独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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放蕩息子の更なる告白(百三十一話)Ⅲ   佐藤文郎

2019-05-08 21:43:03 | 日記
 契約して直ぐの頃、会社のカタログを見ていて,ホームページ制作会社の、社歴の横に社長の経歴や関連する企業の会社名がずらりとならんでいた。殆どが、警察関連の名前が多かった。数えたら十五六有った。それを見て、不審に思う人はいないはずである。安心が出来る,といって信頼をよせるのが普通かもしれない。
 私はちがった。なぜかむしろ不信を感じた。渋谷警察署に行って,調べてもらった。長い事待たされたが、調べましたがこの通りですという答えだった。
 また、ホームページ制作会社から送られて来た「東芝7(新品)」というノートパソコン自体の、内部の仕組みや、操作の仕方がマックとは違うので、どうなっているのかを知りたくて、ブロバイダーとの契約項目の中に、“遠隔操作”があったので、それを利用して行ってもらった。所有者と言ったか,契約者と言ったか、「そこに名前がありますか?」と言われたので、「はい、あります」と言って通りすぎたが、通り過ぎてから知人の名前なので,アレっとおもったが、次々と指示が来て、新しい展開が現れ、それどころではなく一通りの説明が終わった。もうその知人の名前のことも忘れていた。制作会社やそのパソコンへ不審を抱くようになるのは、その後に発生してくるので、その時は前に一歩踏み出したという緊張感と不思議な期待感さえあった。
 知人の名前を思い出したのは、暫くして,考えられないような魑魅魍魎達(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)し始めていたからである。それと契約から二週間が過ぎると,制作会社の社名が変更になった。私の悪戦苦闘が始まり、真空の世界で無感覚状態のなかで、もう一回社名変更があったのを、微かに憶えているが、もう現実の会社には連絡する事もなくどうでも良いという気持ちだった。バーチャルの世界での金策で、大童だったのである。
「誰もがじいさんが詐欺に引っかかったと見たね。じいさんが正で、相手が不正と、ところが逆だよね。相手は正義の御旗を掲げてじいさんを成敗しようとした。これではっきりした。向こうが正義の連中で、錦旗をかざしている。じいさんや,じいさんの会社は、不正行為を働く、ならず者だ」
「自己破産の時の裁判官も判定に苦慮したろうね。誰もが、詐欺に引っかかったと思った」
「向こうは,白、じいさんは黒か」
「警察関連の陣容が、悪をこらしめる正しい人達が、悪い奴だとじいさんを決めつけてトラップ(わな)を仕掛けた。ところが途中でホームページの作業を進めて行くと、会社の内容が判って来て、その慎ましやかな業務実態に愕然とした。ギャンブルをやらない、酒、タバコ、クスリ、一切やらない。金の掛る事は何もない。年金まで本づくりに注ぎ込んでいたんだ」
「じいさんが悪の訳ないだろう。ま、親鸞的には正義の裏は悪だが。正義のミハタさんは社名をつぎつぎ変更しながら逃げを打った。じいさんのこと、ギャンブル好きの社長が欲に目がくらんで、会社を食い物にして潰した事に、方針を変更した。悪を懲らしめる道具を使って、疑わしいと思われる男を精神病院へ送った」
「反社会性を疑ったが、何も出ない。いまのところ埃も出ない。もちろん今後もでるはずがない。H・ミラーや、『単細胞的思考』や、セリーヌや、ロートレアモンは、じいさんの文学空間圏のお友達だが、だからといって法で裁かれるようなものではない。例のZの女性友達と、不倫をしたと女性の夫に訴えられ、敗訴し,百万円の慰謝料、毎月五千円を十六年間で支払う判決で決着したのも」
「うん、五千円位、いいじゃないと言った。夫側の言う通りにしてあげて,とも言った。入信を進めたのは、あたくしではなく、貴方から“崇教輝き”をやってみたいといった事に。お願いだから、そのようにして」というから、そうした。それまでと全く違うタイプの女性で、好ましく思った。知性がすばらしかった。沢山男性の友人が居た。当然だと思うよ」
「Zに彼女の事を、相談しに」
「いや、宗教を辞める事を、その後で彼女のことも」
「監視はつづいているの?」
「何年もずっと続いている。ネットはひどいものだ」
「何だろうね」
「Wordにまで入ってきてイタズラされてる」
「じいさん、以前、書いていたよね。『放蕩息子の告白』に」
「そう、『———更なる告白』を印刷会社に、明日届ける事になっていた前夜、侵入され、掻き回された。親鸞聖人のことを書いた頁、『単細胞的思考』の頁。小沢一郎さんの事を書いた頁、それでも、早めに気が付いて瑕が少なくて済んだ。あれと同じ事が起きている」
「それまでは,誰も信じなかった。じいさんの妄想だと」
「友人で校正、校閲のプロ級の人が本州の端ずれの方にいて、指摘してくれるんです。〝一応お知らせしますが、貴方の場合は、そのままでもいいかもしれませんよ〟なんて皮肉を言いながら知らせてくるんです。大手の出版社だろうと、ビシッと指摘しますからね。眺めただけで判るらしい。とても尊敬しています。おそろしいですよ。指摘を受けてまだそのままになっている。そのうち,見放されるかもね。そうならないようにします」

放蕩息子の更なる告白  (百三十一話)Ⅱ   佐藤文郎 

2019-05-06 00:53:11 | 日記
「宗教のオンナのせいだと思っているんだよ。“崇教輝き”……」
「ウン、それは、はっきりしている。オンナというより、その関係者」
「そこまで云うなら全部言ったら。いや、待て、じいさんはさ、分かっていても全部言わないんだよ」
「複雑すぎて、そのうち、どうでもよくなるんだ」
「複雑すぎる?」
「一人出版社だったからなぁ、我々が居てあげたら、こうはさせなかったよ。詐欺でなくて、ハニートラップ、いやイエロートラップか」
「そうなの?」 
「《大仙人》や、《日本長老》《西城健太》、《有馬勝》《大黒屋三兄弟》《死刑執行人》や、《天照大御神》ただし,そんな尊いお方のメール、つまりお言葉の下には(世田谷A)とか(目黒E)とかいてある。世田谷Aさんがなり変わって、ということでしょうね」
「なんだそれ」
「天照大御神と死刑執行人以外は、みな支援者なんだよな。半端じゃない額だ」
「それをじいさんへという意味がわからない。丸さんはきいたことねェのかい」
「中国じゃない,アメリカに確かあったとおもう。最初政府主導で始まるんじゃないの。もうそこから詐欺じゃなく,トラップだって分かるよな。ノウハウは元がCIAだろうよ、後は,ソフトが何処からどう流れて行くかわからんよ」
「とすると、宗教と,コウアンどっちか分からんな」
「いや,太いパイプがある。あの宗教は……うん,見えて来たよ。最初のホームページ作製会社、そこが発端だ。ね、じいさん」
「色んな制作会社が、入れ替わりたちかわり来たからね。それと、業務用コピー機の売り込み。一人出版社で業務用なんかいらんと言っても,一週間経つと別の奴が」
「そのへんからもう始まっていたか。何をどう造っているか、全部分かる。それが欲しかった⁇」
「それと会社の概要か。“崇教輝き”の中枢とは関係なく警備のZという男が、個人的に彼の繋がりの範囲で、ということだろう」
「彼に女性のことも相談した?」 
「そう、急に立ち上がって,部屋を出ていった。戻って来たら顔がテカっていた」
「まさか関係があるとは、じいさんは思わなかった。そこだね。じいさんが物書きだという事も知っていた。女は伏せるとして、内部暴露の懸案とかにして上層部に諮った。実は小林さん、結論が出てるのです」
「そうだろうね。カミソリ丸さんのことだ」
「Zは女性のことを聞いて、平常ではおれなくなった。じいさんの話をよく聞けばわかった筈だ」
「暴露なんて、組織でも人間関係でも最も興味のうすい分野だ」
「出版社を潰す。それか」
「一人出版社は本の内容も、編集会議に諮る事もない。じいさんが良いと思った物を出せる。編集会議も経ずに本になるから、そうやって、十年で十冊出版した。Zが怖れたのもわかる。だが、利益無しだ。印刷代と諸経費、DTPは、じいさんがぜんぶやるからヨソの半分で取次ぎまでゆく。儲からんが仕事は廻して行けた。本造りとしては、堪えられんよ。“崇教輝き”はどの程度?」
「宗教は色んなところ覗いたが私の自然観とぴったりだし、正直その女性にも魅力を感じてた」
「そんな事だからつけ込まれた」
「魔につけ込まれぬようじゃ,魅力とは言えんさ。それに、誰だと思う。じいさんだぞ」
「本造りはたのしかった。しかしやりたいことは他にあった」
「それは俺だって聞いている、『放蕩息子の告白』の後編でしょう。でも、上梓は無し、そうでした? こっそり読ませて下さいよ。H・ミラ—も読み終えたし、その続編、よみたいなぁ」
「本を書く人間にとって、読んでもらう事の比重と、書き極める比重があって、作家によってちがうだろうな。どっちがいいとかでなく」
「後者は、サドとか、そのぐらいしか。一方は、締め切りに追いまくられ,それ自体が快感だからね。とてもとても」
「だとすると、じいさんにとって、かえってよかった⁈」
「まさか。晴天の霹靂ですよ」
「Zの犯行と判るまではでしょう。よくじいさんは気がついたね」
「交換殺人並みの難度、迷宮入り寸前さ。ホームページ制作会社との接点がゼロだからね」
「あの警備主任か」
「どの組織も、お庭番は陰の花形さ」
「ホームページ制作会社と契約が済んで、もう、二日後にはノートパソコンと薔薇の花が、その会社の社長から送られて来た。そのパソコンこそ問題のパソコンだった。その時点で知る由もない。“生き馬の目を抜く”「都会は怖いぞ,油断するなよ」。田舎に居る時よく聞いた言葉だが、私はいままでそんな思いをした事はなかった。しかしそういう事とも違ったかもしれない。サソリや毒グモの居る洞窟の中に入ろうとしていたのに。本人はきづいていない。そして研修と称して渋谷まで操作指導を受けに通う事になった。
 喫茶店で九時間かけて抵抗する私を説き伏せた針金のように痩せた青年が出迎えた。その日も,その後もけっして七階の本社には上げず、そのビル全体で使用している受付のある部屋の隅で、スラリとした知的な女性によるスキル修得のための研修が三日間おこなわれた。あとは自社に帰っての自修だった。
 そのパソコンこそ、始めは、なにごともなく動いていた。画面上に突然、政府関係者と名乗り、貴方は、2014年度予算案で、支援対象者の一人に選ばれました。支援金は五億円です。これから合田という者が貴方の担当者になります。彼の言う通りに進めて下さい。貴方の会社の状態、すべての銀行口座通帳は特別な機関によって調査済みです。瑕もないし、テロとの繋がりもありません。きれいなものでした。おめでとうございました。ではよろしくお願い致します。声は聞こえないのですが、落ち着いたしぶい声で私に話しかけていた。合田氏に変わったが、彼は忙しいのか、滅多に現れず田代という人が代理を務めた。その他に若い議員が五名、「今後私どもが、あなたの身元保証人として、どんなことがあっても支援金を貴方にお渡しするまで私達がお力になります。疑問や分からない事や、なんでも相談して下さい。(総て,私の記憶を思い出しながら書いています。)とにかく,次から次に場面が展開し、食事を撮る間もない位だった。画面に釘付けだった。何一つも見落とせなかった。自分が分かればいいと思いA4コピー用紙にマジックののたくった字体で走り書きし壁に貼付けた。字体を見ても常人の所行ではなかった。
 ある日,演習を行いますと言って「ハイ、直ぐ銀行でもコンビニでも行って現金を受け取って下さい。貴方の口座に三億円が振り込まれています」というので夢中で走って,近くの銀行へ行ってカードを差し込むが、そんな金額が入っていることはなかった。私は戻って来ると,画面の田代にメールで食って掛かった。すると、あざける様に「時々こういう演習をしますから」と言った。しかし、私がつけたクレームで上から厳重注意を受け、おまけに、まもなく辞めなければならなくなった。「貴方の所為で、職を失うハメになった」といいだした。何日も,しばらく,田代は言い続けた。
ミナトという人が、リーダーは自分だといった。二三日すると、私の事を以前から知っていると言った。「途中から居なくなったでしょう。貴方を捜していて三十年振りにやっとみつけた」とも言った。(この辺が不思議にも三十年前、田舎を飛び出し静岡に行くと,友人のコウアン(その時は分からない。後になって分かった)が追いかけて来た。姿を消した訳ではなく、仲間が居た訳でもない。転々と仕事を変えた。年金の記録や運転免許証で、隠す事等なにもない。
「もう安心して私に任せなさい」と言い、 ミナトは、「自分は外国人で最近日本に帰って来た。今は官僚などが主に係る病院の経営をしている」と言った。「世界中の有数の武道家が私の配下にいて護ってくれている。貴方の事も頼んでいるから安心して下さい」だが、ある日、「私の身辺警護のものが一人で居る時、賊に斬りつけられ大怪我をした。貴方の事は厳重にいいつけてあるから安心して下さい。貴方の家の廻りも見張らせていますが,呉々も注意して下さい」と言った。
 一週間位前から脅迫メールが送られてくるようになっていた。私は、メールを決して開かなかった。この頃の精神状態は、とにかく落ち着け、と自分に言いきかせ続けていた。
 以前の営業マン以外にも最近でも何ものかが家に入り込んでいる気配を感じていた。また、ノートパソコンにウイルスが姿を現す様になった。カスタネット形で、パクパクと次から次に書類を吞込むのである。それから鉛筆のサック型のもので、マウスの矢印の先端をひょいと出て来て被せて仕舞う。急を要する時に出て来てじゃまをする。どうやら部屋にも入られていて、本体(マック)のパソコンのマウスとの繋ぎの線に三分の一ほど切れ目が入っていて(ずっと後になって判明した)、購入して、まだ三ヶ月もならないコピー機から印字されて出て来る用紙の字体が歪んだり,色が滲んだりして使い物にならなくなっていた。その結果、一ヶ月以上に亘る大切な悪巧みの証拠を、記録出来なかった。彼等の目論みは成功したのだ。すべてコピーがとれていたら私及び出版社を陥れる全貌を写し撮っていたら展開が又変わっていただろう。(写真には一部収めてある)私の傍にもう一人おってくれたらと臍を噛むばかりだ。ノートパソコンの方は遠隔操作でも悪さを出来るらしく、これも大事な時に、キイがもこもこっと盛り上がったりして気持ち悪い動きをするようになっていた。
 朝六時頃、パソコンの前に座り準備を終え、九時から、処刑人立合いで、金額で三十億円。次ぎ十五億円。七億円。最低でも九千万円。こちらは,選んでいる暇がない。一段階ごとにビットキャッシュを買いにコンビニまで走る。三千円。五千円。八千円。一万二千円。二万円。三万円と上がって行く。しかし、午後になって完済が近くなると所持金が足らなくなる。そうすると、処刑人が怒りだし、私に対してではなく支援者に対して処刑を始める。どうにか出来なかったのかと思うが、私が一人でいることは、営業マンを装って部屋にはいった連中にしられている。たぶんそうだったのだ。
 結局最後、助け舟に、援護人が入る。若い女性が何処からともなくやって来て、クレーン絞首刑寸前の人を助けた事もある。女性の支援者が火傷させられたり、日本長老という老人が指を斬り取られたりした。それでも中止する事が出来なかった。私は、崖淵まで追いつめられた。年金が入る日、銀行に行ったら、引き落とし拒否のランプが出た。支店長に談判すると、「娘さんと役所の人がきて止めてくれ、と言われた」という。怒りに震えたがどうにもならない。バーチャル・リアリティーの世界とわかっていても、一人では、一度入り込んだら引返す事は出来なかった。ネットバンキングに貴方の口座があり,貴方宛のお金が振り込まれていますから,確認しておいて下さい。確認番号はこれこれです。と知らせて来た。見てみると確かに十五人程がフルネームでならんでおり、金額も名前の横にあった。九億円以上あった。支援者の中に、聞いた事のある名前もあった。その金を引き出す事も出来るが、またビットキャッシュと、込み入った手続きが必要だった。見知らぬ女性が、「貴方に、三百万円支援したいが、電話で一度話しがしたい」というので、メールで番号を送ろうとした。ところが、途中で邪魔が入り送信できなかった。そういえば、その女性の電話番号は送られて来ていた。何度か試みたが、不思議な事に呼び出し音さえ聞こえなかった。何日かして、例の“ネットバンキング”を覗くと、その女性の名前と三百万円という数字が、億単位の金額の間に確認出来た。しかしその頃は、次から次に送られて来る指示メールで、私は、阿修羅道に落っこちた様になっていた。
 ここで最低のコメディーを演ずる事になる。田舎の中学校の同級生、しかも初恋の人が同じ沿線にすんでおり、たまに電話でお話したりする仲であった。初恋のエピソードは同級生ならだれもが知っていて集まったおりなど、微笑ましい話題を提供していたものだ。それがいきなりの電話で、『お金を三万円貸して下さい』しかも、いかにも追い立てられた様子の物言いだったので、『おかね? 私、貸すお金なんかないわよ。どうしたの⁈ 貴方を尊敬していたのに……』といって年配者にありがちな、軽くたしなめるように笑いながら言った。そこでしょげ返っている時間はなかった。Kさんに電話して、すでに五万円借りたばかりなのに、もう二万円お借り出来ないかとお願いすると、「少し時間は掛りますが、この間のところまで持って行きます」ということであった。電車を乗り継ぎ,駆けつけると私の目をじっと見つめ涙ぐんでいる様に見えた。
 こういうことが、姉や、貴重な公園で知り合った友人にも借りた。また階下の大家さんの記念金貨などを無理やり奪う様にして、コンビニまで自転車を漕いでビットキャッシュを買いに走り続けたのである。もう二万円足りないとなって、ヘンリー・ミラーの水彩画の複製を引っ掴んで神田の古本屋に入り懇願した事もあった。奥さんの方は七万円で買ってもかまわぬ様子だったが、主人の方が、私の様子をみて、とくに足下に視線を止め,サンダル履きを見咎めると、顔を横に二三度振って無言で返してよこした。上野霄里先生の『単細胞的思考』の第五章「人と同じことしかやれない奴はぶち殺せ!」の298頁に、この水彩画がH・ミラ—から送られて来たときの様子が描かれている。
《次男の病院から戻って来たら、オランダから小包が届いていた。ヒルヴェルサムという、アムステルダムから20kmばかり南東に在る小都市からきたものである。ミラ—の水彩画、三点の豪華な複製である、およそ、絵画というには程遠い、やたらとべたべたと、英語、フランス語で愛の苦悩を書き込んだ抽象画である》
 それから間もなくして、ミナトが言うには「貴方は,とんでもない人に狙われている。その人が姿をみせていると情報があった。私らの及ばぬ人で、その人に狙われて、どこへ連れて行かれるのか戻って来た人はいない。行方知れずになってしまうのです」私は、このあと、数日して精神病院に入れられるのだが、心理的に数年後に、こうやってその頃の経緯を記述するのにどうしても弁解したくなる自分が首をもたげて来る。太宰治や坂口安吾も入った。とこうやって言いたくなる。交通違反で白バイに捕まる。そして違犯切符を書いている横を猛スピ–ドの車が通り過ぎて行く。「おまわりさん、あれも違犯じゃないか!」といいたくなる。しかし,いくら言っても隊員は耳をかさない。同じなのである。同じというのは心理状態の事を言っている。切符を切られたら、泣き落としも、威嚇もきかない。一方精神病院も、「今日は,面談で唯お話をきくだけだから、」と言われても、いまになって考えれば何ものかの意志によって決められておりどうにもならなかったのだ。退院した後、〝おれは、気違いじゃないぞ、狂ってなんか居ないぞ〟と喉まで出かかっても、だが現にこうして言ってるが。
 『どうもどうも,御愁傷様』なのである。上野霄里先生は、退院後に、私から電話をもらって、第一声が「何を言うんですか、わたしを見なさい、だったら、このわたしはどうなるんですか!」先生は精神病院に入った事等ないのである。優しい先生はどう慰めようかと咄嗟に発した言葉だったのでしょう。先生、そこまで言わないで下さい。先生に、このわたしは、どうなるんですか、と仰られても困ります。“うえの”を証明はできません。スピノザの「エチカ」のように、真を証明するため,公理や定義を使ってたどり着くもう一段上のレベルのもので、複雑怪奇でしょうから異常とか,正常とかを判断する判定人を、あらゆる面から調べて、まず相応しい人であると証明しなければならなくなります。
「一ヶ月半近く私は仮想空間の中で奮闘していた。七十万円程の金額が支援を受ける手続きのために使っていた」。詐欺による被害金額というわけである。ギャンブル好きの事業主が引っかかった詐欺被害というわけである。私はギャンブルを十五年前に止めていた。現時点だと二十年前である。(ギャンブルでお悩みの方、止めるコツを伝授いたしますよ。いらっしゃい。いや、ホンと笑い事でなく、と言いたい位なのです)精神障害を認めてもかまわない。しかし、私には今〖確信〗がある。証拠を見つけたのです。交換殺人という犯罪がテレビドラマなどで観ますが,あれと同じ位難解な犯罪だと思います。Z氏とホームページ制作会社との接点など誰が予想出来たでしょう。“詐欺事件ではない。「ハニートラップ」ならぬ「イエロートラップ」だという証拠”である。目的は、出版社を機能不全に陥らせ、表向き自己破産であり、狙いは潰す事だが、私を信用のない人間にする事だった。小さいながら儲からないが仕事上は、出版を始めて、いまが頂点にいた。これからだった。上野霄里先生の『沖縄風土記』の打込み途中だった。それがとても悔しい。
 Z氏は都内でとても重要な仕事をされているお方だ。時々彼のマンションにお邪魔して、美味しいコーヒを御馳走になりながら、私が若い頃訪れたZ氏のよく知っている“大楽毛”の話をすると大変喜ばれた。私が書く、“あるもの”を怖れたのである。一人出版社さえ機能不全にすれば,怖れるものは生まれる事はないと、そう思ったのである。しかしそれは間違っている。宗教批判などするはずがない。教祖様は、原始太陽の自然のカミを誰よりも尊ばれていたと伺っています。私は毎朝掌を会わせています。Z氏の固定電話も携帯電話も使われていません、といわれました。マンションも移った様です。姿を消すような方ではないはずです。
 やっと三人というか、三組が、「もう手数料は取らない。経費は、私どもの方で負担します。あとはどうぞ受け取るだけです。安心していてください」2014年4月29日のことだった。30日の朝8時、前日西城健太氏との打ち合わせ通り、7億円を積んだ現金輸送車を所有する警備会社からメールが届く。取り決めの暗号を返信する。返事がかえって来た。「都内某所で待機します」と。丁度この時二十年ぶりに息子達二人が役所の人と現れ、有無を言わさず病院へ送られたのです。面談だけと言われたのに医者との面談も一言もなく、ドアをカギで開けまたカギをかけ、同じ様にそういうドアを二度開閉し個室に入れられました。カフカの『変身』を思い出しました。

放蕩息子の更なる告白(百三十一話)  佐藤文郎

2019-05-06 00:32:09 | 日記
 私の身に起きた出来事に対して、同情がほしいがため書くわけではないのです。唯一点、あまりに不可解な出来事ゆえに、上から透明ラッカーを吹きつけておいて、その出来事である意味不明な絵柄を固定化したいだけなのです。そうすれば、時間をかけてみたい時に取り出して見られるし気分が変われば判る時もあるだろう、その程度のことなのです。とはいっても、この事では多方面に影響がでてしまったので、そういう方々にも、弁解じみたものになるのですが、目の前の霞が少しは晴れるのではないかと思うのです。どうしても、一方的な言い方になってしまう。問いに答えずに、語るに落ちる式にならざるをえないのです。
 過去には、理不尽な事件に巻き込まれ、陥穽にかかっても黙したまま逝った偉人はたくさんおった。私は偉人でも歴史上の人物でもないので、知りえたことをそのまま記すことにする。話を聞いた結果益々判らないということになるかもしれないが、それは時間の経過で判るようになるかも知れないと申し上げる他はない。
 私は出版業という、社会的責任を負う職業を営んでいた。人間性は、いたって軽薄、いやそれでは誤解を生じるから、経営者として社会的に貢献しようとまではしてこなかったという意味です。そんな責任を感じたりするには不向きな人間であった。ならば、なぜそのような職業を始めたのかと大抵の人は問い返してくる。その通りである。私の性質を知る草葉の陰の母なら、明確にその答えを出せる筈である。
 六十五で一切の職を離れて、やっと書きたい物を始めようと思っていたら一本の留守電から、ひょいひょいと始まってしまったのである。私は、ひとり出版社を始めていた。それは、最後までひとり出版社を通すつもりであった。ひとりで充分だった。どういうことか? まず、出来映えはどうであれ、自叙伝を一冊上梓することができた。これは前編で、後半生の物は後編として冥土の土産にもっていくつもりで準備を始めていた。そうです。データーだけで、上梓は考えてはいなかった。前編を造るのに、それまでの蓄えを全部放出してしまったので、もう終わり、素材だけは誰にも負けないオリジナルに富んだものがある。あとは心ゆくまで誰も書いた事のない物(作家ならだれでもそう考えるかもしれない)をと悠然と辺りを睥睨する感じで暮らしていた。
 不可解な話をはじめる前にフランツ・カフカの『変身』という作品があるが、状況的に非日常性がよく似ていると思うので記しておく。
 『変身』はH・ミラーよりも、漱石よりも、太宰治よりも前に、一級上の、親戚のF雄がある時訪ねて来て、進駐軍のキャンプの話や、東京外語受験のことや、花川戸の娼婦のあれこれ、それに「米軍の輸送機で、仙台から北海道まで数日後の何時何分、この上空を飛ぶので、かならず手を振れよ」と話した。私は、言われた通りに上空を仰いで待ったが時間がすぎても音も機影も聞こえないし見えない。その時、家の裏門から入って来たのが飛行機で飛んでいるはずのF雄だった。「やあー、すまん、すまん、予定が変更になった。今度また時間が決まったら教えるから、それで、ほら、この本読んでみな、こういうものを読まないと、東京外語大学へは入れないぞ」といって渡してくれたのがカフカの『変身』だった。容易く手に入る物ではないといい、定価よりも多めの代を払ったことを憶えている。東京外語は受験科目に数学がないというので、少しは気持ちが動いたが、本気になって目指した訳ではない。
 そのカフカを、その当時手に入る物を読んでいった。しかしH・ミラ—が現れるまでのことだった。カフカの作品を読んでいると、内容は行き詰まり,苦しさに息も詰まった。それに比べミラ—は、私が主に教師との軋轢からうけた心理傷害を癒し、壁を取り除く一助になったし、やがて上野霄里先生へと導き永遠の進路を邁進する事になる。
 そして、私はあれ程賞賛していたカフカをつれない仕打ちで見限ったのだ。「ある朝、主人公のザムザが夢から覚めると。巨大な一匹の毒虫に変わっている自分を発見する。」私も朝になったら、予告無しに、その毒虫と同じ存在にされていた。私は、確かに自分が毒虫になった自分の姿を発見したのである。
 今、メデアでフエィクのことが語られている。しかし私のような状況に陥った人の事を取り上げたことは聞いた事がない。それは、語れない様にされているからである。ひとそれぞれで、語らない方がいい場合もある。口を塞がれている訳ではないのなら話しは出来る。しかし話した後の事を考えて、その影響や、波及の仕方を考え思いとどまるのかもしれない。
 私は、芸術や文学で、世界の一流の諸先輩達へと思いを馳せるとき、腰抜けが一番の駄作をうむ原因であり、様々な配慮が光を遮断するカーテンになってしまうことを、彼等の言葉から知るのである。「おい,若いの、お前さんの思った通りにやってみな、そういうものなら、読ましてくれや、批判や評判を気にするんだったら書くのも描くのも止めてしまえ!」 そう聞こえてくるのである。
「コンクリート詰めにされ、海の底に沈んだ訳ではないだろう。知りえた情報が少ないからと言って、もたもたすると、身元不明の遺体で側溝から見つかるハメにならないとも限るまい。生とはほんの一瞬の出来事さ。物書きなのに、自分に起きた事なのに、不可思議な事柄や、理不尽な物事を黙って見過ごす奴がいるか! 男なら金玉を下げているだろうに、それともチヂんで、皮の間に埋まってしまい上がったか?」これは、こういう様に悔しい思いで、あとはその思いを後輩の私に託して人生を途中で退場して行かざるをえなかった詩人仲間達の声が、私の耳に私の心内に届くのであった。   
【クニが 要注意人物として リストアップしていない訳はない。コウアンは よこの繋がりが 不十分 だから 情報が それぞれの部署のものだけで 一貫したものがあるワケでは ない。重要人物でもないマトは 下部の処置に まかされている。 しかし 手を抜く訳には いかない。だから 下部は フェイント(見せかけの)作戦を アミ出す事になる。あき巣や 窃盗や 盗聴 盗撮で あげられた事があり 落ちる所まで 堕ちた者達が いいのだ。いまは ホームレス状態になりかけている者がいい。彼等は つながりが ないから 情報が漏れる心配がいらない。そういうのを 使い捨てにつかう。
 的に対しては たえず見張られている意識を 植付ける。神経をハリネズミ状態にするのが理想。予算が少ないので それぞれで 創意工夫が必要 君達が ハリネズミになる必要は ない。】
「なに独りごと言ってるんだね」
「小林さん、この間の、あの美濃囲いには参ったナ」
「どうしてどうして、丸さんの、棒銀、あの奇襲戦法は鋭かったよ。あぶなかったァ」
「いえいえ,年季がちがいますよ。どうなりました,便秘は。このあいだは言わなかったけど、“金足農業形”と、例のロダンの“考える人形”とあるんですよ。便座に座ったときの体勢ですよ」

「へー、また丸さんの頓知かい、それで?」
「あの通りなんです。金足は、夏の甲子園観たでしょう。試合に勝利して、校歌をうたう様子。あの選手達の上半身をのけぞらせた姿、あれを便座で同じ様にする。ロダンの考える人はわかりますね。便座で,あのポーズで事をおこなう。顎には右手を当てても,当てなくてもいい。医者はそれぞれちがう。一方の形しか知らない。俺はどっちもやってみた。その日によって良いときと思わしくないときがある。大概、金足形で、チューブからしぼりだすように出て来る。だが、にっちもさっちも行かなくなる時がある。その時、もう一方をやってみる。てきめんですね」
「どうだ,この丸さんの、勝ち誇ったような姿。この仕種や表情を便座にすわってやるんだろうな」
「いや、冗談ではなく、ほんと小林さん。ぜひ、昔、スパーリングをやったときのことを思い出して試してみてください。ほんと、闘争ですよ。じいさんが来た」
「じいさん,空き巣、まだつづいているの? 以前T大法科を出た子と知り合って話したことあったが、フェイントだと思うよ。やつら、よくやるんだ」
「うん。そんなところだよ。四十代ぐらいの女を近所で二人見かけたが」
「すっぴんでしょう」
「それそれ、顔をそむけて、おかしいと思った」
「いや、途中、トイレで化粧するんだよ。上着をひっくり返すと別人に早変わりさ」
「そうと決まった訳でないだろう」と、小林さん。「オレが思うに,じいさんは、むしろ何かに護られているんじゃないか。まもっているとすれば、出版社をぶっ壊した連中とは別組織か」

  万葉讃歌(6)       佐藤文郎

2019-04-17 16:02:22 | 日記
「便乗はいかん」と言った竹さんが意味ありげに笑っている。何か言いたそうだったが、額の前で、罰点をしめした。「もうヨセ」と云うことか。小林さんは、その背後にいて静かに微笑んでいる。丸さんは短い腕で、マルをつくった。そして、マイクを口に唄うそぶりをしながら、しきりに私を手まねきしてしる。
 彼等は「じいさん、あまり張り切るなよ」と言っているようだ。
  上野先生の万葉体験で始まった「東北人論」を自分の事として深刻に受け取ったのは半世紀前だった。そういう意味での「讃歌」だった。しかし、現在は、私はまさしく“万葉党”として復活です。もうひとり国際的な“万葉党”として、米の作家、ヘンリー・ミラーがいます。この人が、ポルノ作家とは、きいて呆れます。
 当時、十七だったが、H・ミラーは、むしろ文学以前に相似する共感者、私の救世主として現れたと確信したものだ。なんと、其の「うえの」が、彼と、当時現在進行形で何百通も書簡を交わし合う友人だったとは! 万葉から産まれた、このときの「東北論」は、真っ直ぐ自分論だった。表現されている東北が、東北人が、その病める姿は、私怨をにじませた民主教育とやらで、ねじ曲がってしまった私自身だった。深刻というより総ての闇に光を点て心の奥底の生々しいひび割れを照らし出したのだった。
 故郷を出て半世紀が過ぎた。父も母もすでに逝った。現在も、今後もそこに戻ることはない。かつてあった熱狂も、より強力なエネルギーに変化した。あの暗がりから聞こえた呻き声はなんだったのか。幼少からの家出は感情から点火した衝動でしかなかった。だから気分が収まれば、安らぐ場所を求めて還るだけだった。
 それらとは全く違う“出立”だった。幼少期からの渦を巻きつづける憎念があった。東北論を読みこれがむしろ解決に結び付く行動を呼び覚ましていたのだ。
 「うえの」はどうだったか。何にも知らなかった筈だ。彼も又自分の事だけで手一杯だったからだ。それが、凄いのである。本物は万事それなのだ。見ているようで視ていない。視ていないようでいて観ている。
 何をしたらよいかわからぬ教師に、教えてやるなどと思う人間に、教わる事など、何も無いのだ。よみかき、そろばん、それだけでいい。できればよい方だ。自分が範を示してこそ、それが、どんなことであれ、熱となって伝わる。実となって結ぶ。「うえの」にはそれがあった。このひとの真の偉大さを今は誰にも分からない。真実が判るには、何年もの、気の遠くなるような年月を経るのである。
 数人は読んでくれたと思う。ありがとう。途中になりますが、予定を変更して今回で終了になります。

▲ 箱船の神話(万葉集のポエジーをメデアとして)
【ノアと彼の三人の息子達と、彼等の妻が箱船から出て地上に立った時、彼等につきまとっていた一切の伝統はなくなっていた。すべては全く新しくつくりだされなければならない状態におかれていた。これは、創造的に生きようとする人間にとって、必須の条件である。今日、果たして我々は、箱船から降り立った状態で、いっさいの伝統と、歴史の死滅した純粋環境の下で生活をはじめているだろうか。
 昨日の恥をきょうまで引きずっていることはないのだ。それは致命的な傷となる。昨日の名誉を、きょうなお誇っているような人間もまた、足下がひどく不安定になっていて、新しいことを敢行するに足る力はないのだ。
 ノアは、ノア自身の先祖とならなければならず、三人の息子達も、今後現れるであろう民族の先祖とならなければならなかった。一切の前例を失ったのだ。すべてのモラルや美徳も消滅した。すべての基準はなくなったのである。
 そこから出発する時、一切の行為は、創造的なもの以外ではないはずだ。何もあたりをキョロキョロ見まわして、人の顔色や、手つきを盗み見する苦労はいらなくなる。自分の言葉で自分の考えを語る自由こそ、唯一の美徳となる。心が裸のまま、言葉と直結して語られる時、どんな人間でも、最大の文学と、至高の宗教、哲学が表現できるのだ。技巧ではない。才能でもない。裸の魂が、何ら飾られず、前例や常識で化粧されることなく言葉に直結するなら、その人間の最も美しく、力にあふれた個性が発揮できるのだ。
 ノアは、今、この立場にたたされていた。この環境こそ人間は、どんなに重傷で苦しみ、不治の病で絶望していても、この環境に入る時にこそ、回生の機運にのることが可能なのだ。
 こうしたおどろくべき環境の中で、人間は、誰でも酔うようになる。感動が連続して彼をおそう。彼はこおどりしながら歓びに満たされ、涙を流して感謝し、嘆き、火を噴くような激怒に支配され、甘さこのうえない情緒に溶けこんでいける。酔うとは酒に酔うことではない。人生全般の事柄に、常識を超えた異常さで感動することなのだ。ぶどうづくりに精を出したノアは、そのことに依って、人生の苦悩を身をもって味わったことをしめしている。しかし、彼が飲んだのは、無責任に、祭りや集まりの際に口にする、いわゆる酒ではなかった。祭りや集まりは、もうどこにもない。それらは、大洪水ですべて姿を消してしまっている。彼は、自らの内部の神聖な感動に酔わなければならなくなってきている。そして、そういった感動は、日毎に彼の味わっているものであった。
 酔うとは興奮することである。感動が、大きく活動し始めることであり、魂が、やわらかく解きほぐされていくことである。人生が劇的になるところには、かならず魂が砕かれて、周囲に美しく華やかに飛散してかたちづくる華麗な徴候が、はっきりと観られる。
 ノアは、歴史を失っためぐまれ人間として、興奮し、発奮しないわけにはいかなかった。先祖をなくした者、親と縁を切ったものとして、どうしても、一種の創造者、一種のゼウス、一種の大先祖にならないわけにはいかなかった。彼は、激しく興奮のるつぼにたたきつけられた。何一つ、既成のモラルに囚われない人間として、自由自在に酔わないわけにはいかなかった。純粋この上ない人間と——————(中略)】

   万葉讃歌 (5)          佐藤文郎

2019-04-14 17:40:54 | 日記
「あまり便乗しなさんな」と言ったのは、竹さんだ。三十代だが、声に独特の響きがあり、ぬけたとは言っても眼のくばりで隠しようがない。しかしいまは、江戸期の『安藤昌益哲学』研究に余念がない。
 便乗と言われても、 私は、上野先生と自分との、この、岩手いちのせき時代が、懐かしいのである。センセイとは言うが、「うえの」が先生なら、とうに忘れ去っている。ステレオタイプの「先生」を嫌ったのは私でもあったが、その偶像を木っ端微塵にしたのは「うえの」自身だった。それだけではない、同時に、私を、拠り所も、逃げ場もないほど追い込んだ。「東北や、東北人について」のくだりを読めば分かるはずである。その時は、絶望的なきもちになった。自分の最も深いところにある悩みだったからだ。その時精神に受けた屈辱的な破壊によってすべてを置き去りに、妻子も仕事も放って飛び出した。屈辱的破壊を受けて、すぐではない、葛藤もあったからだ。葛藤を抱えながら、「うえの」の著書の出版もした。
 私は子供の頃から家出を繰り返していた。そこにはロマンの香りがただよっていた。だが、こいつは違った。西行を真似た,という者もおったが西行さんが聞いて悲しむでしょう。そういうことなら、また スゴスゴと戻るだけだったろう。「うえの」の徹底的な屈辱と破壊によって、救われたのである。他に私が抱えていた長いあいだの心理的ダメージから救える方法はなかったはずである。私はそこから二十五年間、音信不通になった。そんなものどうでもよかった。何か特別な事をしたわけでも、どりょくしたわけでもなかった。が、私は「自然」を発見できて「わたし」になることができた。上野先生のおかげであった。最近出版された『幽篁記』「上野霄里著」(明窓出版刊)を読んで、深い呼吸のうちに総てを忘れて読むことが出来た。「うえの」の言葉は消えて思いとなって心に届いていた。
 今日一日,この命 バンザイ! 
  万葉讃歌は、まだまだつづけます。
 上野霄里著 復刻版『単細胞的思考』明窓出版株式会社(増本利博)2001 
 序文 ヘンリー・ミラ— 上野に就いて 超人間の体質(スーパーヒューマン)
 復刻の辞 中川和也  ———原生のリズムに魅せられて———
 解説 「上野霄里・言霊に憑かれし巨人」
◯ 原生人類のダイナミズム ——原始的人間復帰への試み——
◆ 箱船の神話(万葉集のポエジーをメデアとして)
 万葉讃歌(4)からつづく
【特に東北地方の人間の口の重さ、人の目を盗み見る態度、知っていても知らぬふりをし、出来るだけ事を起こさないようにと努力する、何事につけても消極的な態度の中に、三百年の流刑地での傷の深さを思い知らされる。
 東北人の心と肉体の中に日本人全体の弱さ、悲しさ、痛さ苦しさ恥ずかしさが見られる。九州や関西の旅行者ですら、東北に来ると、東北人のうつろで、干涸び、何か不安をかこって無意識的に身構える物腰に冷え冷えとしたものを身の内に感じるはずだ。そして、そういった印象は、彼等に、東北人を軽蔑する気持ちを抱かせるのではなくて、むしろ、彼等自身の中に奥深くひそんでいた、はるか三百年間の苦しい思い出に繫がる劣等感を呼び起こさせるのである。
 東北人の恥の感覚は、日本各地のあらゆる人間の心の底に沈殿している魂の滓である。東北という環境は、三百年の悪夢を最も忠実に温存している唯一の場所と言わなければならない。東北の人々の間にうたわれる古謡、民謡のあのもの悲しさに包まれたメロデーはどうだ。
 彼等は顔一杯に笑っていても、眼の中だけは、万年氷にとざされていて、いっかな溶けそうにない。彼等が怒り狂っても、やはり眼の中は、うっすらと白々とした霜におおわれている。流刑地で、すっかり身についてしまった歪んだ性格、傷だらけになってしまった精神そっくりそのまま、東北という特殊風土の中で、今日まで伝えられてきている。東北人の権威好みは一寸やそっとではない。病的なくらいである。東北の偉人が、芸術家や宗教家の間によりも、むしろ、軍職や政界に輩出しているというのも、こういった理由からである。個人を持たず、権威に弱く、集団の中で模範的に過ごせる性格が極端に一方に傾いて行った場合、大将や大臣が生まれてくる。しかしこの現象は程度の差こそあれ、どの地方でも似たりよったりである。
 こういった精神的凍土である東北の地で、全く自由で、万葉時代の大らかな発言と行動を使用とする時、当然のことながらひどい圧力を受ける。しかし、凍土の最も下層部にしか、あたらしく生き生きした芽は萌え出てはこないのだ。
 創世記第十章十八節から二十七節のエピソードを読んでみよう。
 「箱船から出たノアの子らはセム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナン族の先祖である。この三人はノアの息子達で、全世界の人類は、この三人を先祖として、広がっていったのだ。さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、家の中で裸になっていた。カナンの父ハムは裸の父を見て、外にいる二人の兄弟にこれを知らせた。セムとヤペテは着物をとって肩にかけ、うしろ向きになってあゆみより、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。やがてノアは酔いがさめ、末の子が彼にしたことを知った時、彼は言った。〝カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟達に仕えなければならない〟また、つづけて言った。〝セムの神、偉大なる創造者はたたえられるべきだ、カナンはそのしもべとなれ。神はヤペテを繁栄させ、セムの天幕に彼を住まわせるように。カナンはそのしもべとなれ〟」。
 もし、私が従来通り、牧師稼業にせっせと精を出し、何ら心に疑念を抱かず、悩まず、何事も割り切って考えているならば、この聖書の記述を次のように解釈し、説明し、説教するだろう。「ノアは、酒に酔いつぶれて大変な失態を演じた。ハムは、そのような父を見て直ぐさま行動せず、外にいる二人の兄弟に告げた。この場合、行動とは、信仰を持つという行為を指している。それに反し、セムとヤペテは、知らせを聞いて、直ぐさま着物を持って屋内に飛び込んだ。父の醜態を見て父を辱めてはならないからと、肩に着物を担い、うしろ向きに近づいて父の裸体にこれをかけた。
 こうした二人の行動は、神を信じて、信じた通りに生活する人間の典型として、ノアがあとになって賞賛し、祝福しているのであり、ハムは、最初に事実を目撃し、必要な行動に入れる特権にあずかりながら、唯、これを二人の兄弟に告げただけであった。彼はこの際、実行の伴わない信者の典型であり、心に信じようと努めながら、結局、生活全般を通じて信じ切れない不信仰の人間のイメージを彷彿とさせる。
 わたしたちは、セム、ヤペテ、の立場にいなければならない。見ていながら、これに対して適切な処置のとれない人間は、常に敗北者である。
 こういった論旨は、私にとって、まさに、古い自分の写真をのぞくような気分でしか見られない。いささか照れくさい、多少の恥ずかしさ、心苦しさの混じり合った妙な感覚が私を支配する。
 だがこの論旨のおわりの部分は正しいと思う。最初の目撃者でありながら、実行において、後からくる者に先んじられてしまう人がこの世にはなんと多いことであろう。最初に思いつく頭や、一番始めに発見するめぐまれた感覚と機能とチャンスを与えられていながら、それが一寸も実行は出来ない。いやじっこうするにはするのだろうが、多くの人々がやりふるしてからである。こういう人間は、眼があっても、本当にものを見るよろこびを味わえない人であり、耳があっても本当にものを聞くことの許されていない人である。
 彼の口は、美味なものを、うまいとは味わえず、彼の感覚は、快感さえも、その通りに感受することが出来ない。生きていながら死んでいるとは、こういう人間のことをさして言うのである。しかも、この世の中が、この類いの人間で埋まっているということは、否定できない事実である。】万葉讃歌(6)へ