最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●繁栄ボケのあとに

2010-09-13 22:53:34 | 日記
●日本人の危機意識(日本人の繁栄ボケ)

++++++++++++++++

日本は中国に抜かれて、世界第三位の
経済国になった(GDP)。
しかし国民1人当たりの所得では、
すでにシンガポールに抜かれている。
2020年ごろには、韓国にも抜かれる
だろうと言われている。

恐ろしいのは、その予想時期が、徐々に
早まっていること。
日本が中国に抜かれるのは、2015年
ごろと言われていた。
ほんの1、2年前のことである。
それが今年、つまり2010年に抜かれた。

のんきなエッセイストたちは、「生活の
中身が大切」などと言っている。
中国に抜かれても、韓国に抜かれても、
「大切なのは、生活の質」と。

こういうことばかり言っているから、日本は
どんどんと抜かれていく。
抜かれていくだけではない。
やがて食料の輸入もままならなくなるだろう。

20~30年ほど前には、「平和ボケ」という言葉を
よく耳にした。
が、今は、「繁栄ボケ」。
「経済ボケ」でもよい。

日本の学校では、いったい、何を教えているのか?
社会科の授業で、何を教えているのか?
日本人がこの「現代」という世界で生き抜くための、
その知識と経験を教えるのが社会科の授業ではないのか。
どうすればこの先、日本が生き延びていくことができるか、
それを教えるのが社会科の授業ではないのか。

つまり日本の教育では、この部分だけが、スッポリと
抜け落ちてしまっている。
つまり危機意識が、まったくない。
愚にもつかないような「知識」だけを、一生懸命、
子どもの頭の中に、詰め込んでいる!

その結果が、今。
今年は去年以上に、就職難という。
学生たちが就職先を求めて、右往左往している。
が、考えてみれば、こんなバカげた世界は、日本を
おいて、ほかにない。

就職先がなかったら、自分で仕事を作ればよい。
それこそリヤカーでも引いて、自分で稼げばよい。
私は、そうしたぞ!
リヤカーを引いて、ある画家の絵を売り歩いたぞ!
つまりそういうたくましさが、ない。
仕事はもらうものと思っている。
与えられるものと思っている。

加えて、「外国へ行きたくない」という若者が多いのには、
驚いた。
日本人全体が、ものの考え方が内向きになってしまった。
こういうときだからこそ、仕事を求めて、ブラジルや
インド、シンガポールへ飛び出して行けばよい。
中国でも韓国でもよい。

飽食とぜいたく。
それに少子化。
日本の若者たちが、キバを抜かれてしまった。
今では天下国家を論ずる若者は、ほとんどいない。
大学生でもいない。

その理由はといえば、すべて教育にある。
以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。

+++++++++++++++++

今からちょうど10年前、2000年ごろに
書いた原稿です。

この中で、1人の女子学生が、つぎのように
述べていることに注目してほしい。
人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。

「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。
私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」
(中日新聞投稿欄)と。

+++++++++++++++++

●日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさがすヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答えていた。また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われるまま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、ここまで言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことがある。息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょうど四〇年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もがギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例外ではない。タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金はその場で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三輪を買って、それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、それでまたお金を稼ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれていた。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近くの小川へ行った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。それが結構、小づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。が、今の日本にはそれはない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私のところへやってきて、私とこんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、私「君は何ができる?」、学「翻訳ぐらいなら、何とか」、私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか書いてくれば、仕事が回ってくるかもしれない」、学「カッコ悪いからいやだ」、私「なぜカッコ悪い?」、学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることになった。もちろんその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若者たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。結論から先に言えば、お先まっ暗。このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国になってしまう。いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は中国の経済圏にのみ込まれてしまうだろうと予想している。

事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今では日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも日本語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを払うのは、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。私たちが子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとしている。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏四カ国の中高生を対象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになった。現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで生きること」。学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」としたのは四か国で最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、ニューヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。「二一世紀は希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達したが、日本は三三・八%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では九割近くが「満足」と答えたが、日本は二三・一%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本が四カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だったのに対し、米国は七八・八%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、米国七六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類全体の利益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精神が希薄なことも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。一九八〇年代からの傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●10年前

 10年前(2000年ごろ)に私が書いた原稿を、どうか読み直してみてほしい。
そしてそれから10年。
何が変わったか?
日本が、その結果、どうなったか?
そういう視点で、もう一度、読み直してみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日本人の危機意識 社会の責任 繁栄ボケ 経済ボケ 危機感)
2010年9月13日

Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●小沢一郎  ●自転車店一考

2010-09-13 09:34:59 | 日記
(小沢一郎、自転車店一考)2010-9-13

●Education on the front line at home

オーストラリア人のデニス君に、相談した。
「ぼくのHPのタイトルは、『最前線の子育て論byはやし浩司』だが、英語では
どう書けばいいか」と。

 現在、私は、『Home Education for Mothers & Fathers in Front-Line』と書いて
いる。
二男の嫁のデニースが、いろいろ知恵を貸してくれた。

それに対して、デニス君は、『Education on the front line at home』がいいのでは
ないかと提案してくれた。
が、これではどこか直訳的。
また前置詞を、inとするか、onとするかで、迷った。
デニス君も迷った。
結果、これからは、
『Home Education on the Front-Line』とすることに決定した。
『by Hiroshi Hayashi』を付け加えるときは、
『Home Education on the Front-Line by Hiroshi Hayashi』とする。

これで決まり!

 なおBLOGだけで、毎日数千件のアクセスがある。
内訳を見ると、日本国内からのアクセスが約50%。
外国からのアクセスが約50%。
まちがった英語は使えない。


●小沢一郎(Ichiro Ozawa)

 食事をしながらデニス君と、政治の話をする。
その中で、デニス君がこう言った。
「オザワ・イチローは、醜い顔をしている」と。

 デニス君は、小沢一郎がよくしてみせる、あの傲慢そうな顔をまねしてみせた。
ふんぞり返ってニヤつく、あの顔である。
「今度、ジュリアがオーストラリアの首相になったけど、ごくふつうの女性だよ」とも。

 自分では大物ぶっているつもりなのかもしれない。
収賄問題を問いかけられても、ニヤニヤと笑っている。
しかしどこかへん?
チグハグ?
腐ったような醜悪さだけが、プンプンとにおう。
民主党支持者も、少しは外国人に与える印象も考えて、党首選びをしたらよい。
小沢一郎は、そういう意味では、最悪。
ウソだと思うなら、一度、近くにいる外国人に、彼の印象をたずねてみたらよい。


●自転車店業界

 昨日、自転車店業界について書いた。
それに対して、どこかの自転車店の店主と思うが、こんなコメントを書いてくれた。
「大型店の自転車は、中国製で品質が悪い」「輸入自転車は、100%完成品で送って
くるが、調整しないと乗れない」と。

 しかしそれは一昔(10年)も前の話。
それ以後は、日本のメーカーが現地で指導しながら、日本向けの自転車を製造している。
また自転車の調整(ブレーキのきき具合や、車輪のゆがみなど)は、当然のこと。
それをしないで売っている店は、ショッピングセンターでもない。

 また個人の自転車店へ行くと、どこの店主も、中国製自転車の悪口を並べる。
言うなればグチのようなもの。
グチを聞かされるのは、たまったものではない。
それに今、スポークやチューブに至るまで、中国製でないものをさがすほうが、
むずかしい。
つまりこういう発想では、個人の自転車店に勝ち目はない。
では、どうしたらよいか?

 ひとつには、問屋からおろされてきた自転車をそのまま並べるのではなく、
2~3台は、オリジナルで組み立てた自転車を並べてみる。
店先へ置いておくだけでも、客との会話がはずむ。

「このペダルは、私のマウンテンシューズに合わせて、特注で作らせたものです」
「このサドルのうしろの反射板は、うちで自作したものです」
「この自転車は、クラウン(TOYOTA車)のパールホワイトと同じ色です。
近くの自動車塗装屋さんに塗装してもらいました」とかなど。
40年前の自転車を、ピカピカに生き返らせ、並べておくのもよい。
そういうプロ意識が、客を安心させる。
わかりやすく言えば、「この店主は自転車が好きなんだな」と客に思わせる。
(まちがっても、「金儲けが好きなんだな」と客に思わせてはいけない。)
それが客に、安心感を与える。

 つまり知恵を使う。
「自転車が好き」という気持ちを、外に向かってアピールする。
やりようによっては、方法はいくらでもある。
ひとつのアイデアとして、書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●バイオハザードIV

2010-09-13 06:49:03 | 日記
●バイオハザード・IV(FOUR)

++++++++++++++++++

今日は日曜日。
夜になって、ワイフが映画に行こうと言った。
で、観てきたのが、『バイオハザード・IV(Four)』。
星は3つの、★★★。
あるいは3マイナス。
ただのバイオレンス・アクション映画。
それを除いたら、何も残らない。
そんな映画。

『バイオハザード』は、(1)(2)(3)と
観てきた。
今回が完結編と思っていた。
しかし「次回へつづく……」で終わってしまった。
たぶん「バイオハザード・V(Five)」は、
もう観ない。
あきた!

++++++++++++++++++

●書斎大掃除

 今度の水曜日に、パソコンが修理されて戻ってくる。
メーカーの話によれば、マザーボードの交換をしたとか。
つまり中身はピカピカの新品。
そんな状態で戻ってくる。
そのこともあって、今日は、書斎の大掃除。
ワイフに手伝ってもらった。
おかげで書斎は、見違えるほど、きれいになった。
仕事もしやすくなった。

 映画から帰ってきて、2時間余り、書斎にこもった。

●ホームベーカリー

 ところで今、自分でパンを焼いてみたいと思っている。
何と言っても、焼きたてのパンは、おいしい。
そこで早速、電気店へ。
ズラリと、20種類ほど、機種が並んでいた。
今、ホームベーカリーというパン製造機が、人気商品のひとつになっている。
機種によっては、お米でもパンが作れるようになっている。

メーカーはいろいろある。
で、家に帰って調べてみると、いちばん人気は、パナソニック製ということがわかった
(価格COM・人気投票調べ)。
値段はいろいろある。
機能が多いのほど高価だが、食パン程度のものが焼ければそれでよい。
どれにしようか、現在、思案中!

(夜中になって、パナソニック製のホームベーカリーにした。
近くの大型店で、1万6500円のものが、ネットで1万3000円で買うことができた。)

●回転寿司戦争

 実名を出して恐縮だが、私の家から半径1キロ前後の中に、現在、3つも回転寿司屋
がある。
東から、「かっぱ寿司」、「くら寿司」、「すしおんど」。

 最初に、「すしおんど」ができた。
オープンして、6、7年になる。
が、今年、「くら寿司」がオープン。
つづいて最近、「かっぱ寿司」がオープン。

 3店舗も並べば、過当競争(?)と思っていたが、どの店も、いつも満員。
で、いちばん老舗の「すしおんど」は、一時は閑古鳥が鳴いた。
客もまばらだった。
が、それがどっこい!
ここへきて客数が、どんどんとふえている。
理由は、すぐわかった。

 3貫一皿の寿司が、品目数で、ふえた。
シャリ(米)の量が、見た目にもよくわかるほど、ふえた。
つまり寿司が大きくなった。
実感として、1・3倍~1・5倍になったのでは?
さらに寿司ネタも倍近く、大きくなった。

 一方、一皿90円で勝負する、かっぱ寿司。
自然派で勝負する、くら寿司。
くら寿司のわさびは、天然わさび。

 個人的には、私はかっぱ寿司の寿司が好き。
口に合う。
くら寿司の寿司は、ややしょっぱいかな(?)。
が、回数的には、このところ、すしおんどに行くことが多い。
(他の2店舗は、いつも満員ということもあるが……。)

 つまり今、ものすごい競争が、私の近辺で起きている!
消費者の私たちとしては、ありがたいことだが、しかしこんなメチャメチャな競争が
いつまでもつづくはずがない。
この先、どうなるのか?
いつも心のどこかでそんな心配をしながら、(私が心配したところで、どうにもならないが)、
口の中に寿司を入れている。

 で、こういう店を利用するたびに、(何も寿司屋にかぎらないが)、個人の小売店の
ことが気になる。
おとといには、やはり近くに巨大な靴屋ができた。
その向こうには、やはり巨大なメガネ屋もある。
それ以前からあった旧街道沿いの靴屋やメガネ屋は、とっくの昔に姿を消した。
今はまだ何とか生きながらえている個人の自転車屋だが、つぶれるのも時間の問題。
すでにA店など、全国規模の自転車店が、この不況下、どんどんと店舗数をふやしている。
1店舗で、数100台規模の自転車を並べている。
個人の店には、勝ち目はない。
その悲しさというか、つらさを、私はいやというほど、経験している。

 私の家は、その自転車屋だった。
中学生のとき近くにショッピングセンターができ、そこでも自転車を売るようになった。
とたん、客足は、パッタリと止まってしまった。
父は毎日、火鉢に身を丸くして、来るはずもない客を黙ったまま待っていた。
弱肉強食とはいうが、その苛酷さは、経験したものでないと、わからない。

 がんばれ、自転車屋!
負けるな、自転車屋!

●反撃

 もっとも個人の自転車屋にも、問題がないわけではない。
15年近くも前のことだが、どこの自転車屋にも、こんな張り紙がしてあった(浜松市内)。
「よそで買った自転車は、修理しません」と。

 そのころすでにショッピングセンターでは、自転車を売り始めていた。
しかし問題は、修理。
自転車を修理するには、それなりの技術が必要。
消防法の適応もあり、油で汚れた店では、修理が許可されない。
それで苦肉の策。
個人の自転車屋は、先のような張り紙を張って、ショッピングセンターに対抗した。

 しかしそこは大型店。
規模がちがう。
やがてショッピングセンターでも技術者を置き、消防法に抵触しないような清潔な店
づくりを始めた。
とたん、個人の自転車屋は再び、窮地に立たされた。
と、同時に、今度は、こんな張り紙をするようになった。

「他店で買った自転車でも、修理します」と。

●イメージダウン

 「よそで買った自転車は、修理しません」と書くのも、「他店で買った自転車でも、
修理します」と書くのも、気持ちは理解できるが、自転車店の品格を落とすだけ。
それだけ自転車店が危機感をもったというふうにも解釈できるが、かえって加速度的に
客離れを誘発してしまった。

 客の立場で書くなら、そうした張り紙で、敷居が高くなってしまった。
気楽に店へ入れなくなってしまった。
こと自転車店について言うなら、気楽に入れること。
それが客を招く第一条件ということになる。

店へ入ったとたん、店員にぴったりとマークされるようでは、落ち着いて自転車も
選べない。
それに率直に言えば、いくらサービスを売ると言っても、大型店より2~3割も値段が
違うようでは、勝ち目はない。

 さらに最近では、ネットでも自転車が買えるになった。
それがまた、びっくりするほど、安い!
となると、「修理はどうするか?」という問題もあるが、1台の自転車に乗る平均年数は、
長くて4~5年前後ということがわかっている。
平均して、3~4年。
そのあたりで、みな新しい自転車に乗り換えている。
つまり修理を繰り返して自転車に乗る人は、少なくない。
パンクにしても、今では、ほとんどパンクしない。

 わかりやすく言えば、自転車が「財産」というよりは、「消耗品」になってきた。
客の自転車を見る目そのものが、変わってきた。
もっと言えば、立派な店舗に、自転車を飾って売る時代は終わった。
そのあたりの切り替えがうまくできないと、個人の自転車店には、明日はない。

 ちなみに、ごく最近、高級住宅地の大通りに面したところにあった自転車店が店を
閉めた。
間口は、角地ということで、ぐるりと10間はあっただろうか。
繁盛しているときは、二階の陳列室にも、ぎっしりと自転車が並んでいた。
一時は高級自転車店をめざしたようだが、どうやらそれが裏目に出たらしい。
私も何台か自転車を買ったことがあったので、店が閉まったと聞いたときには、
少なからず、ショックを受けた。
私の実家の自転車店と比べたら、御殿のような自転車店だった。
その1週間前まで、店のおやじは景気のよい大声で、あれこれと私に話しかけて
くれていたのだが……。

 話を戻すが、小売店の第一は、「黙って静かに仕事をすること」。
「お客様は神様」。
それを忘れては、小売店は成り立たない。
「よそで買った自転車は、修理しません」と書いたとき、勝負はすでについていた。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●常識(1)

2010-09-13 00:10:47 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 9月 13日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●がまんをさせる(忍耐力と子どもの伸びる力)

++++++++++++++++++++

孫の誠司(当時6歳、母親はアメリカ人)のこと。
その誠司をおもちゃ屋へ連れていったときのこと。
孫の誠司はおもちゃを手に取って遊ぶだけで、
けっして「ほしい」とは言わなかった。

ショッピングセンターへ連れていったときも
そうだった。
日本の子どものように、「あれ、買って」「これ、
買って」とは、言わなかった。
で、息子(二男)にその理由を聞くと、こう言った。
「無駄なものは、いっさい買わない」と。

アメリカといっても広い。
二男の嫁が生まれ育ったのは、アメリカ南部。
両親は厳格なバプティスト教徒。
日本人の子育て法とは、基本的な部分がちがう。
その(ちがい)が、冒頭に書いたちがいとなって、
現れた。

が、それだけではない。
誕生日プレゼントでも、クリスマスプレゼントでも、
その日になるまで、親は包みを開かせない。
孫たちは、その日になってはじめて、包みを開く。
習慣のちがいといえばそれまでだが、しかし
こうした習慣が、子どもに(我慢)ということを
教える。

私がそれまでもっていた常識とはあまりにもちがったので、
孫たちを見ながら、私は強烈な印象を叩きつけられた。

+++++++++++++++++++++

●D・ゴールマンの実験

 植島啓司著「天才とバカの境目」(宝島社)に、こんな興味深い実験が紹介されている。
D・ゴールマンがした『マシュマロ・テスト』というのが、それ(P13)。
内容をかいつまんで紹介する。

+++++以下、「天才とバカの境目」より、要約+++++

 4歳の子どもに、実験者がこう言う。

「ちょっとお使いに行ってくるからね。おじさんが戻ってくるまで待って
いられたら、ほうびに、このマシュマロを2つあげる。
でも、それまで待てなかったら、ここにあるマシュマロを、1つだけあげる。
そのかわり、いますぐ食べてもいいけどね」と。

 4歳の子どもには、大きな試練だ。
さてあなたなら(あなたの子どもなら)、どうするだろうか。

 ゴールマンはこう言う。
『子どもがどちらを選ぶかは、多くのことを語ってくれる。
性格が端的に読み取れるだけではなく、その子どもがたどる人生の軌跡
まで想像できる』と。

 で、4歳児のうち、何人かは実験者が戻ってくるまで、15分ないし20分
間を待つことができた。
待っている間、子どもたちはマシュマロを見なくてすむように、両手で目を
覆ったり、顔を伏せたりしていた。
自分を相手におしゃべりをしていた子どももいたし、歌を歌っていた子どもも
いた。
最後までがんばりぬいた子どもは、ほうびにマシュマロを2個もらった。

 同じ4歳児でも衝動性の強い子どもは、目の前のマシュマロに手をのばした。
しかもほとんどのばあい、実験者が、『お使いに行く』と部屋を出た直後に
そうした」と。

●決定的な差

 この実験は、1960年代にスタンフォード大学の心理学者ウォルター・
ミシェルが大学構内の付属幼稚園で始めたもので、その後も詳細な追跡
調査がなされたという。

 その結果、すぐマシュマロに手を出したグループと、がまんして2個
受け取ったグループとでは、決定的な差が生じた。

 情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT
(大学進学適正試験)で、もう一方のグループに200点以上もの大差を
つけたという。

+++++以上、「天才とバカの境目」より、要約+++++

●注目すべき結果

 もう一度、最後の部分をよく読んでほしい。
こうある。

「情動を自己規制できたグループは、たとえば、学業の面でも、SAT
(大学進学適正試験)で、もう一方のグループに200点以上もの大差を
つけたという」(P14)。

 つまりがまん強い子どもは、そうでない子どもよりも、学業面においても
大きな(差)をつけたという。

しかしこれは何もこんなおおげさな実験などしなくても、常識と考えてよい。

●がまん

 子どもにとって忍耐力というのは、(いやなことをする力)をいう。
これについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。

(なおこの意見は、私のオリジナルの持論。
最近書店に並んでいる育児本に、同じことを書いてあるのを知った。
私の持論のパクリである。)

 たとえばあなたの子どもに、台所の生ごみを始末させてみてほしい。
シンクに手が届かないようであれば、風呂場の排水口にたまった毛玉でも
よい。
あるいは年齢が大きければ、風呂洗い、もしくはトイレ掃除でもよい。
そういう仕事を頼んだとき、何のためらいもなくそれができる子どもは、
忍耐強い子どもということになる。

 このタイプの子どもは、学業面でも伸びる。
理由は簡単。
もともと学習(勉強)には、ある種の苦痛がともなう。
その苦痛を乗り越える力が、忍耐力ということになる。
しかも「この先、どんな人生を歩むようになるかまで、わかる」と。
ゴールマンは、それを研究として、つまりデータ上で、証明した。

●幼児期前期(2~4歳期)

 エリクソンは、幼児期前期を「自律期」と位置づけている。
この時期に、「自らを律する」ということをしつけると、子どもはのちのちも、
自己管理能力のすぐれた子どもになる。

 人間の子どもだけではない。
犬もそうで、時期をうまくとらえ、しつけると、人間の言いつけをしっかりと
守ることができるようになる。
たとえば私の犬のハナは、中型の猟犬だが、いまだかって塀を乗り越えて
外に出たことはない。
塀は自分の肩ほどの高さしかないから、その気になれば、いつでも飛び出せる。

 子どももそうで、この自律期に、しっかりとしつければ孫の誠司のように
なる。
おもちゃ屋でおもちゃを見るときも、ただ見るだけ。
それで満足する。
「買って」とか、「ほしい」という言葉すら、口に出さない。
で、私のほうが見るに見かねて、「買ってあげようか?」と声をかけると、
かえってキョトンとしている。
子どもをしつけるということは、そういうことをいう。
「がまんさせる」ということは、そういうことをいう。

●物欲(食欲)

 これは私の仮説。

以前にも書いたことがあるが、脳の視床下部からは絶え間なく、ある種の
シグナルが放出されている。
フロイトが説いた「性的エネルギー」、ユングが説いた「生的エネルギー」と
いうのは、それをいう。

そのシグナルに応じて、ドーパミンが分泌され、人間の脳は欲望に満たされる。
この欲望をコントロールするのが、前頭連合野ということになる。
つまり「理性」。

 しかし前頭連合野の力は、それほど強くない。
とくに線条体に受容体が一度形成されると、そこで条件反射運動が起こる。
こうなると理性の力は、さらに遠ざかる。
アルコール中毒、ニコチン中毒、さらには買い物依存症の人たちを見れば
それがわかる。
買い物依存症の人たちは、それがほしいからそれを買うのではない。
必要だから買うのでもない。
(買いたい)という衝動を満たすために、それを買う。

(この点、ニコチン中毒者も同じように考えてよい。
タバコを吸いたいから、タバコを吸うのではない。
タバコに、タバコを吸わせられている!)

 物欲もまさに、その1つ。
「情動の自己規制力」(ゴールマン)が強い子どもは、それだけ前頭連合野
の力が強いということになる。
反対に、そうでない子どもは、そうでない。
情動の自己規制力が弱いから、衝動的な行動をコントロールすることができない。
あるいは情動に溺れてしまう。
が、これでは落ち着いて勉強することもできない。
そのちがいが、「200点以上という差(SAT)」となって現れる。

●臨界期

 子どもをがまん強くするかどうか。
忍耐力のある子どもにするかどうか。
その時期は、幼児期前期(2~4歳期)にかかっているとみてよい。
その時期を逃すと、以後、子どもをがまん強くしたり、忍耐力のある子ども、
つまり情動に対して自己規制力のある子どもにするのは、たいへんむずかしい。
子どもの忍耐力にも、臨界期があると考えてよい。

 たとえば年長児(幼児期後期)にもなると、その(ちがい)が、個性となって
その子どもの中に定着してしまう。
衝動性の強い子どもは、それ以後、ずっと衝動性の強い子どもになる。
いくら指導しても、また叱ったり、注意したりしても、それが直るということは、
まず、ない。

 またこのことも犬を見ればわかる。
私は以前、もう一匹、犬を飼っていた。
保健所で処分される寸前の犬だった。
が、この犬は、「自律心」ということになると、まったく自律心のない
犬だった。
ほんの少しでも裏の勝手口が開いていようものなら、私たちの目を盗んで、
そのままどこかへ行ってしまった。
何度教えても、また叱っても、死ぬまでこの悪癖は直らなかった。

●子どもを伸ばす

 子どもを伸ばすかどうか。
そのひとつの鍵をにぎるのが、(がまん)ということになる。
(あくまでもひとつの鍵。誤解のないように!)
がまん強い子どもは、伸びる。
そうでない子どもは、そうでない。

 だから幼児期、とくに幼児期前期においては、がまんをテーマに、
子育てをするとよい。
(がまん)にも臨界期があり、この時期を逃すと、そのあとのしつけが
たいへんむずかしくなる。

 で、この問題は、あなたという(親)に、そのまま直結する。
あなたは、そのがまん強い親だろうか。
それとも衝動的な行動を繰り返しているだろうか。
つまり前頭連合野の力は強いだろうか。
それとも弱いだろうか。
一度、自分の幼児期はどうであったか、自分を振り返ってみるとよい。
別の(あなた)を、あなたは発見するかもしれない。
2010/08/17

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 マシュマロ マシュマロ・テスト 忍耐 子どもの忍耐力 我慢 我慢
強い子ども がまん強い子ども 伸びる子ども 伸びない子ども ゴールマン はやし浩
司 自己規制力 幼児期前期 臨界期 自律期)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

●子育てQ&A(2010年8月17日)

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【子どものやる気について(自我の同一性)】

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【子どもの自己規制力と忍耐力】

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【子どもの勉強癖(子育て自由論)】

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【動機付けの3悪(条件付けについて)】

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●常識(2)

2010-09-13 00:10:29 | 日記


【常識論】



【常識が偏見になるとき】 



●たまにはずる休みを……!



「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、た
いていの人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。
しかしそれこそ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。



アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のとき
にもった偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑っ
てみる。たとえば……。



●日本の常識は世界の非常識



(1)学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度があ
る。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希
望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。



日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけ
でも九七年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。毎年15%前後の
割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。



それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教
育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修
会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約
千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。



(2)おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、
クラブへ通う。早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。ド
イツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決める
ことができる。



そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習ク
ラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が1200円前後(2
001年調べ)。
こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日
本円で約14000円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが
就職するまで、最長二七歳まで支払われる。



 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣
向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学
校外教育に対する世間の評価はまだ低い。



ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をも
たない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号
すら親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」
と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう
教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待ってい
ると、先生のほうから電話がかかってきます」と。



(3)進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私
立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で70校近くあった。が、私はそれを見
て驚いた。
どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、
はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。



この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨
てた。そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう
話してくれた。



 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマー・スクールという学校がある。そこはチャー
ルズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校
がカリキュラムを組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるよう
に。木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校とい
う」と。



なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出す
と同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。



●そこはまさに『マトリックス』の世界



 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなこ
とでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、
あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何
か。教育はどうあるべきか。さらには子育てとは何か、と。



その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもので、
「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を
信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはまさに映画
『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だ
と気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。



●解放感は最高!



 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さ
んと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそう
した。平日に行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私
が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人
ほど、一度試してみるとよい。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことがで
きる。



※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午
後三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決
めることができる。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●「自由に学ぶ」



 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On
Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。



 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると
考えてよい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいもので
しかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政

治を行うための手段として用いられてきている」と。



 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由
と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)
学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義
国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているでは
ないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れて
はならない」と。



 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という
意見には、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の
犯罪率はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考える
のは正しくない。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察シ
ステムや裁判所システムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと
別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。



 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえ
ている。なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。中
学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、400
0人多い。

(はやし浩司 フリースクール 自由な教育 LIE Learn in Freedom 不登校 常識論 
意識論 はやし浩司 教育評論 教育論 オーストラリア はやし浩司 ジーロン・グラ
マー・スクール ジーロング グラマー スクール Geelong Grammar 
School)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


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