独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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   万葉讃歌 (5)          佐藤文郎

2019-04-14 17:40:54 | 日記
「あまり便乗しなさんな」と言ったのは、竹さんだ。三十代だが、声に独特の響きがあり、ぬけたとは言っても眼のくばりで隠しようがない。しかしいまは、江戸期の『安藤昌益哲学』研究に余念がない。
 便乗と言われても、 私は、上野先生と自分との、この、岩手いちのせき時代が、懐かしいのである。センセイとは言うが、「うえの」が先生なら、とうに忘れ去っている。ステレオタイプの「先生」を嫌ったのは私でもあったが、その偶像を木っ端微塵にしたのは「うえの」自身だった。それだけではない、同時に、私を、拠り所も、逃げ場もないほど追い込んだ。「東北や、東北人について」のくだりを読めば分かるはずである。その時は、絶望的なきもちになった。自分の最も深いところにある悩みだったからだ。その時精神に受けた屈辱的な破壊によってすべてを置き去りに、妻子も仕事も放って飛び出した。屈辱的破壊を受けて、すぐではない、葛藤もあったからだ。葛藤を抱えながら、「うえの」の著書の出版もした。
 私は子供の頃から家出を繰り返していた。そこにはロマンの香りがただよっていた。だが、こいつは違った。西行を真似た,という者もおったが西行さんが聞いて悲しむでしょう。そういうことなら、また スゴスゴと戻るだけだったろう。「うえの」の徹底的な屈辱と破壊によって、救われたのである。他に私が抱えていた長いあいだの心理的ダメージから救える方法はなかったはずである。私はそこから二十五年間、音信不通になった。そんなものどうでもよかった。何か特別な事をしたわけでも、どりょくしたわけでもなかった。が、私は「自然」を発見できて「わたし」になることができた。上野先生のおかげであった。最近出版された『幽篁記』「上野霄里著」(明窓出版刊)を読んで、深い呼吸のうちに総てを忘れて読むことが出来た。「うえの」の言葉は消えて思いとなって心に届いていた。
 今日一日,この命 バンザイ! 
  万葉讃歌は、まだまだつづけます。
 上野霄里著 復刻版『単細胞的思考』明窓出版株式会社(増本利博)2001 
 序文 ヘンリー・ミラ— 上野に就いて 超人間の体質(スーパーヒューマン)
 復刻の辞 中川和也  ———原生のリズムに魅せられて———
 解説 「上野霄里・言霊に憑かれし巨人」
◯ 原生人類のダイナミズム ——原始的人間復帰への試み——
◆ 箱船の神話(万葉集のポエジーをメデアとして)
 万葉讃歌(4)からつづく
【特に東北地方の人間の口の重さ、人の目を盗み見る態度、知っていても知らぬふりをし、出来るだけ事を起こさないようにと努力する、何事につけても消極的な態度の中に、三百年の流刑地での傷の深さを思い知らされる。
 東北人の心と肉体の中に日本人全体の弱さ、悲しさ、痛さ苦しさ恥ずかしさが見られる。九州や関西の旅行者ですら、東北に来ると、東北人のうつろで、干涸び、何か不安をかこって無意識的に身構える物腰に冷え冷えとしたものを身の内に感じるはずだ。そして、そういった印象は、彼等に、東北人を軽蔑する気持ちを抱かせるのではなくて、むしろ、彼等自身の中に奥深くひそんでいた、はるか三百年間の苦しい思い出に繫がる劣等感を呼び起こさせるのである。
 東北人の恥の感覚は、日本各地のあらゆる人間の心の底に沈殿している魂の滓である。東北という環境は、三百年の悪夢を最も忠実に温存している唯一の場所と言わなければならない。東北の人々の間にうたわれる古謡、民謡のあのもの悲しさに包まれたメロデーはどうだ。
 彼等は顔一杯に笑っていても、眼の中だけは、万年氷にとざされていて、いっかな溶けそうにない。彼等が怒り狂っても、やはり眼の中は、うっすらと白々とした霜におおわれている。流刑地で、すっかり身についてしまった歪んだ性格、傷だらけになってしまった精神そっくりそのまま、東北という特殊風土の中で、今日まで伝えられてきている。東北人の権威好みは一寸やそっとではない。病的なくらいである。東北の偉人が、芸術家や宗教家の間によりも、むしろ、軍職や政界に輩出しているというのも、こういった理由からである。個人を持たず、権威に弱く、集団の中で模範的に過ごせる性格が極端に一方に傾いて行った場合、大将や大臣が生まれてくる。しかしこの現象は程度の差こそあれ、どの地方でも似たりよったりである。
 こういった精神的凍土である東北の地で、全く自由で、万葉時代の大らかな発言と行動を使用とする時、当然のことながらひどい圧力を受ける。しかし、凍土の最も下層部にしか、あたらしく生き生きした芽は萌え出てはこないのだ。
 創世記第十章十八節から二十七節のエピソードを読んでみよう。
 「箱船から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナン族の先祖である。この三人はノアの息子達で、全世界の人類は、この三人を先祖として、広がっていったのだ。さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、家の中で裸になっていた。カナンの父ハムは裸の父を見て、外にいる二人の兄弟にこれを知らせた。セムとヤペテは着物をとって肩にかけ、うしろ向きになってあゆみより、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。やがてノアは酔いがさめ、末の子が彼にしたことを知った時、彼は言った。〝カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟達に仕えなければならない〟また、つづけて言った。〝セムの神、偉大なる創造者はたたえられるべきだ、カナンはそのしもべとなれ。神はヤペテを繁栄させ、セムの天幕に彼を住まわせるように。カナンはそのしもべとなれ〟」。
 もし、私が従来通り、牧師稼業にせっせと精を出し、何ら心に疑念を抱かず、悩まず、何事も割り切って考えているならば、この聖書の記述を次のように解釈し、説明し、説教するだろう。「ノアは、酒に酔いつぶれて大変な失態を演じた。ハムは、そのような父を見て直ぐさま行動せず、外にいる二人の兄弟に告げた。この場合、行動とは、信仰を持つという行為を指している。それに反し、セムとヤペテは、知らせを聞いて、直ぐさま着物を持って屋内に飛び込んだ。父の醜態を見て父を辱めてはならないからと、肩に着物を担い、うしろ向きに近づいて父の裸体にこれをかけた。
 こうした二人の行動は、神を信じて、信じた通りに生活する人間の典型として、ノアがあとになって賞賛し、祝福しているのであり、ハムは、最初に事実を目撃し、必要な行動に入れる特権にあずかりながら、唯、これを二人の兄弟に告げただけであった。彼はこの際、実行の伴わない信者の典型であり、心に信じようと努めながら、結局、生活全般を通じて信じ切れない不信仰の人間のイメージを彷彿とさせる。
 わたしたちは、セム、ヤペテ、の立場にいなければならない。見ていながら、これに対して適切な処置のとれない人間は、常に敗北者である。
 こういった論旨は、私にとって、まさに、古い自分の写真をのぞくような気分でしか見られない。いささか照れくさい、多少の恥ずかしさ、心苦しさの混じり合った妙な感覚が私を支配する。
 だがこの論旨のおわりの部分は正しいと思う。最初の目撃者でありながら、実行において、後からくる者に先んじられてしまう人がこの世にはなんと多いことであろう。最初に思いつく頭や、一番始めに発見するめぐまれた感覚と機能とチャンスを与えられていながら、それが一寸も実行は出来ない。いやじっこうするにはするのだろうが、多くの人々がやりふるしてからである。こういう人間は、眼があっても、本当にものを見るよろこびを味わえない人であり、耳があっても本当にものを聞くことの許されていない人である。
 彼の口は、美味なものを、うまいとは味わえず、彼の感覚は、快感さえも、その通りに感受することが出来ない。生きていながら死んでいるとは、こういう人間のことをさして言うのである。しかも、この世の中が、この類いの人間で埋まっているということは、否定できない事実である。】万葉讃歌(6)へ

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