constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

翻訳の罪と罰・再版(犯)

2012年12月12日 | nazor

ちょうど2年前になるが、イアン・クラーク『グローバリゼーションと国際関係理論』をめぐって、訳者である滝田賢治の度を越えた越権行為に対する不満を述べたことがある(「翻訳の罪と罰」2010年12月11日)。その中でも言及したが、同じ滝田が中心となって翻訳作業を進められていたロバート・O・コヘイン&ジョセフ・S・ナイ『パワーと相互依存』(ミネルヴァ書房, 2012年)が刊行されたので読む機会があった。さすがに原書にないアンダーラインを加えるという暴挙は見られないものの、訳文には、表記の不統一など単純かつ初歩的なミスが散見され、監訳者としての責務を十分に果たしていない印象が拭えなかった。「監訳者あとがき」で校正作業を通じて多くの問題点が見つかったと述べているが、それらが十分に改善されないまま、出版に至ってしまったようである。残念ながら滝田の訳業は、内山秀夫のそれと同じく、信頼の置けないものであることが改めて証明されたといってよいだろう(以下、原書の引用は、Keohane and Nye, Power and Interdependence, 3rd ed., Longman. より)

たとえば、本書冒頭に置かれている「日本語版への序文」を読み始めると、早々に「多様なイシュー」(i頁19行)と「多様なイシュ」(同20行)という表記の不統一に出くわす(42頁においても「他のイシュ」の表記に遭遇する)。続く「序文」でも「グローバルゼーション」(ix頁5行)といった表記に遭遇するときなどは、さすがリチャード・W. スチーブンスン『デタントの成立と変容』(中央大学出版部, 1989年)で「ゴルヴァチョフ」(i頁)と表記した前科のある滝田の面目躍如といったところで、監訳者の責務を果たしていない証左であろう。本の後半部で見つかる誤字脱字の場合、校正作業の集中力が落ちた可能性も否定できず、人間の行うこととして許容できるが、本を開いてわずか数頁の間に、このような単純ミスを続けて目にすると読む意欲が殺がれてしまう。

また同じく「序文」には次のような勘違いに基づく誤訳もある。「しかし第10章の議論は、1974年から75年にかけて書かれ、1977年に出版された『パワーと相互依存』の第1章~第10章とほぼ符合するものである」(x頁)は、原文 "But the argument of Chapter 10 is broadly consistent with Chapter 1-8 of Power and Interdependence, written mostly in 1974-75 and published in 1977." にあるように、10章ではなく8章である。目次にたどり着くまでに、明らかなミスを目にしてしまうと、「間違い探し」のほうに注意が向き、肝心の内容を理解することは後回しにせざるをえない。

こうしてようやく本文に挑むことができるわけであるが、ここでも滝田は期待を裏切らない。彼自身が担当し、「本書の中核部分」(460頁)であると認識している、第1部「相互依存関係を理解する」を一読した限りにおいて、疑問に思われる箇所を列挙してみよう。

(1)第1章の冒頭5行目にある文章「すなわち、パワーの測定は、以前よりもはるかにデリケートで人々を惑わせるものとなっている(1)」(3頁)は、原文では引用符("")で括られているのに対して、翻訳ではそれが取り除かれている。

(2)5頁の脚注について、第1に注を示すアスタリスク(*)の位置が原書では文章末に置かれているが、翻訳文の半ばにある「軍事安全保障」に付されている。たしかに原文 "military-security concerns." の上に注記号があるとはいえ、この脚注が「軍事安全保障」の説明でなく、文章全体を受けていることは明らかであり、注記号の位置は間違いといえる。第2に、脚注文の「外交問題評議会(Council of Foreign Relations)の The Troubled Partnership (New York: McGraw-Hill, 1965)」は、 出版標目である McGraw-Hill for the Council of Foreign Relations が、外交問題評議会が出版し、マグロウヒル社が発売を担当することを意味しており、外交問題評議会を訳出する必要性はない。

(3)「こうした分析をするための基礎作りを目的として、第8章の別の部分では相互依存関係が何を意味するのかを定義し・・・」(6頁)もまた誤訳であり、原文 ""To lay the groundwork for these analyses, in the reset of this chapter we define what we mean by interdependence, ・・・" の "this chapter" を直前の文章にある "Chapter 8" を受けていると理解した結果であるが、これも第1章の内容さらには本書全体の構成を考えれば、第1章の残りの部分をさしていることは容易に察しが付くことであろう。

(4)「夕食をとろうと、今まさにテーブルにつこうとしているヨーロッパやアメリカの人々に南アフリカでの飢餓を生々しく伝えることによって・・・」(16頁)を読んだ後、今度は「南アジアの飢餓がアメリカに及ぼした影響を再度見てみよう」(19頁)との文がある。原文はどちらも "South Asia" である。

(5)第2章「リアリズムと複合的相互依存関係」で、原著で引用されているハンス・モーゲンソーの文章の訳「国際政治に影響を与える国家は、戦争という形をとる組織的暴力に絶えず備え、積極的に関与するか、あるいは立ち直っている、とすべての歴史は示している」(30頁)において、"or recovering from organized violence" の "from" を訳していないため、結果として「組織的暴力に立ち直る」と読めてしまう奇妙な文章となっている。比較のため、引用されているモーゲンソーの文章が、Politics among Nations の邦訳(『国際政治――権力と平和』)でどうなっているか見てみると、「すべての歴史が示すように、国際政治に積極的な諸国家は、戦争という形態の組織的な暴力の準備をつねに怠らず、それにすすんで関与し、あるいはその痛手から立ちなおる」(43頁)となっていて、"or recovering from organized violence" を的確に訳しており、はるかに分かりやすい。せっかく邦訳があるにもかかわらず、それを利用せず、しかもわざわざ意味の掴み難い日本語に訳して良しとする姿勢もまた疑問である。

(6)「同様に、政府官僚以外のエリートたちも通常の仕事でも、3極通商委員会のような組織でも、民間の財団が主催する会議に集まる」(33頁)も、原文 "Similarly, nongovernmental elites frequently get together in the normal course of business, in organizations such as the Trilateral Commission, and in conferences sponsored by private foundations." と照らしてみれば、むしろ「同じく、非政府エリートたちも日常業務を通じての場合や、三極委員会のような組織において、または民間財団主催の会議などで頻繁に顔を合わせている」とするのが適切だろう。なお「Trilateral Commission」をあえて「(日米欧)三極委員会」ではなく、ググってもまったくヒットしない「3極通商委員会」の訳語を当てることも不可解。

(7)34頁のキッシンジャーの引用文の表記は、1行空けてあるものの、1字下げがなされていないため、この文章が引用文であることを示す形式として中途半端になっている。これも単純なミスに属する。

(8)「アメリカの国務長官がデタント政策の進展に伴い1974年に提案した米ソ貿易協定の締結という暗黙のリンケージ政策は、議会と連動して活動していたアメリカの国内集団が、貿易協定をソ連の政策とリンケージさせることに成功したため、覆させられた」(44頁)は、原文の "Soviet policies on emigration" にある「移民」を訳し忘れたため、意味不明な翻訳になってしまっている。

(9)「我々は、伝統的理論は、複合的相互依存関係という状況の下では国際レジームを変化させることはできないと思う」(49頁)は、原文 "one would expect traditional theories to fail to explain international regime change in situations of complex interdependence." にある "to explain" を訳していない。

(10)翻訳文には、ところどころ挿入語を示す()が見られるが、「(本書初版の出版は1977年:訳者)」(4頁)と表記のある箇所はいいとしても、「(かつて有効であった)」(3頁)のように、原著にない訳者による挿入句と、「(前にも指摘したとおり)」(9頁)のような原著者によるそれが区別されていない。これでは原著を読んでいない読者が(:訳者)のない挿入句はすべて原著者によるものと誤解する恐れがある。多くの翻訳書をみるかぎり、訳者による挿入句は、原著者のそれとの違いを明確にするために、()ではなく[]が使われる旨が「凡例」などで明らかにされていることを考えると、監訳者の怠慢に等しい。これ以外にも、原文の「we」の訳し方も、1-3章では「我々」で、4-5章では「本書」、さらに7章では「著者たち」と、訳者間で異なるのもいただけない。

また滝田の担当ではない4章でも、「通貨という問題領域は十分に定義されていて、領域がはっきりしている。すなわち高度な機能的つながりをもった密度の濃い領域である海洋と海洋資源は・・・」(125頁)との訳文は、本来「すなわち高度な機能的つながりをもった密度の濃い領域である海洋と海洋資源は・・・」と句点(。)がなければならないが、抜け落ちているため、まったく意味が通じない。

「正直、日本では翻訳は研究業績としてあまり高く評価されない傾向がある」(459頁)と認識しているならば、そして「監訳者としての力量の限界を痛感している」とわざわざ述べるくらいならば、そこからもう一歩踏み出して、翻訳を断念し、もっと相応しい人物に委ねるのが筋だろう。院生との学習会で講読するために、内輪で翻訳するのが私的行為とするならば、出版する行為は公共的な意味合いを帯び、しかもわずかばかりとはいえ利益が発生することを考えると、杜撰な翻訳を世に問うことは有害であり、貴重な資源の無駄でもある。国際政治学の基本文献であるため、本書『パワーと相互依存』は、ある程度の需要が見込め、版を重ねるだろうことが予想されるが、増刷の際には、徹底的な訳の見直しを行うか、E・H・カー『危機の二十年』のように別の訳者による全面的な改訳が望まれることはいうまでもない。

・追記(12月13日)
『パワーと相互依存』を読み進めていくにつれて、滝田以外の訳者の担当箇所もまた問題を抱えていることが明らかになってきた。

(1)「1945年以降、伝統的な海運企業と漁業者に加え、多国籍石油企業や多国籍鉱山会社、さらにトランスナショナルな科学や生態学、世界秩序に関するトランスナショナルなグループが海洋を利用し、・・・」(144頁)
→原文 "as well as transnational groups devoted to science, ecology, and world order," とあるように、最初の「トランスナショナルな」は不要。

(2)「第2次世界大戦が終わってようやく、主要資本主義諸国間の一体性を生み出す政治的な条件が作られた。経済的な条件に関していえば、ある程度の一体性は、新しい国際通貨レジームへの実質的な進展につながったと言える」(173頁)
→原文 "Only after World War II created the political and, to some extent, the economic conditions for cohesion among the major capitalist countries, was substantial progress toward a new international monetary regime made." に即して訳すならば、「主要資本主義諸国間の一体性を生み出す政治的、かつある程度までの経済的な条件が作られ、そして新たな国際通貨レジームに向けた実質的な進展が見られたのは、ようやく第2次世界大戦後のことであった」となるだろう。

(3)「全体構造アプローチに関する最も単純な説明は、国際レジームの性質を説明するために軍事力を用いる」(174頁)
→原文 "the distribution of military power" で「配分(distribution)」を訳していない。

(4)「1つは、グローバルな軍事的位置から影響を受ける対ソ政策である」(176頁)
→原文 "Soviet policy" は、次の段落の内容から判断できるように、「ソ連の政策」と訳すべき。

(5)「アメリカのヨーロッパや後の日本に対するより惜しみのない、温情的な政策的変化は・・・」(178頁)
→原文 "The change around 1947 toward a more generous, even paternalistic, American policy toward Europe and later toward Japan..." "around 1947" の訳し忘れ。

(6)「1947年に計画されたイギリスの復帰の失敗の後・・・」(179頁)
→原文 "After the fiasco of Britain's attempted resumption of convertibility in 1947,..." 「兌換」の訳し忘れ。

(7)「このことは結果として、アメリカが、戦間期に、より受動的でナショナリスティックな政策を採用するというよりも、通貨システムにおけるその能力を発揮することに役立ったのである」(179頁)
→原文 "the United States would use its capabilities actively in the monetary system, rather than adopting the more passive or nationalistic policies of the interwar years."であり、「アメリカが、戦間期のように受動的で、ナショナリスティックな政策を採用するというよりもむしろ、通貨システムにおいてその[軍事および経済]能力を積極的に行使する」とすべき。

(8)「少数の海洋国家」(188頁)
→原文 "The minor maritime state" で、数の大小ではなく、国家の強さの大小を意味していると考えるのが妥当であり、「二流の海洋国家」などが適訳。

(9)「アメリカの立場は、資源志向の弱小国家と交渉を重ねながら、沿岸利益を持つ国内的なアクターとして大きく変容した」(204頁)
→原文 "the American position was considerably transformed as domestic actors with coastal interests interacted with resource-oriented weak state, ..." で、"as" の訳し方が誤り。「沿岸利益を持つ[アメリカ]国内のアクターが資源重視の弱小国家と相互に関係を持つに連れて、アメリカの立場は大きく変わった」とするのが適切。

(10)「アメリカに有利な変動相場制での調整に関して、修復された固定相場制を予測してもいいはずだ」(207頁)
→原文 "one should have predicted a restored fixed rate system, with adjustments in exchange rates in favor of the United States." で、"exchange rates" を "floating exchange rate" と誤解。「アメリカに有利な為替レートに設定された、固定相場制の復活を予測できたかもしれない」くらいが適当だろう。

(11)「正しい時期にどのツールを用いるのかを知るための差異化」(211頁)
→原文 "the discrimination to know which to use at the right time." で、"discrimination" の訳は、この場合、「見識/識別力」が相応しい。

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