最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●日本の教育

2010-07-19 09:13:59 | 日記

【日本の教育】

●学校に通う意味・青年の意識調査より

●内閣府(2009年)の調査結果より

なぜ、あなたは学校に通うか?
その答がつぎ。

++++++++++++++++++

●日本は「友達との友情をはぐくむ」、韓国は「学歴や資格を得る」、アメリカ、イギリス、
フランスは「一般的・基礎的知識を身に付ける」がもっとも高い。

●「友達との友情をはぐくむ」:
日本(65.7%)、
韓国(41.2%)、
イギリス(40.2%)、
アメリカ(39.2%)、
フランス(16.3%)

●「自由な時間を楽しむ」:
日本(32.5%)、
アメリカ(26.8%)、
イギリス(22.7%)、
韓国(14.7%)、
フランス(11.2%)

●「職業的技能を身に付ける」:
イギリス(44.6%)、
フランス(43.5%)、
アメリカ(42.8%)、
韓国(37.0%)、
日本(30.6%)

●「一般的・基礎的知識を身に付ける」:
アメリカ(79.1%)、
フランス(66.9%)、
イギリス(63.0%)、
日本(55.9%)、
韓国(44.9%)

詳しくは……
http://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/worldyouth8/pdf/gaiyou.pdf

++++++++++++++++++

●意識のちがい

 高等教育に対する意識のちがい。
それが内閣府の調査結果によく表われている。
平たく言えば、日本の青年は、「遊ぶため」。
欧米の青年は、「社会へ出てから、生きていかれる人間になるため」。
「職業的技能を身につけるため」という意識が強い。

 役にたつかたたないかということになれば、日本の教育は役にたたない。
かなり改善されたとはいえ、英語教育がそうだった。(……今も、そうだ。)
つまり日本の教育は、英語にかぎらず、社会にしても、国語にしても、数学にしても、
理科にしても、将来、その道の学者になるためには、たいへん機能的にできている。
が、将来、学者になる子どもは、いったい、何%いるのか?
「基礎学力」という名前に隠れて、その一方で、「教育とは役にたつものではない」という、
反実用主義が常識化している。

●役にたつ教育へ

 アメリカの中学では、たとえば数学にしても、「中古車の買い方」というテーマで
学習に入る。
その過程で、小数計算の仕方や、金利の損得の判断などを順に教えていく。
が、この日本では、一次方程式だの、一次関数だの、はたまた合同だの相似だの……。
私など高校を出てから、方程式なるものを、日常生活の場で使ったことなど、ただの
一度もない。
サインやコサイン(私たちの時代には、中学2年で、サイン、コサインを勉強した)
にしても、さらに、ない。

 が、これは教育の問題ではない。
それを学ぶ子どもたちの意識の問題ということになる。
子どもたちを育てる親の意識の問題ということになる。
「なぜ、子どもを大学へやるか?」と聞かれたら、親は何と答えるだろうか?
今でも、大半の親は、こう答えるにちがいない。

「学歴を身につけるため」と。

●身分制度の名残(なごり)

 江戸時代から明治時代へ。
今は、坂本龍馬に踊らされているから、わからないかもしれない。
なにやら坂本龍馬が、革命の旗手であったかのようにとらえられている。
しかし明治維新は、「革命」でも何でもない。
英語では、「Restoration」と訳されている。
つまり「王政復古」。
坂本龍馬は、民衆のために戦った人ではない。
民主主義を求めて戦った人でもない。
「王政復古」、つまり「天皇の復権」のために戦った人に過ぎない。

 そういう歴史的背景も学ばず、「龍馬ブーム」!
もし徳川時代がまちがっているというのなら、一度、封建時代を精算したらよい。
が、それもしない。

 わかりやすく言えば、明治維新は、徳川家から天皇家への、首のすえかえに
過ぎなかった。
その一例が、現在の学歴制度に残っている。
つまり身分制度。
当時の為政者たちがもっとも腐心したのは、江戸時代の身分制度をいかにして、
明治政府にバトンタッチするか、であった。
が、方法がなかったわけではない。

 明治時代が11年も過ぎたころでさえ、東京大学の学生の75%以上が、華族、氏族
の師弟で固められた。
たいはんの庶民は、尋常小学校どまり。
それ以上となると、父親の1か月の給料をもってしても、教科書すら買うことができな
かった。

 また県知事(県令)は、当時の自治省から派遣されるしくみになっていた。
選挙など、形だけ。
(現在でも、大きくみれば、その流れの中にある。)

++++++++++++++++++

以前、書いた話と同じになりますので、
以前書いた原稿を、転載します。
一部重複しますが、許してください。

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【学歴制度】

● 5か条の御誓文

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1868年、明治維新で生まれた新政府は、
明治天皇の名前で、『5か条の御誓文』、つまり
政治の方針を定めた。

5か条の御誓文というのは、つぎのような
ものであった。

一、 政治のことは、会議を開き、みんなの意見を聞いて決めよう。
一、 みんなが心を合わせ、国の政策を行おう。
一、 みんなの志が、かなえられwるようにしよう。
一、 これまでのよくないしきたりを改めよう。
一、 新しい知識を世界に学び、国を栄えさせよう

+++++++++++++++++++++

明治維新の中でもっとも大切なのは、『四民平等』ではなかったか。
天皇一族は「皇族」、公家や大名は「華族」、武士は「士族」、そのほかは「平民」となった。
それぞれの割合は、

人口3313万人のうち、
華族、神宮、僧……0・9%
士族     ……5・5%
平民    ……93・6%

この数字を見て、9年前に書いた原稿を思い出した。
日本人が平等になったというのは、ウソと考えてよい。
そのかわり明治政府は今に残る学歴制度を作りあげた。

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●子どもの希望

 98年から99年にかけて、日本青年研究所が、興味ある調査をしている。「将来、就(つ)きたい職業」についてだが、国によって、かなり、ちがうようだ。

★日本の中学生
    公務員
    アルバイト(フリーター)
    スポーツ選手
    芸能人(タレント)

★日本の高校生
    公務員
    専門技術者  
    (以前は人気のあった、医師、弁護士、教授などは、1割以下)

★アメリカの中高校生
    スポーツ選手
    医師
    商店などの経営者 
    会社の管理者
    芸術家
    弁護士などの法律家

★中国の中学生
    弁護士や裁判官
    マスコミ人
    先端的技術者
    医師
    学者

★中国の高校生
    会社経営者
    会社管理者
    弁護士

★韓国の中学生
    教師
    芸能人
    芸術家

★韓国の高校生
    先端的技術者
    教師
    マスコミ 

 調査をした、日本青少年研究所は、「全般的に見ると、日本は、人並みの平凡な仕事を選びたい傾向が強く、中国は経営者、管理者、専門技術者になりたいという、ホワイトカラー志向が強い。韓国は特技系の仕事に関心がある。米国では特技や専門技術系の職業に人気があり、普通のサラリーマンになる願望が最も弱い」と、コメントをつけている。

この不況もあって、この日本では、公務員志望の若者がふえている。しかも今、どんな公務員試験でも、競争率が、10倍とか、20倍とかいうのは、ザラ。さらに公務員試験を受けるための予備校まである。そういう予備校へ、現役の大学生や、卒業生が通っている。

 今では、地方の公務員ですら、民間の大企業の社員並みの給料を手にしている。もちろん退職金も、年金も、満額支給される。さらに退職後の天下り先も、ほぼ100%、確保されている。

 知人の一人は満55歳で、自衛隊を退職したあと、民間の警備会社に天下り。そこに5年間勤めたあと、さらにその下請け会社の保安管理会社に天下りをしている。ごくふつうの自衛官ですら、今、日本の社会の中では、そこまで保護されている。(だからといって、その人個人を責めているのではない。誤解のないように!)
 
もちろん、仕事は楽。H市の市役所で働いている友人(○○課課長)は、こう言った。「市役所の職員など、今の半分でもいいよ。三分の一でも、いいかなあ」と。

 これが今の公務員たちの、偽らざる実感ではないのか。

 こういう現実を見せつけられると、つい私も、自分の息子たちに言いたくなる。「お前も、公務員の道をめざせ」と。

 本来なら、公務員の数を減らして、身軽な行政をめざさねばならない。しかしこの日本では、今の今ですら、公務員、準公務員の数は、ふえつづけている。数がふえるだけならまだしも、公務員の数がふえるということは、それだけ日本人が、公務員たちによって管理されることを意味する。自由が奪われることを意味する。

 恐らく、国民が、公務員たちによって、ここまで管理されている国は、この日本をおいて、ほかにないだろう。ほとんどの日本人は、日本は民主主義国家だと思っている。しかし本当に、そうか。あるいは、今のままで、本当によいのか。日本は、だいじょうぶなのか。

あなたが公務員であっても、あるいは公務員でなくても、そういうことには関係なく、今一度、「本当に、これでいいのか」と、改めて考えなおしてみてほしい。

(040302)(はやし浩司 将来の職業 職業意識 アメリカの高校生 公務員志望)

【付記】

ついでに同じく、その調査結果によれば、「アメリカと中国の、中高校生の、ほぼ全員の子どもが、将来の目標を『すでにはっきり決めている』、あるいは『考えたことがある』と答えた。日本と韓国では2割が『考えたことがない』と答えている」という。

 アメリカや中国の子どもは、目的をもって勉強している。しかし日本や韓国の子どもには、それがないということ。

 日本では、大半の子どもたちは今、大学へ進学するについても、「入れる大学の、入れる学部」という視点で、大学を選択している。いくら親や教師が、「目標をもて」と、ハッパをかけても、子どもたちは、こう言う。「どうせ、なれないから……」と。

 学校以外に道はなく、学校を離れて道はない……という現状のほうが、おかしいのである。

 人生には、無数の道がある。幸福になるにも、無数の道がある。子どもの世界も、同じ。そういう道を用意するのも、私たち、おとなの役目ではないだろうか。

 現在の日本の学校教育制度は、子どもを管理し、単一化した子どもを育てるには、たいへん便利で、能率よくできている。しかし今、それはあちこちで、金属疲労を起こし始めている。現状にそぐわなくなってきている。明治や大正時代、さらには軍国主義時代なら、いざ知らず、今は、もうそういう時代ではない。

 それにもう一つ重要なことは、何も、勉強というテーマは、子ども時代だけのものではないということ。仮に学生時代、勉強しなくても、おとなになってから、あるいは晩年になってから勉強するということも、重要なことである。

 私たちはともすれば、「子どもは勉強」、あるいは「勉強するのは子ども」と片づけることによって、心のどこかで「おとなは、しなくてもいい」と思ってしまう。

 たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい!」と怒鳴る親は多いが、自分に向って、「勉強しなさい!」と怒鳴る親は少ない。こうした身勝手さが生まれるのも、日本の教育制度の欠陥である。

 つまりこの日本では、もともと、「学歴」が、それまでの身分制度の代用品として使われるようになった。「勉強して知性」をみがくという、本来の目的が、「勉強して、いい身分を手に入れる」という目的にすりかわってしまった。

 だから親たちは、こう言う。「私は、もう終わりましたから」と。私が、「お母さん、あなたたちも勉強しないといけませんよ」と言ったときのことである。

 さあ、あなたも、勉強しよう。

 勉強するのは、私たちの特権なのだ。新しい世界を知ることは、私たちの特権なのだ。なのに、どうして今、あなたは、それをためらっているのか?

【付記2】

 江戸時代から明治時代にかわった。そのとき、時の為政者たちは、「維新」という言葉を使った。「革命」という意味だが、しかし実際には、「頭」のすげかえにすぎなかった。

 幕府から朝廷(天皇)への、「頭」のすげかえである。

 こうして日本に、再び、奈良時代からつづいた官僚政治が、復活した。

 で、最大の問題は、江戸時代の身分制度を、どうやって、合法的かつ合理的に、明治時代に温存するかであった。ときの明治政府としては、こうした構造的混乱は、極力避けたかったにちがいない。

 そこで「学歴によって、差別する」という方式をもちだした。

 当時の大卒者は、「学校出」と呼ばれ、特別扱いされた。しかし一般庶民にとっては、教科書や本すら、満足に購入することができなかった。だから結局、大学まで出られるのは、士族や華族、一部の豪族にかぎられた。明治時代の終わりでさえ、東京帝国大学の学生のうち、約75~80%が、士族、華族の師弟であったという記録が残っている。

 で、こうした「学校出」が、たとえば自治省へ入省し、やがて、全国の知事となって、派遣されていった。選挙らしいものはあったが、それは飾りにすぎなかった。

 今の今でも、こうした「流れ」は、何も変わっていない。変っていないことは、実は、あなた自身が、一番、よく知っている。たとえばこの静岡県では、知事も、副知事も、浜松市の市長も、そして国会議員の大半も、みな、元中央官僚である。(だから、それがまちがっていると言っているのではない。誤解のないように!)

 ただ、日本が本当に民主主義国家かというと、そうではないということ。あるいは大半の日本人は、民主主義というものが、本当のところ、どういうものかさえ知らないのではないかと思う。

 つまり「意識」が、そこまで高まっていない? 私もこの国に住んで、56年になるが、つくづくと、そう思う。

++++++++++++++++++++++
つぎの原稿は、1997年に、私が中日新聞に
発表した原稿です。
大きな反響を呼んだ原稿の一つです。

若いころ(?)書いた原稿なので、かなり過激
ですが、しかし本質は、今も変わっていないと
思います。
++++++++++++++++++++++

●日本の学歴制度

インドのカースト制度を笑う人も、日本の学歴制度は、笑わない。どこかの国のカルト信仰を笑う人も、自分たちの学校神話は、笑わない。その中にどっぷりとつかっていると、自分の姿が見えない。

 少しかたい話になるが、明治政府は、それまでの士農工商の身分制度にかえて、学歴制度をおいた。

 最初からその意図があったかどうかは知らないが、結果としてそうなった。

 明治11年の東京帝国大学の学生の75%が、士族出身だったという事実からも、それがわかる。そして明治政府は、いわゆる「学校出」と、そうでない人を、徹底的に差別した。

 当時、代用教員の給料が、4円(明治39年)。学校出の教師の給料が、15~30円、県令(今の県知事)の給料が250円(明治10年)。

 1円50銭もあれば、一世帯が、まあまあの生活ができたという。そして今に見る、学歴制度ができたわけだが、その中心にあったのが、官僚たちによる、官僚政治である。

 たとえて言うなら、文部省が総本山。各県にある教育委員会が、支部本山。そして学校が、末寺ということになる。

 こうした一方的な見方が、決して正しいとは思わない。教育はだれの目にも必要だったし、学校がそれを支えてきた。

 しかし妄信するのはいけない。どんな制度でも、行き過ぎたとき、そこで弊害を生む。日本の学歴制度は、明らかに行き過ぎている。

 学歴のある人は、たっぷりとその恩恵にあずかることができる。そうでない人は、何かにつけて、損をする。

 この日本には、学歴がないと就けない仕事が、あまりにも多い。多すぎる。親たちは日常の生活の中で、それをいやというほど、肌で感じている。だから子どもに勉強を強いる。

 もし文部省が、本気で、学歴社会の打破を考えているなら、まず文部省が、学歴に関係なく、職員を採用してみることだ。

 過激なことを書いてしまったが、もう小手先の改革では、日本の教育は、にっちもさっちもいかないところまで、きている。

 東京都では、公立高校廃止論、あるいは午前中だけで、授業を終了しようという、午後閉鎖論まで、公然と議論されるようになっている。それだけ公教育の荒廃が進んでいるということになる。

 しかし問題は、このことでもない。

 学歴信仰にせよ、学校神話にせよ、犠牲者は、いつも子どもたちだということ。今の、この時点においてすら、受験という、人間選別の(ふるい)の中で、どれほど多くの子どもたちが、苦しみ、そして傷ついていることか。そしてそのとき受けた傷を、どれだけ多くのおとなたちが、今も、ひきずっていることか。それを忘れてはいけない。

 ある中学生は、こう言った。

 「学校なんか、爆弾か何かで、こっぱみじんに、壊れてしまえばいい」と。

 これがほとんどの子どもの、偽らざる本音ではないだろうか。ウソだと思うなら、あなたの、あるいはあなたの近所の子どもたちに、聞いてみることだ。

 子どもたちの心は、そこまで病んでいる。
(はやし浩司 華族 士族 東京帝国大学 自治省)

++++++++++++++++++++++++

●教えずして教える

 教育には教えようとして教える部分と、教えずして教える部分の二つがある。

たとえばアメリカ人の子どもでも、日本の幼稚園へ通うようになると、「私」と言うとき、自分の鼻先を指さす。(ふつうアメリカ人は親指で、自分の胸をさす。)

そこで調べてみると、小学生の全員は、自分の鼻先をさす。年長児の大半も、自分の鼻先をさす。しかし年中児になると、それが乱れる。つまりこの部分については、子どもは年中児から年長児にかけて、いつの間にか、教えられなくても教えられてしまうことになる。

 これが教えずして教える部分の一つの例だが、こうした部分は無数にある。よく誤解されるが、教えようとして教える部分より、実は、教えずして教える部分のほうが、はるかに多い。どれくらいの割合かと言われれば、一対一〇〇、あるいは一対一〇〇〇、さらにはもっと多いかしれない。

私たちは子どもの教育を考えるとき、教えようとして教える部分に夢中になり、この教えずして教えてしまう部分、あまりにも無関心すぎるのではないのか。あるいは子どもというのは、「教えることで、どうにでもなる」と、錯覚しているのではないのか。しかしむしろ子どもの教育にとって重要なのは、この「教えずして教える」部分である。

 たとえばこの日本で教育を受けていると、ひとにぎりのエリートを生み出す一方で、大半の子どもたちは、いわゆる「もの言わぬ従順な民」へと育てあげられる。だれが育てるというのでもない。受験競争という人間選別を経る過程で、勝ち残った子どもは、必要以上にエリート意識をもち、そうでない子どもは、自らに「ダメ人間」のレッテルをはっていく。

先日も中学生たちに、「君たちも、Mさん(宇宙飛行士)が言っているように、宇宙飛行士になるという夢をもったらどうか」と言ったときのこと。全員(一〇人)がこう言った。「どうせ、なれないもんね」と。「夢をもて」と教えても、他方で子どもたちは別のところで、別のことを学んでしまう。

 さてあなたは今、子どもに何を教えているだろうか。あるいは何を教えていないだろうか。そして子どもは、あなたから何を教えられて学び、教えられなくても何を学んでいるだろうか。それを少しだけここで考えてみてほしい。

(はやし浩司 もの言わぬ 従順な民 はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 学歴制度 学歴社会 はやし浩司 県令 自治省 坂本龍馬)

●最後に……

 日本の教育は、基本的な部分で、おかしい。
その(おかしさ)は、ここに書いたとおりである。
だから青年たちは、「遊ぶ」。
もとから学ぶという意識もないまま、遊ぶ。
その結果が、内閣府の調査結果ということになる。

 もう一度、冒頭の数字を、じっくりとながめてみてほしい。
あなたにも、そのおかしさが、わかるはず。
2010/07/19記


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●ほたるの幼虫

2010-07-19 08:15:53 | 日記
●7月18日

+++++++++++++++++++

今日は日曜日。
Good News、Bad News,
さまざまあった1日だった。

夕方になって、ほたるの写真が、無性に
撮りたくなった。
山荘の裏山に、ほたるが出る。
その写真が、撮りたくなった。

カメラは、ソニーのサイバーショット、
HX-5V。
知る人ぞ知る、ソニーの最新型。
1ルックスの明かりがあれば、ふつうの
写真が撮れる。

(1ルックスというのは、直径2センチ
のローソクをともしたとき、1メートル
離れたところの明るさをいう。)

その性能に加えて、夜間撮影機能を使えば、
ほたるの光でも、とらえることができるはず。

(夜間撮影のときは、連続して5枚の
写真を撮り、それをコンピューター処理
して、1枚の写真に仕上げる。
そういう機能も備えている。
すごい!)

++++++++++++++++++

●「かつさと」

 山荘へ行く途中、東名西インター手前にある、「かつさと」という店に寄った。
カツ丼専門店。
私は味噌カツ。
ワイフはカツ丼。
おいしかった!
久々に、おいしい味噌カツを食べた。
値段も、500円。
安い!
それに活気があった。
厨房には、私たちが食事をしたときには、6人のコックと、2人の男子店員+
2人の女子店員がいた。
それぞれが声をかけあいながら、仕事をしていた。
その活気がよい。

 流行(はや)る店は、雰囲気ですぐわかる。
それを食べながら、以前、郷里のM町で食べたカツ丼の話になった。
いろいろまずいものを食べたことはあるが、あのときあそこで食べたカツ丼は、最低、
最悪。
生臭くて、それに肉がかたく、パサパサしていた。
「あのカツ丼はまずかったね」と私。
それに値段も、何と1200円!
それを言うと、ワイフが、ヘヘヘ……と笑った。
「ひどすぎて、話にならない」という意味である。

 が、「かつさと」の味噌カツは、最高!
味噌の味もよい。
「また来ようね」と言うと、ワイフは、あっさりと同意してくれた。

 最近はこうした中規模のチェーン店ががんばっている。
味も研究している。
高級専門店に負けない味を出している。

 「かつさと」さん、また寄ります。
おいしかった!
味は、(まだ味噌カツしか食べていないが)、5つ星の★★★★★。
ただ、ごはんの量が少し少ないかな……という印象をもった。
しかし500円という料金を考えるなら、文句は言えない。

●午後7時45分

 山荘へは午後7時半ごろ着いた。
今、時計は7時50分。
最後まで残っていた青白い光が、空から消えた。
真っ白な月が顔を出した。
夜空の写真を撮った。

 「今夜も出るだろうか?」と私。
「出なければ、奥の水のみ場へ行きましょう」とワイフ。
少し山を登ると、清水が湧き出ているところがある。
このあたりの人たちが、そこへ水を取りに来る。
7、8年ほど前だが、そこで数匹のほたるが飛んでいるのを見た。

●上弦の月

 あたりはすっかり暗くなった。
谷間の民家の街路灯だけが、小さな点をつくって並んでいるのが見える。
今夜の月は、右弦の月。
右半分だけ。
この先、満月に向かって大きくなっていく。
上り坂。
だから「上弦の月」という。

 三脚は長男のものを借りた。
飛んでいる蛍は撮れないかもしれない。
しかしじっとしている幼虫なら、撮れる。
期待と不安が、交互にやってきては消える。

●感動

 この山荘に住むようになってからのこと。
そのつど感動したことは、山のようにある。
まず空を飛ぶ鳶(とび)の背中を見ることができたこと。
(背中だぞ!)
鳶は谷間の中、私たちの眼下を飛んでいた。

 キジの夫婦にも出会ったことがある。
反対側の山の斜面を、2羽であちこちを歩き回っていた。
それにホトトギス、ヒグラシにウグイスなどなど。
コジュケイもいる。
この時期、朝方、どれも騒々しいほどに鳴く。

 5月の野生のジャスミン。
ビワ、野いちごなどなど。
ここへ来るたびに、そしてそのつど、新鮮な感動を覚えた。
で、今は、ほたる。
ほたるを見たい!

●幼虫

 ほたるは幼虫のときから、あやしげな光を放つ。
不気味な形をしている。
一度だけだが、つかまえたことがある。
しかしそのときはほたるの幼虫とは、知らなかった。
「宇宙から飛来した、宇宙生物」と、私は思った。
光る虫を、ほたる以外に、私は知らなかった。

 で、おとといの夜、その幼虫を見た。
夜中に、淡い光を放っていた。
ホワ~ンと光っては、ホワ~ンと消える。
やさしい光だった。

 最初は1、2個が目についた。
が、やがてすぐ、それが20~30個もあることを知った。
うれしかった。
……というより感動した。

●探索

 今夜はそれを見る。
見るために、やってきた。

(この間、外に出る。
草むらに目を凝らす。)

 いた!
やはり、いた!
おとといの夜と同じように、草むらで淡い光を放っていた。
最初に、ワイフが一匹、見つけた。
つづいて、2匹、3匹……と。
数分後には、それが10匹前後になっていた。

 草の奥のほうで光る。
私はカメラをいろいろな角度から、向けなおしてみた。
が、月の光が街路灯のように明るい。
「これではだめだ!」と何度も思った。
だいたいどこから光りだすか、それすらわからない。
カメラの焦点を合わせることもできない。

 私は、一匹をつかまえてみることにした。

●死んだフリ

 ほたるの光っている位置を正確に、頭にたたきこむ。
そしてそこを懐中電灯で照らす。
やはり幼虫だった。
大きさは、1センチもない。
それを葉っぱごと、つかまえる。
手でつかまえられるような大きさではない。

 ワイフがコップをもってきた。
その中に幼虫を入れた。
うまくいけば、コップの中で光ってくれるかもしれない。

 私は幼虫の入ったコップを、居間のテーブルの上に置いた。
葉っぱも入れた。
が、まったく動かない。
「死んだフリだな」と思った。
そのままテーブルの上に置いてみた。
が、動かない。

 DVDカメラの用意をして、幼虫をとらえた。
1分、2分……。
少し動いた。
が、それだけ。
死んだフリ?
力は加えていない。

 尾の先あたりがやや白っぽくなっている。
その部分が光るのだろう。

●撮影

 ワイフは庭先へ出て、光をさがしている。
遠くで、花火があがる音。
近くの村で、花火大会をしているらしい。
虫の声も、静かになった。
月はやや赤みを帯びてきた。

 「ギブアップだな」と思った。
テーブルの上で光るなどということは、ないだろう。
虫だって、それなりの意味があるときに光る。

 ときどき活発に動き出す。
尺取虫のような動き方をする。
結構、逃げ足は速い。
その様子は、ビデオに収めることができた。

 ほたるは、やはり飛んでいるところがよい。

(これから水のみ場へ行ってみる。
そこではほたるが飛んでいるかもしれない。)

●帰宅
 
 夜はそのまま帰った。
帰り道に水飲み場へ寄ってみたが、ほたるはまだいなかった。
もう1~2週間もすると、そのあたりを飛び交うはず。
で、帰り道、こんな話になった。

「同じ虫なのに、ゴキブリは嫌われる。
でも、ほたるは、好かれる。
そのちがいは何だろう?」と。

 で、ワイフの説によれば、ほたるは光るからだそうだ。
が、もしゴキブリが光ったら、どうなのか?
かえって不気味かも?

 私もやはり、あのやさしい光にあると思う。
その光が、私たちの心のようでもある。
夏の夜、やさしい光を灯しながら、フワフワと飛び交う。
そこに私たちは自分の心を乗せる。

 子どものころは、そういう光をよく追いかけた。
不思議な光。
淡い光。
そういう思い出も重なる。

 残念ながら、今夜は幼虫の写真しか撮ることができなかった。
つぎの機会を待とう。
(2010年7月19日)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

●マガジン7-19(1)

2010-07-19 07:50:07 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 7月 19日【祭日】
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある母親からの相談】(先生の誤解で、自分の子どもが叱られた)

++++++++++++++++++

息子が先生に叱られた。
それに納得できないという、母親からの
相談が届いた。

そのまま紹介させてもらう(一部、変更)。

【Aさんよりはやし浩司へ】(掲示板より)

[投稿者] 小6の母

こんばんは。先生のご意見が聞きたくてメールしました。
先ほど息子が2泊3日の修学旅行から帰ってきました。
さぞ楽しんできたのだろうとバスの到着を待っていると何とも不機嫌そうにバスから息子
が下りてきました。
解散の合図が出ないうちにさっさと帰ろうとしたので私は息子に勝手なことをしたらいけ
ないと注意をしました。その時の息子の目つきが鋭く、私を不安にさせました。
車に乗り込み2人になってから「修学旅行楽しかった?」と声をかけました。
ムッスとした声で「別に」・・・「叱られた」と答えました。
少しずつ重い口が開いてきました。

2日目の旅館で大浴場で入浴をしたそうです。
15人の生徒に男の先生が1人で一緒に入りました。
お風呂からあがるとその後夕食になり、大広間に集まったとき
息子ともう1人の生徒Aくんがみんなの前で呼ばれ、「入浴はルールを守りなさい」と注意
されました。息子はなぜ自分が注意されているのかわからず「なんのことですか?」「僕で
はない」とみんなの前で言ったそうです。ルールとは洗いおけで水の掛け合いをしたとい
うのです。
でも先生たちには信じてもらえず「自分がしてしまったことをどうして認めないのか?」
と逆にまた叱られたのだそうです。素直ではないように見えたのだと思います。A君はす
みませんと謝りました。

いやな気分のまま翌日を迎え帰りのバスの中で、今度は担任の女教師が近づいてきて「自
分のしたことを反省して、これからリベンジしなさい」と話しました。
息子はカチンと来たまま帰ってきたからあんな態度をしたのだと思いました。
息子を信じてあげたいけれど一緒に入浴していた先生がおっしゃるのだから、なにかしら
ない間に友達に水をかけてしまったのではないのか?と息子に聞きました。
本当にやっていないならどうして最後まで「自分ではない」と言い張らなかったの?とも言
いました。

というと余計に息子は無口になり、「誰も信じてくれない」「どうして」・・・
それから一言も話さなくなりました。
私はA君のお母さんに電話をして聞いてみました。
A君はすぐに電話口で答えてくれました。

「水の掛け合いはしたけれど相手はB君だよ。」と。
A君のお母さんはA君に対して「どうして●●君が一緒に叱られたときに人違いだと言って
あげられなかったの?」と話してくれました。
息子もA君も同じことを言うのですが「とてもそんな雰囲気ではなかった」というのです。
口を挿むすきがなかったというのです。
息子にとってみんなの前で叱られたこと、旅館の人たちもみんな見ていたと話します。
旅館のおばさんたちはそんな事何とも思っていないよ。と言って聞かせましたがて聞かせ
ましたが本人にとってはすごく恥ずかしかったのだそうです・
まるで口答えをしたように息子は見られたのでしょう。

私は月曜日に学校に行ってこようかと今思っています。でも心の片隅でこんなことで親が
出ていくことだはないだろうとも思います。息子が納得できる解決法ってあるのでしょう
か?
このまま修学旅行が嫌な思い出になってしまわないようにできる方法ってあるのでしょう
か。
私が学校に行って話をすることは間違っていますか?

【はやし浩司より、Aさんへ】

 この種のトラブルは、日常茶飯事。
よくあることです。
お子さんの気持ちもよくわかりますが、どうか、ここはがまんしてください。
つまり子どもは、こうした経験を通して、たくましくなっていきます。
社会のありかたや、その中での生き方を学んでいきます。

お母さんとしては、つらいでしょうが、『負けるが勝ち』。
もしどうしても納得できないなら、子ども自身が、先生に抗議する形で、自分でするよう、
しむけます。
一度子ども自身と話し合ってみてはどうですか。
「私が先生のところへ行こうか?」とです。
おそらく子どもは、「放っておいてほしい」と言うはずです。
つまりこんな程度の問題で、親は出ない!
小学6年生という年齢からして、親が出なければならないような問題ではありません。

 修学旅行に行って、その先の風呂で、お湯をかけあってふざけた。
それを先生が叱った。
そのとき、まちがえて、自分の子どもが叱られた……。
それだけのことではありませんか。
私なら、笑ってすませます。

 で、あなたは……

(1)不機嫌そうな顔を見て、親のほうから、理由を問いただした。
(2)仲間の親に電話をかけて、内容を確かめた。
(3)あたかも自分が恥をかかされたかのように、それを問題視する。
(4)先生に抗議しようと考える。

 こうした一連の行為から想像できるあなたの育児姿勢は、やりすぎ。
過干渉、過関心+溺愛ということになります。
あるいは心配先行型の過保護?

 先生に抗議して、得られるものは何ですか?
むしろやり方をまちがえると、先生との信頼関係を破壊することにも、なりかねません。
信頼関係が破壊されれば、教育そのものが成り立たなくなります。

 少し先生の立場で、ものを考えてみましょう。

 もしあなたが30人近い子どもを連れて、修学旅行に行ったとします。
家族旅行でもよいでしょう。
(2人や3人ではない。30人ですよ!)
おそらく目が回るほど、あなた(=先生)は、忙しいはずです。
児童たちが床に就いたあとは、反省会。
翌日の予定の確認などなど。

それがいかに重労働であるかは、経験した人なら、みな、知っています。
そういう中で、人まちがいで、あなたの子どもが叱られた。

……といっても、先生は、本気で叱ったわけではないと思いますよ。
(本気で叱るような話でもありませんし……。)
修学旅行先で、子どもがハメをはずした。
それを叱った。
いちいちそんなことで、本気で叱っていたら、先生だって、神経がもちません。
先生にしても、つぎつぎと類似の問題が起きたはずですから、もう覚えては
いないでしょう。
あるいは仮に問題であったとしても、時間が解決してくれます。

 それよりも疑問なのは、(1)あなたの子どもが、なぜ自分で、そのとき、「ぼくでは
ない!」と言えなかったのか、ということ。
(2)風呂場でのトラブルが、どうして家に帰ってくるまで、尾を引いたかということ。

 このあたりに、もっと別の基本的な問題があるように思います。
もともとそれほど、おおげさな問題ではないのですから……。

 で、それはそれとして、結論は、同じ。

「この程度の問題で、親はカリカリしない」です。
繰り返しになりますが、「うちの息子が、人まちがいで叱られた。水をかけあって
遊んでいたのは、うちの子どもではない」と主張して、その結果、何が、どうなる
というのでしょうか。

 次回、どこかで先生に会ったようなとき、「修学旅行ではすみませんでした。
いろいろあったようですね。ハハハ」と、笑えばよいのです。
またそれですませます。

 こんなこまかいことで、それをおおげさにとらえて、(名誉)だの(誤解)だの、
さらには(信ずる・信じない)だのと、言っていたら、この先、あなた自身の神経が
参ってしまいますよ。
(私は、先生のほうにむしろ同情してしまいます。ごめん!)

子どもはすでに親離れを完成させています。
(年齢的にはそうです。
もし親離れしていないとするなら、やはりあなたの育児姿勢のほうに問題がある
ということになります。)

で、今は、あなた自身が、子離れをするときです。
あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。
子育てから離れて、あなたは1人の人間として、別の生き様を確立する。

子どもの方から、相談でもあれば、話は別ですが、そうでなければ、静かに、暖かく
無視します。
「暖かく無視する
」です。

子どもというのは、最後の最後で、1人でも、自分を信じてくれる人がいれば、それで
安心します。
その重役を担うのは、(あなた)です。
その(あなた)が、この程度の問題で、動揺してはいけません。
「お母さんは、あなたを信じているからね」と言えば、それでよいのです。

またあなたの子どもは、すでに思春期前夜から思春期に入っています。
すでにあなたの手の届かないところに、入りつつあるということです。

なお「リベンジ」というのは、「復讐」という意味です。
何かのまちがいかと思います。

+++++++++++++++++

『負けるが勝ち』
これは子育ての鉄則です。

以前書いた原稿をさがしてみます。
(あなた)や(あなたの子ども)が
そうだと言うのではありません。
あくまでも参考のため、です。

大切なことは、子どもが楽しく
学校へ通うことです。
そのために、負けるところは
負け、引き下がります。

もちろん重大な問題のときは
そうでありません。
子どもの方から、相談でもあれば、
話は別です。
しかしたかが(失礼!)、風呂場の
水のかけあいではないですか。
そんなことで、親は出ない。

私も中学生のとき、旅館で
枕のぶつけあいをして、先生に叱られ
ました。
小学生のときは、廊下で騒いでいて
叱られました。

その程度のことは、みな、しています。

+++++++++++++++++

●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、
まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。
さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1
人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをい
う。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことにな
る。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ
は、子どものところに集まる。

しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから
……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、
あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。

それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということ
は、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつ
きあいの大鉄則と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【親の欲目】

●親の欲目

 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。

親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして
子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。

●やってここまで

 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、
A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児にな
ってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でも
いじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正し
くとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。

 たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよ
くわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(や
る・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子
どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。

●子どもを受け入れる

 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ
る。早ければ早いほどよい。

そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成
績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめ
ると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう
「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【Aさんへ】

 かなりきびしい意見を書きましたが、この問題は、もう忘れなさい!
おいしいものでも食べて……。
あとは時間が解決してくれますよ。 

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 先生の誤解 負けるが勝ち 濡れ衣 子どもの名誉)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

(2)マガジン7-19(2)

2010-07-19 07:49:17 | 日記


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある悲喜劇

+++++++++++++++

これを悲喜劇、つまり知っては
苦笑し、知っては、哀れむ……。
悲喜劇と言わずして、何という。

+++++++++++++++

●鍋工場

 数年前、首都P市で、日本でいう「産業展示会」のようなものがあった。
産業展示会なら産業展示会でよい。
本当の名称は知らない。
各地域にある工場が、それぞれ自慢の品をもちよって、自慢しあう会のようなもの。
その産業展示会に、ある地方の、ある工場が、中国から輸入した鍋を、「我が工場の製品」
と偽って、それを出展した。
あの国では、よくあることである。
(ついでに、中国にしても、よくあることである。)

 それを見て、独裁者である金xxは、たいへん喜んだ。
「我が国でも、こんな製品ができるようになった!」と。

●視察!

 ここまではよくある話で、その工場長にしても、大満足だった。
たぶん、日本でいう「金賞」でも受賞したのだろう。
が、ここからが、悲喜劇。
それを聞いて、当の工場長は、真っ青になったにちがいない。
あろうことか、何と、金xxが、その工場を視察すると言いだしたのだ。

 これに驚いたのが、当の工場長。
その工場で作っている鍋など、どこをさがしてもない。
ウソがバレれば、公開処刑(?)。
そこでその工場長は、当日の視察には、中国から大量に仕入れた鍋類の製品を、工場内に
並べた。
そしてにわか仕立ての従業員を並べ、あたかも鍋を製造しているかのようにしてみせた。

 当日の工場長のあわてぶりが目に浮かんでくるが、似たような話は、相変わらずつづい
ているらしい。
今朝の中央N報に、こんなニュースが載っていた。

+++++++++++++以下、中央N報(一部)+++++++++++++++
 
 ……K国の後継構築作業が本格化する中、金xx国防委員長(68)の権力掌握力が大
きく低下していると、政府消息筋が6月18日明らかにした。特に経済の実情について虚
偽報告が増え、金正日が実態を正しく把握できない現象も生じている。

消息筋は「08年夏に脳卒中で倒れて後遺症が残る金xxの健康に配慮するという口実で、
権力層が好ましい内容だけを選別して報告している」とし「後継者に内定したキム・ジョ
ンウン(27)が自分が掌握する軍や、保衛部など公安機関の報告を先に受けた後、金x
xに伝える内容を指定したりもする」と伝えた。

側近からこうした問題点の報告を受けた金xxは最近、報告体系を書記室(秘書室)に一
元化することを指示したという。消息筋によると、金正日が最近、経済成果を強調してい
るため、問責を恐れた一線の幹部が生産実績を誇張しているという。

3月初めに金xxが群衆大会に出席して生産を促した咸興(ハムフン)2・8ビナロン連
合企業所は竣工式を前後して半月ほど稼働し、現在、操業を中断していることが確認され
た。1月末の金正日の平壌(ピョンヤン)小麦粉工場訪問当時は、視察時間が予想より長
くなり、準備された材料がすべてなくなると、幹部らがこっそりと完成品をまた生産ライ
ンに投じたりもした。

また金正日が平安北道(ピョンアンブクド)鶏工場を訪問した昨年10月、平安北道(ピ
ョンアンブクド)党の指示で周辺地域の鶏をすべて集め、住民に鶏肉を正常供給している
ように金xxを欺いたりもした。三日浦(サムイルポ)特産物工場を訪問した昨年4月、
金正日が道別に特産物工場を建設するよう指示すると、すでに建設された工場の設備を取
り壊し、特産物工場を設立したりもしたと、消息筋は紹介した。

政府当局者は「最近、労働新聞が金xxの経済現場訪問写真を大量に掲載し、経済成果を
宣伝しているが、実情は違うようだ」と話した。(以上、中央N報)

+++++++++++++以上、中央N報(一部)+++++++++++++++

●ステルス携帯電話?

 さらに今日、こんなニュースも配信されている(朝鮮N報)。
この記事を読んで、驚かない人はいない。
何でも金xxが、ステルス携帯電話を使って、南アフリカにいるW杯監督に、直接指示を
出しているというのだ。

+++++++++++++以下、朝鮮N報(一部)+++++++++++++++

 「金xx指導者が、肉眼では見えないステルス携帯電話で作戦を指示している」。

 サッカー・ワールドカップ(W杯)に出場している北朝鮮代表を率いるキム・ジョンフ
ン監督について、スポーツ専門チャネルのESPNが「金総書記から直接、チームの作戦に
関するアドバイスを受けている」と報じた。

 キム監督は試合のたびに、通常は「目に見えない」携帯電話で金総書記から直接アドバ
イスを受けているとのことだ。ESPNが17日報じたところによると、キム監督はこの新型
ステルス電話について、「金総書記が直接開発した」と発言しているという。
(以上朝鮮N報)

+++++++++++++以下、朝鮮N報(一部)+++++++++++++++

 もし本当にこんな携帯電話があれば、世界中で話題になるだろう。
「肉眼では見えない、ステルス携帯電話」?
が、あの国の中では、それが信じられてしまう。
私たちがもっている常識とは、別の常識が働く。
はっきり言えば、ふつうの常識が、通用しない。
言い替えると、そういうことも知った上で、あの国を理解し、あの国の行動を予想しなけ
ればならない。
外交問題を考えなければならない。

 たとえばこんなこともあった。

(1)今年(2010年)のはじめごろだったと思う。
金xxが、あるホテルに泊まった。
が、そのホテルには暖房がなく、たいへん寒かった。
それを知った金xxが、激怒。
ホテルや住民に、電気を回すように指示した。
が、とたん、周辺の工場の操業が停止してしまった。

(2)また別の工場では、衣服を縫製していた。
それを見て、金xxが、500ウォンで住民に配給するように指示した。
しかし原材料費は、800ウォン。
つまり800ウォンで布を仕入れ、工賃を払って縫製し、500ウォンで売る(?)
採算があうわけがない。
ないが、そういう非常識がそのままあの国では通ってしまう。

(上記、(1)と(2)の話は、私の記憶によるものなので、内容は、不正確。)

 先の中央N報が配信したニュースの中に出てくる「ビナロン」は、よく知られた話であ
る。
「画期的な新繊維」ということだそうだ。
もともとは日本で開発された繊維だが、電力をたいへんたくさん使う。
それでビナロンは、金日成時代に、生産中止となってしまった。
それを今回、金xxは、再生産を命じたということになる。
が、肝心の電力がない!
……ということで、「……半月ほど稼働し、現在、操業を中断していることが確認された」
(中央N報)ということらしい。

(が、その前に私が聞いた話では、当のビナロン工場は、機械類はとっくの昔に、従業員
たちによって持ち出され、闇市で、鉄くずとして売られてしまったという。)

●余談

 冒頭に書いた、中国製の鍋を並べた工場長について、こんな余談も伝わってきている。

 先にも書いたように、工場長は、あわてて中国から鍋を大量に仕入れた。
それを工場の中に、並べて見せた。
で、何とかその視察をやりすごしたわけだが、その鍋類は、金xxに同行してやってきた
軍人たちが、みな、持ち去ってしまったという。

 その後、その工場長がどんな気持ちだったかは、容易に察しがつく。

 繰り返す。
これを悲喜劇と言わずして、何と言う?


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●ワールドカップ(サッカーW杯)

●勝てば官軍?

「勝てば官軍」。
「負ければボロクソ」。
サッカーほど、それがはげしいスポーツもない?
数日前、日本は、対カメルーン戦で勝った。
それに対して、日本中が狂喜した。
それは、わかる。
わかるが、スポーツはスポーツ。
どこかで一線を引かないと、スポーツがスポーツでなくなってしまう。
反対に負けたばあいのことを、想像してみればよい。
そういうことは、過去にも、何度もあった。
逆に、ボロクソに叩かれる。

●狂喜とボロクソ

つまり「狂喜する」のも、「ボロクソに叩く」のも、同じではないかということ。
サポーターやファンはそれでよいとしても、監督や選手にとっては、そうでない。
勝っている間は、サポーターやファンは、心強い味方。
しかし負ければ、こわい。
敵になる。
つまりサポーターやファンの身勝手に振り回されてしまう。
いつだったか、日本代表が負け戦を重ねて帰国したとき、空港には、だれも出迎えなかっ
た。
が、本来、そういうことは、あってはいけない。

●心の一線

同じように、仮に勝ったとしても、それはそれ。
どこかで一線を引く。
我を忘れるほどまで、狂喜してはいけない?

仮に負けても、よい試合であったら、監督や選手たちをほめる。
ねぎらう。
(もちろん勝てば、称えるが……。)

そういう冷静さを失ってはいけない。
つまり今のサッカーには、(日本だけではないが)、そういう冷静さが欠けている。
こんなことを書くと、ファンの人たちに袋叩きにあう。
それはよく知っている。
しかしたかが「ボールの奪い合い」(ごめん!)。
その試合のときは狂喜したり、激怒したりするのは、かまわない。
当然のこと。
しかしそれはそれ。

●子どもの受験

子どもの受験でも、同じようなことが言える。
親たちは、自分の子どもが合格することだけを考える。
そのための準備をする。
しかしそれ以上に大切なことは、不合格になったときの準備も、しっかりとしておくとい
うこと。
不合格になっても、動揺しない。
子どもの健闘を称える。
そのためにも、「受験」くらいのことで、おおげさに一喜一憂しない。
それが結局は、子どもの心を守ることにつながる。

●監督の気持ち

同じように、サッカーにしても、勝つ、負けるは、時の運。
みなは、勝つことしか考えていない。
しかしそれ以上に大切なことは、負けたとき、それをどう受け入れるか。
その心の準備ををしておくこと。
それが結局は、監督や選手の心を守ることになる。
それがわからなければ、あなたも一度、監督や選手の気持ちになって、ものを考えてみた
らよい。

勝てば狂喜してくれるサポーターやファン。
だが、それと同じエネルギーで、負ければ、今度は何をされるかわからない。
ばあいによっては、殺されるかもしれない。
(実際、殺された選手もいる!)
その(こわさ)を、監督や選手は、よく知っている。
が、そんな気持ちでは、よい試合などできるはずがない。

●結局は、自分のため

子どもだって、そうだ。
自分が合格すれば、親は狂喜する。
それがわかっていると、落ち着いて勉強できない。
不合格になったら、親は、今度は同じエネルギーを、逆に向ける。
そのエネルギーが、どんな形で現われてくるか、わかったものではない。
子どもにしてみれば、それがこわい。
不安になる。

それでも勉強するとしたら、もう自分のためでしかない。
自分のために、勉強する。

そう「自分のためにする」。
だれのためでもない、自分のためにする。

●プレッシャー

……ということで、現在の監督や選手の気持ちは、これに近いものではないか。
少なくともサポーターやファンが大騒ぎするほど、監督や選手は、私たちのことなど眼中
にない。
相手にしていない。
その孤独感というか、孤立感には、相当なものがある、……はず。
ワールドカップという、世界最大のスポーツの「場」であるだけに、私たちの想像もつか
ないようなプレッシャーもある。
監督や選手は、そのプレッシャーとも闘わねばならない。
私たちが見るべきものがあるとすれば、むしろそちらのほうではないか。

●独特の風格

 名前を出して恐縮だが、私の教室に、かつて藤田選手(元ワールドカップ正規選手)や、
鈴木選手(同じく前ワールドカップ正規選手)の子どもたちが、生徒として、通ってくれ
た。
どちらも、2~3年、通ってくれた。
そのこともあって、こうした選手たちと、個人的に何度か話す機会がった。
が、そういう世界で活躍した選手には、独特の風格というか、すごみがある。

「背中の向こうには、日本がある」。
そんな(風格)である。
話していても、こちらのほうがどんどんと小さくなっていくのがわかる。
そういう(すごみ)である。
 
つまりそういう経験をした人は、私たち凡人を、はるかに超越している。

●今夜は、対オランダ戦

今夜は、日本の第二戦。
相手は、オランダ。
ここ40~50回、対外試合で負けたことがないという。
すべて勝つか、引き分け。
そんなオランダを相手にして、日本は戦う。

もちろん私は応援する。
ぜったいに応援する。
が、これだけは心に決めている。
我を忘れて応援するのは、試合中だけ。
勝ったからといって、狂喜するようなことはしない。
負けたからといって、ボロクソに叩くようなことはしない。
どちらであるにせよ、試合のあとは、静かな気持ちで、彼らの健闘ぶりを称えたい。

がんばれ、日本!
力を出し切れ、日本!
試合まで、あと4時間!

(追記)

結果は、0-1で、オランダに負けた。
とても惜しい試合だった。

しかし日本は、よく戦った。
すばらしかった。
感動した。
まだどこか消沈した気分だが、一言。
よくやった!
ありがとう!


Hiroshi Hayashi+教育評論++June.2010++幼児教育+はやし浩司

●敗北感

敗北感。
なんとも言えない、敗北感。
それがぼんやりと、心の中で漂っている。
今は、そんな感じ。

少し前、私が2年近く使っていた、HPのサーバーが、
全面的に暗号化ソフトを導入すると言い出した。
この16日から、それが実行された。

悪質なウィルスが、蔓延している。
その対策措置として、その会社は、そうした。
つまりこれからは、編集したHPは、そのつど暗号化した上で、
FTP送信をかけなければならない。

そこまでは、私にもできた。
つまり「FTP送信」までは、私にもできた。
しかしいくら「送信済み」の表示が出ても、
肝心の画面に、変化、なし。
悪戦苦闘の結果、つぎのことがわかった。

サーバーのほうに、「html」のデータ(キャッシュ)が
残っているため、いくら上書きしても、
その残っている方が、優先して表示されてしまう、と。

そこで悪戦苦闘。
冷や汗をタラタラと流しながら、徹夜で作業をつづけた。
で、やっとたどりついた結論がこれ。

一度、サーバーの「html」のデータを削除し、
改めて「htm」データをUPLOADする、と。
そこまではわかったが、ではどうやってそれをすればよいか。
どうやれば、「html」のデータが削除できるのか!
その方法がわからない。

で、サーバーに問い合わせると、つぎのような
返事(回答)が届いた。

「使っているホームページ作成ソフトによって、
方法は、みなちがう。
ソフトの販売会社のほうへ問い合わせてみてほしい」と。

しかし私が現在使っているソフト会社は、とっくの
昔に、どこかの会社に吸収され、今は、ない。
つまり、お手上げ!

もう一度、最初からweb言語を勉強しなおすことも考えた。
とりあえず「html」と「htm」のちがいくらいは、知りたい。
が、今の私には、そんな時間は、ない。
余裕もない。
そんなこともあって、昨日は、この2年間で、BLOGの更新をはじめてサボった。
時間がなかった。

では、どうするか?

方法はひとつ。
現在、15前後のサービスを利用している。
それをひとつずつ、こまめに別のサーバーに乗り換えていくしかない。
めんどうな作業がつづくが、しかたない。

それにしても、いやな敗北感。
パソコンに、負けた。
若い人たちに、負けた。
新しい技術に負けた。
……このまま私は、インターネットの世界から、はじき飛ばされていくのか?


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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