葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

三八会親睦旅行

2006年06月12日 15時54分46秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日、郷里の 「三八会」 で、秋の親睦旅行の大筋が決まった。
黒部・立山アルペンルート(+上高地?)2泊3日。

信州に灯台がないのは残念だが、
信州人の血が半分流れている私とすれば、旅行先として異存がない。
まして、北アルプスは、私の青春の想い出がぎっしり詰まった場所だ。

上高地へは島々から徳本峠を越えて入って、2泊野宿をした。
帝国ホテルを見て、いつかは泊まる身分になろう、と夢見る貧乏学生だった。
夏、北ア最深部の 三俣蓮華岳 の山小屋でアルバイトもした。
系列の山小屋が 雲の平 にもあって、何度も行き来したものだ。
途中で黒部源流を跨いだ。 黒部源流といっても、チョロチョロ流れる小川だ。
源流の、そのまた源流では、水滴がぽタリポタリと落ちている。
そこで放尿した。
「この小便が、黒部の峡谷を走り、日本海に注ぐんだ」 と気分壮大になったりした。
まだ、黒4ダムはできていない時代の話だ。

ところで、三八会の仲間は私を除いて全員長門市の住人だ。
旅行は2年に1回だが、彼らは毎月、旅行資金として 5000円積み立てている。
毎月集金して回るメンバーがいるからご苦労な話だ。
で、私は、つり銭として財布に入ってくる 500円玉を貯金している。
どのくらい貯まったか心配で、今日、封印を破った。 11万と少しあった。
安堵した。
毎月10枚前後の 500円玉をためていた計算だ。
金銭感覚がルーズな私とすれば、立派なもんだ。 自分を褒めてやろう。

旅行は8月最終週。 北アの山頂は、もう、秋風だろう。

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矢敷土工房

2006年06月11日 10時52分41秒 | 日記 ・ 雑記録
4月も初めの頃、前のスーパーで軒先を借りて、
雑多な(失礼!)陶芸品の小物を売っている男がいた。
インディアンのテントのようなものを手にとって、「これ、何に使うの?」 と聞いた。
「まぁ、文鎮でしょうか」 と暢気な答え。
どうやら彼は、用途よりも造形を追及している、と見た。 で、それを買った。
彼の作品を見ると、緻密で、繊細で、それと相反するが鈍重だ。
ドン臭いが、柔らか味と優しさが感じられる。 素朴なのだ。

私の同級生には、大野誠二という、萩焼作家として押しも押されもせぬ人物がいる。
萩焼作家の作品と比べるのは意味がないが、およそ、対極にいる、
と素人には思える。

彼は小さい紙切れをPOP代わりに、月餅のようなメニュースタンドに立てかけていた。
一瞬、それを葡萄舎のメニュースタンドに使ってみようか、と考えがよぎった。
「10個ほど、作ってみる?」  彼は引き受けた。
「出来上がれば、見てもらいにお伺いします」 と細かい字で葉書が来た。
昨日、10個ほど持参して来た。 愛すべき小品だ。
「いくらで売る?」
「前回と同じ1個700円で、どうでしょう」
気に入ったから800円で買った。

私は、彼が陶芸家として大成するのを応援したり、期待して見守る篤志家ではない。
好きに泥をいじくって、それで生計が立てばいいナ、と思う程度だ。
でも、メニュースタンドとして使うたびに、彼を思い出すだろう。 頑張りィ~ヨ!

作品に似た好人物・松本青年の「矢敷土工房」 は、下関市菊川町久野639 にある。

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臓器提供意思表示カード

2006年06月10日 11時08分47秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日、角島で食べた 「超大盛りのアラ炊き」 がその後も尾を引いている。
あるもの、出されたものは全部食べてしまうという、口に卑しいタイプだから、
昨日もがんばって食べたのが災いして、結局夕食はパス。
代わりに胃腸薬を飲む始末。 しばらくは魚を見たくない。
今朝の食事もパス。
肥満体で、体内に蓄えはあるから、1日・2日の絶食は苦にならないが、
今日はワイン会。
イタリア料理を、また、「腹も身のうち」 を忘れて、食べあさることだろう。
明日は、長門市で 「三八会」。 またまた性懲りもなく食べるに決まっている。
あ~ぁ、情けない。
このまま続けば、死ぬときは脳卒中か心不全。
余計な延命処置を取らずに、あっさり死なせてくれれば嬉しいが‥‥。

車を替えてから、なおざりにしていた、
「臓器提供意思表示カード」 を運転席に貼った。
財布と免許証入れにはいつも入れて持ち歩いているが、
家族から離れた車の中こそ、すぐ目に付かなければいけない。
山口県では、医学部のある宇部市近辺でなければ、臓器提供はままならない、
とか聞いたが、どうか活用して欲しい。
二つあるべき腎臓が片方しかない私は、酷使している腎臓を除いて
腎臓以外の全臓器と角膜を提供したいと願っている。
自分本位で生きてきて、これといって社会に貢献していない私の、
せめてもの、社会貢献の真似事、だ。

ついでに、
私は 「日本尊厳死協会」 にも加入している。
私に何かあれば、あれこれせずに、すんなりと死なせてくれて、
使い古しで申し訳ないが、臓器が欲しい方に私の臓器を使って欲しい。

その日のために、胃と、腸と、肝臓を 大切にしなければ‥‥。
暴飲暴食の悪い癖が直るかしらん。

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角島灯台定期巡回

2006年06月09日 17時04分50秒 | 日記 ・ 雑記録
九州北部と山口が 「梅雨入りしたらしい」 などと頼りなげな発表があった。
確かに、昨日の昼から朝方まで、激しい雨が降った。
が、時間の経過とともに陽が射してくる皮肉。
私の観天望気の指標となる四王司山がやけにくっきり見える。
今日は黄砂も少なそうだ。 だったら、久しぶりに角島灯台へ。

角島に渡ったら、雨。
仕方なく、いつもの 「お食事処・おおはま」 へ。
例によって、あら炊き定食を注文したら、これがなんと超てんこ盛り!
食べても食べても、まだある!
おばさんに 「今日の盛り付けは特別だね」 と言ったら 「ハイ、特別です」
あら炊き大好きの私が残してしまった。 しばらくは、魚を見たくない。
それにしても、毎月一度は訪れているから、顔なじみになったのか、
それとも、ただ単に仕込みすぎたのか。

灯台での話。
数日前に、キムタクがロケに来たという。
沖縄が梅雨に入っているので、代替地として角島の海岸を選んだらしい。
作品では、沖縄の海岸として映るのだろう。 だから、灯台は撮らなかったらしい。
問題は、キムタクを追っかけてきた子供づれの若いお母さん達だ。
灯台の頂上の望楼に上って独占し、5・6時間降りてこなかったと言うから凄い。
撮影の様子を眺めていたらしい。
トイレや食事はどうしたのだろう、とは管理人さんの話。
おかげで、一般の灯台観覧の人が灯台に登れずジマイ。
管理人さんは苦情処理に追われたと言う。
迷惑な話だ。
ロケも、追っかけの若いお母さんも。

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あ~ぁ 厭だ

2006年06月08日 11時49分38秒 | 日記 ・ 雑記録
お天気おじさんやお天気おばさんは、
気圧の配置や前線の動きから、梅雨入りは秒読みだという。
なるほど、朝からどんよりとした曇り空で、昼前には雨が落ちてきた。
このまま梅雨入りして、一ヶ月余厭な季節が続くのだろうか。
あ~ぁ、厭だ。

季節の推移は、いろんな事象で感じ取ることができる。

朝起きて、ヤカンでお湯を沸かし、床に置いたポットに移し変えるとき、
大量の湯気で注ぎ口がわからず、眼鏡が曇るあいだはいい。
冷蔵庫から出した卵が汗をかき始めると、もういけない。
一番のバロメータは、風呂上りだ。
体を拭いて、すぐに下着を身につけることができる半年は、私の好季節だ。
体を拭いて、パンツも履けない季節が到来した。 3日前から。
もう、ダメだ。

梅雨時期は雨空で、灯台めぐりには不向きだ。
白い灯台に似合うのは青い海と空だから。
夏場は、灯台へたどる山道で汗をかいて、肥満体の私には酷だ。
狭くて広い日本に梅雨がない地方はあるが、遠すぎる。
これから3ヶ月間、灯台めぐりは 「夏眠」 だ。

思えば去年は最高だった。
盆過ぎの、日本の夏を知らずに、朝昼晩、美味い西瓜と瓜を食べ続けた。
今年は、その分、税金を大目に払わなければなるまい。
あ~ぁ、厭だ。

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U氏のこと

2006年06月07日 15時28分44秒 | 日記 ・ 雑記録
大阪のU氏から絵葉書が届いた。 シルクロードを2ヶ月ご一緒した方だ。
足の傷も癒えて、NZのオークランドからシドニーまで、
ダイアモンド・プリンセスでの (豪華な) 船旅、とある。
上海から西安まで、中国語を使わずに一人旅をなさった方だから、
シドニーから英語を使わずにエアーズロックあたりなら簡単に行けるだろう。
浪速のド根性みたいな方で、羨ましい話だ。

こちらは海外旅行自粛の身だから、細々と灯台めぐりをしています、と書き送った。
細々と、とは言いながら、この半年で灯台めぐりに費やした日数は半端じゃない。
現在18ページある親サイトの灯台のページが
30ページに届く頃までは、灯台めぐりを続けそうだ。
とりあえず、東経135度以西の灯台をこつこつと回ろう。

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すずめの餌づけ

2006年06月06日 14時21分09秒 | 日記 ・ 雑記録
今朝、玄関に立っていたら、すずめが1mの近くまで来てとまった。
人懐こいヤツもいるもんだ、と玄関先に米をまくことにした。
米をまくだけでは面白くないから、
棒の先に、植木鉢用のかごをつけて、小皿に米を入れてぶら下げた。
果たして、すずめの餌づけは成功するだろうか。

親サイトの白州灯台のページ作成が終局に入った。

白州灯台は、大分むぎ焼酎・二階堂 のTVCMに使われている。  
一連のCMは熱烈なファンを持っていて、白州灯台が登場するのは 「詩人の島」編 だ。
二階堂はいつも飲んでいるし、CMも見ていたが、
資料のありかを教えてくれたのは、とも~る さんからだった。

二階堂酒造のHPに掲載されている写真をこのページに転載するのは無理だろう、と、
ダメモトでお願いしたら、意外にも、OKが出た。
( CM担当の アイエージェンシー さんが、二階堂酒造の社長さんから直接承諾を得たそうだ)
「叩け、されば開かれん」 だ。 私はいつも、何をしても、人に助けられる。
数ある焼酎の中で、二階堂は好きな銘柄だったが、ますます好きになった(笑)
家業での消費にも拍車をかけよう。 事実、美味い焼酎だから。
(この日記を読んでくださった皆様も、どうぞ)

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灯台めぐり6ヶ月

2006年06月04日 09時29分14秒 | 日記 ・ 雑記録
この半年間、憑かれたように 「灯台めぐり」 をしてきた。
角島灯台のように、毎月1回の定期巡回もあるから、
月に3回のワイン月例会をのぞけば、私の生活は灯台一色。
遠出の際の高速料金は別として、ガソリン代以外はかからないし、
登山に似た難行苦行は健康的だし、
角島灯台に行くのはカステラを買うため(?)だし、家内もかなり好意的に眺めてくれる。
私の場合、ワインも、旅も、灯台めぐりも、家内の理解があっての話だから、
この部分が要諦だ。

半年間、灯台めぐりをして、一つの結節点かナ、と思う。

昨日の 「白州灯台清掃活動」 でご一緒した 富山のS氏ご夫妻じゃないけど、
あんなふうに、
日本の灯台50選を片っ端から訪ねて回るなんて、とてもできない。
でも、いくつかのスター級の灯台を見て回れば、次へ、次へと夢は膨らむ。
その挙句は、限られた日数で、体力の限界まで車を走らせ続けることになる。

これからは、灯台めぐりの夢に枠をはめよう。
1 水の子島灯台以外に、訪問困難な灯台を狙わない。 増やさない。
2 灯台めぐりは、東経135度以西に限定する。

親サイトの表紙に掲げた地図を 「西日本」 にしたのはそのためだ。
但し、突発的に、偶発的に、自ら設定した枠を超えることはあるだろう。
「三八会」 の親睦旅行は、9月、北海道に落ち着きそうだ。
私の灯台狂いは仲間に知れ渡っているから、よもや、岬の観光を外すことはあるまい。
ついつい、ニヤリとしてしまうから情けない。

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ロゼワイン

2006年06月03日 00時07分56秒 | ワイン 些事放言
Vinotheque (ヴィノテーク)6月号が届いた。
最も敬愛するワインジャーナリスト・有坂女史が主宰していた月刊誌だ。
女史が主宰を退いて、田崎真也にその座を譲ってからは、
一貫して女史が携わっている、巻頭の 「編集前記」 しか読まなくなった。
田崎真也セレクションと銘打った 「ワイン・バイイングガイド」 が
袋とじで31回目だが、その袋とじなど、ついぞ開いたこともない。
深い意味はない。 有坂女史の姿勢が好きなだけだ。

今月の 「編集前記」 では、ロゼ・ワインを取り上げ、
なぜ、日本でロゼの人気が沸騰しないのかと嘆じておいでだ。

私はワインを飲み始めたときから、
自分に任されたワインリストには、好んで (辛口の) ロゼを加えてきた。
あわせる料理の 1/4 が中国料理だったせいもあるが、
理屈ぬきでロゼが好きだったのだろう。 今も。

アンジューのロゼは、数本飲んで私の対象からはずした。
タヴェルは、どの銘柄も私を感激させなかった。
カステッロ・ディ・アマがサンジョベーゼから作るロゼとめぐり合ったときは
これぞ、待ち望んでいたロゼ! と感嘆した。
それ以降、ローヌのロゼが加わった。 どれも期待を裏切らなかった。

清涼感に加えて、ワインとしての酸味とほのかなタンニンのバランス。
触感には冷ややかで、視覚にはバラ色の温かさ。
赤ワインの伝統品種、地元の伝統品種で、赤ワイン産地として確立された地方のロゼ。
マストを凝縮させるために、セニエという方法が普及し、
タンクから最初に流出する赤ワインがロゼになるケースも。
有坂女史はこのように述べているが、私にはそんな小難しいことは分からない。
本能的に飲んできただけだ。
本能的に飲んできたから、田崎が薦めるワインと軌を同じにしなかっただけだ。

日本のワインラヴァーが、ロゼに目覚める必要はない。
ロゼに注目する必要もない。
日本の (一部の) ワインラヴァーが、飲んだワインを、ああだこうだと言うときに、
重要なのは、銘柄と、価格と、PPなのだ。
そんな方々が、ロゼを飲まなくたっていい。
そんな方々がロゼを飲み始めたら、ロゼまでが、価格高騰を追随する。
既に、その傾向はあるが。

人知れず、ロゼを飲み続けよう。

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「幻の」白州灯台

2006年06月02日 08時47分05秒 | 燈台めぐりノート
私は、今年に入ってからの、駆け出しの灯台ファンだが、
灯台めぐりを続ける過程で、行きたくても行けない灯台が3基あることが分かった。
満珠島灯台 (長府沖)
白州灯台 (玄界灘)
水の子島灯台 (豊後水道) の3基で、いずれも、無人の島や州に立つ灯台だ。

漁船か、瀬渡し舟を手配すれば島や州に渡ることは可能だが、
ワインの楽しみ方に例えると、金の力でグラン・ヴァンを飲みあさるのは好みじゃない。
好みよりも何よりも、その金がない。
ところが、人間まじめにひたむきに生きてる(本当?)と、
いつもどこかから救いの手がさし伸ばされる。

満珠島灯台は長府の沖に浮かぶ無人島で、葡萄舎から至近の距離にある。
でも、船がなければ行けない。
先達のHPを見ても、ほとんどは対岸の部埼灯台から望遠で写した写真だ。
土地の人間として、望遠で済ませるわけには行かない。
すると、ワイン仲間の 釣り迷人さんが、釣り船を手配してくれた。
謝礼は要らない、と仰る。 これで「幻の灯台」 の1基は解決。

白州灯台を管理する若松海上保安部に出向いたら、
灯台建設の先覚者 ・ 岩松助左衛門 を顕彰する会が、年に1回、灯台を清掃すると言う。
早速、顕彰会のA氏に電話して清掃活動への参加を願い出た。 快諾をいただいた。
その、清掃活動日は明日3日だ。 灯台に登ることもできそうだ。
近づけても、到底登ることのできない白州灯台に登れる! なんという幸運。
「幻の灯台」2基目が解決する。

残るは、水の子島灯台。
この度の 「九州の灯台めぐり」 で、豊後鶴御崎まで行って、
肉眼で見れずに、双眼鏡で 「憧憬の灯塔」 を拝んで来た灯台だ。
水の子島灯台への訪問はいつになるだろう。 手立てが、無いではない。

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九州の灯台めぐり 1

2006年06月01日 10時06分29秒 | 燈台めぐりノート
photo ; 妙見埼灯台

5月20日に、博多で 「葡萄舎騎士の会」 のワイン会が設定されていた。
通常なら新幹線で往復するところだが、途中に2基の灯台があり、
せっかくだから素通りする手はないな、と思っていた。
かといって、愛車(灯台巡回車)で行けば帰りは飲酒運転になるし‥‥。
優柔不断に、ああだ、巧打を考えていたら、 「2・3日、灯台を回ってきたら?」
こういう場面ではいつも、家人の理解のあるお言葉がいただける、私は果報者なのだ。
観音様に両手を合わせて、灯台めぐりの旅に出た。


5月20日(土)
下関を朝8時30分に出て、関門海峡フェリーで彦島から小倉日明に渡り、
若戸大橋を渡り、若松北海岸を西走したら、岩屋まで、ちょうど1時間。
岩屋のはずれに簡保の保養センターがあり、そのまたはずれに灯台が立っていた。
灯台名は 「妙見埼」 だが、岬の名前は 「遠見ノ鼻」 と呼ばれている。
江戸幕府が黒田藩に命じて 遠見番所を置き、異国船の密貿易を監視させたのが
「遠見ノ鼻」 の名の起こりとされる。
灯台名を代えたのは他との混同を避けたためらしい。
白州灯台 というスター級はあるが、若松海上保安部が管理する海域に灯台は少ない。
陸路たどり着けるのは 妙見埼灯台 くらいのものだ。
ふるさとの灯台めぐりで訪れた 沿岸小型 に属するかわいらしい灯台だが、岬の風景は素晴らしい。
燈台が建てられている露出した岩肌がきれいだ。
私はそれを 森田敏隆氏の写真集で見て、知っていた。
森田氏を真似たアングルを探して、
岬の隣にある、海面すれすれに延びる岩場まで降りてみた。
それらしいアングルはあったが、
口惜しいかな、昨夜までの雨はあがったものの空模様は未だ回復しきっていなかった。
立派な一眼レフを持ちながら、使いこなせない私には、
残念ながら岩肌がきれいな写真は撮れなかった。
それにつけても、
思ったとおりのシャッターチャンスまで待てるプロの写真家が羨ましい。
負け犬の遠吠え、だけど。

妙見埼灯台を訪れれば、博多への途中、次に立ち寄るのは津屋崎鼻灯台 だ。
津屋崎には福岡県立水産高校があり、津屋崎は漁業の町なのだ。
町外れに病院が2つあって、その先に灯台はあるのだが、
国土地理院の地形図に燈台への道は記されていない。
車で進める所まで進んだが、どうも灯台への上り口を通り過ごしたみたいだ。
たまたま父子連れと出会ったので道を教えてもらい、50mほどバックした。
灯台への道は比較的シッカリしている。
妙見埼灯台を立ち去る頃から陽光が射し始め、津屋崎鼻灯台への登りでは汗ばんできた。
もう かれこれ50mは登っただろう、と思い始めて上を見上げると、木の間越しに灯塔が。
照射灯を併設した、こじんまりした灯台だ。
急な崖が海に落ち込んで、その先には瀬が見える。
港に急ぐ漁船が舵をきる場所で、難所だったのだろう。

夕方から始まる博多でのワイン会まで 海ノ中道 と 志賀島で時間をつぶした。
博多湾を形作る海ノ中道と、その先端にある 「金印」 で有名な志賀島には、
地図には載っていなくても、灯台の一つくらいあるだろうと期待したのだが、
防波堤の灯台しかなかった。

ワイン会を終えて、夜は福岡空港の国際線駐車場で1泊。
朝、大宰府I.C. に出るには最高の立地だ。
何よりも、24時間の駐車が1000円、というのが魅力だ。

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九州の灯台めぐり 2

2006年06月01日 09時59分15秒 | 燈台めぐりノート
photo ; 関埼灯台

5月21日(日)
5時に起きて、大分自動車道を大分宮河内まで走る。
日曜日の朝だから、自動車道も一般道も、道は私のためにあるようなものだ。
佐賀関のシンボル ・ 日鉱金属の大煙突を眺めるといよいよ着いたと思うのだが、
灯台がある地蔵崎までの海岸沿いの道は結構ある。
速吸(はやすい)瀬戸をはさんで四国の佐田岬と対峙し、
周防灘と外洋とを分けるこの地は「関サバ」 「関アジ」 で有名だが、
日曜の早朝では食することもできない。
なに、サバとアジなら下関だってふんだんにある、などと意地を張ってみる。
いつか、佐田岬に渡る日があれば、佐賀関からフェリーに乗ることになるだろう。
食べるとすればそのときか。

関崎灯台のレンズは、当初は第3等フレネルレンズだったが、
17年遅れて建った佐田岬灯台に移され、
以後、大正7年に第4等不動白光となり、昭和45年に明暗白光となって現在に至っている。
明治期の灯塔は、ブラントンの影響を受けているのか、六連島や部埼と似た形状だ。
但し、鉄製だから、叩けば鉄特有の音がする。 石造の重厚さはないが、これはこれでいい。
門柱も扉もあって、威厳のある灯台だ。

今回の灯台めぐりでは 11基の灯台を訪ねる予定だ。
訪ねる灯台に序列をつけたくはないが、鶴御埼灯台は、どうしても訪れたい灯台だった。
早朝の大分自動車道を走る間もそうだったが、
豊後鶴見崎に向かう車中では鳥羽一郎の 「男の港」 がガンガンと鳴り続けた。

     ♪ 高く掲げた 大漁旗を
     待っているだろ 紅椿
     松浦港は もうすぐ近い
     ありがとう 黒潮の幸よ
     豊後 鶴御崎 男の港 

     ♪ 躍る銀鱗 しぶきの華に
     親父譲りの 腕がなる
     照らせ 男の この晴れ舞台
     ありがとう 水の子の灯台(あかり)
     豊後 鶴御崎 男の港「男の港」
         詞 穂積 淳 ・ 結城 忍

歌詞の中に 「水の子島灯台」 が詠み込まれているのが気に入って、
2ヶ月前に丸暗記し、カラオケの十八番となった演歌だ。
豊後水道の真ん中の岩にそそり立つ水の子島灯台は、
いつかは、どうしても訪ねたい憧憬の灯台だ。
鶴御埼灯台から見えるかもしれない。 恋人が待つ海に駆けつける心境だ。
車は松浦港を通り過ぎた。 もうすぐ、のはずだ。
でも、行けども行けども道は続く。
やっと駐車場に車を停めて、灯台までの坂道をやたら長く感じながら登る。

豊後鶴御崎は九州の最東端だ。 戦争中は砲台が築かれ、要塞になっていた場所だ。
灯台は戦後25年を経て建てられている。 新しい灯台だ。
灯台に隣接して展望台がある。 展望案内図の真ん中に水の子島灯台が記されている。
その方向を眺めても、海霧にさえぎられて何も見えない。
展望台には、おあつらえ向きに双眼鏡があったので、覗いた。
ボンヤリと、しかし紛れもなく白黒縞模様の水の子島灯台が岩にしがみついて立っている!
夢に見た灯台だ。 いつまでも、何度も、覗いた。 まぶたに刻み込んだ。
故障なのか、サービスなのか、双眼鏡はいつまでも閉じなかった。

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九州の灯台めぐり 3

2006年06月01日 09時52分04秒 | 燈台めぐりノート
photo ; 細島灯台

鶴御埼灯台の佐伯市から10号線を南下して、延岡を過ぎ、日向市までの遠いこと!
やっとのことで日向に入り、ホッとしたのが運の尽きで、道に迷った。
地理学を専攻して、方向感覚はシッカリしている、との自負から、
カーナビの助けをかたくなに拒んできたが、そろそろ購入を考えるか。
道に迷い込みながらも、目的の場所に近づいている確信はあった。
そこで、眼に飛び込んできたのが、「馬ヶ背灯台」 という案内板。
馬ヶ背灯台、聞いたことはないが、「灯台」 という字に、ハンドルは自然に反応する。
次に出てきた案内看板は 「日向岬灯台」。
肝心の、「細島灯台」 という文字にお目にかからないまま走らせていると、
なにやら立派な燈台が眼に入ってきた。
この際、灯台なら何でもいい。 行け!
燈台の周辺は土地のレジャースポットになっているのだろう、
ゲートボール大会をはじめ、行楽客が多い。
灯台がある山の周回道路はハイキングコースだが、
誰に聞いても、「この灯台が 細島灯台」 と言う人は一人もいない。
灯台の敷地は展望公園になっていて、入り口に燈光会の看板が立っている。
読めば、「細島灯台」。
私の勝手な判断だが、地元の方は 「馬ヶ背灯台」 と呼び、
日向市の観光課は「日向岬灯台」 を使い、
海上保安庁は 「細島灯台」 を採用している、らしい。 ややこしい話だ。
尚、細島灯台の初点灯は昭和16年だが、
明治43年5月10日には、宮崎県が小さなレンガ造りで航海安全の灯を灯している。
柱状節理の断崖 ・ 馬ヶ背を訪れる人は多いが、灯台を訪れる人は少ない。
いい灯台なのに。

私がこれまでに接してきた宮崎県人は数少ないが、宮崎の県民性に一つの思い込みがあった。
自分を主張せず、周囲にあわせて、物静か‥‥。
このたび、日向路(10号線)を北から南まで走って、その認識を変えた。
最初に断っておくが、それは他愛もないことで、宮崎県人を悪く言うつもりは全く、ない。
国道10号は単調な路線だ。起伏も、曲折も少ない。 交通量も少ない(日曜だから?)。
道路の改良が進みつつあるのか、登坂車線や片側2車線の区間も多い。
片側2車線の区間で、走行車線には 「ゆずり車線」 の標識まであるのだが、
「ゆずり車線」 を走る車は、まず、いない。
みんな、追い越し車線を1列になって走っている。 ついでに、登坂車線を走る車もいない。
日程上、先を急ぐ私は、ゆずり車線と登坂車線を走りきることで、相当数の車を追い抜いた。
ゆずり車線は、「私のために譲ってくれる車線」 だったのだろう。

九州山地の一番山深い椎葉、西米良から流れ出す一ツ瀬川は大量の土砂を運び、
日向灘に打ち寄せる波は新富町の河口付近に大きな砂州を形成する。
その砂州から平地が広がり、1kmほど離れた場所に、
「鬼付女峰」 という、なんとも怖い名前の丘がある。標高58m。
ブルゴーニュのワインが好きな方ならすぐに思い浮かぶだろうが、
地形図で見る限り、「コルトンの丘」 の形状だ。
今回の灯台めぐりからすれば、パスする灯台だが、丘の形状が気に入って寄り道をした。
車で丘を一周したが、上り口らしきものが2箇所ある。
私は石段を選んだ。 これが間違いの始まり。
中腹の祠で石段は途切れた。 あとはがむしゃらに 「藪こぎ」。
ふるさとの低山歩きで何度も藪をこいだ経験が生きた。しかし、茨の多い藪だった。
土地の人は 「観音山」 と呼ぶらしい。 たくさんの石像が並んで、公園になっている。
日向灘沿岸には航路標識が乏しく、細島灯台と戸崎鼻灯台の中間地点として、
「日向のコルトンの丘」を選んだのだ、という。

今日の予定は宮崎市まで入れればいい、と思っていたが、
ひたすら走ったおかげで、日南海岸まで来てしまった。
すると、欲が出るから、都井岬まで足を延ばせたら‥‥、となる。
そうなると、鵜戸埼灯台は単なる通過点になる。 鵜戸神宮への参詣はパスせざるを得ない。
とにかく灯台へ。
鵜戸神宮の駐車場の手前から海岸線を走ると、あっけないほど簡単に灯台前に着く。
鵜戸神宮の参道にふさわしく、
周囲の景観にマッチするように設計されたのが石灯籠型の灯塔だ、と案内板にある。
頂上の擬宝珠が灯器になっている。
伊豆大島にはアンコ像の燈台があり、川奈にはゴルフボールの灯台、
小田原の波止場には小田原提灯の灯台。
これらをデザイン灯台、と呼ぶらしいが、私は、灯台は灯台らしいのがいい。
好みの問題だろうが。
鵜戸埼の石灯籠型の燈台が、
灯台ファンになった私が見た最初のデザイン灯台だったことは記憶に留まるだろう。
そういえば、下関の 「あるかぽーと防波堤」 にも賑々しい燈台があるが。

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九州の灯台めぐり 4

2006年06月01日 09時41分49秒 | 燈台めぐりノート
photo ; 朝5時の都井岬灯台

都井岬では「岬馬」を放牧している。 馬が逃走しないようにゲートが設けられているが、夜間は無人だ。 
で、車から降りて開閉し、岬に乗り入れなければならない。
都井岬灯台には、夜8時半を過ぎてたどり着いた。
途中、日南市を通過した。
道中でコンビニの一軒くらいはあるだろう、と車を走らせたら、ついに都井岬まで店はなかった。
一旦灯台前の駐車場について、串間市までビールと食べ物を買いに走った。
往復の40㎞ は苦痛だったが、空腹には代えられないし、
何よりも、灯台を眺めながらの一泊には代えられない。

再度、灯台前の駐車場に戻った。
駐車場には車がなく、ラインを無視して、フロントガラスを灯台の正面に向けて車を停めた。
一般公開されている都井岬燈台だが、夜間は門扉で閉ざされ、灯台の敷地には入れない。
開門は朝9時だ。 それまで待てないから、チョットばかり失礼した。
隣接する土産物屋の壁に脚立が立てかけてあったもので‥‥。スイマセン。

狭い運転席で、缶ビールとかっぱえびせん、裂きイカ、おむすび3個の晩餐は惨めだけど、
なに、どんな役者にも勝る 灯台の、規則正しい燈光の旋回がある。
最高のディナーショーを特等席で独り占めできる.。
さあ、灯台の前で晩餐(?)だ。
呑みながら眼を上げれば、夢に描いた都井岬灯台の閃光が
 (正確には30秒で1回転だが、レンズが2個あるから) 15秒ごとに回転する。
なんという満足感だ!
かっぱえびせん と 裂きイカをかじりながら眼を上げれば、尊い灯光が15秒ごとに回転する。
なんという至福だ!
夜中に目覚めてフロントガラスを見れば、
船と船人の命と財産を守る灯が15秒ごとに回転を続けている。
しかも、100mの至近距離で。
灯台ファンにとって、こんな贅沢はない。 私が最高に感激する盛大な晩餐で、嬉しい寝床だ。

5月22日(月)
朝6時起床が私の日常だから、5時に目覚まし時計をセットするのは いと易いことだ。
北緯31度付近の夜は、寝袋を必要としないほどだったが、
ガラスで囲まれた車の中は夜明けの明るさで目覚まし時計も必要としなかった。
灯台の灯りは、まだ旋回を続けている。
勿論、人影はない。 昨夜お借りした土産物屋の脚立をまた拝借して塀を乗り越えた。
不法侵入者を歓迎するかのように、
蜂の一種だろうか、図体の大きいのが8匹、私の周りから離れない。
思い通りの写真が撮れなかったのは、蜂のせいだ。
蜂が怖くて退散したら灯台ファンの沽券にかかわるから、果敢にシャッターを押し続けた。
都井岬灯台は、全国に14基ある 「のぼれる灯台」 の一つだから見学者も多かろうが、
この、蜂の歓迎には大騒ぎをするだろう。
期待していた朝日は、雲に覆われてどこから昇るのかも分からなかったが、
一瞬間だけ顔をのぞかせた。
シャッターを押し続けたがいい写真にはならなかった。
この厚い雲は佐多岬まで続いた。

都井岬から佐多岬まで、どのルートを選ぶかは判断に迷うところだ。
内之浦町には宇宙空間観測所があることは知っていたが、
火崎の先端に 火埼灯台があると知れば、ロケットよりも灯台に立ち寄るために、
ルートはおのずから決まってくる。
これまでに訪れた 岬の灯台 のほとんど全てがそうだったが、
内之浦の町から火崎の先端まで、地図の上ではでは簡単だが、
実際に走ってみると距離は想像を超えて長い。
前日、その日のうちに都井岬までたどり着きたい一心から、
日南海岸のいくつかの灯台を素通りしてきたので、
小さい灯台だが、火埼灯台訪問は欠かしたくなかった。
かなりの時間を費やし、車幅すれすれの道を心細くたどった、としても。
蘇鉄の自生地には鳥居と祠があって、小さな灯台が立っていた。
都井岬灯台と佐多岬燈台という、スター級の灯台を訪問しながら立ち寄れば、
そのかわいらしさはいよいよ際立つのだが、
灯台に規模や、灯質の差はあっても、灯台の重要さに差はない。
足元が軟らかい斜面を滑らないように気をつけてたどり着いた瞬間の喜びは、また格別だ。

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九州の灯台めぐり 5

2006年06月01日 09時32分50秒 | 燈台めぐりノート
photo ; 佐多岬灯台

佐多岬は九州本土最南端に位置する。
昨日訪れた豊後鶴御崎は九州の最東端で、最北端の門司崎は下関の対岸だから、
これで、未踏は最西端を残すのみとなった。
これも、灯台めぐりがなせる業で、灯台ファンでなければ、果たして岬の先端まで行っただろうか。
車は南へ南へと大隈半島の中央部を縦断して、はるか遠くまで来たもんだ、の感が強い。
佐多岬がいよいよ近づいてきた。
佐多岬灯台といえば、江戸条約に基づいて建てられた8基の燈台の一つだ。
初代は明治4年10月18日が初点灯だ。
太平洋戦争で破壊され、昭和25年に再建された灯台とはいえ、由緒ある灯台で、
今回の灯台めぐりの白眉だ。

その灯台にこれから行こう、というのに、なぜか気持ちの高揚がイマイチなのだ。
都井岬で、一瞬間だけ顔を出した太陽が、その後は雲に隠れたままのせいだろうか?
そうじゃない。 私には分かっている。
佐多岬灯台は、岬の先端には、ない。
岬の先端の岩礁 ・ 大輪島の頂上に建っている。 歩いては行けない。
初点プレートも写せなければ、
灯塔の壁を撫でて、叩いて、「ご苦労さん」 と語りかける、
私の、いつもの儀式ができないじゃないか。
そんなことは、灯台ファンになったときから分かっていることなのに、
がむしゃらに車を走らせて、イザ、燈台が近づいてくると、なんとなく無念なのだ。
「岬ファン」 である前に 「灯台ファン」 である私の、ここがビミョーなところだ。
ロードパークの終点、駐車場に着く前に小さな突端で右カーブを回ったら、
突然、海を隔てて灯台が眼に飛び込んできた。
写真で見慣れた、大輪島に立つ佐多岬灯台だ。
南緯31度を越えて、ついに、来た!
駐車場に車を停めて、歩き始めたら薄日が射して来た。 麦藁帽子が役に立った。
神社で引いたお御籤は末吉。
   吹き荒れし あらしもいつかおさまりて 軒端に来鳴く うぐいすの声
日も射して来た。 うぐいすも鳴いている。 次第に良いこともあろう。

九州本土最南端。名にしおう、絶景を見た。
   黒潮の 海にのぼりて あまつ日は 佐多岬をひねもすてらす  (川田順)


佐多岬を後にして北上、地図を逆さにしなくて済むだけ気は楽だ。
車は、錦江湾をはさんだ対岸の指宿を目指している。
地図では、指宿への最短距離の 根占 からフェリーがあるのだが、最近は廃止されている。
そうなると垂水から桜島のそばを通って鹿児島に渡るしかない。
ずいぶんと大回りになるナァ、と思いながら走っていると、
なんと、根占から山川へのフェリーが復活した、とのこと。 天佑、我にあり!
    (但し、このフェリーの就航は未確定要素が多いので、事前に確認が必要)
フェリーの出航まで1時間待たされたが、大回りを考えれば何のことはない。
港の近くのレストランで、早くて安くて美味いものは何? と聞いたら アラ炊き定食だと言う。
それを注文して、アラ炊きだけを単品で追加注文する。 美味い。
根占は カンパチの産地だという。 港の外では養殖をしているのだろう、筏が浮いている。

指宿に渡る理由は、長崎鼻灯台を訪ねること、開聞岳を眺めること、天然砂蒸し温泉に入ること。
だが、灯台ファンとしては口が曲がっても言えないが、
砂蒸し温泉 を体験するのが、永いあいだひそかな夢だった。
フェリーから眺める開聞岳はかすんでいて、長崎鼻まで近づいても、山頂は雲の中。
最後まで山容の全てを見せてはくれなかった。
灯台までの歩道は土産物店街を通り抜けるのだが、これといった坂道もないのにやたら疲れた。
2泊3日の強行軍が、ボディブローのように効いてきたのかも知れない。
待望の砂蒸し温泉に入って、身も心もホッとしたら、
これから先、坊津の灯台まで行く気力が途端に萎えた。
鹿児島まで一般道、そこから九州道で下関まで帰った。 熊本からは、強い雨に変わった。
指宿16時30分。 下関10時。 11基の灯台めぐりは終わった。

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