TROPICAL PARADISE BRAZIL!!!

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私の人生あれこれ(Brasil) エピソード13

2007年10月05日 02時05分42秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
さ、いよいよ出発だ!福岡空港まではお姉ちゃんとお父さんが一緒に来た。
お母さんは
なんね、そげん大袈裟な!どうせすぐ帰ってくるちゃろうもん。気をつけて行ってきんしゃいよ。お母さん、今からプールに行かないかんけん。”
と言ってあっさりと来なかった。母は強し??
空港では、一緒にプリクラをとったりした。搭乗手続きの時間だ。お姉ちゃんと私は、
ちょっと外国人ぽくHUGしちゃろうか!”
とかケラケラ笑いながらHUGをした。
お父さんは、
はいはい。。”
と言ってるだけ。この先、娘の将来が心配なんだろう。でも、ま、これも私の決めた道だ。もう先に進むしかない。飛行機の中から、お姉ちゃんとお父さんを探した。内心、自分では不安で堪らんのだ。でも、マイクに合える喜びも当然ながらこみ上げてくる。
福岡から成田(1時間半)。成田では6時間の空き時間だ。ネットをしたり、お金を両替したりした。もう、なんだか日本じゃないみたいだった。外国人がたくさんいるのだ(国際線だもん当たり前だ。)。何も面白いことは起きなかった。。
成田からダラス(11時間)。待ち時間5時間。ダラスではテロリスト対策からなのか、乗り継ぎでも、イミグレのチェックが厳しくなっていた。まあ、指紋取ったり、質問があったり。英語の分からない人達はちょっと、大変だったようだ。私は、適当にイミグレの小父さん達と話しながらの余裕の通過ぶりを見せた。乗り継ぎの待合で待つ間、気づいた!なんと、圧倒的にツアーが多いのだ!あとはビジネスか、最低でも2人の旅。みんな楽しくおしゃべりしているのだ。。私は1人。しかも、洋服もダラーンとした格好でいかにも貧乏さが染み出ていた。。。
乗り継ぎでは、サンパウロに向かう便と、あと、違う国に向かう便等それぞれあり、何人かのおばさん達は、私の後ろを同然のように付いてきて、
え?あなたリオに行くの?じゃ、私たちはどこに行けばいいの?”と聞いてきた。
“え?ちょっと。。私は添乗員じゃないしい。。。自分で探してくれよお”って感じだった。もちろん、そこら辺の人を捉まえて
この人達を案内してください。”といい人になっていましたが。。。。
私は、一人だからか、いろんな人からよく声をかけられる。空港でも機内でも。だからあまり待ち時間は退屈しない。みんなかわいそうにと思って話しかけてくれるのだろうか????
ダラスからリオ(12時間?)。待ち時間3時間
リオからサンパウロ(1時間)に着いた。待ち時間4時間。まああ、リオもサンパウロもなんとまあ、コンクリートだらけの薄暗い、ちょっと興味のない空港だった。ただただ広い。リオの空港では英語が通じる。サンパウロでは、英語とあと、日本語がぼちぼち通じる(これにはびっくりした。さすが、日本人の移民が多いことが分かる。)。待ち時間、ちょっぴりブラジルの味を確かめるべく、Bramaというビールを口にした。なんだか、日本のほろ苦いビールとは違って、気の抜けたビールだ。。。
サンパウロからレシフェ(4時間)
ぼちぼち、日本語も英語も通じない圏へと突入してきた。アテンダントさえも、駄目になってきた。レシフェに着く。何と、降りる人だけが降りて、あとの人は、機内で待つのだ。初めての経験!(普通、みんな降りん??)もちろん、何人かの人は、間違えて、降りている人もいた。そりゃ、ちょっと、ちゃんとそこら辺言っておいてくださらないと。。という状況だ。ここはあんまり乗客に対して親切なアナウンスがない。。。ブラジル人でも間違えるなら、私も間違えるさ!(ま、乗る前に、乗り換えなしだけど、レシフェの次です。と言われていたので、???と思いながらも、そこまで動揺はしなかったが。)
そして、レシフェからナタウ(1時間)
ナタウの空港に下り立つ。お、イミグレではどうやら英語が通じる。ほっと一息トイレに入った。すると陽気なブラジル人のおばさんが、何か言ってる。
私は、
あついですねええ!”と英語で言うと
へ??意味が分からーない。”とポルトガル語で言ってるようだった。3回くらい言ってみた。
するとその小母さんは
あら、おかしな子がいるわ。”っていう顔をして、去っていった。ちょっと、がーんとした。
“もしかして、ここ、英語駄目??”
ゲートを出て、マイクを探す。いない。。。もう1度よく見渡す。いない。。次々と乗客が家族や友達と再会のHUGをしている中、私は、大きなバックパックを背中に抱えたまま、呆然とした。しかも聞こえてくるのは意味の分からんポルトガル語らしい。頭の中には“え、マイク、明日と勘違いしてない??”“何か事故にでもあった??”“ここの空港じゃない?”“他にもゲートがある??”と、100以上のハテナが頭に広がり、だんだん、顔色も薄くなっていった
でも、“落ち着け。きっと、ちょっと遅れているだけさ。”と自分に言い聞かせ焦る鼓動を落ち着かせながら椅子に座った。何人かのタクシーらしき人が、“乗らないのか?”と言う感じで聞いてくる。私はひたすら“ノー。”と答えた。みんな私の方を見て通り過ぎていく。
“ま、もし、マイクが明日と間違えてるとして、ここなら、ま、寝ても安全かなあ。”とか、考える。どうやら、殆んどの人が去っていったようだ。待っている人が話しかけてくるが、もうポルトガル語のちんぷんかんぷんの私は、“止めてくれー!話しかけないでくれー!”の心境だった。
遠くから、こんがり小麦色に焼けたのっぽの人がこっちに笑いかけながら汗を拭き拭きやってきた。マイクだ!!!“あー!助かったああ!!”と心底思った。聞くと、渋滞したのと、やはり時間を間違えていたらしい。。。。。全く。。。
ま、ひとまず、私のどでかい荷物をタクシーに積み、ナタウの1番の観光スポットであるPraia do Ponta Negra(ポンタネグラビーチ)に向かった。とても南国を漂わせるPousadaプサーダ(いわゆるペンション)に着いた。さっそく荷物を降ろし、ビーチで、祝杯をあげた。Scolという名前のビールを飲んだ。大瓶は600ccだ。旅の疲れと、太陽がさんさんとしている事からだろうか、 睡魔に襲われ、部屋で休みを取った
夜になって、元気に時差ぼけもふっとび、夜ご飯を食べに行った。なんといってもChurrasucoシュハスコ(いわゆるBBQ)だろうか!!ビールを飲みながらシュハスコを頂いた。ここのビーチは夜も賑わうのだ。
“わー!ブラジルに来たのだ!!”と、実感する。マイクはなんとか、ポルトガル語を話しているようだった。英語圏の人間でもポルトガル語が必要なのか!?じゃ、私はもっと、必要なんだ。。。困ったぞお。だって、This is a pen.のレベルもないのだから。。。
と不安を隠しつつ、マイクとずーっと、飽きもせず話し続けた
“明日は、両親に電話を1本いれよう。。


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