いまだにイスラエル支持の人がいるのが信じられないなぁ
なんて気持ちを持ちつつ、
そこにはどうにもならない立場の都合もあるのかな?
なんてことも思ったりするsachiakiです。
まぁでも今やっているガザへのやり方が
全然まったく良くないことを言えないのでは
どんな立場であれダメなんじゃない?
なんてことを思うんですけれど
どうなんでしょうね。
私は自分が被害者であったことを持ち出して
今まで加害してきた人に
「反省しろ」「幸せになる権利なんてない」
などと言い出す人は
それは被害者の皮を被った悪党だと思っているので
ぶっちゃけイスラエル軍のやっていることに
1mmも気持ちを寄せるってことはできません。
ていうか、大きな国を持ち出すでなくても
そういう悪党ムーブする人っていうのは
たまにいるんだよね。
そういう人を見ると、
私は幼い頃にチラッと見た
「スチュワーデス物語」の片平なぎささんが演じられた
元婚約者のことを思い出します。
どういう役だったかと言えば下記の通りです。
<blockquote>スキーに行った際に浩と衝突し、両手の指を粉砕骨折したために義手となり、夢を諦めざるを得なくなった。以来心が荒み、浩への憎悪から浩に生涯の責任を強迫したり、千秋への嫉妬に狂って嫌がらせをしたりする。義手は、浩の前でよく両手袋を歯で引き外して彼に心理的プレッシャーを与える。</blockquote>
こういうのって喪失がデカければデカいほど
自分ではどうにもできないので
そのきっかけに対して常に自分をケアするように
要求し続けることでしか自分を守ってあげられないとか
その遺恨でしか関係を繋ぎ止められないとか
そういうものなんだと思うんですけれど、
失ったものが返ってこないように
自分の幸せは自分で築いていかないと
ずっと悲しい気持ちを引きずるだけなんですよね。
私はそういった深い喪失といったものを
強制的に引き出されたことがないので
悠長なことを言っていられるのかもしれないけれど、
それでも常にどこかにプレッシャーを与えることで
自分の優位性を表そうとする時に
切り出すカードの品格のようなものは感じるかな。
イスラエルの場合、わざわざガザを侵攻したり
諸外国に対して
「私たちは被害者なのだから、私たちを否定はできませんよね?」
なんてムーブをかまさなくても
優れたサービスや製品などを持っていて
外交だってバックが厚いのだから
堂々としていればいいじゃないって思うんです。
それはロシアに対しても思うけれど……。
中国のように堂々としているのもアレやなって思うけれど
まだ被害者ムーブをしないだけマシって思う。
被害について、その正当性を問うたり
責任の所在や処遇について
決着をつけるまでっていうのは大事だと思うけれど、
決着をつけた後に「まだ心の傷は癒えていない」というような
永久になにかを要求するのは道徳的に恥ずかしいことよ?
って思うって感じです。
なので、今ハッキリと被害に遭っている人がいるなら
それはちゃんと加害者に対して処遇を訴える必要があると思うので
被害者は黙ってろっていうのとは違うってことも
一応書いておきます。
まぁこんなことを書いておいてなんだけど、
結局自分の手持ちになるカードで
他の人たちから奪えるものが大きいものがみつかったら
それを使うっていうのも戦略の一つだと思うので
嫌悪をするし、支持はしないけれど
そういうのもあるんだなって思います。
支持は本当にできないけどね。
生きている時に自分の盤面を見て
桃鉄するようなもんですよね。
キングボンビーの押し付けあいのようなものだわ。
そんなことを考えていました。
誰もが崇高に美しく生きていけるなら
苦労はしないっていう。
自分の中にある醜さを抱えて生きていくしかない。
昨日見ていた「スイス・アーミー・マン」で
そんなセリフがあったので
すごくお気に入りの映画となりました。
超バカ映画の皮を被った良作なので
見られる環境にいる方はぜひ見てみてね〜!
ではでは。モイモイ!