「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

牡丹

2008年04月27日 | 絵とやきもの
 はじめから百花の王たる牡丹を絵にすることは、私の手に余ることなのに、美しい姿にはつい食指が動いてしまいます。
 東洋的な風情を、古くから中国や日本の画家たちがこぞって絵にしてきました。
 蛙さんが見事に咲かせた白牡丹の写真「咲きいでぬ」に続いて、「牡丹焚火」に、油絵で表現されていたのに触発されて、取り組んでみましたがやはり失敗でした。来年の花までの一年のお預けとなります。
 自分のための記録に、模索の跡を記録しておくことにしました。批評には、「石橋」の牡丹。東照宮の眠り猫を思い出す。と散々でしたが、まさしくそれらが頭にありました。
 当然ながら落款は押せません。道の途中ですので。
 閻王の牡丹にも、紅ほのか、にもなれない悲しい牡丹です。大きさが出ないのです。まして豊麗な妖しさは勿論です。
 途中をお目にかけるのは初めてのことで、一興かと、あえて厚かましくも見苦しい道中姿です。

  閻王の口や牡丹を吐かんとす   蕪村
  牡丹散って打かさなりぬ二三片  蕪村
  白牡丹といふといへども紅ほのか  虚子