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「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

成功の秘訣?

2023-12-05 06:34:22 | News






最近は、北野武さんの芸談を取り上げているが、こんな事を言っていた。曰く「(成功の秘訣は)あるとすれば、どこに行ってもトイレ掃除を実践していることぐらいでしょうか」と。思ったよりも謙虚な人なのかも知れない。浅草ロック座での修行で得たものは、武さんに取って、どれだけ多大なものだったのかが伺える。実は立川談志(七代目)の弟子でもある。落語家としても立川梅春として、たまに高座にも上がるのだが、その人情話に味があり、なかなかのものだった。実際に「八百屋」のネタを聴いた事があるが、武さん自身も「結構な苦労人だな?」と思う程に、武さんなりの人生が透けて見えるような内容で、とても感心した。漫才をしていた時代は、「毒ガス」ネタで知られものだが、落語で聴かれた人情話に武さんの本質があると思う。苦労人ではないと出来ない高座だった。





今朝のテレビ報道でも報じられたが、香港の民主活動家である周庭さんがカナダに亡命したそうだ。そこで香港の現状だが、こんな事になってしまったのは、全て英国のせいだ。この説明も(短絡的で、)今更ではあるが、香港領は、【中華民国】の前にあった【清国】から奪ったものだ。だから本来は、その継承国である中華民国に返還をするのが筋なのだが、何故か【中華人民共和国】に返還してしまった。だから今がある。大戦中のチェンバレン首相とナチスドイツとの交渉からも垣間見れるのだが、意外と英国政府は外交に疎い。(変な処で、お人好しだからだろうか?)そんな事だから、その後釜のウィンストン・チャーチル氏が、未だに語り草になるのだが、現在の英国政府も何処となく、外交では腰抜けの印象がある。そこで「香港返還」を振り返るが、そもそも当時の中共政府は、あまり乗り気ではなかった。そりゃあ掛かる事情故にそうだろう。物事には経緯があるのだ。しかし転機が到来する。





Wikipediaによると、「1982年9月には首相マーガレット・サッチャーが訪中し、ここに英中交渉が開始されることになった」と。そこで「サッチャーは同年6月にフォークランド紛争でアルゼンチンに勝利して自信を深めていたが、鄧小平中央顧問委員会主任は「香港はフォークランドではないし、中国はアルゼンチンではない」と激しく応酬し、「港人治港」の要求で妥協せず、イギリスが交渉で応じない場合は、武力行使や水の供給の停止などの実力行使もありうることを示唆した」と。何だか話が妙な方向に進んだが、まだ中共政府は、旧幹部が居た時代は、英国よりも一枚上手だった(とは思う)。そこで今更思うに、どうもサッチャー氏は、押しの方向を間違ったとしか思えない。早い話が、英国があまりにも強引過ぎて、鄧小平氏がへそを曲げたのだ。それから話は悪い方向に進む。なんと「当初イギリス側は租借期間が終了する新界のみの返還を検討していたものの、イギリスの永久領土である香港島や九龍半島の返還も求める猛烈な鄧小平に押されてサッチャーは折れた恰好となった」と。結局はサッチャー氏が中共政府に丸め込まれた形になった。こりゃ御粗末としか言いようがない。立場が逆転してしまった。これは欧州の東洋観が、まだ十把一絡げだった時代の失態だ。根本的に間違っている。





さてカナダへ事実上の亡命をした香港の民主活動家である周庭さんだが、「生きて居ればそのうち」と思ったかは解らないが、寅さんの主題歌には「ドブに落ちても 根のある奴はいつかは 蓮の花と咲く」と言う歌詞があるではないか?中共政府の劣化も酷い。またチャンスが廻ってくるかも知れない。とは言え、そもそも英国が、【中華民国】に香港を返還していれば、現在、こんな事にはなってはいない。まさか【中華民国】と【中華人民共和国】の区別すらつかない見識で外交をしていたのではあるまいか?思わず言いたい。「英国政府は、アホなの?」と。森の石松の方が遥かマシである。


【速報】香港民主活動家・周庭さん カナダに事実上亡命 「カナダにいて香港に戻らないことを決めた」
(TBS NEWS DIG Powered by JNN)

https://news.yahoo.co.jp/articles/179767b45e9082485006c0176506804736f7b693


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