「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

心の温もり

2008年01月11日 | 塵界茫々
“暖かい”と、“温かい”。この季節には望ましい言葉ですが、どちらの文字を使うかで戸惑うこともあります。
 一般的には、「暖」のほうは「暖かい日」「暖かい室内」のように、寒いの反対で、気象や気温をあらわし、「温」のほうは冷たいの反対、「温かいスープ」「温かな言葉」のように使われます。
 あまりご縁のない“懐があたたかい”は、素寒貧の寒さの反対ですから、暖のほうでしょう。ただし、あまり暖かすぎると心のほうは寒くなるようです。
 では、もう一つ、愛情に富む、思いやりがある、の”あたたか”は、どちらでしょう。「あたたかさ」は、「ぬくもり」とも言われます。
 冷たいの反対なら温かいですが、漱石は「野分」のなかで「暖かい家庭に育った」と使っています。啄木は葉書で「落ち着いた温かな声」と書いています。どちらを使っても間違いとはいえないようです。

 ただ、人柄に関して言う言葉で探って見ると、温は、温厚、温順、温和、温情、と熟していきますが、暖のほうは、暖流,暖地、暖房、と、思い浮かべても、人の情や、人となりに関する熟語は浮かんでこないようです。
 最近滅多にめぐり合うことのないのが、人の温もりを感じる場面です。逆に肉親が殺しあったり、親が子を殺したり、虐待するといった信じられない情報があふれています。
 人が人を思いあう、あたたかな温もりは絶滅しかかっているのでしょうか。
“鷹の温め鳥”にも劣る人間の行動は、私たちの住む星の温暖化に反比例して、心の温度が低くなっているように見受けます。物が豊かでなかった時代のほうが人の心の温度は高かったようです。
 社会の出来事への対応にも政治家の取り組みに温度差が歴然として出ています。

鷹の温め鳥―冬の夜、鷹が小鳥を捕らえてつかみ、その羽毛で足を温めると言うのですが、その小鳥は翌朝放してやり、その日は小鳥の飛び去った方角には餌を求めに行かないという言い伝え。 鷹のとるこぶしの内のぬくめ鳥氷る爪根のなさけをぞ知る 
ぬくめ鳥南に去れば鷹西す




初詣

2008年01月03日 | 塵界茫々
 新年の挨拶に添えて、干支「子」にゆかりの、狛犬ならぬ「狛ねずみ」の映像が送られてきました。古馴染みとはありがたいもので、また一つ私のコレクションに宝物が増えました。今頃は12年に一度の当たり年、お社は縁起を担ぐ人のお詣りで賑わっていることでしょう。
(京都は、哲学の道の南限ちかくに大豊神社という小さなお社があり、その末社の大国社の前に鎮座だそうです



 昨年は母の喪中で出かけることのなかった初詣に出かけました。
 例年は誘ってもなかなか腰の上がらない夫が、「天気もいいことだし初詣に行こう」と言い出しました。
 まずは、この地の総鎮守の日の峰神社にお参りし、夫の産土の地、芦屋の狩尾神社、日本書紀にも登場の岡の湊神社と、地元のお社で三社詣りです。
 なんでも、仕残したことがあるのでもうしばらく生きながらえることができるよう、今年の無事を祈願したのだそうです。引いた御神籤も「吉」が出て満足のようでした。

 ところで、私の方は、拝殿の前に貼り出されている今年の年回りの案内板に目をやって、はっとしました。昭和4年生まれのところは赤で塗りつぶされ、「傘寿」となっているのです。

 神社の暦は旧暦で行くのですから当然のことなのですが、満年齢で神様に賞味期限を偽装して、来年と繰越しで考えてきたので慌てた次第です。
 そういえば、旧友の一人から”傘寿を機に年賀状をこれまでとします。”と挨拶が添えられていました。その賀状を手に、ああ私も来年はこうした挨拶をすることになるのかも知れないと、呑気なことを考えていたのです。

 当方はスイッチの切り替えの準備が出来ていませんので、差当たり現状維持で行けるところまで行くつもりにしました。




 


        上 お正月の装いの狩尾神社  下 岡の湊神社


除夜の鐘異聞

2007年12月31日 | 塵界茫々
 たまたま目に触れた新聞の記事です。長崎の町では、除夜の鐘を騒音として苦情が寄せられるようになっているということでした。
 すり鉢状の長崎の地形は、天然の音楽堂で、音響効果がよく、除夜の鐘につづいて、各教会が新年のミサに鳴らす鐘、そして、港に停泊する船の汽笛が鳴り響くのは、いかにも異国情緒の長崎にふさわしい風物詩だったと思うのですが。
 記事によると、23の教会のうち、元日のミサの鐘を鳴らすのは3教会だけで、あとは自粛なのだそうです。
 お寺も同様で除夜の鐘が撞かれるのはかつての四分の一以下になっているようです。そういえば、最近では、撞き手がなくなった寺では、機械仕掛けで自動で鐘が鳴る装置の寺もあるとか。

 キリシタン大名大村純忠ゆかりの地に建つ中町教会は、15殉教者に捧げられ由緒ある教会ですが、いまではマンションとビルの中に埋もれたようになっています。居住する人たちには「うるさい」と苦情を述べたくなるのも解らないではありませんが、せめて除夜の一夜、鐘の音に包まれて、カウントダウンの騒音とは異なる、行く年の名残を惜しんでもいいように思うのはよそ者の勝手でしょうか。
 見出しに曰く「除夜の鐘 騒音苦情の響きあり」 朝日新聞夕刊


  風雲易向人前暮。歳月難従老底還  和漢朗詠集 良岑春道
 風雲は人の前に向かひて暮れやすく、歳月は老いの底より還しがたし。
 過ぎてゆく年の名残の日には、誰しもが抱く感慨ですが、齢を重ねると、その歳月の還しがたいことがひとしおの感で身に迫ることです。

 忘年や身ほとりのものすべて塵   桂 信子
“すべて”とまでは思い切れないまでも、それに極めて近く、意味を持つものが年々減ってゆきます。

今年の除夜の鐘はどのように届くことでしょうか。遠く、近くの寺の鐘をしみじみと心に響く郷愁の音として聴く幸せを感謝して今年を送ることにします。

 この一年のあいだ、お付き合いくださった皆様にこころよりお礼申し上げます。皆様に訪れる新しい歳が、健やかに、平安をもたらすよき年でありますようお祈りします。



歳末の家事

2007年12月29日 | 塵界茫々
 11月の半ばから始めていた12枚の雪見障子の張替えがやっと昨日終わりました。
 今年は頼まずに自分でやると夫が言い張って、取り掛かりはしたものの、早かったのは材料の調達だけでした。
 今日は寒いから。今日は気がのらないから、また今度。と気まぐれです。遅々として捗らないのですが、ここが辛抱のしどころと我慢していました。
 糊の加減から、紙の裁ちよう、貼り方の手順と、幼い日からやっていたのだからと、講釈は多いのですが、仕事の出来上がりは、美しく貼れたとは言いがたい出来です。
 もともと器用ですから、素人の仕事ならこんなものだろうというレベルです。霧吹きをかけると、たるみも張って、まずは満足して、年越しの準備の大仕事の一つが終了です。
  
 長いしきたりで29日は外回りのすす払いをして、30日早朝に〆飾りをつけます。
なにも歳末に固めてやらなくてもよいものなのにとは、毎年繰り返す反省ながら、計画を立てて片付けてゆくのは、一年の締めくくりの意味が大きいのだと思います。

 何もかもが一度に押し寄せる歳末にわざわざ調子を合わせて、あちこちとつつき回すことはいかにも不合理なのですが、古い日用品を思い切って処分するにはある種の「はずみ」がいります。物惜しみを笑われる私でも、暮れには捨てる気になるのが正月のありがたさです。

 子供のころ、下着から、はきものに至るまでお正月にはすべてが真新しくなる心弾みを喜んだものでした。今でも、台所の布巾や菜ばしといったものが新しくなると、ささやかな豊かさを味わえます。トイレのタオルをはじめ、家のあちこちに新しいものが目に付くのは気持ちがいいものです。古くなったものを取り替えるのに、正月まで待ってとつい思ってしまうのは、もう私たちの世代までなのでしょうか。
 
 暮れのご挨拶のお歳暮が、中旬で一段落すると、大掃除という最大の行事がありますが、これは理屈抜きで、精神的な意味のほうが大きいような気がします。

 この3年は、餅つきもしなくなっています。夫の妹が搗きたてを届けてくれるので間に合います。あとはお節つくりだけです。これも、大家族だったときに比べると手抜きで、品数も、量も減る一方で、重箱も三段だけですみます。それでもしきたりのものは自分に課して準備するつもりです。

 すべての段取りがのろ間になっているのが情けなく、しかも、そののろ間を仕方がない、こんなものかと、どこか諦めているのがわれながら“あはれ”で哀しいことです。


和敬静寂のぽち袋




自転車漕ぎ

2007年12月17日 | 塵界茫々
 屋内用の自転車を購入しました。昨年秋、ジム通いを止めて以来一年間の運動不足がたたり、立ち居に足腰の痛みを感じるようになっていました。
 左膝は前から具合が悪いのですが、体重の増加と、自慢の筋力が衰えたのが原因です。
 先日の血液検査の結果、やはり、コレステロール値が高くなっていて、薬の処方がありました。その折、ジムに行けないなら、腰に負担が少ない据え置きの自転車を自宅で漕ぐのがいいのではありませんかと薦められました。
 今日届いたエアロバイクは、ジムの頑丈なものとは違いますが、それでも速度、距離、時間、心拍数、消費カロリーがデジタル表示されます。
 庭の樹木を眺めながら、片付けねばならない仕事のあれこれの段取りを思い描きつつ、漕いでいます。
 さて、何時まで続きますか。本日2日目は5,0の速度で25分、徐々に距離と時間を増やしてゆくつもりです。
 なんとか人の手を煩わさなくて暮らす時間を延ばさねばなりませんので、ささやかな努力です。

 紅葉はすべて葉を落として、寒々とした姿になっています。山茶花も店じまいをはじめて、一面の狼藉です。
 気の早い日向の水仙がもう花を付けているのに目が留まりました。そのつもりで眺めると、蝋梅にも花芽が膨らみ始めています。

あと十日あまりで今年も終わります。なんとか無事にこぎつけたというのが実感です。


和えもの

2007年12月14日 | 塵界茫々
 日本料理の“あえる”という伝統的な調理法は、かなりのバラエティーをもっています。
 白和え、胡麻和え、芥子和え、酢味噌和え、木の芽和え、といった代表的なもののほか、雲丹や、イカ墨、梅肉、たらこ、納豆、若い人はマヨネーズなども和えごろもに用いています。

 ほんのり狐色にふっくらと炒りあがった胡麻を当たりながら、ふと思い出しました。
 若いころ、この和えものが、どうしても母のこしらえるもののようにいかないので、何でだろうと考えたことを覚えています。

 調理法が単純であればあるほど、素材の新鮮さがものをいいます。まして、和えものは、野菜や魚介が相手ですからなおさらです。しかし、具材の鮮度の問題ではありませんでした。和えものは具材の食感と和えごろもの風味を食すものです。
 観察して気づいたのは、和えるタイミングにありました。
 時間が経つと調味料が中までしみこんで、味がぼやけてくるのです。当然食感が変わります。塩を加えている生野菜の場合だと、どんどん水分を滲出させて、しゃきしゃきの食感も、和えごろもの風味も薄れてゆくという寸法だったのです。

 つまり、食べる直前に和えるというのが肝心だったわけです。相手の顔をみての、配慮が料理の決め手だったというわけです。
 料理の手順で、手があいているからと、早々に拵えておくものではなかった次第でした。「和して同ぜず」調和させても、均一に混ぜ合わせてしまうものではなかったのです。

 中華料理の「拌」banとは異なり、「あえる」というやわらかな響きも、「和」という文字も、なかなかに味がある日本語ではあります。


ただ秋の風

2007年11月06日 | 塵界茫々
 この季節は例年不調を訴えることの多い私ですが、昨年の今頃は、それどころではなかったのを思い出しています。してみると、不調をかこつことが出来るのはまだましということなのでしょうか。
 退院を2日後に予定されていながら、感染症で高熱を出し、下痢が止まらなくて苦しむ夫を目前にして、銀杏の黄葉も目に止まらないほど気を揉んでいました。
今日通ると、川沿いの銀杏並木は今が盛りの美しい黄金の帯を延べていました。

 今日の外出は、一昨年、介護付き有料老人ホームへの入居を決断した古い友人に面会のためです。
 趣味の油絵を展覧会に出品していたのですが、今は「個室が狭く道具を持ち込めないから、スケッチばかりが溜まって」と少し寂しげでした。実際には、持病の循環器系の疾患で、長時間絵筆を取ることはもう無理なのです。多分、自分でもそれは自覚しているのだと思います。
 医者だったご主人に先立たれ、大きな家での独り暮らしは無理と、息子にも相談せず入居したと聞いています。彼女の口から「人住まぬ不破の関屋の板庇荒れにしのちはただ秋の風」と藤原良経の歌が漏れました。
「そうだね。やがては、私のところも」と調子を合わせておいて、話を心敬の「ささめごと」に転じました。

 老女二人、かつて俳諧連歌の講義をうけたM教授が瀟洒で美貌だったことなど、とりとめもないことです。やがてこの歌の「ただ秋の風」の“ただ”が、心敬に「玄妙」と激賞されていることに転じてゆきました。それからは、“ただ”談義が弾みました。
この「ただ」には、無常感があるというのです。

「秋風だけが」吹いているといった単純ではなく、たしかに虚しく吹き過ぎる秋風に、はかないあはれを、そして無情を感じてのことでしょう。

 考えてみれば、”ただ”は不思議な言葉ではあります。普通を意味する“ただの人”。平凡を意味しながら、”ただ”にはただひたすらの意味、「徒」をただとよむときには、意味もなく、いたずらにの意、”ただしい”も、「直」のただで、真っ直ぐで、よこしまがない、と幅のある揺れ方です。落ち着くところは、「ただしい、ただの人」がいい、「ただの鼠じゃない」などとは間違っても言われたくないねと笑ったことでした。

 古いアルバムを出してきての誰彼の消息も、半ばはこの世ならぬ世界です。予定していた2時間半を語り合って、「一期一会」だからと差し出された手を握って別れを告げました。 





高齢者講習

2007年10月08日 | 塵界茫々
 5日は予約していた高齢者講習を受けてきました。3回目ともなれば余裕を持って受けられると思っていました。
 ところが、シュミレーションの、画面に映し出される車の陰から飛び出す子供や、反対側の路地から出てくる自転車、対向車線のバイクに反応する足だけの操作には、誤作動はしなかったものの、視力の方は3年前とは格段に衰えていました。

 特に、暗順度が低くなっていて、動体視力も悪くなり、前の5段階評価での自慢だった5は4に落ちました。試験場での中型自動車免許(新設)の更新の際には眼鏡が必要になるようです。

 実車での講習では、後部座席に一緒に受講した方を乗せ、助手席でメモをとる教官を意識して、相当に慎重な運転をしたつもりでも、カーブでの運転速度が速すぎること、見通しの悪い交差点での通過はもっと慎重にと注意されました。

 心身機能の衰えを、数値で否応なしに自覚し認識する3時間の貴重な機会でした。
 前々から夜間運転は、漠然と苦手としていましたが、これできっぱり夜はハンドルを握らないことにすると決めました。

 来年6月からは、70歳以上の高齢者に紅葉マークの表示が義務付けられます。
次の3年後は果たして運転の適性が残っているものかどうか、潔く免許を返上した夫のように、自分で見切りが付けられるかどうか、迷うことだろうと今から予想しています。「もののあはれ」が身に染む秋です。



元気になって戻ってきました。

2007年10月07日 | 塵界茫々
 予告されていた日数の半分で、使い慣れたパソコンが元気を回復して手元に戻ってきました。不具合の箇所を丁寧に聞き取りをして対応してくださいました。

 キーボード、TOPケース、ボトムケースも交換されて、外見は清々しくなりました。またしばらくお世話になれそうです。
 次に購入する機種は、デスクトップにしようと決めていますので、このノート型が現役でまだ付き合って働いてくれるのはありがたいことです。

 周辺のベテランの方たちには、故障が出始めると次々なのだから、新しいビスタのノートに買い替えたほうがいいと薦められました。確かに電気製品の通例ではそうなのでしょうが、“悪女の深情け”と笑われても、慣れ親しんだこの老いたる働き者2003を見捨てる気にはなりません。というより、かなり様子が異なると聞く、新機種のビスタに到底消化できないと、恐れをなしているというのが正直なところです。
 
 かくて、2万円以下で修理可能ならば修理をお願いする。超過するようなら、ノートパソコンを買い換えるから修理不要ということで、チェックシートに不具合の箇所を細かに書き込んで受け取りに来てもらいました。往復の送料は不要で、総額17800円でした。
 こんなことなら、もっと早くに修理に出せばよかったのですが、酷使に耐え私の愚痴を聞き流して黙々と付き合ってくれたXP君です。もうしばらく愛しんで手元に置いておきます。



祈りの月

2007年08月06日 | 塵界茫々
 私にとっての8月は祈りの月です。
 今日6日は広島に原子爆弾が投下された日、9日は長崎、そして15日は終戦の日と続きます。

 旧制女学校の4年生の夏は、学徒動員で、全員入寮、12時間交替の昼夜勤の勤労の日々でした。すでに戦局は切迫していて、小倉造兵廠での風船爆弾の紙貼り作業は解散となり、分散して近隣の軍需工場に配属されていました。私は炭鉱の事務所で、慣れない製図のトレスを、友人たちは鋳物工場の熱気の中でと働いていました。
 6日も、15日も晴れ上がった青空の下、蝉の声が降りしきっていました。

 9日は、小倉に落とされるはずの原爆が、厚い雲に遮られていたため、B29エノラ・ゲイは次の目標、長崎へと進路を採ったのでした。
 夫の親友は長崎高射砲部隊で被爆死しています。女学校卒業後進学した私も、机を並べていた友人二人を失いました。1年の冬、被爆の後遺症で病床の身となり、2年への進級をすることなく不帰の人となりました。

 強い夏の日射しと夾竹桃の花を目にすると、なぜか今も、あの暑い日の「広島に新型爆弾が落とされた」というラジオから流れるニュースを聞いた日のことを思い出します。

 今日の秋葉広島市長の平和宣言の言葉の中で「平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきりと『ノー』というべきです」の発言に、心からの声援を送ります。
 9条がねじまげられることがないことを念願してやみません。