春間近?
きれいですね?
今回が
今年の沖縄最後のポタリングになりそうです!
南風原町(はえばる)まで走ります。
目的地は旧陸軍病院壕跡です。
正式には「沖縄陸軍病院南風原壕群20号」。
ひめゆり学徒が
看護補助要員として動員されていた病院のことです。
病院壕跡ということですから
いよいよ戦況が悪化して、
壕を病院として使わなくてはならないほど
の状況だったということです。
痛ましい戦争の悲惨さを伝える証として
町の文化財に指定されています。
旧陸軍病院壕跡は
今は南風原町の黄金森公園にあります。
真玉橋をすぎ。
兼城の交差点を右折して南風原町を目指します。
立派な町役場です。
ここで珍しい「按司墓」という案内を見つけました。
沖縄に来て初めてです。
とても古い墓、表示がなければ見落としますね。
説明文です。
その隣には慰霊の塔がありました。
町人口の4割の人々が犠牲になったと記されています。
最後に旧陸軍病院壕跡に来ました。
予約が必要だったようですが
ちょうどガイドさんが見学者を案内するところで
入れてもらいました。
壕の中は、真っ暗でとても狭く、
湿度もかなり高かったです。
ここに多くの負傷者と病院関係者が
いたことを想像するのさえ困難でした。
70メートルほどの壕を出ると眩しいほどの太陽と
グランドで白球を追う光景があまりにも
アンバランスに感じられたものでした。
首里城周辺の歴史探訪です。
古地図によれば、龍譚湖の付近に
琉球王国時代の屋敷跡が多くありますが- - -。
首里駅の一つ手前の儀保駅で下車。
駅ナカの地図を見るとさっそく屋敷跡の表示が- - - 。
その中には、聞得大君御殿跡も!
とにかく大通りから路地にはいり探します。
蔡温旧宅跡です。
三司官という重臣の屋敷跡ですね。
しかし、あったというだけで
今は往時を偲ぶものは何もありません。
駐車場でした。
しかし、主目的の
「聞得大君(きこえおおきみ)」御殿跡にはたどり着きました。
初め検討をつけて探したのですが見つかりません。
仕方なく地元の人に。
すると、中学校の中にあるとのこと。
ちょっと見学にはハードルが高くなりましたが
許可をもらいに事務室へ。
すると!
学校長自らがその場所へ案内するということには恐縮至極!
ありがとうございました。
そこにあったのは「七世御獄」と印された銘板と御嶽。
拝所ですから手を合わせてから撮らせていただきました。
残念ながら屋敷跡を窺わせるようなものは何もありませんでした。
聞得大君御殿の場所も
何度か変わっているようですね。
後先になりましたが
校門脇に「聞得大君御殿跡」の説明がありました。
先に、この説明を見つけていたら校内には入ってなかったでしょう。
とても立派で大きな学校でした。
聞得大君御殿跡を見てから
龍潭湖周辺を巡ります。
この辺りは、上級役人の屋敷があったところ。
期待して巡ったのですが発見できませんでした。
これは大和井戸(ガー)と説明されてました。薩摩藩侵攻後に掘られたものでしょうか。
龍潭湖。
この辺りはきれいに整備されましたね。
でも、歴史遺産なども整備してほしものですね。
そうすればもっと町の魅力が増すと思うのですが
那覇新港まで走ります。
本日のコース
三重城から海沿いに行きます!
三重城から対岸の眺め。
さすがに経済の大動脈!
関東、関西からのコンテナが積まれてますね!!
貨物船が多く接岸しています。
帰りに見つけた素敵な場所?
名前は分かりませんが- - - !
今年初めて出会った満開の桜!
久々のウオーキング報告。
Google のMy tracksが使えなくなり、
コース表示が不可能となったため
UPするのを諦めてました。
しかし、GARMINで代用できることが分かり再開です。
那覇に来ると路地ブラをしていますが
今回下記のような本を手に入れました。
そのタイトルも「那覇まちま~いの本」、
地元ガイドが書いた街歩きガイドツアー本ですが
ツアーに参加しなくても個人でも十分に活用できます。
今回、この中の「小禄に残る古道を歩く」を歩いてみます。
那覇まちま~いガイド文芸部編、ボーダーインク発行。
定価1600円+税です。
ただし、地図はこのような略図ですから
Google map とつき合わせての歩きとなります!
実際に歩いたルート。
まずは、ゆいレール奥武山公園駅からスタートします。
那覇空港方面に向かって歩いていくと,- - -
直ぐに「後原ヒージャ小」があります。
樋から水を引いた井戸のことをヒージャー、
井戸をカーというそうです。
拝所となっています。
その直ぐの所の階段が古道らしい!
この階段も、地元の人によれば
大通りがつくられる前はなかったとのこと。
こんな感じの狭い道ですが風情があります
地元の人に話を聞くと
こんなところに沖縄ならではの1コマが。
ブロックに注目!
随分と幅が広いでしょう!
戦後のアメリカ統治時代の遺産ですね。
アメリカ規格のブロックだそうです。
ナカミチと呼ばれる道を行くと
「ミーガーモー」と呼ばる場所ががあります。
そこに祀られている物が大変珍しものです。
石にカタカナの「ユ」と彫ってあります。
その下には「川原」と。
博物館で見た「印部石」です。
今風に言えば、三角点標石ですね。
測量の際の図根石!
それがなぜこんなところに
祀られているのでしょうか
でも、貴重! 貴重!
ナカミチから脇に入ると
クシンガーガーがあります。
ガーだから井戸ですね。
クシンガーガーの奥の家が気になります。
これまで那覇市内でみた
どの家よりも風情があったからです。
今は使われているのでしょうか?
クシンガーガーから
小高い丘を登って行くと「森口公園」です。
ここは、公園全体が聖域の雰囲気!
それもそのはず「小禄の嶽」というそうでいまでも
いまでも年に2回ほど大きな行事がなされると地元の人の話。
ガー、井戸です。
これもガー!
聖域を下って石畳の古道を探します!
民家の塀には満開の花!
ありました。
首里城近くの石畳とは規模が違いますが
昔を彷彿とさせる光景です。
下から眺めるといいですね!
昔の生活感が漂ってくるようです。
那覇市内を歩いて見ると
家はコンクリート造りになっていて
風情は失われているように思われます?
台風等の気象現象も関係しているのでしょうが
このような道と家を見るとほっとします。
文化遺産ですね