元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

見つける習慣。

2024-01-08 06:59:34 | 独り言






「悩んで落ち込んだとき、必要なのは理性。いらないのは感情。原因をクールに分析して、解決方法を見つける習慣を」。こちらも美輪明宏さんは斯く語りきである。確かにそう思う。そんな時こそだ。さて家庭の映像記録を元に編集作品を仕上げてるが、大変なのは、古い写真の修正だ。「Gimp」なる加工ソフトを使っているが、仕様はPhotoshopと似たような機能なので、仕事で使っている人も居る。それで作業をしているのだが、そんな事をやっていると、昔取った杵柄を活かせるのだ。良い機会だと思ってやっているが、今更ながら自身の写真のスキルを確認する事となった。しかしながら現在は畑違いの仕事で、第二の人生みたいなものだが、早い定年を向かえた後のような感じだと割り切ってはいる。だが、これも人生だ。もう折り返し地点はとっくに過ぎてしまった。だが終活には早い。





此処で訃報だが、女優の中村メイコさんが亡くなった。享年は89歳だった。死因は肺塞栓症との事だが大往生だ。昨年12月31日の事だった。デビューは映画『江戸っ子健ちゃん』 (東宝(PCL) 1937)でフクちゃんを演じた。1934年生まれなので、何と2歳8ヶ月だった。幼少期から天才子役として知られ、現在も演技の上手い子役が注目される度に引き合いに出される程の人物だった。(そんな事もあるのか、芦田愛菜さんは子役時代に中村メイコさんの再来と言われた。)放送媒体に於いては、ラジオからの人で、テレビは創成期から活躍をしており、その点では、黒柳徹子さんと並ぶ、言わば放送業界の生き字引である。戦後のラジオ番組では、NHKの「お姉さんといっしょ」も世代によっては懐かしいだろう。ひとりで何役も演じ、七色の声と評された。歌手としても活動しており、「田舎のバス」(三木鶏郎作詞作曲 1955年)も実は中村メイコさんである。アニメや洋画の吹き替えもあり、「宇宙人ピピ島」や「ドカチン」、「猿の惑星」ではジーラ博士が記憶に深い。そんな感じなので、その長い芸能生活は、とても語り尽くせないが、生涯現役のまま幕を下げたのも、如何にもメイコさんらしい。御冥福をお祈りする。





女優の中村メイコさんが死去、89歳 肺塞栓症で昨年12月31日に…12月25日番組収録から6日後
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/01/07/kiji/20240107s00041000491000c.html
黒柳徹子 親友メイコさん追悼「最後に会ったのは二週間前のちょうどクリスマスの日」
「弔辞はあなたが…」

https://news.yahoo.co.jp/articles/554dd6ce3fe07206bfa1f3e624e57792309248d2
写真家・篠山紀信さん死去、83歳 「週刊朝日」や「激写」シリーズ
https://www.asahi.com/articles/ASS1471JLS14UCVL01N.html?ref=linenews


訃報は続く。写真家の篠山紀信さんが亡くなった。享年は83歳だった。APAと聴いてピンとくる人は、その業界の人だと思うが、即ち【公益社団法人日本広告写真家協会公募展】の事だ。1961年より開催された。そこで開催年にAPA賞を受賞したのが、篠山紀信さんだった。それは氏が、日本大学藝術学部写真学科在学中の時だったが、これがプロデビューのキッカケになった。コンテスト上りなので、下積みがないとも言われてはいるが、実は同年、広告制作会社ライトパブシティに就職している。(スタジオを立ち上げたのも早いとは思うが、その辺の事を調べる資料がなかった。小生は、元同業なので、前記の事は聞いた話である。)それからは見た通り。近年は「ヘアヌード」の事ばかりをとやかく言われるが、雑誌『GORO』でのグラビアは、永く担当をしており、それも今となっては懐かしい。御冥福をお祈りする。南沙織さんとの結婚は意外だった。





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