「おいしいものを食べた」……だから、それがどうしたの?、と。
「高級外車を買った」……だから、それがどうしたの?、と。
ところがときどき、「だからどうなの?」と自問してみたとき、ぐぐっと、跳ね返ってくる
ものを感ずるときがある。
真・善・美のどれかに接したときほど、そうかもしれない。
それがあなたが探し求めている、「使命」ということになる。
なおこの使命というのは、みな、ちがう。
人それぞれ。
その人が置かれた境遇、境涯によって、みな、ちがう。
大切なことは、自分なりの使命を見出し、それに向かって進むということ。
50歳を過ぎると、その熱意は急速に冷えてくる。
持病も出てくるし、頭の活動も鈍くなる。
60歳をすぎれば、さらにそうである。
我々に残された時間は、あまりにも少ない。
私の実感としては、40歳から始めても、遅すぎるのではないかと思う。
早ければ早いほど、よい。
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