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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 7月 14日
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HTML(カラー・写真版)を用意しました。
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page008.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●ハレンチ事件
++++++++++++++++++
数日前、またどこかの教師が、18歳未満の
女性とS交渉をもって、逮捕された。
その教師は、出会い系サイトで、女性と
知り合ったという。
逮捕されたとき、その教師はこう言った
という。
「こんなに簡単にできるとは思っていなかった」と。
「簡単」ということは、「簡単」ということ。
そういったシステムが、アンダーワールドの
世界では、すでに完成している。
+++++++++++++++++++
●悪者?
こういう事件を見聞きすると、私たちはすかさず、教師を悪者として見る。
たしかに悪者だが、しかし「悪者」と断言することもできない。
正常な(?)男性なら、若い女性に興味をもつのは、当然のこと。
またそうした本能をコントロールするのは、容易なことではない。
実際には、不可能。
こうした本能は、理性の外にある。
だからといって、その教師を擁護するわけではない。
私が言いたいのは、「誰が、その男性を、石をもって打てるか?」ということ。
最近、ときどき、こんなことを考える。
つまり男性は、若い女性と遊びたがる。
しかし実際には、若い女性に遊ばされているのは、男性のほうではないのか、と。
たとえばえばタバコがある。
喫煙者は、タバコを吸う。
そのとき喫煙者は、「自分の意思でタバコを吸っている」と思うかもしれない。
しかし実際には、「タバコにタバコを吸わされている」。
酒にしても、そうだ。
一日の仕事を終え、家に帰って一杯のビールを飲む。
うまい!
暑い日には、なおさらうまい!
そういうとき、私たちは、「自分の意思でビールを飲んでいる」と思うかもしれない。
しかし実際には、「ビールにビールを飲まされている」。
●ナンパ・ビデオ
どこかあやしげなビデオショップへ行くと、その種のビデオがズラリと並んでいる。
私も若いころは、そういうビデオをよく見た。
「よく見た」といっても、「ふつう程度に」という意味。
当時はやったビデオに、『洗濯屋のケンちゃん』というビデオもあった。
私たちの世代には、衝撃的なビデオだった。
そんなある日、ちょうど1年ほど前のこと。
いつも通うビデオショップの裏口に、そういったビデオだけを並べているコーナーがある
のを知った。
それまで10年近くその店に通っていたが、そんなコーナーがあることさえ気がつかなか
った。
私は入ったついでに、「ナンパもの」と呼ばれるビデオを1本、借りた。
●ナンパもの
「ナンパもの」というのは、街角で男たちが若い女性に声をかけ、その女性と最終的に
は、Sxxするというもの。
「モデルになってください」とか、「水着を試着してくれませんか」とか、そんなことを言
って、女性に近づく。
このとき理性というブレーキが働くなら、女性たちは男たちの申し出を断るはず。
しかし女性たちは、男たちについていく。
いとも簡単についていく。
部屋の中に入っていく。
はじめは抵抗するそぶりを見せるが、はじめだけ。
やがてすぐ、本気になっていく。
で、ある一線を越えたとき、女性は、今度は、むしろ積極的に男たちの体を求め始める。
こうした「ナンパもの」で驚くことは、今では、「中出し」が当たり前ということ。
男たちは、女性の体の中で、射Sする。
もしこのときも、女性たちに一片の理性でも残っていれば、それがどういうことかわから
ないはずはない。
が、その時点になると、女性たちには、その理性はない。
無我夢中。
されるがままというより、むしろ自らそれを求めて、それに応ずる。
そういうのを見ていると、先にも書いたように、「男たちが、女性を誘惑している」とい
うよりは、「男たちが、女性に女性を誘惑するよう仕向けられている?」と。
ストレートな言い方をすると、「男たちが、女性を誘惑しているのではない」。
「男たちが、女性に、もてあそばれている」と。
そんなふうに考えてしまう。
●食欲
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。
たとえば食欲。
最近ではどこの旅館でもホテルでも、バイキング料理が多くなった。
そのほうが、人件費が安くすむ。
そこでのこと。
おいしそうな料理がズラリと並んでいる。
そういうのを見ると、「食べなければ損」という、あの卑しい根性がわいてくる。
が、実際には、「食べなければ損」ではなく、「食べたら損(そこ)ねる」。
理性で考えたら、「食べたら損」。
が、そういうとき、食欲と闘うのは、容易なことではない。
いつもなら食べないデザートまで、しっかりと食べてしまう。
2つ、3つと、余計に食べてしまう。
が、部屋にもどったとたん、後悔の念。
「しまった!」と思う。
「食べたのではなく、食べさせられた!」と。
●一片の理性
じゅうぶん分別もある男性の教師が、18歳未満の若い女性に手を出す。
もしそのとき、その男性の教師に一片の理性でも残っていれば、そういった女性には手を
出さないはず。
が、現実には多くの教師たちが、そういった事件を引き起こし、警察沙汰になり、職場を
追われていく。
それまでの名誉も地位も、すべて失っていく。
が、「一片の理性もない」という点では、会ったばかりの男に、体内での射Sを許す女性も
同じ。
が、だからといって、そうした教師や女性を責めるのもどうか?
(もちろん擁護もしないが……。)
ともに、その人たちの責任というよりは、その人たちの中に潜む、もっと大きな力によっ
て、操られているだけ。
当人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、「私」など、どこにもない。
そういうふうに考えないと、この問題は理解できない。
●自分の意思
で、こうした人間の一連の行動を見ていると、こういうことが言える。
私たちはなにごとにつけ、自分の意思でしているかのように思っている。
が、実際には、そうするように、仕向けられている、と。
もっと平たく言えば、「操られている」。
とくに本能と呼ばれる部分についてはそうで、それゆえに理性の力でコントロールする
ことは、たいへんむずかしい。
不可能ではないが、それをしようとがんばると、心の状態そのものがおかしくなることも
ある。
たとえば私のばあいは、「モノ」。
ある特定のモノがほしくなると、終日、そのモノのことばかり考えるようになる。
デジカメならデジカメでもよい。
そうした状態が1、2週間もつづいたりすると、神経そのものが、苛立ってくる。
自分でもその変化が、よくわかる。
が、買ってしまえば、落ち着く。
そのモノを、手の中でいじって遊ぶ。
●生かされている
私たちは「している」のではない。
「させられている」。
あらゆることがそうだ。
たとえば「生きる」こともそうだ。
今、私はこうして生きている。
一見すると、自分の意思で生きているようにも感ずる。
が、実際には、「生かされている」。
脳の視床下部あたりから、「生きろ!」「生きろ!」という強力な信号が出ている。
その結果として、「生かされている」。
話をもとに戻すと、冒頭に書いた男性の教師にしても、自分の意思でそういう行為をし
たというよりは、「若い女性によって、仕向けられた」と考えられなくもない。
繰り返しになるが、男も女も、それぞれにもっている本能によって、操られる。
たとえば若い女性が、化粧をしたり、ファッションに気をつかうのも、結局は「男の目」
を気にしているからではないのか。
もちろん当の本人は、それを否定するだろう。
「私は男性を誘惑するために、化粧をしたり、ファッションに気をつかっているのではな
い」と。
●「私」
こうして考えていくと、私たちはいったい、どこからどこまで生かされ、どこから先で
生きているのか、わからなくなる。
もっとわかりやすく言えば、どこまでが「私」で、どこから先が「私でない」のか、わか
らなくなる。
先に書いたように、「生きている」ことにしても、そうだ。
本当に私たちは、自分の意思で生きているのか?
あるいは、ひょっとしたら、生かされているだけではないのか?
そういうふうに考えていくと、「私」と言える部分は、ほとんどないのではないかという
ことになる。
話を戻す。
冒頭で書いた男性の教師にしても、結局は「私でない」部分に操られてしまった。
相手の女性にしても、それは同じだろう。
現在の社会通念からすれば、男性の教師は「悪人」ということになる。
18歳未満だったその女性は、「被害者」ということになる。
しかし私には、「悪人」「被害者」と、決めつけることが、どうしてもできない。
では、どうするか?
●結局は厳罰主義
この問題だけは、結局は厳罰主義で臨むしかない。
18歳未満の女性に声をかけられただけで、震えあがる。
そういう法的な環境を用意する。
オーストラリアでは、そうした関係を見聞きしただけで、罪に問われる。
見聞きした人には、警察への通報義務が生まれる。
通報義務を怠ったばあい、警察に逮捕されることもある。
日本も、とくに教職にある者であれば、問答無用式に2年の懲役刑とすればよい。
見聞きして、通報義務を怠った人も、同罪。
そういう形で、理性の欠陥を、補う。
つまり理性によるコントロールには、限界がある。
その限界を認め、それを厳罰主義で補う。
それしか方法はない。
が、現実には、「教職を追われるなど、すでに社会的制裁を受けている」とか何とか、
理由にもならない理由で、たいていは執行猶予刑になる。
(教職を追われることは、当然のことではないか。)
こうした(甘さ)が、こうした犯罪を野放しにする。
いつまでたっても、跡を絶たない
繰り返し、繰り返し、新聞で報道される。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 厳罰主義 本能と理性)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●年金問題(「時事用語・2010」(成美堂出版)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
年金について、勉強してみる。
「時事用語・2010」(成美堂出版)を開く。
「2010」となっているが、実際の発行日は、「2009年1月10日」となっている。
すでに1年以上も前に発刊された本ということになる。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
●年金
年金は、つぎの3つに分けられる。
(1)自営業者などの「第一号被保険者」……【国民年金】
(2)会社員などの「第二号被保険者」…… 【国民年金】+【厚生年金】+【企業年金】
(3)公務員などの「第二号被保険者」…… 【国民年金】+【共済年金】+【職域加算】
(4)専業主婦(夫)の「第三号保険者」……【国民年金】
●問題点
「時事用語」によれば、「ここの5年以上、国民年金の未納率は、3割を超えており……」
とある。
理由の第一は、「将来、年金を受け取れないのではないかという、年金制度への強い不信感
が、若者の間で広がっていることが指摘されている」と。
しかし、本当に、そうか?
「受け取れない」のではなく、「不公平感があるから」ではないのか?
●40年前の1万円、今の6万円
大卒の初任給が6万円前後になったとき、(手取額は5万円と少し)、私とワイフは結婚
した。
そのときですら、2人で、月額計2万円弱、国民年金を納付していた。
6万円を分母にすれば、33%!
私はワイフと何度か、言い争いをしたことがある。
「もったいないから、払うのをやめよう」
「払わなければ、ならないのよ」と。
●得なのか、損なのか
以来、40年近く、国民年金を納付してきた。
が、当初の約束とは異なり、満55歳から支給が、60歳になり、今は65歳になった。
しかも支給額は、月額計13万円弱。
額こそ、10倍近くになった。
しかし平均寿命を基準にして計算すると、支給されるとしても、その後15年前後。
得なのか、損なのか、それがよくわからない。
もちろん40年前の1万円と、現在の1万円とでは、価値もちがう。
●「宙に浮いた年金記録」
「時事用語2010」を読んで、改めて怒りがわいてくる。
「宙に浮いた年金記録」が、5000万件以上もあったという。
いわく「納付された国民年金や厚生年金の中に、だれのものか特定できない記録が、50
00万件以上も発覚」(同書)と。
5000万件=5000万人と考えると、成人した国民の約半数ということになる。
2007年度だけでも、つぎのような数字が並ぶ(同書より)。
60歳以上……約3850万件
60歳以下……約2215万件
生年月日不詳……約30万件
(合計……5095万件)
このほかにも、コンピューターに未登録の年金記録が、1466万件!
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10年 7月 14日
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選ばれました!
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●ハレンチ事件
++++++++++++++++++
数日前、またどこかの教師が、18歳未満の
女性とS交渉をもって、逮捕された。
その教師は、出会い系サイトで、女性と
知り合ったという。
逮捕されたとき、その教師はこう言った
という。
「こんなに簡単にできるとは思っていなかった」と。
「簡単」ということは、「簡単」ということ。
そういったシステムが、アンダーワールドの
世界では、すでに完成している。
+++++++++++++++++++
●悪者?
こういう事件を見聞きすると、私たちはすかさず、教師を悪者として見る。
たしかに悪者だが、しかし「悪者」と断言することもできない。
正常な(?)男性なら、若い女性に興味をもつのは、当然のこと。
またそうした本能をコントロールするのは、容易なことではない。
実際には、不可能。
こうした本能は、理性の外にある。
だからといって、その教師を擁護するわけではない。
私が言いたいのは、「誰が、その男性を、石をもって打てるか?」ということ。
最近、ときどき、こんなことを考える。
つまり男性は、若い女性と遊びたがる。
しかし実際には、若い女性に遊ばされているのは、男性のほうではないのか、と。
たとえばえばタバコがある。
喫煙者は、タバコを吸う。
そのとき喫煙者は、「自分の意思でタバコを吸っている」と思うかもしれない。
しかし実際には、「タバコにタバコを吸わされている」。
酒にしても、そうだ。
一日の仕事を終え、家に帰って一杯のビールを飲む。
うまい!
暑い日には、なおさらうまい!
そういうとき、私たちは、「自分の意思でビールを飲んでいる」と思うかもしれない。
しかし実際には、「ビールにビールを飲まされている」。
●ナンパ・ビデオ
どこかあやしげなビデオショップへ行くと、その種のビデオがズラリと並んでいる。
私も若いころは、そういうビデオをよく見た。
「よく見た」といっても、「ふつう程度に」という意味。
当時はやったビデオに、『洗濯屋のケンちゃん』というビデオもあった。
私たちの世代には、衝撃的なビデオだった。
そんなある日、ちょうど1年ほど前のこと。
いつも通うビデオショップの裏口に、そういったビデオだけを並べているコーナーがある
のを知った。
それまで10年近くその店に通っていたが、そんなコーナーがあることさえ気がつかなか
った。
私は入ったついでに、「ナンパもの」と呼ばれるビデオを1本、借りた。
●ナンパもの
「ナンパもの」というのは、街角で男たちが若い女性に声をかけ、その女性と最終的に
は、Sxxするというもの。
「モデルになってください」とか、「水着を試着してくれませんか」とか、そんなことを言
って、女性に近づく。
このとき理性というブレーキが働くなら、女性たちは男たちの申し出を断るはず。
しかし女性たちは、男たちについていく。
いとも簡単についていく。
部屋の中に入っていく。
はじめは抵抗するそぶりを見せるが、はじめだけ。
やがてすぐ、本気になっていく。
で、ある一線を越えたとき、女性は、今度は、むしろ積極的に男たちの体を求め始める。
こうした「ナンパもの」で驚くことは、今では、「中出し」が当たり前ということ。
男たちは、女性の体の中で、射Sする。
もしこのときも、女性たちに一片の理性でも残っていれば、それがどういうことかわから
ないはずはない。
が、その時点になると、女性たちには、その理性はない。
無我夢中。
されるがままというより、むしろ自らそれを求めて、それに応ずる。
そういうのを見ていると、先にも書いたように、「男たちが、女性を誘惑している」とい
うよりは、「男たちが、女性に女性を誘惑するよう仕向けられている?」と。
ストレートな言い方をすると、「男たちが、女性を誘惑しているのではない」。
「男たちが、女性に、もてあそばれている」と。
そんなふうに考えてしまう。
●食欲
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。
たとえば食欲。
最近ではどこの旅館でもホテルでも、バイキング料理が多くなった。
そのほうが、人件費が安くすむ。
そこでのこと。
おいしそうな料理がズラリと並んでいる。
そういうのを見ると、「食べなければ損」という、あの卑しい根性がわいてくる。
が、実際には、「食べなければ損」ではなく、「食べたら損(そこ)ねる」。
理性で考えたら、「食べたら損」。
が、そういうとき、食欲と闘うのは、容易なことではない。
いつもなら食べないデザートまで、しっかりと食べてしまう。
2つ、3つと、余計に食べてしまう。
が、部屋にもどったとたん、後悔の念。
「しまった!」と思う。
「食べたのではなく、食べさせられた!」と。
●一片の理性
じゅうぶん分別もある男性の教師が、18歳未満の若い女性に手を出す。
もしそのとき、その男性の教師に一片の理性でも残っていれば、そういった女性には手を
出さないはず。
が、現実には多くの教師たちが、そういった事件を引き起こし、警察沙汰になり、職場を
追われていく。
それまでの名誉も地位も、すべて失っていく。
が、「一片の理性もない」という点では、会ったばかりの男に、体内での射Sを許す女性も
同じ。
が、だからといって、そうした教師や女性を責めるのもどうか?
(もちろん擁護もしないが……。)
ともに、その人たちの責任というよりは、その人たちの中に潜む、もっと大きな力によっ
て、操られているだけ。
当人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、「私」など、どこにもない。
そういうふうに考えないと、この問題は理解できない。
●自分の意思
で、こうした人間の一連の行動を見ていると、こういうことが言える。
私たちはなにごとにつけ、自分の意思でしているかのように思っている。
が、実際には、そうするように、仕向けられている、と。
もっと平たく言えば、「操られている」。
とくに本能と呼ばれる部分についてはそうで、それゆえに理性の力でコントロールする
ことは、たいへんむずかしい。
不可能ではないが、それをしようとがんばると、心の状態そのものがおかしくなることも
ある。
たとえば私のばあいは、「モノ」。
ある特定のモノがほしくなると、終日、そのモノのことばかり考えるようになる。
デジカメならデジカメでもよい。
そうした状態が1、2週間もつづいたりすると、神経そのものが、苛立ってくる。
自分でもその変化が、よくわかる。
が、買ってしまえば、落ち着く。
そのモノを、手の中でいじって遊ぶ。
●生かされている
私たちは「している」のではない。
「させられている」。
あらゆることがそうだ。
たとえば「生きる」こともそうだ。
今、私はこうして生きている。
一見すると、自分の意思で生きているようにも感ずる。
が、実際には、「生かされている」。
脳の視床下部あたりから、「生きろ!」「生きろ!」という強力な信号が出ている。
その結果として、「生かされている」。
話をもとに戻すと、冒頭に書いた男性の教師にしても、自分の意思でそういう行為をし
たというよりは、「若い女性によって、仕向けられた」と考えられなくもない。
繰り返しになるが、男も女も、それぞれにもっている本能によって、操られる。
たとえば若い女性が、化粧をしたり、ファッションに気をつかうのも、結局は「男の目」
を気にしているからではないのか。
もちろん当の本人は、それを否定するだろう。
「私は男性を誘惑するために、化粧をしたり、ファッションに気をつかっているのではな
い」と。
●「私」
こうして考えていくと、私たちはいったい、どこからどこまで生かされ、どこから先で
生きているのか、わからなくなる。
もっとわかりやすく言えば、どこまでが「私」で、どこから先が「私でない」のか、わか
らなくなる。
先に書いたように、「生きている」ことにしても、そうだ。
本当に私たちは、自分の意思で生きているのか?
あるいは、ひょっとしたら、生かされているだけではないのか?
そういうふうに考えていくと、「私」と言える部分は、ほとんどないのではないかという
ことになる。
話を戻す。
冒頭で書いた男性の教師にしても、結局は「私でない」部分に操られてしまった。
相手の女性にしても、それは同じだろう。
現在の社会通念からすれば、男性の教師は「悪人」ということになる。
18歳未満だったその女性は、「被害者」ということになる。
しかし私には、「悪人」「被害者」と、決めつけることが、どうしてもできない。
では、どうするか?
●結局は厳罰主義
この問題だけは、結局は厳罰主義で臨むしかない。
18歳未満の女性に声をかけられただけで、震えあがる。
そういう法的な環境を用意する。
オーストラリアでは、そうした関係を見聞きしただけで、罪に問われる。
見聞きした人には、警察への通報義務が生まれる。
通報義務を怠ったばあい、警察に逮捕されることもある。
日本も、とくに教職にある者であれば、問答無用式に2年の懲役刑とすればよい。
見聞きして、通報義務を怠った人も、同罪。
そういう形で、理性の欠陥を、補う。
つまり理性によるコントロールには、限界がある。
その限界を認め、それを厳罰主義で補う。
それしか方法はない。
が、現実には、「教職を追われるなど、すでに社会的制裁を受けている」とか何とか、
理由にもならない理由で、たいていは執行猶予刑になる。
(教職を追われることは、当然のことではないか。)
こうした(甘さ)が、こうした犯罪を野放しにする。
いつまでたっても、跡を絶たない
繰り返し、繰り返し、新聞で報道される。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 厳罰主義 本能と理性)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●年金問題(「時事用語・2010」(成美堂出版)
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年金について、勉強してみる。
「時事用語・2010」(成美堂出版)を開く。
「2010」となっているが、実際の発行日は、「2009年1月10日」となっている。
すでに1年以上も前に発刊された本ということになる。
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●年金
年金は、つぎの3つに分けられる。
(1)自営業者などの「第一号被保険者」……【国民年金】
(2)会社員などの「第二号被保険者」…… 【国民年金】+【厚生年金】+【企業年金】
(3)公務員などの「第二号被保険者」…… 【国民年金】+【共済年金】+【職域加算】
(4)専業主婦(夫)の「第三号保険者」……【国民年金】
●問題点
「時事用語」によれば、「ここの5年以上、国民年金の未納率は、3割を超えており……」
とある。
理由の第一は、「将来、年金を受け取れないのではないかという、年金制度への強い不信感
が、若者の間で広がっていることが指摘されている」と。
しかし、本当に、そうか?
「受け取れない」のではなく、「不公平感があるから」ではないのか?
●40年前の1万円、今の6万円
大卒の初任給が6万円前後になったとき、(手取額は5万円と少し)、私とワイフは結婚
した。
そのときですら、2人で、月額計2万円弱、国民年金を納付していた。
6万円を分母にすれば、33%!
私はワイフと何度か、言い争いをしたことがある。
「もったいないから、払うのをやめよう」
「払わなければ、ならないのよ」と。
●得なのか、損なのか
以来、40年近く、国民年金を納付してきた。
が、当初の約束とは異なり、満55歳から支給が、60歳になり、今は65歳になった。
しかも支給額は、月額計13万円弱。
額こそ、10倍近くになった。
しかし平均寿命を基準にして計算すると、支給されるとしても、その後15年前後。
得なのか、損なのか、それがよくわからない。
もちろん40年前の1万円と、現在の1万円とでは、価値もちがう。
●「宙に浮いた年金記録」
「時事用語2010」を読んで、改めて怒りがわいてくる。
「宙に浮いた年金記録」が、5000万件以上もあったという。
いわく「納付された国民年金や厚生年金の中に、だれのものか特定できない記録が、50
00万件以上も発覚」(同書)と。
5000万件=5000万人と考えると、成人した国民の約半数ということになる。
2007年度だけでも、つぎのような数字が並ぶ(同書より)。
60歳以上……約3850万件
60歳以下……約2215万件
生年月日不詳……約30万件
(合計……5095万件)
このほかにも、コンピューターに未登録の年金記録が、1466万件!